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41 両家の示し合わせ
翌日の午前、ベッリーニ会頭アルド・ベッリーニは約束どおりヴァレール家を訪れた。
空は朝から明るかったが、どこか薄かった。
晴れているのに、陽が布一枚隔てたみたいに柔らかい。風も落ち着かず、庭の若葉がときどき一斉に裏返る。
春の終わりの空は、こういう日に限って妙に静かに見える。
母は朝から客間ではなく、大書斎の隣の応接室を整えさせた。長い食卓のある正式な部屋より少し小さく、けれど椅子の背も窓の位置も、内々の話に向いている部屋だ。
重たい緑のカーテン、白い大理石の暖炉、中央の丸卓。茶器は出すが菓子は最小限。長居を歓迎しない時の整え方だった。
エレオノールは二階の部屋に留め置かれた。下りてこないよう、母付きの侍女が一人つけられている。
セリーヌは、もちろんいない。それだけで、この応接室には最初から欠けがあった。
父は会頭の顔で座っていた。母はその斜め後ろに、夫人としてではなく、この家の内側を知る者として座る。
向こうも同じだった。アルド・ベッリーニのほかに、夫人ではなく、年かさの番頭が一人だけ控えに来ていた。家の話であり、同時に商いの話でもある。そういう顔ぶれだ。
挨拶は短かった。茶も出た。けれど誰も、それを本当に味わうつもりではなかった。
「本日は」
ベッリーニが最初に口を開いた。
「このような形で改めてお目にかかることになり、まずは遺憾に存じます」
言葉は整っている。整っているが、それだけだった。
謝罪の形は取っている。だが最初から、感情より整理の席として置きにきているのが分かる。
父は頷きもしなかった。
「遺憾、ですか」
静かな声だった。
「うちの娘の婚約者であったご次男が、庭側を使って我が家の次女と会っていた。しかも、そのあいだ長女には何も知らされていなかった。そこへ至って、遺憾で済むなら話は早い」
母は横でカップの持ち手に指を添えたまま、動かなかった。向こうの番頭も視線を落としている。
ベッリーニはそれでも調子を変えない。
「済ませるつもりはありません。だからこそ、まず次男を表の仕事から外しました」
「南の倉へ?」
父が言う。
「ええ」
「それで御家としては、火元を限定したつもりでしょうな」
「火元を曖昧にせぬためです」
その返しはうまかった。火元を限定するのではなく、曖昧にしないため。
言い換えひとつで、向こうはまだ家の理を保とうとする。父の口元がわずかに硬くなる。
「では、曖昧にせぬために、はっきり申し上げよう」
そう言うと、部屋の空気が少しだけ張った。
「我が家としては、今回の婚約破談は御家のご次男の不実と軽率に起因するものと考えています」
「不実、ですか」
アルドが繰り返す。
「ええ。不実です」
父はそこで初めて、はっきりと言い切った。
「婚約者がある身で、その妹と裏で会っていた。しかもそれが一度や二度ではない。これを不実と呼ばずに何と呼びます」
向こうの番頭の喉が、かすかに動いた。けれどベッリーニは表情を変えない。
「言葉としては理解できます。ですが、その言葉をそのまま外へ出せば、双方の家にとって得にはならんでしょう」
「得で話しておられる」
「家どうしの話ですので」
父が言い、ベッリーニが返す。その短いやり取りだけで、部屋の中の立ち位置が見える。
母がそこで、初めて口を開いた。
「得だけではなく、娘たちの今後の話でもあります」
声は柔らかい。けれど柔らかいだけではない。数日で削れた疲れの奥に、ようやく本気で触れる人の声音だった。
「白紙に戻す、と書いていらした。ですが白紙になど戻らないことは、会頭もお分かりでしょう」
ベッリーニは母へ視線を向けた。
「ええ。承知しています」
「では、その承知をどこまで表へ持っていくおつもりです」
母の問いに、彼は少しだけ間を置いた。
「まず、我が次男マルコとそちらの次女エレオノール嬢との間に、今後いかなる約束も無いこと」
「……」
「次に、長女セリーヌ嬢との婚約は、今回の件をもって解消とすること」
「今回の件をもって」
父が低く言う。
「便利な言い方だ」
「便利にしたいのではありません。余計な肉をつけないためです」
余計な肉――つまり噂話として太らせないため、ということだ。
母はその言い回しに、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「長女の名誉はどう扱うおつもりです」
「……」
「うちの娘は、婚約者に裏で妹と会われたあげく、家を出ました」
その言葉で、応接室の空気が変わった。
――家を出ました。
この家ではもう隠しきれない事実を、母は自分から言った。父も一瞬だけ母を見たが、止めなかった。
ベッリーニの目が、初めてわずかに深くなる。
「表向きには静養とするおつもりかと」
「そうするほかないでしょう」
「ええ」
「ですが静養の裏で、あの子が何を見て、どこまで傷ついたかを、白紙の一言で押し流される気はありません」
母の声は大きくない。けれど、そこで初めて、この部屋にセリーヌの不在そのものがきちんと着地した気がした。
父はゆっくり告げる。
「こちらの要求は二つです」
指を一本立てる。
「一つ、破談の原因が御家のご次男の不実と軽率にあることを、少なくとも双方の家のあいだでは明記すること」
もう一本。
「二つ、今後いかなる形でも、次女とご次男の縁談が再燃しないことを、御家の口から明言すること」
向こうの番頭がそこで初めて目を上げた。再燃しない。
つまり今後、時間が経ったあとで「若い二人はやはり」と持ち出す道を塞ぐ要求だ。
ベッリーニは少し長く黙る。
外で風が窓を鳴らす。晴れているはずなのに、光の縁がどこかぼやけていた。
「前者は」
やがて彼は言う。
「文言の調整が必要ですな。『不実』をそのまま用いるのは、こちらとしては受けづらい」
「では何と」
「婚約のある身で軽率な出入りを重ね、双方に不信を招いた」
「軽い」
「だが事実です」
「軽い」
父は繰り返す。
向こうはやはり、マルコのしたことを「不信を招いた軽率」へ落とす。家の裏切りではなく、若い次男の行き過ぎ。
その線を守ろうとしている。
母がそこで、静かに言う。
「言葉を柔らかくしても、娘の傷は柔らかくなりません」
さすがにベッリーニも、その言葉にすぐには返さなかった。
「分かっています」
やがて言う。
「ですが、言葉を誤れば、今度は長女様の名もまた余計に外へ出ます」
「……」
「それは、そちらも望まぬでしょう」
その一言が、この場の厄介さをすべて言っていた。
セリーヌのために強い言葉を求めれば求めるほど、セリーヌ本人の名は外へ出やすくなる。そして彼女はいま、ここにいない。
守りたいのに、守るための手が限られている。
父が少しだけ目を閉じ、それから言った。
「では文言は詰める」
「ええ」
「だが後者はどうだ」
「次女様との縁談の再燃については、家として考えません」
アルドはそこで、はっきり言った。
「少なくとも、今回の件の上に何かを積むことはない」
「少なくとも?」
父の声が低くなる。
「先のことを絶対とは申しません。商家ですから」
「会頭」
母が、その時だけ少し強く言った。ベッリーニは視線を母へ移した。
「今の言葉は、私達の娘に対してあまりに不実です」
――不実。
その語を今度は母が使った。向こうの次男へだけではなく、家としての言い逃れの癖へ向けて。
「娘を二人ともこのような目に遭わせておいて、先のことは絶対ではない、と」
「夫人」
「それでは、ただ時間が経てばまた都合よく持ち出す余地を残すだけでしょう」
部屋が静まる。ベッリーニの表情が、そこで初めて少しだけ硬くなった。
母の言う通りだからだろう。
商家の理では、その余地を完全に潰す言い方は確かにしない。けれど今は、それが人の心をどう踏むかも、向こうは分かっているはずだった。
「……承知しました」
ベッリーニが言う。
「この件に関して、今後、我が家から次女エレオノール嬢との縁談を持ち出すことはありません」
「今後」
「ええ。少なくとも、会頭である私の存命中には」
それは、商家の言葉としてはかなり重かった。父も母も、それは分かったらしい。
完全な満足ではない。だが、ベッリーニ家の口から引き出せる現実的な線としては、ほぼ限界に近い。
父は深く息を吐いた。
「よろしい」
「では」
アルドが言う。
「こちらからも一つ」
「何でしょう」
「長女様の件です」
母の指先が、テーブルクロスの縁に触れた。
「外向きには、静養で通されるおつもりでしょう」
「ええ」
「こちらもそれに合わせます。ですが、もし――」
そこで彼は言葉を切った。
「もし、長女様が戻られぬまま長引く場合、いずれ別の説明が要る。そこだけは、いまのうちに互いに含んでおいたほうがよい」
それは脅しではなく、現実の話だった。セリーヌの不在は、婚約破談よりも長く続けば、それだけで別の噂を呼ぶ。
そうなった時、両家がどう口を揃えるか――そこまで、もう話に入っている。
父の顔が重くなり、母は目を伏せた。この家どうしの話し合いは、結局そこへまで届いてしまうのだ。
「その時は」
父が低く言う。
「その時にまた話す」
今はそれが限界だった。向こうもそれ以上は押さない。
続いて話は、文言の詰めへ移った。
紙の上では、娘の傷も、息子の軽率も、家名に関わる不信も、すべて少しずつ角を削られていく。
――婚約のある身で節度を欠いた往来。
――双方に不信と混乱を招いた。
――これをもって婚約は解消。
――今後、次女との縁談は考えない。
――外向きには、長女は静養中。
言葉は整う。整うたび、部屋の中の誰かの顔が少しずつ疲れていく。
それでも、この話し合いは必要だったのだろう。必要で、醜くて、ひどく商家らしい。
ベッリーニが帰る頃には、空の薄さがさらに増していた。晴れているのに、夕方が近いせいか、光はもう朝ほどきれいではない。
応接室に残ったのは、冷めた茶と、詰めた文言と、二人分の疲れだった。
母はしばらく席を立たなかった。父も、便箋を揃えながら黙っている。
「これで終わると思う?」
母がやがて聞く。父はすぐには答えなかった。
「終わらんだろうな」
短く、そう言った。
その声には怒りより先に、ようやく本当にそう思った人の重さがあった。
空は朝から明るかったが、どこか薄かった。
晴れているのに、陽が布一枚隔てたみたいに柔らかい。風も落ち着かず、庭の若葉がときどき一斉に裏返る。
春の終わりの空は、こういう日に限って妙に静かに見える。
母は朝から客間ではなく、大書斎の隣の応接室を整えさせた。長い食卓のある正式な部屋より少し小さく、けれど椅子の背も窓の位置も、内々の話に向いている部屋だ。
重たい緑のカーテン、白い大理石の暖炉、中央の丸卓。茶器は出すが菓子は最小限。長居を歓迎しない時の整え方だった。
エレオノールは二階の部屋に留め置かれた。下りてこないよう、母付きの侍女が一人つけられている。
セリーヌは、もちろんいない。それだけで、この応接室には最初から欠けがあった。
父は会頭の顔で座っていた。母はその斜め後ろに、夫人としてではなく、この家の内側を知る者として座る。
向こうも同じだった。アルド・ベッリーニのほかに、夫人ではなく、年かさの番頭が一人だけ控えに来ていた。家の話であり、同時に商いの話でもある。そういう顔ぶれだ。
挨拶は短かった。茶も出た。けれど誰も、それを本当に味わうつもりではなかった。
「本日は」
ベッリーニが最初に口を開いた。
「このような形で改めてお目にかかることになり、まずは遺憾に存じます」
言葉は整っている。整っているが、それだけだった。
謝罪の形は取っている。だが最初から、感情より整理の席として置きにきているのが分かる。
父は頷きもしなかった。
「遺憾、ですか」
静かな声だった。
「うちの娘の婚約者であったご次男が、庭側を使って我が家の次女と会っていた。しかも、そのあいだ長女には何も知らされていなかった。そこへ至って、遺憾で済むなら話は早い」
母は横でカップの持ち手に指を添えたまま、動かなかった。向こうの番頭も視線を落としている。
ベッリーニはそれでも調子を変えない。
「済ませるつもりはありません。だからこそ、まず次男を表の仕事から外しました」
「南の倉へ?」
父が言う。
「ええ」
「それで御家としては、火元を限定したつもりでしょうな」
「火元を曖昧にせぬためです」
その返しはうまかった。火元を限定するのではなく、曖昧にしないため。
言い換えひとつで、向こうはまだ家の理を保とうとする。父の口元がわずかに硬くなる。
「では、曖昧にせぬために、はっきり申し上げよう」
そう言うと、部屋の空気が少しだけ張った。
「我が家としては、今回の婚約破談は御家のご次男の不実と軽率に起因するものと考えています」
「不実、ですか」
アルドが繰り返す。
「ええ。不実です」
父はそこで初めて、はっきりと言い切った。
「婚約者がある身で、その妹と裏で会っていた。しかもそれが一度や二度ではない。これを不実と呼ばずに何と呼びます」
向こうの番頭の喉が、かすかに動いた。けれどベッリーニは表情を変えない。
「言葉としては理解できます。ですが、その言葉をそのまま外へ出せば、双方の家にとって得にはならんでしょう」
「得で話しておられる」
「家どうしの話ですので」
父が言い、ベッリーニが返す。その短いやり取りだけで、部屋の中の立ち位置が見える。
母がそこで、初めて口を開いた。
「得だけではなく、娘たちの今後の話でもあります」
声は柔らかい。けれど柔らかいだけではない。数日で削れた疲れの奥に、ようやく本気で触れる人の声音だった。
「白紙に戻す、と書いていらした。ですが白紙になど戻らないことは、会頭もお分かりでしょう」
ベッリーニは母へ視線を向けた。
「ええ。承知しています」
「では、その承知をどこまで表へ持っていくおつもりです」
母の問いに、彼は少しだけ間を置いた。
「まず、我が次男マルコとそちらの次女エレオノール嬢との間に、今後いかなる約束も無いこと」
「……」
「次に、長女セリーヌ嬢との婚約は、今回の件をもって解消とすること」
「今回の件をもって」
父が低く言う。
「便利な言い方だ」
「便利にしたいのではありません。余計な肉をつけないためです」
余計な肉――つまり噂話として太らせないため、ということだ。
母はその言い回しに、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「長女の名誉はどう扱うおつもりです」
「……」
「うちの娘は、婚約者に裏で妹と会われたあげく、家を出ました」
その言葉で、応接室の空気が変わった。
――家を出ました。
この家ではもう隠しきれない事実を、母は自分から言った。父も一瞬だけ母を見たが、止めなかった。
ベッリーニの目が、初めてわずかに深くなる。
「表向きには静養とするおつもりかと」
「そうするほかないでしょう」
「ええ」
「ですが静養の裏で、あの子が何を見て、どこまで傷ついたかを、白紙の一言で押し流される気はありません」
母の声は大きくない。けれど、そこで初めて、この部屋にセリーヌの不在そのものがきちんと着地した気がした。
父はゆっくり告げる。
「こちらの要求は二つです」
指を一本立てる。
「一つ、破談の原因が御家のご次男の不実と軽率にあることを、少なくとも双方の家のあいだでは明記すること」
もう一本。
「二つ、今後いかなる形でも、次女とご次男の縁談が再燃しないことを、御家の口から明言すること」
向こうの番頭がそこで初めて目を上げた。再燃しない。
つまり今後、時間が経ったあとで「若い二人はやはり」と持ち出す道を塞ぐ要求だ。
ベッリーニは少し長く黙る。
外で風が窓を鳴らす。晴れているはずなのに、光の縁がどこかぼやけていた。
「前者は」
やがて彼は言う。
「文言の調整が必要ですな。『不実』をそのまま用いるのは、こちらとしては受けづらい」
「では何と」
「婚約のある身で軽率な出入りを重ね、双方に不信を招いた」
「軽い」
「だが事実です」
「軽い」
父は繰り返す。
向こうはやはり、マルコのしたことを「不信を招いた軽率」へ落とす。家の裏切りではなく、若い次男の行き過ぎ。
その線を守ろうとしている。
母がそこで、静かに言う。
「言葉を柔らかくしても、娘の傷は柔らかくなりません」
さすがにベッリーニも、その言葉にすぐには返さなかった。
「分かっています」
やがて言う。
「ですが、言葉を誤れば、今度は長女様の名もまた余計に外へ出ます」
「……」
「それは、そちらも望まぬでしょう」
その一言が、この場の厄介さをすべて言っていた。
セリーヌのために強い言葉を求めれば求めるほど、セリーヌ本人の名は外へ出やすくなる。そして彼女はいま、ここにいない。
守りたいのに、守るための手が限られている。
父が少しだけ目を閉じ、それから言った。
「では文言は詰める」
「ええ」
「だが後者はどうだ」
「次女様との縁談の再燃については、家として考えません」
アルドはそこで、はっきり言った。
「少なくとも、今回の件の上に何かを積むことはない」
「少なくとも?」
父の声が低くなる。
「先のことを絶対とは申しません。商家ですから」
「会頭」
母が、その時だけ少し強く言った。ベッリーニは視線を母へ移した。
「今の言葉は、私達の娘に対してあまりに不実です」
――不実。
その語を今度は母が使った。向こうの次男へだけではなく、家としての言い逃れの癖へ向けて。
「娘を二人ともこのような目に遭わせておいて、先のことは絶対ではない、と」
「夫人」
「それでは、ただ時間が経てばまた都合よく持ち出す余地を残すだけでしょう」
部屋が静まる。ベッリーニの表情が、そこで初めて少しだけ硬くなった。
母の言う通りだからだろう。
商家の理では、その余地を完全に潰す言い方は確かにしない。けれど今は、それが人の心をどう踏むかも、向こうは分かっているはずだった。
「……承知しました」
ベッリーニが言う。
「この件に関して、今後、我が家から次女エレオノール嬢との縁談を持ち出すことはありません」
「今後」
「ええ。少なくとも、会頭である私の存命中には」
それは、商家の言葉としてはかなり重かった。父も母も、それは分かったらしい。
完全な満足ではない。だが、ベッリーニ家の口から引き出せる現実的な線としては、ほぼ限界に近い。
父は深く息を吐いた。
「よろしい」
「では」
アルドが言う。
「こちらからも一つ」
「何でしょう」
「長女様の件です」
母の指先が、テーブルクロスの縁に触れた。
「外向きには、静養で通されるおつもりでしょう」
「ええ」
「こちらもそれに合わせます。ですが、もし――」
そこで彼は言葉を切った。
「もし、長女様が戻られぬまま長引く場合、いずれ別の説明が要る。そこだけは、いまのうちに互いに含んでおいたほうがよい」
それは脅しではなく、現実の話だった。セリーヌの不在は、婚約破談よりも長く続けば、それだけで別の噂を呼ぶ。
そうなった時、両家がどう口を揃えるか――そこまで、もう話に入っている。
父の顔が重くなり、母は目を伏せた。この家どうしの話し合いは、結局そこへまで届いてしまうのだ。
「その時は」
父が低く言う。
「その時にまた話す」
今はそれが限界だった。向こうもそれ以上は押さない。
続いて話は、文言の詰めへ移った。
紙の上では、娘の傷も、息子の軽率も、家名に関わる不信も、すべて少しずつ角を削られていく。
――婚約のある身で節度を欠いた往来。
――双方に不信と混乱を招いた。
――これをもって婚約は解消。
――今後、次女との縁談は考えない。
――外向きには、長女は静養中。
言葉は整う。整うたび、部屋の中の誰かの顔が少しずつ疲れていく。
それでも、この話し合いは必要だったのだろう。必要で、醜くて、ひどく商家らしい。
ベッリーニが帰る頃には、空の薄さがさらに増していた。晴れているのに、夕方が近いせいか、光はもう朝ほどきれいではない。
応接室に残ったのは、冷めた茶と、詰めた文言と、二人分の疲れだった。
母はしばらく席を立たなかった。父も、便箋を揃えながら黙っている。
「これで終わると思う?」
母がやがて聞く。父はすぐには答えなかった。
「終わらんだろうな」
短く、そう言った。
その声には怒りより先に、ようやく本当にそう思った人の重さがあった。
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