歌のふる里

月夜野 すみれ

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第一章 凍れる音楽

第六話

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 服はユニクロで揃えた。

「小夜ちゃん、カジュアルブランドとか着ないの? 可愛い服、似合いそうなのに」
 楸矢はそう言ったが、そういう店で服を買うとなると、どうしてもあれこれ迷ってしまって選ぶのに時間がかかる。
 それに、柊矢は気にするなといったがやはりお金のことが気になったのでユニクロにしておいた。

「次はどこだ?」
 柊矢が車を出しながら訊ねた。
 下着もユニクロで間に合ったし、あと当面必要なものは……。
 小夜が黙り込んでいると、柊矢は車をドラッグストアの隣に止めた。

「ここで待ってるから必要なものを買ってこい」
 そう言って一万円札を小夜に渡した。
 分かってくれて良かった。
 小夜は必要なものを買うと、厳重に包んでもらった袋を抱えて車に戻った。
 柊矢にお釣りを返すと、
「次は制服と教科書と文房具か」
 と言って車を出した。

「制服と教科書は……」
 小夜は俯いた。
 お金を稼ぐ方法がなければこのまま高校へ行くことは出来ない。
 奨学金も考えないではなかったが、申込方法も申込先も分からない。
「都立高校の学費なんて大したことないだろ」
 小夜の考えを察した柊矢が言った。

「でも、生活費とかも必要ですし、そう言うお金のことを考えたら、高校を辞めて働いた方がいいのかなって……」
「金の方は大丈夫だろ」
「え?」
 柊矢は車を駐車場に入れながら言った。
「とにかく、制服を買いに行くぞ」
 そう言うと小夜の腕を掴んで強引に店に入った。

 制服を買った後、昼食をファミレスでとってから教科書と文房具を買い、最後に夕食の買い出しをして家に戻った。

 小夜が買ってきたものを冷蔵庫に入れ、夕食の支度をしようとしたとき、
「今日はまだ一回も歌ってないでしょ。俺、歌うとこ見たいから歌ってよ」
 楸矢はそう言って小夜を音楽室へ連れて行った。

 棚から木製の横笛を取り出すと、吹き始めた。
 小夜が歌い始めると、柊矢も入ってきてキタラを弾き始めた。すぐに小夜の声にあわせて他の歌い手達が歌い始めた。
 歌と演奏のハーモニーが東京の街に広がる。街を覆うように旋律が流れていく。

 これ以上悲しいことが起こりませんように。
 明日がみんなにとって良い日でありますように。

 小夜が祈るように歌う。
 それに答えるように斉唱が、重唱が、副旋律を歌うコーラスが、演奏と重なり天に昇っていく。

 この祈りがどうか天に届きますように。

 最後の歌が終わり、演奏がやむと、小夜は息をついた。
 なんだか気持ちが楽になったような気がした。

「有難うございました」
 小夜は二人に頭を下げると台所へ向かった。

 昨日の反省をいかして、今日は柊矢達がこんなに沢山食べられるのかと不安になるほど作った。
 しかし、そんな心配は無用だった。
 柊矢も楸矢もぺろりと平らげてしまった。

 ここんち、エンゲル係数高そう。
 食後のお茶――柊矢と楸矢はコーヒーだが――になったとき、小夜は思いきって気になっていたことを訊ねた。

「あの、お金の心配が無いってどういうことですか?」
「普通は生命保険や火災保険なんかに入ってるものだからな。君のお祖父さんも入ってたと思う。それに身内がお祖父さん一人しかいなかったなら、自分に何かあったときのために信託財産を積み立ててた可能性もある」
 柊矢はそう言ってから、
「焼け跡から耐火金庫が見つかった。多分、その中に書類が入ってるはずだ。開け方、分かるか?」
 小夜は首を振った。

「なら錠前屋を呼んで壊してもらっていいか?」
「はい」
「君が良ければ中身を調べて、保険の請求なんかをやっておくが」
「有難うございます。でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
 小夜の問いに、
「祖父から一度拾った生き物は最後まで責任を持って面倒を見るように言われてる」
「女子高生拾ったのは初めてだけどね」
 楸矢が冗談っぽく言った。
 柊矢はコーヒーのマグカップを持つと自分の部屋へ戻っていった。

 生き物……。
 柊矢さん達にとってはそのレベルなんだ……。
 その方が気は楽だけど。

「まぁ、冗談は置いといて、似てるから、かな」
「え?」
「俺達も祖父じいちゃんに育てられたんだ。祖母ばあちゃんと両親は早くに死んで、顔も写真を見たことがあるだけで……柊兄は父さんと母さんのこと覚えてるかもしれないけど」
「楸矢さん達も……」
「歌が聴こえる人に会ったのも初めてだし」
「私も初めてです」
「誰かに話したことある?」
「いえ、言っちゃいけないって言われてたので」
「だよなぁ。俺達もそう言われててさ。まぁ、それは正解だったんだけど」
「どういうことですか?」

 楸矢が十一歳の時だった。
 柊矢と楸矢は祖父が運転する車の後部座席にいた。
 嵐の夜で視界が悪かった。
 ずっと歌が聴こえていた。
 祖父は歌の話をすると怒るから口には出せなかったが、柊矢と楸矢は眼で合図していた。

 何となく、嫌な予感がした。
 歌に誰かの悪意を感じた。
 この嵐は歌のせいだ。
 祖父に車を止めるよう頼もうとしたとき、正面からダンプカーが突っ込んできた。

 一瞬、白い森が見えた。

 気が付いたら病院だった。
 トラック運転手の居眠り運転が事故の原因だったそうだ。
 柊矢と楸矢は気を失っただけで奇跡的にかすり傷程度で済んだが祖父は亡くなったと告げられた。
 楸矢は警察の事情聴取で、普通の人には聴こえない歌が嵐を起こしたから事故が起きたんだと訴えた。

「それで、どうなったんですか?」
「あやうく精神科病棟に移されるところだった」
 まぁ、そうだろう。
 それは容易に想像が付く。
「カウンセラーが来たとき、ヤバい!って思ってさ、頭が痛くて事故のことはよく覚えてないってごまかした。事情聴取で言ったことも記憶にないって」

 あの火事の夜、小夜が家を出たときも歌が聴こえていた。
 嵐ではなかったが強い風が吹いていた。
 まさか、ね。

「それでりればいいのにさぁ、俺ってバカだからまたやらかしたんだよね」
「え?」
「中三の時、付き合ってた彼女に言っちゃったんだ。お互い秘密を持つのはよそうって言われて正直に打ち明けた」
「それで、どうなったんですか?」
 小夜は思わず身を乗り出した。
「なんか急によそよそしくなっちゃってさ。彼女の友達まで俺のこと変な目で見るし」
 私だったら好きな人が言ったことなら、たとえ自分には歌が聴こえなくても信じると思うけど……それは自分が聴こえるからそう思うのかな。

「参るよね。友達にまで言いふらすなんてさ。見る目なかったんだなぁ。でも、それに懲りて、その後は例え相手が彼女でも言わないことにしたんだ」
「どうして歌が聴こえる人と聴こえない人がいるんでしょう」
「どうしてかなぁ」
 楸矢はそう言うと大きなあくびをした。
「小夜ちゃん、お風呂に入ってきなよ。俺が片付けておくからさ」
「そんな、昨日も片付けてもらったのに……」
「いいから、ほら」
 楸矢は小夜を台所から送り出すと、片付けを始めた。

 制服や教科書を買ってもらったので、小夜は明日から学校へ行くことになった。
 柊矢からこの家から学校までの行き方を教えてもらった。
 バス通学になるので定期券も買ってもらった。
 あ、学校に行くならお弁当作らなきゃ。
 柊矢さんと楸矢さんの分も。
 小夜はとりあえず風呂に入ることにした。出る頃には片付けも終わっているだろう。

 翌日、学校へ行くとクラスメイト達が集まってきた。

「心配かけちゃってゴメンね」
 小夜がそう言うと、
「お葬式は? まだだよね?」
「うん、司法解剖って言うのをしないといけないから時間がかかるんだって」
 そんな話をしていると、予鈴が鳴った。

 霧生家から学校への通学は、明治通りを走るバスに乗るので超高層ビル群のそばは通らない。
 バスの中で歌が聴こえてきたが、さすがにここでは歌えない。
 音楽室でいつでも歌っていいと言われているので、夕食の支度の前に歌わせてもらおう。
 小夜は夕食の献立を考えながらバスに揺られていた。
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