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16 薬草湯
結局、私も叔母様の後について行った。止められたが。
マリエにも、ここにいた方がいいと言われた。けれど、チェリーの部屋へ母が何かを持ち込もうとしていると聞いたら座っていられない。
廊下の途中で、母の声が聞こえた。
「でも、昔から傷には良いと言われているのよ。薬草を煎じたものだもの、身体に悪いはずがないでしょう」
扉は半分開いていた。部屋の中で、医師が困ったように立っている。
母の手には、銀の蓋付きの小さな器があった。そこから濃い草のにおいが漂っている。チェリーは寝台の上で、明らかに嫌そうに顔を背けていた。
「いらないわ」
「チェリー、わがままを言わないの」
「医師が駄目だって言ったでしょう」
「お医者様は慎重におっしゃるものなのよ。こちらは伯爵夫人のお茶会でも評判で」
「……お母様」
チェリーの声に、少し苛立ちが混じった。だが力がない。母はそれを弱気になっていると受け取ったらしい。
「大丈夫よ。お母様がついているから」
そこで叔母様が入った。
「お義姉様」
母が振り向く。
「メイズさん。ちょうどよかったわ。あなたからもチェリーに」
「その器をこちらへ」
「え?」
「こちらへ」
叔母様は手を出す。母は少し戸惑いながらも、器を渡すことはしない。
「何を、これはチェリーのために」
「医師が止めているものを、腹を刺されたばかりの娘に飲ませることが?」
「そんな言い方……」
「ほかに何と言えばいいの」
母の顔が赤くなる。
「私はこの子を心配しているのよ?」
「なら医師の言うことを聞いてください」
「でも、ただ寝かせているだけでは」
「傷は、安静にしなければ治りません」
医師が小さく言う。年配の男性だった。少し丸い背をしているが、目ははっきりしている。
「奥様。先ほども申し上げましたが、今は余計なものを口に入れさせないでください。水と、こちらで許可したものだけです。今は下手なものを口にすれば吐くことになるでしょう」
「けれど」
「そして吐けば傷に響きます。吐くには体力が必要です。熱が出るかもしれませなん。すると危険です。ですから、何が入っているか分からない煎じ薬は、今は困ります」
はっきり言われて、母はようやく器を見た。
「……何が入っているかは、あの方から聞いているわ。傷に良い薬草と」
「名は?」
叔母様が聞く。
「え、ええと……」
母は詰まった。
「聞いていないのね」
「でも、伯爵夫人が……」
「どちらの伯爵夫人?」
母は答えなかった。いや、答えられなかったのだと思う。
私は扉のところで、それを見ていた。
母は本気で、チェリーのためだと思っている。それが一番、厄介だった。
チェリーは私に気付いた。少しだけ目を大きくして、それから口を動かした。
――来たの。
声にはしない。私は小さくうなずいた。
「お義姉様!」
叔母様はもう一度手を出した。
「その器を! 中身は捨てます!」
「え、捨てるなんて……」
「飲ませないなら、ここに置く必要はないわ」
母はしばらく握っていた。だが最後には、器を渡す。叔母様は中身を見ることもせず、部屋の外に控えていた使用人に渡した。
「庭の端に捨てて。器は洗って返しなさい。台所には持ち込まないように」
「はい」
使用人はすぐに下がった。母はその背を見送り、唇を噛んだ。
「……皆して、私を悪者扱いするの?」
「悪者かどうかは、今はどうでもいいの」
叔母様は言った。
「今必要なのは、チェリーを悪くしないことです」
「私は!」
「お母様」
チェリーが呼ぶ。母はすぐに寝台へ向き直る。
「何、チェリー。喉が渇いた? 水なら」
「帰って」
母の動きが止まった。
「え?」
「今は、帰って」
「チェリー」
「お医者様の言うことを聞いて。お願いだから」
まるで傷ついたように母は顔を歪める。だがチェリーは目をそらさなかった。
顔は白いし、声も弱い。それでもじっと母を見ていた。
「……分かったわ」
ようやくうなずく。
「また後で来るわね」
「医師がいいと言ったらにして」
チェリーはびしゃりと付け足した。母はまだ何か言いたげだったが、叔母様が横にいるので引き下がった。
部屋を出て行く母の背を、私は黙って見送る。扉が閉まる。チェリーが、はあ、と小さく息を吐いた。
「……疲れた」
「でしょうね」
叔母様が医師に目を向ける。
「先生、今の件は記録に残りますか」
「医師として、止めたものを飲ませようとされたことは書けます」
「お願いします!」
医師はうなずいた。チェリーが寝台の上で眉を寄せる。
「叔母様、何を」
「親族会議の準備よ」
「……本当にやるのですか」
「やります」
「お父様とお母様を?」
「ええ」
チェリーは少し黙った。それから、私を見る。
「お姉様は」
「私は」
そこで言葉が止まる。
止めたい、と言うのは簡単だった。
家のことを大きくしないでほしい。父母にも悪いところばかりではない。私達も、もっと早く言えばよかった。
いくらでも、いつもの言葉は出せた。
でも、チェリーの白い顔の横に、さっきの器の草のにおいがまだ残っている気がした。
医師が止めたものを、母は飲ませようとした。善意を全身からにじませたまま。
「私は…… その場で聞いてみたいです」
そう答えた。
「親族会議で、何を言われるのか。叔母様が何を集めるのか。そうしたら、私は、全てを聞きます。必要なら、話します」
チェリーは私を見る。少し驚いたようだった。
「止めないの」
「止めないわ」
「本当に?」
「本当に」
チェリーは掛布の端をつまんだ。昨日より少しだけ、指に力がある。
「……じゃあ私も、話す」
「無理はしないで」
「無理はしない。痛いし」
その返事に、叔母様が小さくうなずいた。
「よろしい」
私は窓辺の黄色い花を見る。昨日より少し水を吸って、花弁が開いている。
刺すなら、やはり薄い黄と橙。けれど中心には、ほんの少し茶を入れた方がいい。
チェリーがこちらを見ている気がしたので、今度は言われる前に言った。
「糸のことを考えていたわ」
「やっぱり」
チェリーは少しだけ笑った。痛そうではあったけれど、今度は止めなかった。
マリエにも、ここにいた方がいいと言われた。けれど、チェリーの部屋へ母が何かを持ち込もうとしていると聞いたら座っていられない。
廊下の途中で、母の声が聞こえた。
「でも、昔から傷には良いと言われているのよ。薬草を煎じたものだもの、身体に悪いはずがないでしょう」
扉は半分開いていた。部屋の中で、医師が困ったように立っている。
母の手には、銀の蓋付きの小さな器があった。そこから濃い草のにおいが漂っている。チェリーは寝台の上で、明らかに嫌そうに顔を背けていた。
「いらないわ」
「チェリー、わがままを言わないの」
「医師が駄目だって言ったでしょう」
「お医者様は慎重におっしゃるものなのよ。こちらは伯爵夫人のお茶会でも評判で」
「……お母様」
チェリーの声に、少し苛立ちが混じった。だが力がない。母はそれを弱気になっていると受け取ったらしい。
「大丈夫よ。お母様がついているから」
そこで叔母様が入った。
「お義姉様」
母が振り向く。
「メイズさん。ちょうどよかったわ。あなたからもチェリーに」
「その器をこちらへ」
「え?」
「こちらへ」
叔母様は手を出す。母は少し戸惑いながらも、器を渡すことはしない。
「何を、これはチェリーのために」
「医師が止めているものを、腹を刺されたばかりの娘に飲ませることが?」
「そんな言い方……」
「ほかに何と言えばいいの」
母の顔が赤くなる。
「私はこの子を心配しているのよ?」
「なら医師の言うことを聞いてください」
「でも、ただ寝かせているだけでは」
「傷は、安静にしなければ治りません」
医師が小さく言う。年配の男性だった。少し丸い背をしているが、目ははっきりしている。
「奥様。先ほども申し上げましたが、今は余計なものを口に入れさせないでください。水と、こちらで許可したものだけです。今は下手なものを口にすれば吐くことになるでしょう」
「けれど」
「そして吐けば傷に響きます。吐くには体力が必要です。熱が出るかもしれませなん。すると危険です。ですから、何が入っているか分からない煎じ薬は、今は困ります」
はっきり言われて、母はようやく器を見た。
「……何が入っているかは、あの方から聞いているわ。傷に良い薬草と」
「名は?」
叔母様が聞く。
「え、ええと……」
母は詰まった。
「聞いていないのね」
「でも、伯爵夫人が……」
「どちらの伯爵夫人?」
母は答えなかった。いや、答えられなかったのだと思う。
私は扉のところで、それを見ていた。
母は本気で、チェリーのためだと思っている。それが一番、厄介だった。
チェリーは私に気付いた。少しだけ目を大きくして、それから口を動かした。
――来たの。
声にはしない。私は小さくうなずいた。
「お義姉様!」
叔母様はもう一度手を出した。
「その器を! 中身は捨てます!」
「え、捨てるなんて……」
「飲ませないなら、ここに置く必要はないわ」
母はしばらく握っていた。だが最後には、器を渡す。叔母様は中身を見ることもせず、部屋の外に控えていた使用人に渡した。
「庭の端に捨てて。器は洗って返しなさい。台所には持ち込まないように」
「はい」
使用人はすぐに下がった。母はその背を見送り、唇を噛んだ。
「……皆して、私を悪者扱いするの?」
「悪者かどうかは、今はどうでもいいの」
叔母様は言った。
「今必要なのは、チェリーを悪くしないことです」
「私は!」
「お母様」
チェリーが呼ぶ。母はすぐに寝台へ向き直る。
「何、チェリー。喉が渇いた? 水なら」
「帰って」
母の動きが止まった。
「え?」
「今は、帰って」
「チェリー」
「お医者様の言うことを聞いて。お願いだから」
まるで傷ついたように母は顔を歪める。だがチェリーは目をそらさなかった。
顔は白いし、声も弱い。それでもじっと母を見ていた。
「……分かったわ」
ようやくうなずく。
「また後で来るわね」
「医師がいいと言ったらにして」
チェリーはびしゃりと付け足した。母はまだ何か言いたげだったが、叔母様が横にいるので引き下がった。
部屋を出て行く母の背を、私は黙って見送る。扉が閉まる。チェリーが、はあ、と小さく息を吐いた。
「……疲れた」
「でしょうね」
叔母様が医師に目を向ける。
「先生、今の件は記録に残りますか」
「医師として、止めたものを飲ませようとされたことは書けます」
「お願いします!」
医師はうなずいた。チェリーが寝台の上で眉を寄せる。
「叔母様、何を」
「親族会議の準備よ」
「……本当にやるのですか」
「やります」
「お父様とお母様を?」
「ええ」
チェリーは少し黙った。それから、私を見る。
「お姉様は」
「私は」
そこで言葉が止まる。
止めたい、と言うのは簡単だった。
家のことを大きくしないでほしい。父母にも悪いところばかりではない。私達も、もっと早く言えばよかった。
いくらでも、いつもの言葉は出せた。
でも、チェリーの白い顔の横に、さっきの器の草のにおいがまだ残っている気がした。
医師が止めたものを、母は飲ませようとした。善意を全身からにじませたまま。
「私は…… その場で聞いてみたいです」
そう答えた。
「親族会議で、何を言われるのか。叔母様が何を集めるのか。そうしたら、私は、全てを聞きます。必要なら、話します」
チェリーは私を見る。少し驚いたようだった。
「止めないの」
「止めないわ」
「本当に?」
「本当に」
チェリーは掛布の端をつまんだ。昨日より少しだけ、指に力がある。
「……じゃあ私も、話す」
「無理はしないで」
「無理はしない。痛いし」
その返事に、叔母様が小さくうなずいた。
「よろしい」
私は窓辺の黄色い花を見る。昨日より少し水を吸って、花弁が開いている。
刺すなら、やはり薄い黄と橙。けれど中心には、ほんの少し茶を入れた方がいい。
チェリーがこちらを見ている気がしたので、今度は言われる前に言った。
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