28 / 44
28 痛みを他人に拾わせる癖
「……父上……」
「笑い飛ばせるほど単純ではなく、同情できるほど潔くもない。だから皆、扱いに困る」
その言葉は、妙に痛かった。
笑いものなら、まだ反発もできる。自分を嘲る相手に怒ることもできる。
だが“扱いに困る”は違う。
怒りのぶつけ先すらない。ただ静かに距離を置かれるだけだ。
カレルは無意識に拳を握った。爪が掌に食い込む。
「僕は……そこまで悪意があったわけでは」
「まだ言うか」
侯爵の声が低く落ちた。
「悪意がなければ、責任のない甘えが許されると思うな」
カレルは息を呑んだ。
父の怒りは前より静かだ。静かな分だけ、見限りに近い。
「そもそもだ」
侯爵は机に肘をつき、息子を正面から見た。
「お前は“自分はそこまで悪くないのに、なぜここまで”と思っているな」
図星だった。
カレルは否定できずに、視線を逸らす。
「そういう顔をしている」
「……僕だって、苦しかったのです」
その言葉は、言い終える前から弱かった。
侯爵は少しも表情を変えない。
「苦しかろうが何だろうが、貴族はその始末を自分の外へ投げるな」
「……」
「お前は苦しみを告白したのではない。処理を他人へ回そうとしたのだ」
窓の外で風が動き、若葉がさらりと擦れた。
その音がやけに鮮明に聞こえる。
「そして今もなお、“自分も傷ついている”ことにしがみついて、何を失ったかの方を見ておらん」
――何を失ったか。
婚約。
ルーヴェン家との結びつき。
国境の支え。
父からの信。
王都での立ち位置。
頭の中に並べてみると、ようやくその大きさにくらりとする。
だが、そのうちどこまでが本当に“自分のせい”なのか、まだ心の奥のどこかで受け止めきれていない自分もいる。
「……では、どうすればよかったのですか? どうすればいいのですか?」
また同じ問いが出た。
侯爵はそれを聞いて、前よりも深く疲れた顔をした。
「まず黙れ」
「父上」
「今のお前が喋ると、ろくなことにならん」
はっきり言われて、カレルは顔をこわばらせる。
「謝るにしても、弁明するにしても、理解を求めるにしても、何もかも遅い」
「……」
「しばらくは余計なことをするな。社交の場にも出るな。書状も勝手に出すな」
カレルはそこで顔を上げた。
「書状も?」
「そうだ」
「僕は囚人ではありません!」
思わず声が強くなる。
侯爵の目がひどく冷たくなった。
「囚人ではない。だが家の名に傷をつけた息子だ」
「……っ」
「そして今のお前は、反省より先に自分の苦しさをしゃべる」
返す言葉がなかった。
たしかにそうかもしれない。
でも、では誰が自分の苦しさをわかってくれるのか? ――そう考えた瞬間、自分で自分に嫌気が差した。
まるでまた同じところへ戻るみたいだったからだ。
侯爵は息子の顔を見て、その変化を読んだのかもしれない。少しだけ声を落とした。
「お前は、自分の痛みを他人に拾わせる癖をやめろ」
その言葉は、前よりも深く刺さった。
「拾ってもらえる相手が賢いほど、甘える。お前はそういう男だ」
「……」
「その癖が抜けぬ限り、婿にも夫にも、まして領主にも向かん」
カレルは黙り込んだ。
――婿にも夫にも領主にも向かん。
それは父が初めて口にした、ほとんど断罪に近い言葉だった。
完全に見捨てられたわけではない。
だが少なくとも今、父は自分を“将来当然に座る者”としては見ていないのだ。
侯爵は机上の書状を整えた。
「下がれ」
もう終わりだった。
カレルは立ち上がり、一礼して部屋を出た。
廊下の空気は執務室より少し暖かいはずなのに、胸の内だけが冷えきっている。
歩きながら、彼は不意に気づいた。
友人の手紙にも、父の言葉にも、“エーディアが気の毒だ”とはあまり書かれていない。
もちろんそれは前提なのだろう。
だが今、皆が見ているのは主に、自分の器のなさなのだ。
そのことが、ひどく惨めだった。
恋に敗れた男として憐れまれるのでもなく、悪党として憎まれるのでもない。
ただ、責任を負えぬ半端な男として静かに見切られていく。
それがこんなにも堪えるとは、少し前まで思ってもみなかった。
◇
一方その頃、ルーヴェン伯爵家にはアデルから新たな手紙が届いていた。
『どうやらヴァンゼ侯爵は、本気でご子息を黙らせにかかったようです』
その端正な一文を読んだとき、エーディアは窓辺の光の中で、胸の奥に冷えた満足が落ちていくのを感じていた。
「笑い飛ばせるほど単純ではなく、同情できるほど潔くもない。だから皆、扱いに困る」
その言葉は、妙に痛かった。
笑いものなら、まだ反発もできる。自分を嘲る相手に怒ることもできる。
だが“扱いに困る”は違う。
怒りのぶつけ先すらない。ただ静かに距離を置かれるだけだ。
カレルは無意識に拳を握った。爪が掌に食い込む。
「僕は……そこまで悪意があったわけでは」
「まだ言うか」
侯爵の声が低く落ちた。
「悪意がなければ、責任のない甘えが許されると思うな」
カレルは息を呑んだ。
父の怒りは前より静かだ。静かな分だけ、見限りに近い。
「そもそもだ」
侯爵は机に肘をつき、息子を正面から見た。
「お前は“自分はそこまで悪くないのに、なぜここまで”と思っているな」
図星だった。
カレルは否定できずに、視線を逸らす。
「そういう顔をしている」
「……僕だって、苦しかったのです」
その言葉は、言い終える前から弱かった。
侯爵は少しも表情を変えない。
「苦しかろうが何だろうが、貴族はその始末を自分の外へ投げるな」
「……」
「お前は苦しみを告白したのではない。処理を他人へ回そうとしたのだ」
窓の外で風が動き、若葉がさらりと擦れた。
その音がやけに鮮明に聞こえる。
「そして今もなお、“自分も傷ついている”ことにしがみついて、何を失ったかの方を見ておらん」
――何を失ったか。
婚約。
ルーヴェン家との結びつき。
国境の支え。
父からの信。
王都での立ち位置。
頭の中に並べてみると、ようやくその大きさにくらりとする。
だが、そのうちどこまでが本当に“自分のせい”なのか、まだ心の奥のどこかで受け止めきれていない自分もいる。
「……では、どうすればよかったのですか? どうすればいいのですか?」
また同じ問いが出た。
侯爵はそれを聞いて、前よりも深く疲れた顔をした。
「まず黙れ」
「父上」
「今のお前が喋ると、ろくなことにならん」
はっきり言われて、カレルは顔をこわばらせる。
「謝るにしても、弁明するにしても、理解を求めるにしても、何もかも遅い」
「……」
「しばらくは余計なことをするな。社交の場にも出るな。書状も勝手に出すな」
カレルはそこで顔を上げた。
「書状も?」
「そうだ」
「僕は囚人ではありません!」
思わず声が強くなる。
侯爵の目がひどく冷たくなった。
「囚人ではない。だが家の名に傷をつけた息子だ」
「……っ」
「そして今のお前は、反省より先に自分の苦しさをしゃべる」
返す言葉がなかった。
たしかにそうかもしれない。
でも、では誰が自分の苦しさをわかってくれるのか? ――そう考えた瞬間、自分で自分に嫌気が差した。
まるでまた同じところへ戻るみたいだったからだ。
侯爵は息子の顔を見て、その変化を読んだのかもしれない。少しだけ声を落とした。
「お前は、自分の痛みを他人に拾わせる癖をやめろ」
その言葉は、前よりも深く刺さった。
「拾ってもらえる相手が賢いほど、甘える。お前はそういう男だ」
「……」
「その癖が抜けぬ限り、婿にも夫にも、まして領主にも向かん」
カレルは黙り込んだ。
――婿にも夫にも領主にも向かん。
それは父が初めて口にした、ほとんど断罪に近い言葉だった。
完全に見捨てられたわけではない。
だが少なくとも今、父は自分を“将来当然に座る者”としては見ていないのだ。
侯爵は机上の書状を整えた。
「下がれ」
もう終わりだった。
カレルは立ち上がり、一礼して部屋を出た。
廊下の空気は執務室より少し暖かいはずなのに、胸の内だけが冷えきっている。
歩きながら、彼は不意に気づいた。
友人の手紙にも、父の言葉にも、“エーディアが気の毒だ”とはあまり書かれていない。
もちろんそれは前提なのだろう。
だが今、皆が見ているのは主に、自分の器のなさなのだ。
そのことが、ひどく惨めだった。
恋に敗れた男として憐れまれるのでもなく、悪党として憎まれるのでもない。
ただ、責任を負えぬ半端な男として静かに見切られていく。
それがこんなにも堪えるとは、少し前まで思ってもみなかった。
◇
一方その頃、ルーヴェン伯爵家にはアデルから新たな手紙が届いていた。
『どうやらヴァンゼ侯爵は、本気でご子息を黙らせにかかったようです』
その端正な一文を読んだとき、エーディアは窓辺の光の中で、胸の奥に冷えた満足が落ちていくのを感じていた。
あなたにおすすめの小説
兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います
きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で……
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
王太子に婚約破棄されてから一年、今更何の用ですか?
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しいます。
ゴードン公爵家の長女ノヴァは、辺境の冒険者街で薬屋を開業していた。ちょうど一年前、婚約者だった王太子が平民娘相手に恋の熱病にかかり、婚約を破棄されてしまっていた。王太子の恋愛問題が王位継承問題に発展するくらいの大問題となり、平民娘に負けて社交界に残れないほどの大恥をかかされ、理不尽にも公爵家を追放されてしまったのだ。ようやく傷心が癒えたノヴァのところに、やつれた王太子が現れた。
皆さん勘違いなさっているようですが、この家の当主はわたしです。
和泉 凪紗
恋愛
侯爵家の後継者であるリアーネは父親に呼びされる。
「次期当主はエリザベスにしようと思う」
父親は腹違いの姉であるエリザベスを次期当主に指名してきた。理由はリアーネの婚約者であるリンハルトがエリザベスと結婚するから。
リンハルトは侯爵家に婿に入ることになっていた。
「エリザベスとリンハルト殿が一緒になりたいそうだ。エリザベスはちょうど適齢期だし、二人が思い合っているなら結婚させたい。急に婚約者がいなくなってリアーネも不安だろうが、適齢期までまだ時間はある。お前にふさわしい結婚相手を見つけるから安心しなさい。エリザベスの結婚が決まったのだ。こんなにめでたいことはないだろう?」
破談になってめでたいことなんてないと思いますけど?
婚約破棄になるのは構いませんが、この家を渡すつもりはありません。
さようなら、わたくしの騎士様
夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。
その時を待っていたのだ。
クリスは知っていた。
騎士ローウェルは裏切ると。
だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。
夫は私を愛していないそうなので、遠慮なく離婚します。今さら引き止められても遅いです
藤原遊
恋愛
王妃付き護衛騎士である夫に、「お前を愛したことはない」と告げられた。
理由は単純。
愛などなくても、仕事に支障はないからだという。
──そうですか。
それなら、こちらも遠慮する必要はありませんね。
王妃の機嫌、侍女たちとの関係、贈り物の選定。
夫が「当然のように」こなしていたそれらは、すべて私が整えていたもの。
離婚後、少しずつ歯車は狂い始める。
気づいたときにはもう遅い。
積み上げてきた信用は、静かに崩れていく。
一方で私は、王妃のもとへ。
今さら引き止められても、遅いのです。