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夏 三
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隆亮と供に内裏へ向かう途中、牛車が止まったかと思うと向きが変わった。
御簾から覗いてみたが内裏に着いたわけではない。
「どうした」
隆亮が牛飼童に訊ねる。
「あの道の先に死体があったそうです」
牛飼童が答える。
おそらく先触れが死体に気付いて牛飼童に違う道を通るように言ったので曲がったのだろう。
死体は死穢と言って貴族は見ないように避けていた。
自分の子供が亡くなった時ですら見ないくらいである。
穢れが嫌とかいう気持ちの問題ではなく、見てしまうと死穢に触れたと言うことで数日間は仕事を休まなければならない。
公式行事を行う者が死穢に触れてしまうと行事を延期しなければならなくなる場合があるので実生活上での影響が大きいのだ。
貴晴の場合、仕事や公式行事は(今のところ)関係ないが、今から参内という時に死穢に触れたら行かれなくなる。
死体が転がっていること自体はそれほど珍しくないから誰も気にしないが見てしまわないように気を使う必要があるのだ。
一々牛車に乗って移動するのも道端に落ちている死体――死穢に触れてしまわないようにするためでもある。
とりあえず貴晴達はそれ以上は何事も無く内裏に着いた。
牛車に乗ったままでは中までは入れないので二人は門の前で降りた。
「姫様、こちらでよろしいでしょうか?」
侍女がそう言って紙を持ってきた。
匡が歌会で詠む歌を書き付けるための紙だ。
中には色が付いている紙もある。
おそらく匡に贈られてきた文のうち返事をしないものだろう。
紙は貴重なのでいらない文は裏を他の書き物に使うのだ。
きれいな色……。
そう思いながら紙を裏返して書き付けてある文面を見た。
日記もそうだが、文も基本的には人に見られるのが前提である。
だから見られて困るようなことは書かなかった――書けなかったのだ。
日記などに書いてあるのは建前であって知られたくない本音などは書いていない。
人に知られては困る文は宛名や差出人の名前を書かないようにしたり、濃い色の紙に書いて読みにくくするなどの工夫をしたのである。
求婚のための懸想文などはそもそも相手の親や乳母子などが先に目を通すものだから人目に触れる前提で書く。
〝藤浪の なみたつ想ひ ちりぢりに よする汀は 恋に濡れなむ〟
この歌……!?
これ、多分この前の人だ……。
多田貴晴様……。
名字が書いてあるということは親王や王(親王宣下を受けていない皇子や皇孫)ではないのだろう。
領地の地名を名乗ることもあるから絶対ではないが。
もし帝の子孫ではないとしたら従五位下は蔭位ではないはずだ。
蔭位というのは祖父か父の官位によって貰える位のことである。
父親の官位が一位でも嫡男は従五位下になるが、若い嫡男がいそうな人で多田と言う姓は聞いた事がない。
となると若いのに実力で従五位下になったという事になる。
ただ……それならどうして官職が書いてないのかしら……?
出世で官位だけ貰うという事は考えづらい。
なくはないだろうが普通は官職に就いて、それに見合った官位を与えられるものだ。
「あ、あの、これはお義母様に捨てるように言われたの?」
織子は慌てて侍女に訊ねた。
「いいえ。その方は従五位下ですからお渡ししてません」
侍女が答える。
「で、でも、お歌が上手いわよ。お義母様がお歌の上手い方は出世されるかもしれないって……」
「確かに、お若い方のようですから、あのお年で従五位下なら……」
「そんなに若い方なの?」
織子は聞き返した。
「文を持ってきたのが乳母子なら同い年のはずですから二十歳前後だと」
確かにそれならかなり若い。
「では一応、北の方様にお見せします」
侍女は少し迷った様子を見せたが、それでも義母の元に文を持って行った。
つい義母に見せるように勧めてしまったが、あれは匡宛だ。
もし、義母が代返して匡が貴晴と上手くいったら義兄になってしまう。
とはいえ文を捨てられてしまったら、貴晴は別の女性に文を送ってその人と結ばれてしまうかもしれない。
妻が複数いるのは普通だから同時に色んな女性に文を送っているというのは考えないことにする。
多田様が義理のお兄様になってしまったら出家しよう……。
問題はどうやって寺へ行けばいいかということだ。
歩いていける範囲にお寺はないはずだし、お義母様がお寺へ行くために牛車を貸してくれるかどうか……。
そんな事を考えていると侍女が呼びに来た。
「織子様、これ、どう思いますか?」
義母がそう言ってさっきの文を織子に渡す。
織子は文を手に取って見下ろした。
「きれいな字だと思います」
と答えた。
字がきれいだから『出世したい』という歌を詠まなくても、それなりの文章を得意な人に作ってもらって自分で申文(出世させてくださいと言うお願いの文章)を書けばなんとかなるだろう。
今のところは能書とまではいかないが、若いというのが本当なら数年後には能書家と呼ばれるようになるかもしれない。
全てが手書きだから公文書などを書く役人は字が上手くなくてはならない。
そのためきれいな字というのは出世には有利なのだ。
任官希望者が多いのでそれだけだとちょっと弱いが。
「歌のことを聞いているのです!」
義母の叱責が飛んでくる。
「あ、お上手だと思います」
織子が慌てて答えた。それから、
「その……母上にお願いしなくても自分で出世したいというお歌を詠めるくらいには」
以前、官職を望んでいる男性の母親が詠んだ歌に感心した関白が希望を叶えてくれたという話を思い出しながら言った。
本気で出世したいなら関白の北の方に歌を送ったりするより申文を提出した方が良いと思うが。
御簾から覗いてみたが内裏に着いたわけではない。
「どうした」
隆亮が牛飼童に訊ねる。
「あの道の先に死体があったそうです」
牛飼童が答える。
おそらく先触れが死体に気付いて牛飼童に違う道を通るように言ったので曲がったのだろう。
死体は死穢と言って貴族は見ないように避けていた。
自分の子供が亡くなった時ですら見ないくらいである。
穢れが嫌とかいう気持ちの問題ではなく、見てしまうと死穢に触れたと言うことで数日間は仕事を休まなければならない。
公式行事を行う者が死穢に触れてしまうと行事を延期しなければならなくなる場合があるので実生活上での影響が大きいのだ。
貴晴の場合、仕事や公式行事は(今のところ)関係ないが、今から参内という時に死穢に触れたら行かれなくなる。
死体が転がっていること自体はそれほど珍しくないから誰も気にしないが見てしまわないように気を使う必要があるのだ。
一々牛車に乗って移動するのも道端に落ちている死体――死穢に触れてしまわないようにするためでもある。
とりあえず貴晴達はそれ以上は何事も無く内裏に着いた。
牛車に乗ったままでは中までは入れないので二人は門の前で降りた。
「姫様、こちらでよろしいでしょうか?」
侍女がそう言って紙を持ってきた。
匡が歌会で詠む歌を書き付けるための紙だ。
中には色が付いている紙もある。
おそらく匡に贈られてきた文のうち返事をしないものだろう。
紙は貴重なのでいらない文は裏を他の書き物に使うのだ。
きれいな色……。
そう思いながら紙を裏返して書き付けてある文面を見た。
日記もそうだが、文も基本的には人に見られるのが前提である。
だから見られて困るようなことは書かなかった――書けなかったのだ。
日記などに書いてあるのは建前であって知られたくない本音などは書いていない。
人に知られては困る文は宛名や差出人の名前を書かないようにしたり、濃い色の紙に書いて読みにくくするなどの工夫をしたのである。
求婚のための懸想文などはそもそも相手の親や乳母子などが先に目を通すものだから人目に触れる前提で書く。
〝藤浪の なみたつ想ひ ちりぢりに よする汀は 恋に濡れなむ〟
この歌……!?
これ、多分この前の人だ……。
多田貴晴様……。
名字が書いてあるということは親王や王(親王宣下を受けていない皇子や皇孫)ではないのだろう。
領地の地名を名乗ることもあるから絶対ではないが。
もし帝の子孫ではないとしたら従五位下は蔭位ではないはずだ。
蔭位というのは祖父か父の官位によって貰える位のことである。
父親の官位が一位でも嫡男は従五位下になるが、若い嫡男がいそうな人で多田と言う姓は聞いた事がない。
となると若いのに実力で従五位下になったという事になる。
ただ……それならどうして官職が書いてないのかしら……?
出世で官位だけ貰うという事は考えづらい。
なくはないだろうが普通は官職に就いて、それに見合った官位を与えられるものだ。
「あ、あの、これはお義母様に捨てるように言われたの?」
織子は慌てて侍女に訊ねた。
「いいえ。その方は従五位下ですからお渡ししてません」
侍女が答える。
「で、でも、お歌が上手いわよ。お義母様がお歌の上手い方は出世されるかもしれないって……」
「確かに、お若い方のようですから、あのお年で従五位下なら……」
「そんなに若い方なの?」
織子は聞き返した。
「文を持ってきたのが乳母子なら同い年のはずですから二十歳前後だと」
確かにそれならかなり若い。
「では一応、北の方様にお見せします」
侍女は少し迷った様子を見せたが、それでも義母の元に文を持って行った。
つい義母に見せるように勧めてしまったが、あれは匡宛だ。
もし、義母が代返して匡が貴晴と上手くいったら義兄になってしまう。
とはいえ文を捨てられてしまったら、貴晴は別の女性に文を送ってその人と結ばれてしまうかもしれない。
妻が複数いるのは普通だから同時に色んな女性に文を送っているというのは考えないことにする。
多田様が義理のお兄様になってしまったら出家しよう……。
問題はどうやって寺へ行けばいいかということだ。
歩いていける範囲にお寺はないはずだし、お義母様がお寺へ行くために牛車を貸してくれるかどうか……。
そんな事を考えていると侍女が呼びに来た。
「織子様、これ、どう思いますか?」
義母がそう言ってさっきの文を織子に渡す。
織子は文を手に取って見下ろした。
「きれいな字だと思います」
と答えた。
字がきれいだから『出世したい』という歌を詠まなくても、それなりの文章を得意な人に作ってもらって自分で申文(出世させてくださいと言うお願いの文章)を書けばなんとかなるだろう。
今のところは能書とまではいかないが、若いというのが本当なら数年後には能書家と呼ばれるようになるかもしれない。
全てが手書きだから公文書などを書く役人は字が上手くなくてはならない。
そのためきれいな字というのは出世には有利なのだ。
任官希望者が多いのでそれだけだとちょっと弱いが。
「歌のことを聞いているのです!」
義母の叱責が飛んでくる。
「あ、お上手だと思います」
織子が慌てて答えた。それから、
「その……母上にお願いしなくても自分で出世したいというお歌を詠めるくらいには」
以前、官職を望んでいる男性の母親が詠んだ歌に感心した関白が希望を叶えてくれたという話を思い出しながら言った。
本気で出世したいなら関白の北の方に歌を送ったりするより申文を提出した方が良いと思うが。
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