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EP01「〔魔女獄門〕事変」

SCENE-014

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 ワルプルギスの夜が明けても、イユンクスが世界にかけた魔法は解けていなかった。
 むしろ、ステータスシステムが現実世界リアルへ実装されたことによる熱狂と混乱は、その発端であるオケアノス――AWOの四周年を祝うリアルイベントが開催された、マレウス・マレフィカルム社所有の人工島――に留まらず、世界中に伝播して。遅起きの私が目を覚まし、活動をはじめた正午おひる過ぎの時点でも、オケアノスから確認できるありとあらゆるメディアがこのことについて報じていた。

 つまり、集団幻覚の線は完全に消えたということ。


                                    
「今更だけど、なんだか大変なことになってない?」
〈――本当に今更だな〉
 そういえば帰宅の報告をしていなかったな……と、カガリに寝室から連れ出されたところで、今更ながらに思い出して。
 顔を洗ったり、寝間着代わりの服から着替えたりと、起きてゲームをして寝るだけの日なら気にも留めないような身の回りのことを、カガリの手前あれこれ済ませ、リビングに落ち着いたところで連絡を入れると。ネット経由の通話に出たユージンは、一晩くらい寝ていなさそうな声色をしていた。

 珍しく対面可の通知が出ていたので、リビングのカメラを開放すると。ユージンの方からも、プライバシーなんて微塵もなさそうな、社用車の中と思しき背景の映像が返ってくる。
「ジーンはまだ仕事中?」
〈あぁ。当分はこの件にかかりきりだ。お前も暇なら手伝いに来ていいぞ〉
「私がなんの役に立つって言うのよ。今日なんて昨日のお疲れでグロッキーなの、ジーンもわかってるでしょ」
〈セカンドジョブも獲得していないような低レベル帯のスキルホルダーがありとあらゆる問題を起こすせいで、こっちは猫の手も借りたいくらいの忙しさなんだ。暴徒の鎮圧業務なんかはお前のペットが得意だろ。今ならセットで雇ってやるぞ〉
「思いの外マジトーンじゃん。ウケる」

 送られてくる映像をテレビスクリーンに映して、こちらからの音声入力と向こうからの出力も、それぞれリビングに設置されているマイクとスピーカー経由に切り替えたところで、しばらく使っていないコンロが埃を被っているようなキッチンを漁っていたカガリが、なんの成果も得られないまますごすごと私のところに戻ってきた。
「ミリーは普段、何を食べて生きてるの……?」
 カガリが用意してくれたスライムクッション――スライムみたいなクッション、ではなくクッション用途で『本体』から〔分裂〕した、人を駄目にするサイズ感のスライムそのもの――にぐてっ、ともたれていた私の上に、カガリがふらっ、と倒れ込んでくる。
「工場直送のカロリーバー。さっき見せたでしょ」
「あんなの、〔擬態〕できなかった頃の僕にも食べさせたことないのに……」
 生態が完全にスライムで、放り込まれたものの味なんてわからなかった頃からバーミリオンの手料理を食べつけているカガリには、廃ゲーマーのお一人様生活を満喫している私の、人としての尊厳や食の楽しみを削る方向性で効率化を求めた生活実態は刺激が強すぎたらしい。
 ……今時の廃ゲーマーにしては、まだまともに生活してる方だと思うけど……。
 幻世で異世界スローライフを満喫しているバーミリオンと比べられると、さすがに分が悪い。

「定期検診の結果を元に合成された完全栄養食だから、下手に自炊するより健康にはいいのよ」
「ミリーの料理は下手じゃない……」
 ……AWOの『料理』はクラフト系統のアクションだからなぁ……。
 幻世では、やろうと思えばいくらでも――スキルのアシストや魔法に頼って――手抜きができてしまうから。趣味としての料理を、素材やレシピによるバフやデバフのつき方の検証ついでに楽しむこともできるけど。現実での料理なんて、準備から後片付けまで、何から何まで面倒臭さしか感じない。

〈お前より【ライラプス】の方が、そのあたりの感性はまともだな〉
 ……ユージンだって、仕事の時は三食レーションとかで済ませるくせに……。
 随分とショックを受けている風情のカガリを、義兄あにの目も憚らずよしよししていると。思わぬ相手から背中を撃たる破目になった。

 兄は妹の味方をしなさいよ……と、スクリーン越しのユージンを見る目は自然と険しいものになる。
「生鮮食品は高いんだから、カロリーバーで満足できるならそっちの方がいいでしょ」
〈気にするほどか? その気になればいくらでも稼げるだろ〉
「ゲームを楽しんだ結果として生活が豊かになるのはいいとして、生活のためにゲームを頑張りはじめたらエンジョイ勢としてはおしまいじゃない?」
〈お前のそれは自称だろ〉
 冗談言うな、と私のことを鼻で笑ったユージンの視線が、ふとスクリーンの外へと逸れる。

「休憩終わり?」
〈……あぁ、そうらしい〉
 やれやれと息を吐くユージンの姿を最後に、ユージン側からの映像はぷつりと途切れた。
〈フレックスで許してやるから、うちの手伝いの件、真面目に考えておけよ〉

 立て続けに通話も切られた、その直後。ユージンからヘクセンシュウスの雇用契約に関する書類が一式、私の個人アドレス宛に送られてきて。思わず乾いた笑いがもれた。
「冗談どころか、本気のやつだし。なにこの契約金。ジーンからじゃなかったら普通に詐欺を疑うレベルなんだけど?」
「ミリー? なんの話?」
「私にその気がないから、なんでもない話」
 ……いくら出されようと、めちゃくちゃ忙しいのがわかってて雇われるわけなくない?
 基本給として提示された金額は、過労死しないことを前提とすれば、充分、魅力的なレベルなのだろうけど。基本的にゲームすきなことしかやってこなかった――しかも、今のところそれでなんとかなっている――私にとっては、契約に縛られる真面目な『労働』という時点で、考慮の余地なんてものはない。

 そういうわけで。ユージンから送られてきた書類を、私はアーカイブすることもなく、『ゴミ箱』と名前の付いた時限消滅フォルダへ投げ込んだ。
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