30 / 32
第六章
4. 選択の境界
しおりを挟む
ガルドは、ヴァルスを見た。
膝を折った父の姿を、まだ視界の端で捉えているようだった。
その姿から目を逸らすように、しかし逃げることなく、ヴァルスは背の大剣へと手を伸ばした。
その指が、柄に触れる直前で、ほんのわずか止まった。
迷いではない。だが、過去を振り払うには十分な一瞬だった。
次の瞬間、剣は強く握り込まれる。
それは決意というより、引き返せない地点を越えた者の動きだった。
「ヴァルス、もう、やめよう」
ガルドの声は、静かだった。
「俺たちが戦う必要は無いはずだ」
返事は、なかった。
ヴァルスの魔剣『ヘルマトゥ』──父から継いだもの。
黒い刀身が、まるで世界を拒むように鈍い光を帯びる。その光は反射ではない。剣そのものが、内側から滲ませるような暗さだった。
「……だまれ」
低い声。
感情を抑え込もうとする声音ですらない。ただ、切り捨てるための言葉。
剣が構えられた瞬間、空気が歪む。
圧に押され、ガルドは反射的に目を伏せた。
次の瞬間、真横から薙がれる斬撃。
咄嗟にフィルクレトゥを両手で構え、受ける。
激しい衝撃が走り、腕の奥で骨が鳴った。
火花が散る。
黒と光がぶつかり合い、広間に鋭い音が反響した。
ヴァルスの剣は重い。
だが、父のそれ以上に──速い。
横薙ぎで終わらない。
刃は軌道を変え、角度を殺し、間合いを詰める。
叩き潰す剣ではない。削り、追い込み、逃げ場を奪う剣。
(……殺しにきている)
理解した瞬間、ガルドは後退をやめた。
距離を取れば、大剣の間合いが勝る。受ければ、押し潰される。
受けず、詰める。
踏み込む。
フィルクレトゥの光が強まる。
黒刃と擦れ合い、火花が散り、視界を焼いた。
一歩、半歩。
間合いの内側で、互いの呼吸がぶつかる。
ヴァルスの踏み込みが、わずかに深い。
それは焦りではない。
迷いごと、自分を断ち切るための一歩だった。
「……っ!」
ガルドは剣を立て、身体を捻る。
刃が鎧をかすめ、熱が走った。
その瞬間──隙が見えた。
ヴァルスの剣が、戻りきらない。
ほんの一瞬。
致命的になるには十分な、隙。
考えるより早く、身体が動いた。
フィルクレトゥが一直線に閃く。
黒刃を弾き、踏み込み、刃を返す。
(外せ。殺すな────)
願いのような思考が、刃に乗る。
『剣』が、眩く光を放った。
狙いは急所から外れた。
止めるための一太刀。
しかし鈍い感触が、確かにあった。
「……ぐっ」
ヴァルスの身体が揺れ、血が石畳に散る。
深手ではない。だが、確実に──届いた。
側頭部から血を流すヴァルス。
二人の距離が、わずかに開く。
ヴァルスは一瞬、何が起きたのか分からない顔をした。
そして遅れて、血の温度を自覚したように、眉が寄る。
それが、止められた一撃だと悟った瞬間。
その目に走ったのは、怒りと、拒絶だった。
ガルドは剣先を下げず、ヴァルスを見据えた。
息を整えながら、視界の端でメドゥルの姿を捉える。
膝を折ったまま、こちらをただ見ていた。
石に触れた手が、わずかに震えている。
その指先の動きが、息子に向けた感情のようで、胸に刺さる。
「……なぜだ。なぜそこまで……」
ガルドは、ヴァルスに向けて言った。
自分に言い聞かせるようでもあった。
ヴァルスは答えない。
その目は、憎悪に震えている。
だが、それだけではなかった。
迷いを焼き切ろうとする、必死さがあった。
二人を見るカルラの目が、ふと、僅かに揺れた。
まるで、何かを思い出したかのように。
だがその気配は、次の瞬間には、神のような静けさに塗り潰されていた。
その背後で──
空気が、微かに歪んだ。
最初に異変に気づいたのは、ミリアだった。
「……動く……流れが変わった」
神器を握る手に、思わず力がこもる。
次の瞬間、ムゥがクリスの肩の上で低く鳴いた。
羽毛が逆立ち、身体が強張っている。
扉が、開き始めた。音もなく──
空気が引き延ばされるような感覚に、ガルドは思わず歯を食いしばった。
耳鳴りのような低い振動が、床から足裏を伝ってくる。
まるで城そのものが、息を吸い込んでいるかのようだった。
アディルがすぐに一歩、前へ出る。
「ミリア、後ろへ」
盾を構えながら、ヴァルスとカルラ、そして開き始めた扉へと視線を走らせる。
クリスは唇を噛みしめ、額に手を添えた。
「……静かすぎる。嵐の前みたい……」
その言葉に応えるように。
闇へと続く回廊が、ゆっくりと姿を現す。
その前に立つ、カルラ。
だが、その背中は先ほどまでよりも、どこか脆く見えた。
「……時間が、来たわ」
感情を削ぎ落としたような声。
ヴァルスの剣先が、わずかに揺れる。
「……まだ、終わってない」
絞り出すような声だった。
ガルドは、その横顔を見た。
血に濡れ、歯を食いしばり、それでも前を向こうとする友の姿を。
だが、扉の奥から流れ出す圧迫感が、否応なく告げていた。
ここから先は、剣で決まる場所ではない。
選択だけが、残されている。
「……封印の座が、あの奥に……」
ミリアが、かすれた声で言った。
カルラは、振り返らない。
ただ、最奥へ向かって歩き出す。
その背中が、闇に溶けていく。
アディルが、ガルドの横に並ぶ。
「……止めるなら、今しかないわ」
それはヴァルスに向けた言葉でもあり、自分自身に言い聞かせる声でもあった。
ムゥが、小さく羽を震わせる。
クリスはそれを一度見てから、強く頷いた。
「……行かなきゃ。ここで終わらせるために」
誰も否定しなかった。
ヴァルスはこちらを横目に一瞥し、カルラを追う。
ガルドは、剣を握り締める。
決着は、まだ先だ。
そしてその先に、待っているものが何なのか──
この時、まだ誰も知らなかった。
膝を折った父の姿を、まだ視界の端で捉えているようだった。
その姿から目を逸らすように、しかし逃げることなく、ヴァルスは背の大剣へと手を伸ばした。
その指が、柄に触れる直前で、ほんのわずか止まった。
迷いではない。だが、過去を振り払うには十分な一瞬だった。
次の瞬間、剣は強く握り込まれる。
それは決意というより、引き返せない地点を越えた者の動きだった。
「ヴァルス、もう、やめよう」
ガルドの声は、静かだった。
「俺たちが戦う必要は無いはずだ」
返事は、なかった。
ヴァルスの魔剣『ヘルマトゥ』──父から継いだもの。
黒い刀身が、まるで世界を拒むように鈍い光を帯びる。その光は反射ではない。剣そのものが、内側から滲ませるような暗さだった。
「……だまれ」
低い声。
感情を抑え込もうとする声音ですらない。ただ、切り捨てるための言葉。
剣が構えられた瞬間、空気が歪む。
圧に押され、ガルドは反射的に目を伏せた。
次の瞬間、真横から薙がれる斬撃。
咄嗟にフィルクレトゥを両手で構え、受ける。
激しい衝撃が走り、腕の奥で骨が鳴った。
火花が散る。
黒と光がぶつかり合い、広間に鋭い音が反響した。
ヴァルスの剣は重い。
だが、父のそれ以上に──速い。
横薙ぎで終わらない。
刃は軌道を変え、角度を殺し、間合いを詰める。
叩き潰す剣ではない。削り、追い込み、逃げ場を奪う剣。
(……殺しにきている)
理解した瞬間、ガルドは後退をやめた。
距離を取れば、大剣の間合いが勝る。受ければ、押し潰される。
受けず、詰める。
踏み込む。
フィルクレトゥの光が強まる。
黒刃と擦れ合い、火花が散り、視界を焼いた。
一歩、半歩。
間合いの内側で、互いの呼吸がぶつかる。
ヴァルスの踏み込みが、わずかに深い。
それは焦りではない。
迷いごと、自分を断ち切るための一歩だった。
「……っ!」
ガルドは剣を立て、身体を捻る。
刃が鎧をかすめ、熱が走った。
その瞬間──隙が見えた。
ヴァルスの剣が、戻りきらない。
ほんの一瞬。
致命的になるには十分な、隙。
考えるより早く、身体が動いた。
フィルクレトゥが一直線に閃く。
黒刃を弾き、踏み込み、刃を返す。
(外せ。殺すな────)
願いのような思考が、刃に乗る。
『剣』が、眩く光を放った。
狙いは急所から外れた。
止めるための一太刀。
しかし鈍い感触が、確かにあった。
「……ぐっ」
ヴァルスの身体が揺れ、血が石畳に散る。
深手ではない。だが、確実に──届いた。
側頭部から血を流すヴァルス。
二人の距離が、わずかに開く。
ヴァルスは一瞬、何が起きたのか分からない顔をした。
そして遅れて、血の温度を自覚したように、眉が寄る。
それが、止められた一撃だと悟った瞬間。
その目に走ったのは、怒りと、拒絶だった。
ガルドは剣先を下げず、ヴァルスを見据えた。
息を整えながら、視界の端でメドゥルの姿を捉える。
膝を折ったまま、こちらをただ見ていた。
石に触れた手が、わずかに震えている。
その指先の動きが、息子に向けた感情のようで、胸に刺さる。
「……なぜだ。なぜそこまで……」
ガルドは、ヴァルスに向けて言った。
自分に言い聞かせるようでもあった。
ヴァルスは答えない。
その目は、憎悪に震えている。
だが、それだけではなかった。
迷いを焼き切ろうとする、必死さがあった。
二人を見るカルラの目が、ふと、僅かに揺れた。
まるで、何かを思い出したかのように。
だがその気配は、次の瞬間には、神のような静けさに塗り潰されていた。
その背後で──
空気が、微かに歪んだ。
最初に異変に気づいたのは、ミリアだった。
「……動く……流れが変わった」
神器を握る手に、思わず力がこもる。
次の瞬間、ムゥがクリスの肩の上で低く鳴いた。
羽毛が逆立ち、身体が強張っている。
扉が、開き始めた。音もなく──
空気が引き延ばされるような感覚に、ガルドは思わず歯を食いしばった。
耳鳴りのような低い振動が、床から足裏を伝ってくる。
まるで城そのものが、息を吸い込んでいるかのようだった。
アディルがすぐに一歩、前へ出る。
「ミリア、後ろへ」
盾を構えながら、ヴァルスとカルラ、そして開き始めた扉へと視線を走らせる。
クリスは唇を噛みしめ、額に手を添えた。
「……静かすぎる。嵐の前みたい……」
その言葉に応えるように。
闇へと続く回廊が、ゆっくりと姿を現す。
その前に立つ、カルラ。
だが、その背中は先ほどまでよりも、どこか脆く見えた。
「……時間が、来たわ」
感情を削ぎ落としたような声。
ヴァルスの剣先が、わずかに揺れる。
「……まだ、終わってない」
絞り出すような声だった。
ガルドは、その横顔を見た。
血に濡れ、歯を食いしばり、それでも前を向こうとする友の姿を。
だが、扉の奥から流れ出す圧迫感が、否応なく告げていた。
ここから先は、剣で決まる場所ではない。
選択だけが、残されている。
「……封印の座が、あの奥に……」
ミリアが、かすれた声で言った。
カルラは、振り返らない。
ただ、最奥へ向かって歩き出す。
その背中が、闇に溶けていく。
アディルが、ガルドの横に並ぶ。
「……止めるなら、今しかないわ」
それはヴァルスに向けた言葉でもあり、自分自身に言い聞かせる声でもあった。
ムゥが、小さく羽を震わせる。
クリスはそれを一度見てから、強く頷いた。
「……行かなきゃ。ここで終わらせるために」
誰も否定しなかった。
ヴァルスはこちらを横目に一瞥し、カルラを追う。
ガルドは、剣を握り締める。
決着は、まだ先だ。
そしてその先に、待っているものが何なのか──
この時、まだ誰も知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる