比翼の鳥

月夜野 すみれ

文字の大きさ
42 / 46
第十一章

第十一章 第二話

しおりを挟む
「強くなってるでしょ」
 花月が言った。
「え?」
「前に襲ってきた時は勝てなかった相手を倒せたんだから腕が上がってるって事よ」
「あ……」

 そうだ……。

 以前は二人掛かりでなんとかやられずにんだと言うだけの強敵だ。
 それを倒すことが出来た。
 自分では分からなかっただけで強くなっているのだ。

「前にも言ったけど村瀬さんとの試合が五分五分なのは村瀬さんも腕を上げてるってだけよ」

 そうか……。

 今度は素直に納得出来る気がした。
 信之介が文丸の代わりに座っている時間はごく僅かだし、かといって屋敷からは出られない。
 吉野と知り合う前は算術の話が出来る相手もいなかったのだから暇な時は剣術の稽古くらいしかすることがなかっただろうから当然腕は上がるだろう。

「ていうか、あんた、俺が悩んでるのに気付いてたんだな」
「私だって同じ事で悩んだんだから当然でしょ」
「えっ!? 花月も!?」

 花月にも守りたい相手がいたのか……?

 確か想いを寄せていた相手は剣の腕が立つと言っていたはずだから守りたいと考えていたとは思わなかった。

 いや、死んじまったから守れるだけの力が欲しかったとか……?

「当たり前じゃない。いくら手加減されてるって言ったって痣が出来るほど打たれるのってすごく痛いんだからね」
「…………」

 そうだった……。
 剣術の稽古だけは花月にも容赦ねぇんだった……。

「打たれないようにするには強くなるしかないんだからどうすれば早く腕が上がるか考えるわよ」

 そりゃそうだ……。

 光夜とは理由が大分違う気がするのだが、早く強くなりたいと思ったという点は同じなのだろう。

 なんだかすごく気が抜けたんだが……。

 悩むなというのは深く考えるなという意味なのだろうか?

 光夜が首を傾げていると、
「けど、この色の小袖着てきて良かったわね」
 花月が自分の身体を見下ろしながら言った。
「え?」
「返り血がべったり付いてるのよ。まだ明るいのに返り血で染まった小袖なんか着てたら人目を引くでしょ」
 そう言われて花月を見ると確かに小袖の色がさっきより黒に近くなっている気がする。
 濃紺なのと日暮れ時だから目立たないだけないのだ。
「着替えたいし、早く帰りましょ」
 そう言って花月は足を早めた。

 翌日、西野家に行くと信之介が何やら考え込んでいる様子だった。
 稽古が終わって文丸が部屋に戻ってしまうと、
「どうしたんだよ」
 光夜は信之介に訊ねてみた。

「実は……」
 篠野からこのまま西野家の家臣にならないかと持ち掛けられたというのだ。
 ここ数日、文丸と一緒に学問をしている信之介を見ていた吉野と稽古を付けていた夷隅が篠野に推挙してくれたらしい。
 文丸と信之介は今は瓜二つでも数年後には面変おもがわりして見分けが付かないほどではなくなるかもしれないし、そうなれば影武者はつとまらなくなるかもしれないが、文丸と同じくらい学問が出来、その上で剣術の腕も悪くないと夷隅が言ってくれた。
 このまま夷隅に稽古を付けてもらっていればい相談役兼護衛役になれそうだということらしい。

「婿養子じゃなくて御役目にけるって事か?」
「そうなる」
「ならなんで迷ってんだ?」
 微禄でも武家の屋敷は広い。
 武家が住むのは主から与えられた拝領はいりょう屋敷で、屋敷の広さは石高などによって違うのだが禄高ろくだかが少なくてもそれなりの広さがあった。
 桜井家もそれほど石高こくだかが高いわけではないが、それでも屋敷の敷地内に稽古場を建てられるくらいである。
 江戸の人口の半分は武家だ。
 逆に言えば半分(の中の大半)は町人である。
 にも関わらず、町人は狭い場所にひしめき合って住んでいる。
 これは武家屋敷の敷地が江戸の町の多くを占めていたのが一因である。
 屋敷が広いのは普段連れて歩かなければならない家来の数が決まっていて、その家来達を敷地内に住まわせる必要があったからだ。
 陪臣の場合、雇い主である大名や旗本の屋敷内にある長屋に住む。

 家臣が必須の大名や大身の旗本はともかく、桜井家のように中間一人とか、使用人のいない御家人などは敷地は広いが使用人用の部屋は必要が無い。
 そのため直参の武士は家族が少々多くても家が狭くて困るという事はまずない代わりに同居の家族は一家の主が養わなければならなかった。

 信之介の家のように微禄びろくの御家人ともなると俸禄ほうろくは少ないし、主人が出世して加増されるか役料でも付かない限り収入は増えない。
 御役目にけば普通は屋敷も拝領するから家から出ていく。
 つまり同居しているのは仕事のない無収入の者と言うことである。
 しかも俸禄はほぼは変わらないのに物価は年々上昇しているから武家はどんどん生活が苦しくなっているのだ。
 だから小禄しょうろくの武家はどこも内職をしているのだ。

 信之介の親が商家からの婿養子の話に乗り気なのも、養子先の家からの援助を期待しているからと言うだけではなく、〝厄介〟を一人減らしたいというのもあったのだろう。
 部屋住みは負担でしかない。
 特に禄高ろくだかの少ない御家人にとっては。
 だから〝厄介〟だの〝冷や飯食い〟などと呼ばれているのだ。
 援助は無くてもいいから、せめて御役目に就いて家から出ていって欲しいと言うのが本音だろう。

「西野家に出仕するとなると陪臣という事になる故……」
「お前、直参か陪臣かなんて事にこだわってんのか? 部屋住みや牢人よりずっとマシだろ」
「そうなのだが……」
 信之介は、ちらっと花月に視線を向けた。

 ああ、なるほど……。

 弦之丞は家格を気にしたりはしないだろう。
 問題は家格ではない。
 直参なら御家御取り潰しにならない限り御役目がなくなったとしても家と俸禄は(かなり減ることになるにしても)残るが、陪臣は自分が取り潰されるようなことをしていなくても、主家が取り潰されたら俸禄も屋敷も失って路頭に迷う。
 あまりにも沢山の大名家を取り潰したために牢人が増えて江戸の治安が悪化したので最近はよほどのことがない限り取り潰しは減ったが御公儀が取り潰さなくても跡取りがいなくて御家断絶と言うこともある。
 断絶して家がなくなる事がないように末期養子まつごようしも許されるようになったのだがそれでも断絶してしまうことがある。
 末期養子というのは跡継ぎのいない者が亡くなる直前に急いで養子を迎えて跡継ぎの届出を出すことである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

処理中です...