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70 戻らない返事
面会は、長くはならなかった。医師が途中で一度、チェリーの顔色を見て、そろそろと叔母様へ合図したからだ。
叔母様はすぐに父へ告げた。
「今日はここまでにしましょう」
父は何か言いかけたが、チェリーを見てやめた。
「分かった」
立ち上がる。
私は少し迷い、同じように立った。チェリーは長椅子の上で、軽く頭を下げるだけにした。
父は部屋を出る前に、私達へ向き直った。
「ローズ。チェリー」
「はい」
「私は、まだ何を見ればいいのか、うまく分かっていない」
正直な言葉だった。ただ、それだけでは足りない。
でも、嘘ではなさそうだった。
「だから、侯爵の監督には従う」
父は言った。
「書類も出す。使用人達の話も聞く。お前達を戻せとは、しばらく言わない」
しばらく。
そこに、少し父らしさが残っている。
ずっと、とは言わない。完全には手放さない。
でも今は、それでいいのかもしれない。
「しばらくではなく」
チェリーが言った。父が見る。
「私達が戻ると言うまで、です」
父の眉が動いた。反論が出るかと思った。しかし、父は少しだけ息を吐いた。
「……分かった」
言った。
チェリーは、驚いたように目を瞬いた。自分で言ったくせに、通るとは思っていなかったのだろう。
私もそうだった。父は叔母様へ頭を下げた。
「メイズ、世話をかける」
「ええ」
叔母様はそれだけ返した。兄妹なのに、少し冷たいようにも見える。
けれど、余計な慰めを入れない方が、今はいい。
父が出ていった。廊下に足音が遠ざかる。
玄関の扉が閉まるまでは、誰も何も言わなかった。
やがて、チェリーがぽつりと言った。
「お父様、少しましだった」
「そうね」
「少しだけ」
「ええ」
「でも、油断しない」
「ええ」
「お姉様、今のはノートに書くべき?」
「何を?」
「少しましでも、油断しない」
私は少し笑いそうになった。
「いいと思うわ」
「じゃあ書く。熱がない日に」
「今日は?」
「今日は疲れた」
「でしょうね」
チェリーは素直に目を閉じた。
「でも、聞けた」
「ええ」
「戻したいのか、戻りたいだけなのか」
「まだ答えは曖昧だったわ」
「うん。でも、曖昧だって分かった」
それは大事なのだろう。答えがないことも、答えの一つになる。
医師がチェリーを休ませるため、部屋の支度を始めた。
私は出ようとしたが、チェリーが目を閉じたまま言った。
「お姉様」
「何?」
「月桂樹、二枚目は?」
「まだ刺していないわ」
「刺して」
「はい」
「今日は濃い緑」
「指定まで?」
「お父様の日だから」
その意味は少し分かった。
薄明の白ではない。今日は少し重い緑。
「分かったわ」
「でも、暗くしすぎないで」
「難しい注文ね」
「お姉様ならできるでしょう」
雑な信頼がまた来た。
「やってみるわ」
「うん」
チェリーは、今度こそ眠りに落ちそうだった。
◇
部屋を出ると、廊下で、叔母様が待っていた。
「よく話したわね」
「父が?」
「貴女達が」
「私は少ししか」
「少しでいいのよ。今は」
叔母様は、玄関の方を見た。
「兄様も、少しだけましでした」
「チェリーと同じことを」
「あの子も?」
「はい」
叔母様は小さく笑った。
「では、今日はそれで十分ね」
十分。たぶん、本当にそうなのだろう。
◇
部屋へ戻ると、机の上に月桂樹の布があった。
一枚目の葉は、薄明の白を含んでいる。今日は二枚目。
濃い緑。でも、暗くしすぎない。父の日の葉。
そう思うと少し嫌だったが、逃げずに刺すことにした。
濃い緑を取り、青みを少し混ぜる。葉の根元には灰を入れる。先端には、ほんの少しだけ明るい緑を残す。
暗い。でも、全部は暗くしない。
二枚目の葉は、一枚目の隣に少し離して置いた。
並びすぎない。重ねすぎない。
戻らない返事のように。
叔母様はすぐに父へ告げた。
「今日はここまでにしましょう」
父は何か言いかけたが、チェリーを見てやめた。
「分かった」
立ち上がる。
私は少し迷い、同じように立った。チェリーは長椅子の上で、軽く頭を下げるだけにした。
父は部屋を出る前に、私達へ向き直った。
「ローズ。チェリー」
「はい」
「私は、まだ何を見ればいいのか、うまく分かっていない」
正直な言葉だった。ただ、それだけでは足りない。
でも、嘘ではなさそうだった。
「だから、侯爵の監督には従う」
父は言った。
「書類も出す。使用人達の話も聞く。お前達を戻せとは、しばらく言わない」
しばらく。
そこに、少し父らしさが残っている。
ずっと、とは言わない。完全には手放さない。
でも今は、それでいいのかもしれない。
「しばらくではなく」
チェリーが言った。父が見る。
「私達が戻ると言うまで、です」
父の眉が動いた。反論が出るかと思った。しかし、父は少しだけ息を吐いた。
「……分かった」
言った。
チェリーは、驚いたように目を瞬いた。自分で言ったくせに、通るとは思っていなかったのだろう。
私もそうだった。父は叔母様へ頭を下げた。
「メイズ、世話をかける」
「ええ」
叔母様はそれだけ返した。兄妹なのに、少し冷たいようにも見える。
けれど、余計な慰めを入れない方が、今はいい。
父が出ていった。廊下に足音が遠ざかる。
玄関の扉が閉まるまでは、誰も何も言わなかった。
やがて、チェリーがぽつりと言った。
「お父様、少しましだった」
「そうね」
「少しだけ」
「ええ」
「でも、油断しない」
「ええ」
「お姉様、今のはノートに書くべき?」
「何を?」
「少しましでも、油断しない」
私は少し笑いそうになった。
「いいと思うわ」
「じゃあ書く。熱がない日に」
「今日は?」
「今日は疲れた」
「でしょうね」
チェリーは素直に目を閉じた。
「でも、聞けた」
「ええ」
「戻したいのか、戻りたいだけなのか」
「まだ答えは曖昧だったわ」
「うん。でも、曖昧だって分かった」
それは大事なのだろう。答えがないことも、答えの一つになる。
医師がチェリーを休ませるため、部屋の支度を始めた。
私は出ようとしたが、チェリーが目を閉じたまま言った。
「お姉様」
「何?」
「月桂樹、二枚目は?」
「まだ刺していないわ」
「刺して」
「はい」
「今日は濃い緑」
「指定まで?」
「お父様の日だから」
その意味は少し分かった。
薄明の白ではない。今日は少し重い緑。
「分かったわ」
「でも、暗くしすぎないで」
「難しい注文ね」
「お姉様ならできるでしょう」
雑な信頼がまた来た。
「やってみるわ」
「うん」
チェリーは、今度こそ眠りに落ちそうだった。
◇
部屋を出ると、廊下で、叔母様が待っていた。
「よく話したわね」
「父が?」
「貴女達が」
「私は少ししか」
「少しでいいのよ。今は」
叔母様は、玄関の方を見た。
「兄様も、少しだけましでした」
「チェリーと同じことを」
「あの子も?」
「はい」
叔母様は小さく笑った。
「では、今日はそれで十分ね」
十分。たぶん、本当にそうなのだろう。
◇
部屋へ戻ると、机の上に月桂樹の布があった。
一枚目の葉は、薄明の白を含んでいる。今日は二枚目。
濃い緑。でも、暗くしすぎない。父の日の葉。
そう思うと少し嫌だったが、逃げずに刺すことにした。
濃い緑を取り、青みを少し混ぜる。葉の根元には灰を入れる。先端には、ほんの少しだけ明るい緑を残す。
暗い。でも、全部は暗くしない。
二枚目の葉は、一枚目の隣に少し離して置いた。
並びすぎない。重ねすぎない。
戻らない返事のように。
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