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4 チェリーが刺された
叔母様の家に来て、七日目の午後だった。
その日は朝から風が強かった。窓を少しだけ開けていたら、薄いカーテンが何度もふくらみ、マリエに閉められる。
日差しはあるのに、風だけが冬の残りのようだった。
私は窓辺で刺繍をしていた。生成りの布には、黄色と白の小花が少しずつ増えている。叔母様はそれを見るたびに、いいわね、と言った。
褒め方が短い。だから受け取りやすかった。
「お嬢様、少し休まれては」
「この花だけ」
「さっきもそうおっしゃいました」
「これは別の花よ」
「そういう意味ではありません」
マリエが呆れたように言った時、玄関の方で馬車の音がした。
この家に来てから、馬車の音には少し敏感になった。パロット家からの迎えではないか、と最初の二日は思った。
もっとも来たところで、帰るつもりはない。ただ、来ないのだな、とも思った。
今日の馬車は、止まり方が荒かった。砂利を跳ねる音がして、すぐに誰かが玄関の鐘を鳴らす。
長く、一度。
それから短く二度。
「何でしょう」
マリエが部屋の扉の方を見た。
廊下を急ぐ足音がする。子爵家の使用人達は皆静かに動くので、その音だけで何かあったのが分かった。
私は針を持ったまま、布から手を離せなかった。
針先が白い花弁の端に刺さっている。抜けば一針終わる。けれど、その一針を抜く前に、扉が叩かれた。
「ローズ」
叔母様の声だった。
「はい」
返事をしてから、ようやく針を抜いた。糸が少し強く引けて、布が小さく寄る。
直さなければ、と思ったところで、叔母様が入ってきた。
いつもなら、扉を開ける前に一言、入るわよ、と言う方だ。
その日は何も言わなかった。
部屋に入ってからも、すぐには近づいてこない。扉のそばで一度だけ息をつき、手に持っていた手袋を握り直した。
「叔母様?」
「ローズ。落ち着いて聞きなさい」
その言い方で、パロット家のことだと分かった。
父か、母か。あるいはセルリアン様か。
チェリーだとは思わなかった。
「チェリーが刺されたわ」
針が、指に当たった。深くはない。けれど白い布に、小さな赤が落ちた。
「……え?」
叔母様が近づいてくる。マリエが横から私の手を取った。
「お嬢様、針を」
言われて、手を開く。針はまだ指先に挟まっていた。
「命はあるのですか」
自分の声が先に出た。叔母様はうなずく。
「ええ。今は医師がついているそうよ。ただ、傷は浅くない。知らせに来たのは、レグホーン家の四男、オルセーユ様の使いです」
「オルセーユ様」
「セルリアンの弟ね」
なぜ弟君が。なぜチェリーが刺されるのか。なぜ。
いくつも浮かんだが、どれも言葉にならなかった。
ただ、布についた赤い点だけが目に入る。
せっかく刺した白い花の端だった。
「誰が、チェリーを」
叔母様は嫌そうに目を細め、こう言った。
「セルリアン・レグホーンよ」
マリエが、短く息を吸う。は赤い点を見たまま、指先を握る。
セルリアン様が、チェリーを。チェリーを愛したと言った、あの人が。
「お嬢様」
マリエが支えるように私の肘に手を添えた。
「行きますか」
「行きます」
今度は、すぐに返事が出た。叔母様はうなずき、扉の外へ声をかける。
「馬車を。すぐに出ます」
私は立ち上がった。
膝から布が落ちる。マリエが拾い上げ、赤い点を見て、口を結んだ。
「お嬢様、手を」
差し出された布で指先を押さえる。小さな傷だった。そんなもの、どうでもよかった。
どうでもよかったのに、血はなかなか止まらなかった。
その日は朝から風が強かった。窓を少しだけ開けていたら、薄いカーテンが何度もふくらみ、マリエに閉められる。
日差しはあるのに、風だけが冬の残りのようだった。
私は窓辺で刺繍をしていた。生成りの布には、黄色と白の小花が少しずつ増えている。叔母様はそれを見るたびに、いいわね、と言った。
褒め方が短い。だから受け取りやすかった。
「お嬢様、少し休まれては」
「この花だけ」
「さっきもそうおっしゃいました」
「これは別の花よ」
「そういう意味ではありません」
マリエが呆れたように言った時、玄関の方で馬車の音がした。
この家に来てから、馬車の音には少し敏感になった。パロット家からの迎えではないか、と最初の二日は思った。
もっとも来たところで、帰るつもりはない。ただ、来ないのだな、とも思った。
今日の馬車は、止まり方が荒かった。砂利を跳ねる音がして、すぐに誰かが玄関の鐘を鳴らす。
長く、一度。
それから短く二度。
「何でしょう」
マリエが部屋の扉の方を見た。
廊下を急ぐ足音がする。子爵家の使用人達は皆静かに動くので、その音だけで何かあったのが分かった。
私は針を持ったまま、布から手を離せなかった。
針先が白い花弁の端に刺さっている。抜けば一針終わる。けれど、その一針を抜く前に、扉が叩かれた。
「ローズ」
叔母様の声だった。
「はい」
返事をしてから、ようやく針を抜いた。糸が少し強く引けて、布が小さく寄る。
直さなければ、と思ったところで、叔母様が入ってきた。
いつもなら、扉を開ける前に一言、入るわよ、と言う方だ。
その日は何も言わなかった。
部屋に入ってからも、すぐには近づいてこない。扉のそばで一度だけ息をつき、手に持っていた手袋を握り直した。
「叔母様?」
「ローズ。落ち着いて聞きなさい」
その言い方で、パロット家のことだと分かった。
父か、母か。あるいはセルリアン様か。
チェリーだとは思わなかった。
「チェリーが刺されたわ」
針が、指に当たった。深くはない。けれど白い布に、小さな赤が落ちた。
「……え?」
叔母様が近づいてくる。マリエが横から私の手を取った。
「お嬢様、針を」
言われて、手を開く。針はまだ指先に挟まっていた。
「命はあるのですか」
自分の声が先に出た。叔母様はうなずく。
「ええ。今は医師がついているそうよ。ただ、傷は浅くない。知らせに来たのは、レグホーン家の四男、オルセーユ様の使いです」
「オルセーユ様」
「セルリアンの弟ね」
なぜ弟君が。なぜチェリーが刺されるのか。なぜ。
いくつも浮かんだが、どれも言葉にならなかった。
ただ、布についた赤い点だけが目に入る。
せっかく刺した白い花の端だった。
「誰が、チェリーを」
叔母様は嫌そうに目を細め、こう言った。
「セルリアン・レグホーンよ」
マリエが、短く息を吸う。は赤い点を見たまま、指先を握る。
セルリアン様が、チェリーを。チェリーを愛したと言った、あの人が。
「お嬢様」
マリエが支えるように私の肘に手を添えた。
「行きますか」
「行きます」
今度は、すぐに返事が出た。叔母様はうなずき、扉の外へ声をかける。
「馬車を。すぐに出ます」
私は立ち上がった。
膝から布が落ちる。マリエが拾い上げ、赤い点を見て、口を結んだ。
「お嬢様、手を」
差し出された布で指先を押さえる。小さな傷だった。そんなもの、どうでもよかった。
どうでもよかったのに、血はなかなか止まらなかった。
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