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夏 六
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「まぁ左大臣も姫を春宮の妃にしたいらしいし、管大納言の大姫も……」
隆亮はそこまで言って慌てて口を噤んだ。
そう言えばそうだった……。
帝の行幸の時、わざわざ帝や春宮に聞こえるところで歌を詠じたのだ。
大姫は妃になりたいと思っていると思って間違いないだろう。
貴晴は溜息を吐いた。
「返事はまだ来ないのか?」
隆亮が訊ねる。
「ああ」
「ちゃんと花を付けたり良い紙を選んだりしてるか? 歌さえ贈ればいいって訳じゃないぞ」
「それは由太に叱られたから気を付けている。だが、それでも返事が来ないんだ」
貴晴はそう答えた。
「念のために言っておくが返事が貰えたとしても夜を共にするまでは冷淡だからな。落ち込んで出家したりするなよ」
「するか」
とは答えたものの、念押ししてもらっていなければ、うっかりして出家してしまっていたかもしれない。
返事が貰えたらの話だけどな……。
官職の(書いて)ない従五位下では大納言の姫には相手にしてもらえそうにない。
やはり官位だけでももっと上げてからでなければ話にならないようだ。
とはいえ、何もしていないのに官位を上げてもらうのも難しいだろう。
もう少し郎党の人数を増やして捜索範囲を広げるしかないか……。
「藤が枝を 宿にせむとて ほととぎす 今はいずこで 汝は鳴くやと」
織子は歌を詠んで塀の方に目を向けた。
誰もいない。
文を届けに来てくれないと歌も伝えようがないのよね……。
織子が再び詠じようとした時、
「姫様、北の方様がお呼びです」
侍女が呼びに来た。
「ありがとう」
織子はそう言ってからもう一度塀に視線を向ける。
戻ってくるまでの間に多田様のお使者が来ないといいけど……。
やはり使者に返歌を聞かせるというのは協力してくれる人がいないと難しそうだ。
織子は渋々北の対に向かった。
「貴晴!」
隆亮が簾を荒々しく撥ね除けて入ってきた。
「どうした」
貴晴が訊ねる。
「内大臣の姫の話を聞いたか」
「いや。どうかしたか?」
「群盗が邸に入ろうとしたそうだ」
隆亮が言った。
「ホントか!?」
貴晴が驚く。
「警護の者を増やしていたから危ういところで難を逃れることが出来たらしいんだが……」
「なんだ?」
貴晴は隆亮に続けるよう促した。
「内大臣の姫が狙われたのはこれで二度目らしい」
隆亮の言わんとしていることが分からず貴晴は首を傾げた。
「今まで連れ去るのに失敗した姫をもう一度攫いに来たことはないんだ」
「内大臣の姫は評判の美女とか?」
貴晴が訊ねた。
「美人という評判は聞いたことがないな。箏はそこそこ上手いが」
「内大臣と知り合いだったのか」
貴晴が訊ねる。
隆亮は右大臣の息子だから内大臣と知り合いでも不思議はないが。
「いや、聴きに行ったんだよ」
隆亮の返事に貴晴は呆れた。
知り合いではないなら招待されて聴きに行ったのではなく〝垣間見〟に行ったのだろう。
貴族の女性は人前に出ないので美人というのは大抵は使用人が意図的に流した噂だが稀に〝垣間見〟で実際に顔を見た者が噂をする場合もあるのだ。
〝垣間見〟というのは塀などの隙間からこっそり中を覗き見ることである。
姿を垣間見て好きになった後は文を贈ってやりとりをするというのは同じだが。
隆亮が内大臣の姫に文を贈ったという話は聞いたことがないから〝垣間見〟はしたものの好みではなかったのだろう。
もしくは内大臣なら塀の手入れも行き届いているだろうから垣間見が出来るような隙間がなかったか。
六位以上の貴族の邸の塀は築地塀――土で出来ている塀なのだ。
物語に出てくる〝垣間見〟で邸の外から見たというのは大抵は板塀や柴垣である。
「評判はそこそこだが……春宮の妃になることが決定している唯一の姫だ」
「唯一……」
今後、他の姫が妃になるのは間違いないとしても現時点ではただ一人。
身分から言っても皇后になれるし、最初の一人なら他の姫に比べて有利なはずだ。
一人を露骨に寵愛すると色々差し障りがあるのだが皇后ならなんの問題もない(身分が低いと物語に出てきた更衣のように他の妃達にイジメられる)。
だが、そうなると当然――。
「娘を春宮にしたい誰かの差し金か?」
という疑問が湧く。
「群盗を捕まえて尋問してみるまではなんとも言えないが……」
隆亮が言葉を濁す。
とはいえ、そんなことは誰でも考える。
「今のところ娘を春宮の妃にしたいと言ってるのは? 既に決定してる内大臣の中の姫以外で」
「右大臣家と管大納言は保留として……」
「保留?」
貴晴が首を傾げる。
「右大臣家と管大納言はまだ入内を願い出てないから。願い出てるのは左大臣の三の姫と一の大納言の大姫だな」
隆亮が言った。
今の大納言は同じ名字が二人いるので筆頭の大納言を『一の大納言』、一番新しく大納言になった者を『新大納言』と言って呼び分けているのだ。
「それだけか?」
「あとは左大臣が四の姫を尚侍、森大納言は三の姫を御匣殿にと希望しているらしい。ただ新大納言も姫を御匣殿にという希望を出しているそうだ」
尚侍は女官の長官であり、御匣殿というのも女官の一人なのだが、帝の身近にいて寵愛を受けることが多いので実質的には妃扱いされている。
隆亮はそこまで言って慌てて口を噤んだ。
そう言えばそうだった……。
帝の行幸の時、わざわざ帝や春宮に聞こえるところで歌を詠じたのだ。
大姫は妃になりたいと思っていると思って間違いないだろう。
貴晴は溜息を吐いた。
「返事はまだ来ないのか?」
隆亮が訊ねる。
「ああ」
「ちゃんと花を付けたり良い紙を選んだりしてるか? 歌さえ贈ればいいって訳じゃないぞ」
「それは由太に叱られたから気を付けている。だが、それでも返事が来ないんだ」
貴晴はそう答えた。
「念のために言っておくが返事が貰えたとしても夜を共にするまでは冷淡だからな。落ち込んで出家したりするなよ」
「するか」
とは答えたものの、念押ししてもらっていなければ、うっかりして出家してしまっていたかもしれない。
返事が貰えたらの話だけどな……。
官職の(書いて)ない従五位下では大納言の姫には相手にしてもらえそうにない。
やはり官位だけでももっと上げてからでなければ話にならないようだ。
とはいえ、何もしていないのに官位を上げてもらうのも難しいだろう。
もう少し郎党の人数を増やして捜索範囲を広げるしかないか……。
「藤が枝を 宿にせむとて ほととぎす 今はいずこで 汝は鳴くやと」
織子は歌を詠んで塀の方に目を向けた。
誰もいない。
文を届けに来てくれないと歌も伝えようがないのよね……。
織子が再び詠じようとした時、
「姫様、北の方様がお呼びです」
侍女が呼びに来た。
「ありがとう」
織子はそう言ってからもう一度塀に視線を向ける。
戻ってくるまでの間に多田様のお使者が来ないといいけど……。
やはり使者に返歌を聞かせるというのは協力してくれる人がいないと難しそうだ。
織子は渋々北の対に向かった。
「貴晴!」
隆亮が簾を荒々しく撥ね除けて入ってきた。
「どうした」
貴晴が訊ねる。
「内大臣の姫の話を聞いたか」
「いや。どうかしたか?」
「群盗が邸に入ろうとしたそうだ」
隆亮が言った。
「ホントか!?」
貴晴が驚く。
「警護の者を増やしていたから危ういところで難を逃れることが出来たらしいんだが……」
「なんだ?」
貴晴は隆亮に続けるよう促した。
「内大臣の姫が狙われたのはこれで二度目らしい」
隆亮の言わんとしていることが分からず貴晴は首を傾げた。
「今まで連れ去るのに失敗した姫をもう一度攫いに来たことはないんだ」
「内大臣の姫は評判の美女とか?」
貴晴が訊ねた。
「美人という評判は聞いたことがないな。箏はそこそこ上手いが」
「内大臣と知り合いだったのか」
貴晴が訊ねる。
隆亮は右大臣の息子だから内大臣と知り合いでも不思議はないが。
「いや、聴きに行ったんだよ」
隆亮の返事に貴晴は呆れた。
知り合いではないなら招待されて聴きに行ったのではなく〝垣間見〟に行ったのだろう。
貴族の女性は人前に出ないので美人というのは大抵は使用人が意図的に流した噂だが稀に〝垣間見〟で実際に顔を見た者が噂をする場合もあるのだ。
〝垣間見〟というのは塀などの隙間からこっそり中を覗き見ることである。
姿を垣間見て好きになった後は文を贈ってやりとりをするというのは同じだが。
隆亮が内大臣の姫に文を贈ったという話は聞いたことがないから〝垣間見〟はしたものの好みではなかったのだろう。
もしくは内大臣なら塀の手入れも行き届いているだろうから垣間見が出来るような隙間がなかったか。
六位以上の貴族の邸の塀は築地塀――土で出来ている塀なのだ。
物語に出てくる〝垣間見〟で邸の外から見たというのは大抵は板塀や柴垣である。
「評判はそこそこだが……春宮の妃になることが決定している唯一の姫だ」
「唯一……」
今後、他の姫が妃になるのは間違いないとしても現時点ではただ一人。
身分から言っても皇后になれるし、最初の一人なら他の姫に比べて有利なはずだ。
一人を露骨に寵愛すると色々差し障りがあるのだが皇后ならなんの問題もない(身分が低いと物語に出てきた更衣のように他の妃達にイジメられる)。
だが、そうなると当然――。
「娘を春宮にしたい誰かの差し金か?」
という疑問が湧く。
「群盗を捕まえて尋問してみるまではなんとも言えないが……」
隆亮が言葉を濁す。
とはいえ、そんなことは誰でも考える。
「今のところ娘を春宮の妃にしたいと言ってるのは? 既に決定してる内大臣の中の姫以外で」
「右大臣家と管大納言は保留として……」
「保留?」
貴晴が首を傾げる。
「右大臣家と管大納言はまだ入内を願い出てないから。願い出てるのは左大臣の三の姫と一の大納言の大姫だな」
隆亮が言った。
今の大納言は同じ名字が二人いるので筆頭の大納言を『一の大納言』、一番新しく大納言になった者を『新大納言』と言って呼び分けているのだ。
「それだけか?」
「あとは左大臣が四の姫を尚侍、森大納言は三の姫を御匣殿にと希望しているらしい。ただ新大納言も姫を御匣殿にという希望を出しているそうだ」
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