影の弾正台と秘密の姫

月夜野 すみれ

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夏 四

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「そう、いいわ」
 義母はそう言って文をしまった。

「お返事を書かれるのでは……」
「すぐに返事を書くような、はしたない真似するわけないでしょう」
 義母が答える。

 そういえばそうだっけ……。

 織子はまだ文のやりとりをする相手がいないから忘れていたが最初は返事を書かないのだ。
 その間にまず相手のことを調べる。

 そして二、三通もらったところで初めて冷たい拒絶の歌を返す。
 婿むこにしてもいいと判断した相手にだけ――相手にする気のない男性には返事をしない。

 女性が男性に「あなたを想っています」という返事を書くのは結ばれてからなのだ。

「多田様、ホントにまた文を贈ってきて下さるのかしら」
 織子が呟く。

 今まで匡に文を送ってきた男性がどうだったか思い出そうとしてみた。
 だが思い出せない。
 匡宛の文への返歌の代詠は何度かしているから、その人達は何度目かのはずだが。


中空なかぞらを 恋のなげきで 満たすとも 君は知らずや 我の思ひを〟

 貴晴は一気に書き切ると思わず息をいて筆を置いた。
 書き仕損じないようにと思ってつい息を詰めてしまっていた。
 そこへ足音が近付いてきた。

「若様、隆亮様がおいでです」
 由太が貴晴に告げた。
 すぐに隆亮が入ってくる。

「由太、これを大納言の大姫に届けておいてくれ」
かしこまりました」
 由太は文を受け取ると出ていった。

「ここのところ頻繁だが、うちの侍女に手を出してるんじゃないだろうな」
 貴晴が隆亮に言った。

「この前、内裏に向かう時に死体があっただろ」
 隆亮は貴晴の軽口に答えず真剣な表情で言った。
「あれは中納言の大姫だったそうだ」
「中納言の姫? それがなんで道で死んでたんだ? 駆け落ちでもするところだったのか?」
 貴晴が訊ねた。

「邸からさらわれたらしい。おそらく例の〝鬼〟だろう、と」
 隆亮が言った。
「連れ去られるときに騒いだか逃げようとして殺されたんじゃないかという話だ」
「…………」
 貴晴は言葉を失った。

 まさか死者が出るとは思わなかった。それも女性が。

 中納言というのは大納言のすぐ下である。
 大納言の上にいるのが三人から五人なら中納言の上は大納言四人を加えて七人から九人。
 摂政か関白がいたとしても十人程度なのだ。

 数百人いるうちの十人以内というのは貴族の中ではほぼ頂点と言ってもいい(官位が高い者はもっといる)。
 それだけ位の高い貴族(公卿)だから随身も付いているし、私的な警護も雇っていたはずだ。

「どうやって警護の目をくぐってさらった?」
「数に任せて強引に邸に押し入ったそうだ」
「何!?」
 貴晴は思わず声を上げた。

 ろくに警護もいない中級や下級貴族の狭い邸ならともかく、中納言の邸ならそれなりに広いはずだし警護の者達もいたはずだ。
 金目の物ならまだしも人間を攫うのは簡単ではない。
 広くて警護の多い上級貴族の邸から連れ出すとなると。

 女性が目当てなら庶民を狙った方が手っ取り早い。
 高貴な女性の方が美しいというのは日焼けしていないから肌の色が白いというのと化粧をしていたり着飾っていたりするからであって実際の美醜びしゅうに身分は関係ないのだ。

 わざわざ危険を冒してまで中納言の姫を攫ったところで手間に見合うだけのものは得られないと思うのだが……。

「まぁ、そういうわけでまた卿がお呼びだ」
「分かった」
 どうせ先に支度を言い付けてあっただろうから用意が出来ているはずだ。

「で、さっきのは何通目だ?」
 隆亮が牛車の中で訊ねてきた。
「三通目だ」
 貴晴が答える。

「もう!? 随分ずいぶん執心しゅうしんだな」
「返事も貰ってないのに執心も何もないだろ」
「まぁ、でもそれなら尚のこと早く〝鬼〟を捕まえないとな」
 隆亮が言った。

「ああ、早く出世しないと……」
「それもだが――」
 隆亮が貴晴の言葉を遮る。

「なんだ?」
「貴族の姫が二人も攫われてる」
 隆亮が言った。

「ホントか!?」
「攫われたのは出仕のために参内する途中だったそうだから邸に押し入られたわけではないらしいが……管大納言の大姫は歌会のためによく出歩いてるだろ」
 隆亮が言った。

「管大納言の大姫も狙われかねんぞ」
「…………」
 隆亮の言うとおりだ。
 仮に歌会に出るのをやめたところで邸に押し入られたら攫われてしまうかもしれない。
 大姫を守るためにも〝鬼〟を一刻も早く捕まえる必要がある。


 織子が門の方に目を向けると若い男性の後ろ姿が見えた。
 使いが帰っていくところなのだろう。
 侍女が門から邸に戻ってくる。
 手に文を持っていた。

「その文は?」
 織子が訊ねると、
「多田様です」
 侍女が答えた。

 多田様……!?
 あの人が多田様のお使いの方……。

「いつもあの方なの?」
「ええ、今まではそうですよ」
 侍女はそう答えてから、
「もう三回目です。中々熱心ですよね」
 と付け加えた。

「三回目……」
 返歌を詠めとは言われていない。

 織子は義母のところに向かった。

「織子さん、どうしましたか?」
 義母が訊ねてくる。
「あの……歌を書く紙を頂きに。次の歌会の……」
「ああ、ちょうど今、文が来たところよ」
 義母がそう言って文を織子に手渡した。

「この文のお返事は……」
「調べてみたけれど、その方、御父上は大した身分ではないのよ。貴晴様は官職にもいていないようだし」
 義母が言った。

「官職に就いていない? 御父上の官位が高くなくて官職に就いてないならどうやって従五位下に……」
「さぁ? とにかく他にもっといい方が何人もいるのですから」
 義母は話は終わりというように縫い物に目を落とした。
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