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第2回 路銀と噂
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旅に出ると口にした瞬間から、村の空気は変わった。
母は「みっともない」と言い、父は黙った。
黙ったまま納屋から古い革袋を出し、手に押しつけてきた。
中身は銀貨が少しと乾いた薬草の束。
止めない。
けれど背中も押さない。
父はそういう人だ。
礼は言えなかった。
言えば泣きそうになったから。
泣いて“捨てられた可哀想な女”を完成させる気はない。ふざけるな。
村を出ると道はすぐに細くなる。
春の泥が靴にまとわりつき、風が冷たい。
数日歩いただけで、この旅が意地だけでは済まないとわかった。
それでも引き返す理由にはならない。
最初の町では宿に入る前に市場を見た。
ここでは噂が貨幣より速く流通する。
情報は買えるし売れる。
「北へ行く若い男? 宝石の研究? ああ、いたよ。やたら話が大きい男だろ。耳飾りを見て『雪の女王の涙に似ている』とか言って、女を口説いてた」
やっぱり。
笑うしかない。
使命だの世界だの言っておきながら、やることは口説きだ。
宿の女将は荷を見て眉を上げた。
「北へ? 女一人で? 追いかけるのかい、あの男を」
「追いかけるってほど甘くない。訂正しに行くの」
「は? 訂正?」
熱い茶の入ったカップを置いて、言葉を噛み砕く。
「婚約してないのに、婚約破棄されたって噂を立てられた。だから本人に言いに行く。“そもそも婚約してない”って」
女将はぽかんとしたあと、腹を抱えて笑った。
「ははっ、なんだそれ! 今夜は安くしとくよ。……でも北の方は治安が悪い。盗賊も出る。男でも危ない」
盗賊。
脅しではなく事実が胸に落ちる。
刃物の柄を確かめた。
短い。頼りない。
それでも無いよりマシ。
翌日から道はさらに荒れた。
町と町の間が長くなる。
宿代は削れても食料は削れない。削ると死ぬ。
だから歩きながら計算する。
何日で路銀が尽きるか。
どの町で補給できるか。
どこで情報を買うか。
エイナルはこういう計算をしない。
ロマンだけで腹は膨れない。ふざけるな。
噂は私を追い越していった。
行く先々で“婚約破棄された女”にされる。しかも脚色が増える。
「捨てられて泣きながら追いかけてるんだって」
「北の宝石に負けた女ね」
「哀れだわ……」
哀れ。
そのたびに肺の奥が冷えた。
哀れまれる筋合いはない。
数日後、雪が混じり始めた。北へ向かっている証拠だ。空気が乾き、吐く息が白くなる。
そしてその夜――道を塞がれた。
男が三人、影みたいに現れた。顔は覆い、手には武器。盗賊だ。
「荷を置け」
交渉はない。走れるかを一瞬で測る。足は冷え、道はぬかるんでいる。無理だ。
刃物に手を伸ばそうとして――笑った。
「私、そんなに持ってないよ」
一瞬、盗賊たちが間の抜けた顔をする。
女は泣いて縋るものだと思っていたのだろう。
次の瞬間、腕を掴まれた。
痛い。骨が鳴る。
叫ばなかった。叫べば“被害者役”が完成する。ふざけるな。
歯を食いしばり、胸の中で反芻する。
――婚約してない。
この旅の目的はそれだけ。
だから、ここで終わるわけがない。
引きずられながら、思う。
もし生きて帰れたら、エイナルの頬を張るだけじゃ足りない。
勝手な噂も、一緒に張り倒してやる。
母は「みっともない」と言い、父は黙った。
黙ったまま納屋から古い革袋を出し、手に押しつけてきた。
中身は銀貨が少しと乾いた薬草の束。
止めない。
けれど背中も押さない。
父はそういう人だ。
礼は言えなかった。
言えば泣きそうになったから。
泣いて“捨てられた可哀想な女”を完成させる気はない。ふざけるな。
村を出ると道はすぐに細くなる。
春の泥が靴にまとわりつき、風が冷たい。
数日歩いただけで、この旅が意地だけでは済まないとわかった。
それでも引き返す理由にはならない。
最初の町では宿に入る前に市場を見た。
ここでは噂が貨幣より速く流通する。
情報は買えるし売れる。
「北へ行く若い男? 宝石の研究? ああ、いたよ。やたら話が大きい男だろ。耳飾りを見て『雪の女王の涙に似ている』とか言って、女を口説いてた」
やっぱり。
笑うしかない。
使命だの世界だの言っておきながら、やることは口説きだ。
宿の女将は荷を見て眉を上げた。
「北へ? 女一人で? 追いかけるのかい、あの男を」
「追いかけるってほど甘くない。訂正しに行くの」
「は? 訂正?」
熱い茶の入ったカップを置いて、言葉を噛み砕く。
「婚約してないのに、婚約破棄されたって噂を立てられた。だから本人に言いに行く。“そもそも婚約してない”って」
女将はぽかんとしたあと、腹を抱えて笑った。
「ははっ、なんだそれ! 今夜は安くしとくよ。……でも北の方は治安が悪い。盗賊も出る。男でも危ない」
盗賊。
脅しではなく事実が胸に落ちる。
刃物の柄を確かめた。
短い。頼りない。
それでも無いよりマシ。
翌日から道はさらに荒れた。
町と町の間が長くなる。
宿代は削れても食料は削れない。削ると死ぬ。
だから歩きながら計算する。
何日で路銀が尽きるか。
どの町で補給できるか。
どこで情報を買うか。
エイナルはこういう計算をしない。
ロマンだけで腹は膨れない。ふざけるな。
噂は私を追い越していった。
行く先々で“婚約破棄された女”にされる。しかも脚色が増える。
「捨てられて泣きながら追いかけてるんだって」
「北の宝石に負けた女ね」
「哀れだわ……」
哀れ。
そのたびに肺の奥が冷えた。
哀れまれる筋合いはない。
数日後、雪が混じり始めた。北へ向かっている証拠だ。空気が乾き、吐く息が白くなる。
そしてその夜――道を塞がれた。
男が三人、影みたいに現れた。顔は覆い、手には武器。盗賊だ。
「荷を置け」
交渉はない。走れるかを一瞬で測る。足は冷え、道はぬかるんでいる。無理だ。
刃物に手を伸ばそうとして――笑った。
「私、そんなに持ってないよ」
一瞬、盗賊たちが間の抜けた顔をする。
女は泣いて縋るものだと思っていたのだろう。
次の瞬間、腕を掴まれた。
痛い。骨が鳴る。
叫ばなかった。叫べば“被害者役”が完成する。ふざけるな。
歯を食いしばり、胸の中で反芻する。
――婚約してない。
この旅の目的はそれだけ。
だから、ここで終わるわけがない。
引きずられながら、思う。
もし生きて帰れたら、エイナルの頬を張るだけじゃ足りない。
勝手な噂も、一緒に張り倒してやる。
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