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第四章
第四話
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覆面達は顔を見合わせると若い男の方へと走り出した。
「危ない!」
花月が声の主に向かって声を上げた。
覆面は二人だ。
よほどの遣い手でもない限り一人では敵わない。
覆面の片方が刀を振り下ろした。
若い男がぎりぎりで躱す。
覆面達は若い男の横を通り過ぎて闇に消えていった。
「ご無事でしたか!?」
若い男が走り寄ってくる。
信之介だった。
花月が信之介に声を掛けようとする前に、
「お陰で助かり申した」
年配の武士が花月達に礼を言った。
「礼には及びませぬ。それより怪我をされた方がいらっしゃる御様子。よろしければ途中まで御同行致しましょう」
花月が低い声で年配の男に向き直って言った。
「かたじけない」
無事だった家臣が殺された者の遺体を土手の草叢に運び込んでいる。
後から籠で引き取りに来るのだろう。
六尺達が戻ってきて籠を担いだ。
花月達と家臣達は籠を囲むようにして歩き出す。
「よろしければ、そこもと達のお名前を伺いたいのですが」
花月は、名乗ろうとした光夜の前に手を上げて遮ると、
「申し訳ない。夜遅くに出歩いていた事が知られれば処分を受けます故、御容赦を」
と言って断った。
年配の男も食い下がろうとはしなかった。
大名の上屋敷が立ち並ぶ一角まで来ると、
「それではこれで」
花月は軽く会釈して踵を返そうとした。
「お待ちください。これを」
年配の男が紙包みを差し出す。
小判三枚ってとこか……。
光夜が素早く見て取る。
「気遣い御無用」
花月がそう断って歩き出すと光夜と信之介も後に続いた。
家臣達の姿が見えなくなるところまで来ると、
「村瀬さん、有難う。本当に助かったわ」
花月が普段の口調に戻って言った。
「いえ……」
信之介は暗い顔をしている。
「どうかしたの? まさか怪我でも……」
花月が振り返った。
「いえ、違います」
「じゃあ、なんだよ」
「あの三人は拙者の方へ駆けてきました。光夜殿の方ではなく。拙者の方が弱いと見て取ったからでしょう。拙者なら簡単に倒せる、と」
信之介が落ち込んだ口調で答えた。
「お前が一人だったからだろ」
信之介ではなく光夜に向かっていたら花月や無事な家臣達が加勢したはずだ。
それでは逃げられなかった。
花月がそう説明すると、
「ですが拙者ではなく、師匠や若先生だったら光夜殿の方へ行っていたはずです」
信之介は暗い表情のまま言った。
「馬鹿か、お前は。師匠達と比べるなよ」
光夜は呆れて言葉を返した。
師匠達を自分達と同列に語るなど烏滸がましいにも程がある。
だが信之介は黙り込んだままだ。
「強くなりたい?」
花月が優しく訊ねた。
「はい」
信之介が花月を見て頷いた。
「ありきたりな事だけど、稽古に励むしかないわね。師匠や若先生だって幼い頃からずっと稽古を続けて今の強さになった。それは皆同じ。一度戦えば、それだけ強くなる。戦いを繰り返すことで少しずつ強くなっていくの」
「戦って……」
「言っとくけど、辻斬りしろって意味じゃねぇからな」
「そのような事は承知している」
信之介がむっとした声で言った。
「辻斬り退治するために夜道を彷徨くのも辻斬りと同じだからな」
「そうね。辻斬りをするような連中にも身内がいる。戦って勝つという事は仇を作ると言うこと。剣士として生きていけば仇は嫌でも出来るけど、必要もないのに作ることはないわね。それが活人剣の教えよ」
「はい」
信之介は殊勝な顔で頷いた。
翌朝、弦之丞に朝の挨拶をすると、
「辻斬りは出たのか?」
と訊かれた。
花月が、やっぱりバレてたねと目顔で視線を送ってくる。
「いいえ、出ませんでした」
花月は澄ました表情で答えた。
それから真面目な顔になると前夜の経緯を話した。
「そうか。出掛ける時は必ず光夜と一緒に行くように」
やはり弦之丞は二人一緒なら大丈夫だと判断していたらしい。
「そこまで!」
花月がそう言うと、光夜と信之介は木刀を降ろして礼をした。
「あの、花月さん、今夜も同じ頃で良いんでしょうか?」
信之介が真剣な面持ちで訊ねてきた。
「何が?」
「何って……今宵も柳橋に行くのでは……」
「ああ、それね」
信之介は当然今夜も花月や光夜が柳橋へ行くと思っていたらしい。
「行かれないのですか? てっきり麻生殿の仇をうちに行かれるのかと……」
「麻生の仇って、お前、あいつとそんなに親しかったわけじゃねぇだろ」
そもそも仇というのは基本的に親か、せいぜい祖父である。
兄弟でも兄なら認められることはあるが親しいだけでは仇討ちとは認められない。
私怨によるただの殺人と見做される。
当然犯人だという事がバレたら処分を受ける。
武士だろうと殺人罪は重罪なのだ。
「夕辺は野次馬根性で行っちゃったけど、麻生さんが運悪く辻斬りにあったならまだしも、力試しのためにわざわざ辻斬りを捜して夜更けに彷徨いてたんだとしたら仇討ちって言うのもね」
「武田や坂口でさえやらないのに何で俺らが行かなきゃいけねぇんだよ」
「必要のない殺生はうちの活人剣の教えに反するから」
「……そうですか」
信之介が肩を落とす。
花月と光夜は黙ってその姿を見ていた。
その夜、花月と光夜は柳橋に向かって歩いていた。
「面倒くせぇな。なんでまた行かなきゃなんねぇんだよ」
「村瀬さんにもしもの事があったら困るでしょ。行ってみて来てなければ帰ってくれば良いんだし」
花月は活人剣の教えを持ち出して釘を刺したが信之介は賊が自分の方に向かってきたことをかなり気にしていた。
商家への婿養子の件もあり、武士として自分の力量を示したいと思い詰めていてもおかしくない。
「きっと、分かってねぇよなぁ」
「え?」
「あいつ。人を斬るどころか、多分、真剣を振るった事さえねぇだろ」
麻生はたまたま弱い破落戸と戦ってあっさり勝ってしまったのが運の尽きだったのだ。
その次の相手も大した実力がなかったか、下手をしたら碌に喧嘩もしたことがない武士で辻斬りですらなかったのかもしれない。
そんな人間を斬ってしまったが故に自分の実力を見誤り、思い上がった末、力量を見極められないまま強い相手に挑んで斬られてしまったのだろう。
もし最初の破落戸達が喧嘩慣れしていたら……。
刀を持ってる相手とも互角に渡り合えるような連中で、麻生達が負けて怪我でもしていれば今頃は未だ生きていただろう。
例え二度と刀を握れなくなっていたとしても。
信之介も恐らく自分の力を示したい一心で相手の実力も測れないまま突っ込んでいってしまうだろう。
それが何を意味するのかも分からずに。
「光夜! あそこ!」
花月が指した先に複数の人影が見える。
花月と光夜は人影に向かって駆け出した。
「危ない!」
花月が声の主に向かって声を上げた。
覆面は二人だ。
よほどの遣い手でもない限り一人では敵わない。
覆面の片方が刀を振り下ろした。
若い男がぎりぎりで躱す。
覆面達は若い男の横を通り過ぎて闇に消えていった。
「ご無事でしたか!?」
若い男が走り寄ってくる。
信之介だった。
花月が信之介に声を掛けようとする前に、
「お陰で助かり申した」
年配の武士が花月達に礼を言った。
「礼には及びませぬ。それより怪我をされた方がいらっしゃる御様子。よろしければ途中まで御同行致しましょう」
花月が低い声で年配の男に向き直って言った。
「かたじけない」
無事だった家臣が殺された者の遺体を土手の草叢に運び込んでいる。
後から籠で引き取りに来るのだろう。
六尺達が戻ってきて籠を担いだ。
花月達と家臣達は籠を囲むようにして歩き出す。
「よろしければ、そこもと達のお名前を伺いたいのですが」
花月は、名乗ろうとした光夜の前に手を上げて遮ると、
「申し訳ない。夜遅くに出歩いていた事が知られれば処分を受けます故、御容赦を」
と言って断った。
年配の男も食い下がろうとはしなかった。
大名の上屋敷が立ち並ぶ一角まで来ると、
「それではこれで」
花月は軽く会釈して踵を返そうとした。
「お待ちください。これを」
年配の男が紙包みを差し出す。
小判三枚ってとこか……。
光夜が素早く見て取る。
「気遣い御無用」
花月がそう断って歩き出すと光夜と信之介も後に続いた。
家臣達の姿が見えなくなるところまで来ると、
「村瀬さん、有難う。本当に助かったわ」
花月が普段の口調に戻って言った。
「いえ……」
信之介は暗い顔をしている。
「どうかしたの? まさか怪我でも……」
花月が振り返った。
「いえ、違います」
「じゃあ、なんだよ」
「あの三人は拙者の方へ駆けてきました。光夜殿の方ではなく。拙者の方が弱いと見て取ったからでしょう。拙者なら簡単に倒せる、と」
信之介が落ち込んだ口調で答えた。
「お前が一人だったからだろ」
信之介ではなく光夜に向かっていたら花月や無事な家臣達が加勢したはずだ。
それでは逃げられなかった。
花月がそう説明すると、
「ですが拙者ではなく、師匠や若先生だったら光夜殿の方へ行っていたはずです」
信之介は暗い表情のまま言った。
「馬鹿か、お前は。師匠達と比べるなよ」
光夜は呆れて言葉を返した。
師匠達を自分達と同列に語るなど烏滸がましいにも程がある。
だが信之介は黙り込んだままだ。
「強くなりたい?」
花月が優しく訊ねた。
「はい」
信之介が花月を見て頷いた。
「ありきたりな事だけど、稽古に励むしかないわね。師匠や若先生だって幼い頃からずっと稽古を続けて今の強さになった。それは皆同じ。一度戦えば、それだけ強くなる。戦いを繰り返すことで少しずつ強くなっていくの」
「戦って……」
「言っとくけど、辻斬りしろって意味じゃねぇからな」
「そのような事は承知している」
信之介がむっとした声で言った。
「辻斬り退治するために夜道を彷徨くのも辻斬りと同じだからな」
「そうね。辻斬りをするような連中にも身内がいる。戦って勝つという事は仇を作ると言うこと。剣士として生きていけば仇は嫌でも出来るけど、必要もないのに作ることはないわね。それが活人剣の教えよ」
「はい」
信之介は殊勝な顔で頷いた。
翌朝、弦之丞に朝の挨拶をすると、
「辻斬りは出たのか?」
と訊かれた。
花月が、やっぱりバレてたねと目顔で視線を送ってくる。
「いいえ、出ませんでした」
花月は澄ました表情で答えた。
それから真面目な顔になると前夜の経緯を話した。
「そうか。出掛ける時は必ず光夜と一緒に行くように」
やはり弦之丞は二人一緒なら大丈夫だと判断していたらしい。
「そこまで!」
花月がそう言うと、光夜と信之介は木刀を降ろして礼をした。
「あの、花月さん、今夜も同じ頃で良いんでしょうか?」
信之介が真剣な面持ちで訊ねてきた。
「何が?」
「何って……今宵も柳橋に行くのでは……」
「ああ、それね」
信之介は当然今夜も花月や光夜が柳橋へ行くと思っていたらしい。
「行かれないのですか? てっきり麻生殿の仇をうちに行かれるのかと……」
「麻生の仇って、お前、あいつとそんなに親しかったわけじゃねぇだろ」
そもそも仇というのは基本的に親か、せいぜい祖父である。
兄弟でも兄なら認められることはあるが親しいだけでは仇討ちとは認められない。
私怨によるただの殺人と見做される。
当然犯人だという事がバレたら処分を受ける。
武士だろうと殺人罪は重罪なのだ。
「夕辺は野次馬根性で行っちゃったけど、麻生さんが運悪く辻斬りにあったならまだしも、力試しのためにわざわざ辻斬りを捜して夜更けに彷徨いてたんだとしたら仇討ちって言うのもね」
「武田や坂口でさえやらないのに何で俺らが行かなきゃいけねぇんだよ」
「必要のない殺生はうちの活人剣の教えに反するから」
「……そうですか」
信之介が肩を落とす。
花月と光夜は黙ってその姿を見ていた。
その夜、花月と光夜は柳橋に向かって歩いていた。
「面倒くせぇな。なんでまた行かなきゃなんねぇんだよ」
「村瀬さんにもしもの事があったら困るでしょ。行ってみて来てなければ帰ってくれば良いんだし」
花月は活人剣の教えを持ち出して釘を刺したが信之介は賊が自分の方に向かってきたことをかなり気にしていた。
商家への婿養子の件もあり、武士として自分の力量を示したいと思い詰めていてもおかしくない。
「きっと、分かってねぇよなぁ」
「え?」
「あいつ。人を斬るどころか、多分、真剣を振るった事さえねぇだろ」
麻生はたまたま弱い破落戸と戦ってあっさり勝ってしまったのが運の尽きだったのだ。
その次の相手も大した実力がなかったか、下手をしたら碌に喧嘩もしたことがない武士で辻斬りですらなかったのかもしれない。
そんな人間を斬ってしまったが故に自分の実力を見誤り、思い上がった末、力量を見極められないまま強い相手に挑んで斬られてしまったのだろう。
もし最初の破落戸達が喧嘩慣れしていたら……。
刀を持ってる相手とも互角に渡り合えるような連中で、麻生達が負けて怪我でもしていれば今頃は未だ生きていただろう。
例え二度と刀を握れなくなっていたとしても。
信之介も恐らく自分の力を示したい一心で相手の実力も測れないまま突っ込んでいってしまうだろう。
それが何を意味するのかも分からずに。
「光夜! あそこ!」
花月が指した先に複数の人影が見える。
花月と光夜は人影に向かって駆け出した。
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