ダイヤモンド

にゃんすけ

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再起

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 その日は久賀と病院で別れてから、幸村は春日の両親と会い、現在の状況を聞いた。
 脳内に、出血があるらしい。
 幸村は、涙を堪えながら、話を聞いていた。
「優斗は、きっと大丈夫ですよ。絶対、マウンドに戻ってきます。おれたちも、待ち続けます」
春日の両親にそう声をかけたが、病院内に虚しく響いただけだった。
 春日の両親は、久賀に、深く感謝をしているようだった。
 事故がおきたあの日、野球部の全体練習が終わったのは二十時なのだが、春日はその日、二十二時まで一人で個人練習を続けていたという。
 練習を終え自転車で帰宅中、居眠り運転の車が、信号待ちをしていた春日と他に何名かいた集団に激突。
 車はその後、電柱に衝突して停止し、運転手は亡くなったという。
 倒れている春日達のところに最初に現れたのが久賀で、たまたまバイト帰りだったらしく、交差点の脇に原付を停めて駆け寄り、すぐに救急車と警察に通報。
 通報が早かったお陰で、春日や他の被害者の方達は、一命を取り止めたという。
「やっぱり良い奴だ。久賀ちゃんは」
幸村は病院から帰る途中、呟いた。
 久賀諒平という男の事は、幸村は春日に話をされる前から知っていた。
 白波中といえば、中学野球の世界で知らない者はいない。
 全国大会の常連校で、例えそこに届かなかったとしても、かなりの成績を残す中学だった。
 幸村の地元はこのあたりではないので、実際に対戦した事はなかったが、録画した映像やスコアブックを見たことがあった。
 そして何の縁か、久賀は自分と同じく霧島学園に入学したと聞き、教室まで見に行ったのだが、そこにいたのはおよそ野球に似付かない姿をした久賀諒平で、幸村は心底失望したのだった。
 あの久賀諒平と野球ができる。
 そう思ったのは束の間で、その夢は早々に打ち砕かれていた。
 なぜ野球から離れてしまったのかは、幸村にはわからない。
 だが彼は、期限つきではあるが、再びマウンドへ登る事になった。
 恐らく彼は、野球から逃れられない運命にいる。
 なんとなくだが、幸村はそう思った。
 翌日、幸村は病院へ行かず、授業終了後に、すぐにグラウンドへ向かった。
 部員全員を集める。
「優斗の状況は、みんなもわかっていることと思う。予定より少し時間がかかるそうだ」
チームとしての雰囲気は、悪くはなかった。
 むしろ、春日の離脱によって、チームを崩壊させてはならないと、全員の絆がさらに強まったような気さえする。
 一年生のほとんどは、野球素人だ。
 それでも野球部に入ってくれた。春日と幸村で、新入生に頭を下げて周ったのだ。
 今は、野球ができるだけで嬉しい。
「じゃあ、始めようか」
練習メニューの確認後、幸村が声をかける。
 その時、グラウンドの端で、長髪の男が歩いているのを確認した。
 久賀諒平。
 幸村は思わず、手を振った。
 学校指定のジャージ姿だった。そして長髪。髪の色も明るい。
 野球部には似付かない格好であるが、幸村は気にしなかった。
 とにかく、この場に来てくれただけで、嬉しかったからだ。
 投手ができる人物がいる。
 また試合ができる。
 それだけで十分だった。
「来てくれたんだな、久賀くん」
「お前らがしつこかったからな。まあ、期限つきだ。春日が戻ってきたら、おれはすぐに辞めるぜ」
「とにかく、ありがとう」
幸村は、手を差し出した。
 久賀が微妙な笑みを浮かべて、差し出した手を握ってきた。
「笑うの下手だなあ。久賀ちゃん」
「は?」
「久賀ちゃんって、呼ばせてくれよ」
「ちゃん…?」
「ははは」
笑って、駆け出していく。
 霧島学園のグラウンドに、大きなかけ声が響き渡った。
-優斗。久賀ちゃんがいるから、ひとまず安心だ。しっかり身体を治してこいよ。
幸村は、空を見上げた。
 太陽は、ずっと輝きを放ったままでそこにある。
 霧島学園にかつて存在したという野球部は、昔は強かったらしい。
 確かに、校内のガラス棚の中には、かなり古い優勝トロフィーが飾ってあるのだ。同じように飾られているモノクロ写真には、選手達が笑顔で写し出されている。
 入学前から、幸村は、霧島学園に野球部がないことは知っていた。だから、入学した。
 自分も久賀と同じように、本当は、野球をやるはずではなかったのだ。中学までで、終わりにする。自分は野球に向いていないとさえ思っていた。
 春日優斗。彼とは同じクラスになった。
 彼は、最初の自己紹介の時に、硬式野球部を創設したい、そう言ってのけた。
 はじめ、幸村は、春日はお世辞にも野球に向いている体格ではないだろうと思った。まず、身長が低すぎるし、それに加えて痩せすぎているのだ。筋力なんてほとんどないだろう。なにより、似合っていない。辛辣かもしれないが、ユニフォーム姿が、想像できないのだ。
-やめとけよ、野球なんて。
伝えようとはしなかったが、幸村は、心の中でそう思っていた。
「幸村翔太くん。僕は、君の事知ってるんだ」
ある日、突然春日に話しかけられた。放課後になって、自転車に乗ろうとした時だ。
「なんだよ、急に」
「三岳中学の、君はキャプテンだったよね?野球部の」
春日の目は、まっすぐに幸村を見据えていた。その目に思わず、吸い込まれそうになる。
「だったら、何だっていうんだ。おれはもう、野球はやらないぞ」
「隣の県から、どうしてわざわざ離れた霧島学園に入ったのかはわからないけど。幸村くん、一緒に野球やろうよ」
「断る。だいたいな」
思わず、春日に対して思っていた辛辣な言葉が口から出てしまいそうで、慌てて幸村は口を噤んだ。
「とにかく野球はやらねえよ。わりいな、急いでるんだ」
「そっか」
わかりやすく落ち込んだ春日の表情に、幸村は謝りたくなったが、やめておいた。負けた気がする。自転車に跨り、春日の方を一度も見ず、幸村は帰宅の途についた。
 翌日、そしてまた翌日も、春日は声をかけてきていた。
 しつこい男がいるものだ。本気で幸村はそう思った。
 俺は、忙しい。急いでいるんだ。
 毎回そう言って春日を避けてはいるが、本当は忙しい事などなにもなかった。帰宅すればベッドに横たわり、漫画を読んだりテレビを見たりして暇を潰しているだけだ。
 身体が鈍ってきている事は、自分が一番よくわかっている。
「幸村くん、どうかな?気は変わった?」
相変わらずまっすぐに、春日はこちらの目を見据えてくる。全てを見透かされているかのような気さえしてくる、大きな瞳だった。
「春日、お前な」
やめておけよ。心の中にいるもう一人の自分が、制止してくる。しかし、止まらない。あまりのしつこさに、うんざりしているのだ。
「だいたいな、その体格で何をしようっていうんだ。ポジションは、どこだよ。中学時代、何番バッターを打っていた?俺は中学時代、本気で野球をやっていた。ある程度、上のレベルも知っている。お前の名前なんて聞いた事もないし、そもそもこの学校に野球部はないんだぞ。お前一人で、一体なにが」
言いすぎている。わかっていた。しかし次々と飛び出していく言葉の刃を、幸村は止める事ができなかった。
 春日の目。変わらずこちらを見ている。
「知ってる。全部、わかってるんだ」
ひとつひとつの言葉を、大事に紡ぐように、春日は言った。
「でも僕は、僕には野球しかないから」
今にも涙が溢れそうな目だった。幸村は、口を結んだままでいた。
「何もない自分だけど、野球をやっている時だけは、本当に楽しいんだ」
「俺はもう、野球をやっていても楽しくない」
「楽しくなるよ、きっとまた。野球を始めた頃のように」
「お前に俺の、何がわかる」
「それに、僕は」
ひと筋、春日の頬に涙が伝った。悪いことをした。そう思っている。
「一度も、勝ったことがないんだ。野球は小学生の頃から始めたんだけど。僕が試合に出た試合で、僕は一度も勝った事がない」
そんな事があるのか。幸村は正直、そう思った。勝利の味を知らない奴が、どうして野球を楽しいと思えているのか、幸村にはとても不思議に思えた。
 春日の声は、震えている。しかし、細くはなかった。強い意思を感じる声だと、幸村は思った。
 「でも、いいんだ。仲間と野球ができる、それだけで僕は楽しい。勝ち星はきっと後からついてくる。だから幸村くん、僕と一緒に野球をやろう」
春日の目に、もう涙は見られない。
 幸村は、上を向いた。息をひとつ、吐き出す。ため息にも似た類のものだ。
-負けたよ。
そう思った。
 翌日、幸村は、春日と一緒に野球部員募集のチラシを、校舎前で配っていた。
-懐かしいな。
全員で走りながら、幸村は思う。
 あれからもう一年以上経つ。最初に集めた当時一年生だった五人は、今は二年生で、一年生は四人いる。そこに久賀も加わり、春日が戻れば十人の野球部だ。
-優斗。待ってるぞ。お前が戻るまで、おれはこの野球部を守る。
早くも汗が流れている。幸村は大きな声を出し、全員を鼓舞した。
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