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13 レグホーン家からの謝罪
その日の夜、私はメイズ叔母様の家へ戻ることになった。
父は最後まで渋った。母は、せめて夕食を、と言った。
けれど叔母様は聞かなかった。
「ローズを置いていけば、あなた達はまた『済んだ』ことにするでしょう」
その一言で、父は黙った。黙っただけで、納得したわけではない。
それでも私は馬車に乗った。マリエも乗った。
叔母様は向かいに座り、ずっと窓の外を見ていた。
来た時より、帰りの方が道は暗かった。
街灯の間を抜けるたび、馬車の中に光が差し、すぐ消える。そのたび、叔母様の横顔が浮かんでは沈んだ。
「叔母様」
「何?」
「本当に、親族会議を」
「開きます」
返事は早かった。
「でも」
「でも、ではないわ」
叔母様は窓から目を離した。
「ローズ。貴女は今日、チェリーに怒っていると言ったのでしょう」
「……はい」
「私も怒っているの」
その声は静かだった。チェリーに言った時の自分の声も、こんなふうだったのだろうか。
「兄様達に。貴女達を見ようとしなかったことに。見ないまま、都合のいい言葉だけで並べてきたことに」
「お父様とお母様は、チェリーのことは見ていたと思います」
「いいえ」
首を横に振った。
「チェリーも見ていないわ。あの子を可愛がっていただけ。可愛がることと、見ることは違うの」
言われて、返事が出なかった。
可愛がることと、見ること。母はチェリーに何でも与えた。父はチェリーに甘かった。
けれど、チェリーが本当に何を欲しがっていたかは聞かなかった。
それは、たしかに。
「……そうですね」
「ええ」
叔母様は小さく息をついた。
「だから、証が要るの。皆の前で、兄様達がどれだけ娘を見ていなかったか分かるように」
「証」
「今日の事件は分かりやすいわ。人目がある。警邏もいる。レグホーン家も隠せない。けれど貴女達の十八年、二十年はそうではない」
馬車が少し大きく揺れる。マリエが、私の膝の上の外套を押さえる。
「リボン一つ、糸箱一つ、先生の時間一つ。それだけなら、どこの家にもありそうな話にされる。姉妹の間の小さな行き違いにされる。だから、重ねるの」
「叔母様……」
「貴女がしてきたように、終わったこととしておしまいにはしないわ」
私は膝の上の手を見る。指に巻いた布は、マリエが替えてくれた。今度はきれいな白い布だ。さっきより小さく巻かれている。
傷は本当に小さかった。それでも、まだ少し痛い。
「お嬢様」
マリエが口を開いた。
「私が知っていることなら、いくらでも話します」
「マリエ」
「私だけではありません。古くからいらっしゃる庭師も、衣装部屋の者も、知っていることはあります」
叔母様がマリエを見た。
「お願いするわ」
「はい」
マリエは迷わなかった。
「ただ、チェリーお嬢様を悪く言う者がいたら、それは違うと申し上げます」
「ええ。そこは私も間違えないつもりよ」
叔母様はうなずいた。
「悪いのは、あの子が欲しいと言ったことではない。それを都合よく聞いた大人達です」
その時、私は初めて少しだけ肩の力が抜けた。
チェリーのことを、誰かがそう言ってくれた。私ではなく。チェリーでもなく。
馬車はメイズ子爵邸の門をくぐった。
◇
翌朝、レグホーン伯爵家から正式な使いが来た。来たのは、オルセーユ様だった。
いや、正確には家令を伴っていた。だが玄関に立ったのはオルセーユ様で、家令はその一歩後ろに控えていた。
昨夜より服装は整っている。けれど顔色は良くない。眠っていないのだろう。
「朝早くに申し訳ありません」
応接間で、オルセーユ様はまず叔母様に頭を下げ、それから私にも同じように頭を下げた。
「父、レグホーン伯爵からの書状をお持ちしました。直接伺うべきところですが、現在、警察との対応に追われております」
家令が封書を差し出す。叔母様が受け取り、封を確かめた。
レグホーン家の封蝋。割れていない。
「読ませていただくわ」
叔母様はその場で封を切った。私も隣に座っていたが、文面までは見えない。ただ、叔母様の目が上から下へ動く速度で、そこまで長い文ではないのが分かった。
「……セルリアン殿を庇うつもりはない、と」
「はい」
オルセーユ様はすぐに答えた。
「兄はすでに警察に引き渡されています。父は、兄のしたことをレグホーン家の名で収めるつもりはありません」
「絶縁も考えて?」
「準備に入っています」
家令がほんの少し目を伏せる。おそらく、そこまで早く外へ出す話ではなかったのだろう。
けれどオルセーユ様は言った。
「兄は白昼、人前で、伯爵家の令嬢に刃を向けました。しかも婚約を壊した直後にです。家として庇えば、レグホーン家全体が同じものとして扱われます」
「ずいぶんはっきりおっしゃるのね」
叔母様が言うと、オルセーユ様は少しだけ口を引き結んだ。
「兄を守るために言葉をごまかす時期は、もう過ぎました」
その言い方に、家令がわずかに目を上げる。驚いたのかもしれない。あるいは、少しほっとしたのかもしれない。
「兄には、以前から問題がありました」
オルセーユ様は続けた。
「ただ、家の中では『困った三男』で済まされていました。外での評判も、我々は聞いていた。それでも、決定的なことがなければ、と先延ばしにしてきた。今回のことは、その結果でもあります」
私は、膝の上で手を重ねた。
困った三男。困った娘。大人しい姉。可愛い妹。
便利な言葉の中に入れてしまったものを、皆、その後あまり見なくなるのかもしれない。
「オルセーユ様」
「はい」
「あなたは、チェリーに会われますか」
彼は一瞬、私を見た。
「許されるなら」
「チェリーは、あなたに謝られると怒ると思います」
「……でしょうね」
少しだけ、彼の口元が動く。
「でも、見舞いには来てほしいと思います」
そこまではチェリーから聞いていない。けれど、たぶんそうだと思った。
オルセーユ様はまっすぐ背を正した。
「伺います。ただ、彼女の負担にならないように」
「妹は負担なら負担と言います」
「それも、そうでしょうね」
今度は、ほんの少しだけ笑う。昨夜より疲れているのに、その方が自然に見えた。
「ローズ嬢」
「はい」
「兄の件とは別に、私はチェリー嬢に伺いたいことがあります」
「何を」
「彼女がどこまで覚えているかを。兄の言い分と食い違うところが出るでしょうから」
兄の言い分。その言葉だけで、嫌な予感がした。
「セルリアン様は、何と?」
オルセーユ様は一度、家令の方を見る。家令は小さくうなずいた。
「兄は、チェリー嬢に弄ばれた、と言っています」
予想はしていた。それでも、膝の上の手に力が入る。
「ローズ嬢との婚約を壊すよう仕向けられた。愛していると信じさせられた。男としての名誉を踏みにじられた。だから、つい、だと」
「つい」
叔母様は冷たい声になる。
「刃物を持っていて、つい?」
「ええ」
オルセーユ様の目も笑っていなかった。
「兄は、自分で用意した刃物のことも、まだ説明できていません」
用意した。つまり、たまたま持っていたのではない。
私は、チェリーの白い顔を思い出す。掛布を握る指。痛むのに笑おうとした口元。
「オルセーユ様」
「はい」
「チェリーは、セルリアン様を弄んだのではありません」
「分かっています」
返事が早かった。
「ただ、証言として必要です。警察にも、レグホーン家にも。兄がチェリー嬢のせいにしようとするなら、こちらはそれを否定しなくてはならない」
「妹は、まだ怪我をしています」
「はい。ですから、医師の許可が出てからで構いません。今日は見舞いだけにします」
叔母様は封書を畳む。
「よろしい。私も同行しましょう」
「叔母様」
「行くわ。兄様達がまた余計なことを言わないとも限らないもの」
その言葉には、まったくもって否定できなかった。
父は最後まで渋った。母は、せめて夕食を、と言った。
けれど叔母様は聞かなかった。
「ローズを置いていけば、あなた達はまた『済んだ』ことにするでしょう」
その一言で、父は黙った。黙っただけで、納得したわけではない。
それでも私は馬車に乗った。マリエも乗った。
叔母様は向かいに座り、ずっと窓の外を見ていた。
来た時より、帰りの方が道は暗かった。
街灯の間を抜けるたび、馬車の中に光が差し、すぐ消える。そのたび、叔母様の横顔が浮かんでは沈んだ。
「叔母様」
「何?」
「本当に、親族会議を」
「開きます」
返事は早かった。
「でも」
「でも、ではないわ」
叔母様は窓から目を離した。
「ローズ。貴女は今日、チェリーに怒っていると言ったのでしょう」
「……はい」
「私も怒っているの」
その声は静かだった。チェリーに言った時の自分の声も、こんなふうだったのだろうか。
「兄様達に。貴女達を見ようとしなかったことに。見ないまま、都合のいい言葉だけで並べてきたことに」
「お父様とお母様は、チェリーのことは見ていたと思います」
「いいえ」
首を横に振った。
「チェリーも見ていないわ。あの子を可愛がっていただけ。可愛がることと、見ることは違うの」
言われて、返事が出なかった。
可愛がることと、見ること。母はチェリーに何でも与えた。父はチェリーに甘かった。
けれど、チェリーが本当に何を欲しがっていたかは聞かなかった。
それは、たしかに。
「……そうですね」
「ええ」
叔母様は小さく息をついた。
「だから、証が要るの。皆の前で、兄様達がどれだけ娘を見ていなかったか分かるように」
「証」
「今日の事件は分かりやすいわ。人目がある。警邏もいる。レグホーン家も隠せない。けれど貴女達の十八年、二十年はそうではない」
馬車が少し大きく揺れる。マリエが、私の膝の上の外套を押さえる。
「リボン一つ、糸箱一つ、先生の時間一つ。それだけなら、どこの家にもありそうな話にされる。姉妹の間の小さな行き違いにされる。だから、重ねるの」
「叔母様……」
「貴女がしてきたように、終わったこととしておしまいにはしないわ」
私は膝の上の手を見る。指に巻いた布は、マリエが替えてくれた。今度はきれいな白い布だ。さっきより小さく巻かれている。
傷は本当に小さかった。それでも、まだ少し痛い。
「お嬢様」
マリエが口を開いた。
「私が知っていることなら、いくらでも話します」
「マリエ」
「私だけではありません。古くからいらっしゃる庭師も、衣装部屋の者も、知っていることはあります」
叔母様がマリエを見た。
「お願いするわ」
「はい」
マリエは迷わなかった。
「ただ、チェリーお嬢様を悪く言う者がいたら、それは違うと申し上げます」
「ええ。そこは私も間違えないつもりよ」
叔母様はうなずいた。
「悪いのは、あの子が欲しいと言ったことではない。それを都合よく聞いた大人達です」
その時、私は初めて少しだけ肩の力が抜けた。
チェリーのことを、誰かがそう言ってくれた。私ではなく。チェリーでもなく。
馬車はメイズ子爵邸の門をくぐった。
◇
翌朝、レグホーン伯爵家から正式な使いが来た。来たのは、オルセーユ様だった。
いや、正確には家令を伴っていた。だが玄関に立ったのはオルセーユ様で、家令はその一歩後ろに控えていた。
昨夜より服装は整っている。けれど顔色は良くない。眠っていないのだろう。
「朝早くに申し訳ありません」
応接間で、オルセーユ様はまず叔母様に頭を下げ、それから私にも同じように頭を下げた。
「父、レグホーン伯爵からの書状をお持ちしました。直接伺うべきところですが、現在、警察との対応に追われております」
家令が封書を差し出す。叔母様が受け取り、封を確かめた。
レグホーン家の封蝋。割れていない。
「読ませていただくわ」
叔母様はその場で封を切った。私も隣に座っていたが、文面までは見えない。ただ、叔母様の目が上から下へ動く速度で、そこまで長い文ではないのが分かった。
「……セルリアン殿を庇うつもりはない、と」
「はい」
オルセーユ様はすぐに答えた。
「兄はすでに警察に引き渡されています。父は、兄のしたことをレグホーン家の名で収めるつもりはありません」
「絶縁も考えて?」
「準備に入っています」
家令がほんの少し目を伏せる。おそらく、そこまで早く外へ出す話ではなかったのだろう。
けれどオルセーユ様は言った。
「兄は白昼、人前で、伯爵家の令嬢に刃を向けました。しかも婚約を壊した直後にです。家として庇えば、レグホーン家全体が同じものとして扱われます」
「ずいぶんはっきりおっしゃるのね」
叔母様が言うと、オルセーユ様は少しだけ口を引き結んだ。
「兄を守るために言葉をごまかす時期は、もう過ぎました」
その言い方に、家令がわずかに目を上げる。驚いたのかもしれない。あるいは、少しほっとしたのかもしれない。
「兄には、以前から問題がありました」
オルセーユ様は続けた。
「ただ、家の中では『困った三男』で済まされていました。外での評判も、我々は聞いていた。それでも、決定的なことがなければ、と先延ばしにしてきた。今回のことは、その結果でもあります」
私は、膝の上で手を重ねた。
困った三男。困った娘。大人しい姉。可愛い妹。
便利な言葉の中に入れてしまったものを、皆、その後あまり見なくなるのかもしれない。
「オルセーユ様」
「はい」
「あなたは、チェリーに会われますか」
彼は一瞬、私を見た。
「許されるなら」
「チェリーは、あなたに謝られると怒ると思います」
「……でしょうね」
少しだけ、彼の口元が動く。
「でも、見舞いには来てほしいと思います」
そこまではチェリーから聞いていない。けれど、たぶんそうだと思った。
オルセーユ様はまっすぐ背を正した。
「伺います。ただ、彼女の負担にならないように」
「妹は負担なら負担と言います」
「それも、そうでしょうね」
今度は、ほんの少しだけ笑う。昨夜より疲れているのに、その方が自然に見えた。
「ローズ嬢」
「はい」
「兄の件とは別に、私はチェリー嬢に伺いたいことがあります」
「何を」
「彼女がどこまで覚えているかを。兄の言い分と食い違うところが出るでしょうから」
兄の言い分。その言葉だけで、嫌な予感がした。
「セルリアン様は、何と?」
オルセーユ様は一度、家令の方を見る。家令は小さくうなずいた。
「兄は、チェリー嬢に弄ばれた、と言っています」
予想はしていた。それでも、膝の上の手に力が入る。
「ローズ嬢との婚約を壊すよう仕向けられた。愛していると信じさせられた。男としての名誉を踏みにじられた。だから、つい、だと」
「つい」
叔母様は冷たい声になる。
「刃物を持っていて、つい?」
「ええ」
オルセーユ様の目も笑っていなかった。
「兄は、自分で用意した刃物のことも、まだ説明できていません」
用意した。つまり、たまたま持っていたのではない。
私は、チェリーの白い顔を思い出す。掛布を握る指。痛むのに笑おうとした口元。
「オルセーユ様」
「はい」
「チェリーは、セルリアン様を弄んだのではありません」
「分かっています」
返事が早かった。
「ただ、証言として必要です。警察にも、レグホーン家にも。兄がチェリー嬢のせいにしようとするなら、こちらはそれを否定しなくてはならない」
「妹は、まだ怪我をしています」
「はい。ですから、医師の許可が出てからで構いません。今日は見舞いだけにします」
叔母様は封書を畳む。
「よろしい。私も同行しましょう」
「叔母様」
「行くわ。兄様達がまた余計なことを言わないとも限らないもの」
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この世界は貴族制度が廃止されたばかりです。力のある平民が台頭してきています。 ほかのサイトにも投稿しています。