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物語

21話 「風との再会」 おいお前たち!お客様がお越しだぞー!

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 8区のとある平凡な住宅街。先ほどまでいた9区のそれとはあまり変わらない。強いて言えば、9区よりは貧富の差が激しいといったとこか。人々の身なりや並び立つ建物がそれを伺わせる。目的地は『ヴィシャス』4等級事務所、もう少しで着くだろう。数度足を休めたものの、口の中の残る苦々しい不味さと同じくらい薬の効果は続いている。

 目的地の傍まで来た俺は、余力を残すためにもここからは走ることにした。途中にあったパン屋から漏れる香りが、すきっ腹を刺激する。ティナから手渡されたアメが、武器と同じように手袋の中で暇を持て余しているのは、仕事を終えてからにしようとなんとく思っていたからだ。朝からこうなると分かっていれば、何か適当に胃に収めるくらいはできただろうと今更ながら後悔してしまう。


(……仕事中だ)


 どの道、今は買う金が手元にはない。もし金がたまったら胃袋でも施術しようか。そんなことを考えながら、いくつかの曲がり角を行くと目的の場所が目に移る。

 事務所はせまっ苦しい建物群の中に混ざるように建っていた。通りに面した側から近づき辺りを一周する。外観は四角く、まさに箱といった感じだ。安くはなさそうだが、特段金を掛けていないのだろう。縦横に間隔をあけて並ぶ汚れた窓ガラスとその下にあるでっぱった白いふちが、4階層だということを教えてくれる。

 "『ヴィシャス』4等級事務所"シルヴィアが見たであろう無骨な看板が建物と入り口にそれぞれ掛けられていた。


『救出方法はお任せしますが、なるべく確実な方法を取ってください。』


 ロミの言った言葉をもう一度頭に入れる。


「ぁ~~……」


 声にもならない声で呟く。
 なんて自分は無責任なんだろうか。何がボーナスだ、救出なんて経験が無い上助けられる根拠があったわけでもない。いくら切羽詰まった雰囲気に流されたとはいえ、1つや2つ案などを聞いておくべきだった。今の俺には能力があり、ティナを助けられたから今回もできるかもしれないという、ちょっとしたおごりのようなものがあったのだと今更ながら自覚した。それも目標のすぐ前まで来て。


「……」


 なぜロミは得たいの知れない俺にこの件を預けた?彼女が出向き、俺がティナと弟を匿えばよかったのでは?跳べるのだから。それほどまでに俺の目は輝いていたのだろうか。


『貴方の知る最善をなせ。もし貴方がランナーであれば走れ、鐘であれば鳴れ。』


 昔聞いた言葉を思い出す。落ち着いて深呼吸しろ、余計な考えはおいておけ。仕事をするならせめてそれらしく自信をもって振舞おう。これはただの人探し。
 相手は事務所だ、依頼を持ちかけるていで中を見てみればいい。取り込み中であれば入り口に見張りを立てたりするものだが、それもない。中の状況・人数・強そうなやつ・弱そうなやつ・隠したいものを置いておく場所。焦らずに手早く観察し、それらを元に手を打とう。

 気がかりなのは俺がティナを助けたと奴らにバレていた場合だ。だが確かめる術もない。少しの不安を背に、俺は目の前の扉を開けた。頑丈な木の扉はずっしりと重く感じる。


「おいお前たち!お客様がお越しだぞー!」


 扉を開けた俺をみるやいなや、中にいた男の1人がそう叫ぶ。
 それに応じて中に居た人々が、それぞれ慌ただしく身なりや姿勢を正した。


「どういったご用件で?」

「あぁーなんだ、ちょっと引き受けてほしい依頼があってさ」

「おやおや、ならお客様。あちらにどうぞ」


 受付らしい男が俺に向こうに座るよう椅子を示した。別に可愛らしい受付嬢など期待していないし、そんなものを楽しむ余裕はない。にしてもやはり人が多いのだろう。それなりに広く、1階は全体がひとつの部屋になっている。床は安物の絨毯が覆い、換気していない空気は体を覆う。俺は椅子に座り早速辺りを伺うことにした。シルヴィアの事務所もこんななのだろうか?


「いやぁ、お客さんも慎重ですね、顔を隠すなんて……。消したい人間でもいるんですか?」


 物騒なことを言いながら対面に先ほどとは別の男が座る。姿勢の悪さが危険な臭いを放つ。バレていないならこちらも取り掛かろう、それらしく振舞ってな。


「消したい人間か……。ここは人専門の事務所か?」

「得意としてることはそうです、今の時代色々みんな物騒ですからね。ハハハ!もちろん、異形でもなんでもこなしますよ。うちは」

「……」


 俺はゆっくりと辺りを見回す。時折私語が聞こえるが騒がしいというわけではない。
 では人数の把握だ。ロミは人が多いことで有名と言っていた。あと素行の悪さを。いきなり依頼人に対して手を上げるような者ではないだろうから、じっくりいこう。


(1階は16人、受付も含めて17人。建物は4階建てだからそれ以上いると思っていい。そして予想通りこの階にシルヴィアはいない)


「何か気になることでも?」


 次に俺の目で見た情報と奴の言う情報で確定させよう。


「……今動ける人数はどのくらいだ?」

「おぉ~っと。これは大きい仕事ですかい?」

「まぁな、ここは人が多いって聞いたから」


 男は黙ったまま、頭から顔・胸・腕へとジロジロとこちらに目を向けてきた。だが、警戒しているわけではないな。あれは値踏みする目だ。


「ま、金はありそうだ……。その手袋はさぞお高かったでしょう?私も1つ欲しいくらいだ」

「なら動ける人数を教えてくれ」

「すぐなら30人、1時間後には50人、1日くれればその倍以上ってところですかね。金はかかりますが」

30人か……、とてもじゃないが相手しきれない)

「次に進めてもいいですか?」

「待ってくれ……、見ての通り慎重派でね。依頼する事務所は知っておきたいんだ」

「はぁ、なにが知りたいんで?」


 男は姿勢を変えると小さな貧乏揺すりを始めた。どう考えても依頼人の相手をするような人物には見えない。ガラこそ悪いがそれは他の人間も同様で、先ほどまで正していた姿勢も各々戻していった。


「ここは4階あるな?上には何が?」

「聞いてもつまらないものですよ。代表の部屋や休憩室、物置とかですよ」


 見学とはいかなそうだ。だが周りの様子から推測するに間違いなくこの部屋に代表とやらはいない。目の前の男は大人数を仕切るような器にも見えない。


「代表はいるか?見ておきたいんだが」

「生憎、今は別の客人を相手にしてましてね……。それ、依頼に関係あります?」

「大ありだ、代表と言えば事務所の顔だろう?」

「まぁ……」


 男は若干のイラつきとともに面倒くさそうな表情を浮かべる。


「一目見ておく必要がある。何階にいるんだ?」

「4階にいますが、さっきも言った通り客人の相手をしていますから今は会えませんよ」

「……」

 代表とやらの顔を見れればと思ったがそうもいかないらしい。だが4階に居ることが分かった。なら客人とは?交渉の卓に出向いたということからシルヴィアか?それとも全くの別人か……。
 なんにせよ当たりは付けた。それに、中から直接探しに行くのは難しいことが把握できたのでここまでだ。あとは第3者を仕立て上げて退散させてもらおうか。


「……まだ何かありますか?」

「いや別に。揉め事でも起きてるのかと思ってね。なにしろこの事務所を遠巻きにみている人を何人か見かけたからさ」

「ほぉー、それはそれは。教えてくれてありがとうございました」

「日が落ちる前にもう一度来る、詳細はその時に」

「内容も話さないんですか?それに、人手がいるなら早いほうが融通ききますよ?」

「慎重だと言ったろ。人がいない時は金を積むよ、ではまた」


 俺が席を立つと、先ほどの男と受付がかったるそうに一礼した。早々とこの息の詰まる建物から出ることができて良かった。なにより強引な引き留めが無くてホッとしたよ、少々急ぎすぎたからな。

 建物から離れしばらくすると、中から何人か出てきては方々へ散っていった。話した奴は隠したが、揉め事の真っ最中だというのはよく理解している。居もしない第3者でも探しに行ったのだろう。

 あとは外から忍び込むだけだ。俺は建物の影からスッと跳んでは先ほどまで居た事務所の屋上へと降り立った。少し高く跳びすぎたが問題ない、四角いお陰で着地する足場も安定している。


「さてと……」


 4階の窓から中の様子をみて、その汚い窓から侵入する。最初にみたあの白いふちがいい足場になりそうだ。俺は取っ掛かりを利用してなんとか縁へ降り立つ。意外と幅があって助かった。あれだけ飛び回ったのに、なぜか手に冷や汗をかく。

 ここからは総当たりだ。当然、通りに面した側の窓は確認できない、目立ちすぎる。全て裏側、建物と建物の間となった面で行う。

 縁を伝い、1面の4階、2面の4階と注意深く中を観察していく。1階の様子とは違い4階は部屋に分かれていた。全てが見れないのがもどかしい。
 最後の3面、ここで見つからなければ通りの面を調べるしかない。或いは中へ入って探すか?あまり時間も掛けていられないというのに。

 逸る気持ちを抑えて取り掛かる。最後の面の窓を覗き込むようにして中を伺ったが、後頭部に当たる日の光が目立ってしまうという不安を煽り、平常心を揺さぶる。なにより熱い。

 机が見え、その間を挟むように誰かが2人座っている。一方が一方に何かの筒を見せつけて威圧しているのが良く分かった。あれは……


(いた……!)


 あの髪は見間違えるはずもない。彼女は俺が探していたシルヴィアだった。
 目隠しされているからロミの視界が見えなかったのか……。だが向こうはロミの能力を知っているということになる、警戒されていたな。

 でも良かった。もしかしたら時間切れになってしまったのではないかと冷や冷やした。ふぅーっと深呼吸し、緩まる気持ちを締め直す。


(問題はここからだ……)


 奴らを引き剝がす手段が必要だ、いきなり窓を開けて奇襲などできない。
 他の事へと注意を逸らし部屋の外へ追い出す。できれば中が混乱してくれると助かる。そして、俺は今丁度いい能力をもっている。

 地面へと着地すると1階の壁に手を向ける。


(粉砕なら可能だ……)


 建物を少し壊す、少しだ。もし倒壊でもさせようものならシルヴィアも危ない。
 槌を振り下ろす力加減と同様にこいつも加減する。範囲は大雑把でいい、威力を抑えろ。


「ッ!!」


 壁に亀裂が入り揺れるような衝撃が走った。追突するようなズンっという音が辺りに響き渡る。

 まだだ、もう少し。もう何度か揺さぶってやろう。

 手を2階の壁へ向けもう一度粉砕を行い、続けざまに再度1階の壁を痛めつける。
 建物にはひびが入り割れたガラスが落ちてくる。そしてだんだんと辺りも騒がしくなってきた。


「これぐらいか」


 少々手荒くも感じたがお互い様だろう。
 そこそこの手ごたえを感じまた4階へと跳ぶ。跳躍もだんだんとコツをつかんできた、それこそこういったでっぱりへと昇れるくらいには。

 中を見ると先ほど居た男は居なくなっていた。だが念には念を、静かに行こう。


「2番……」


 ナイフを手にガラスの縁を叩く。一点に集中して強く、何度も。
 ガラスは大きな破片となって砕け、静かに内外へと落ちていく。
 ゆっくりと窓を乗り越える。こんな状態だっていうのに取り乱さない彼女に正直驚いた。


「状況の割りには落ち着いてるなぁ……」

「…………貴方は…………ダッシュ?」


 この声を最後に聞いたのは昨晩だった。
 慰めるような気の利いた台詞は思いつかない。


「正解、アメちゃんやるよ」
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