「冷酷で理屈っぽい」と捨てられましたが、この国を影から支えていたの、実は私なんです

水上

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第4話:与えられた潤い

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 北部の冬は、乾燥との戦いでもある。
 特に、この屋敷で働くメイドたちの手荒れは深刻だった。

「あ……、申し訳ありません、ヴィオラ様。手が滑ってしまって」

 朝の身支度の最中、若いメイドのリナが私の髪を梳かしながら、クシを取り落とした。

 彼女が慌てて拾い上げる手元を見ると、指先は赤くひび割れ、痛々しいささくれがいくつもできている。

「手を見せてください」

「えっ? い、いえ、汚いものですから……!」

 私が手首を掴んで引き寄せると、彼女の肌はまるでやすりのようにザラついていた。

 これでは摩擦係数が増大し、作業効率が落ちるのも無理はない。
 いや、それ以前に――。

「……これでは痛むでしょう。皮膚のバリア機能が物理的に崩壊しています」

「は、はい。水仕事が多いので、どうしても……」

 私は眉をひそめた。

「……午後、厨房の一角を借ります。アレクセイ様に許可をもらっておいて」

「は、はい?」

 数時間後、私は厨房でビーカーと撹拌棒を手に、格闘していた。
 目の前には、精製した羊毛脂、ハーブ水、卵黄レシチン。

「よし……、ここでの撹拌速度が重要ね」

 私は手首のスナップを効かせ、一定のリズムで液体を混ぜ合わせる。

 目指すのは、瓶に入っている時は固形で、肌に乗せて力を加えると粘度が下がって広がるチキソトロピー性を持ったクリームだ。

「ヴィオラ、何をしている? 実験か?」

 背後から低い声がかかった。
 振り返ると、アレクセイ様が腕組みをして立っていた。

「領民の皮膚組織を守るための、保湿クリームを製造しています」

「クリーム?」

「はい。油分と水分を微細化して乳化させました。試してみますか?」

 私は完成したばかりの白いクリームを指先にすくい、アレクセイ様の大きな手の甲に塗った。

 ごつごつとした岩のような手。
 しかし、クリームは体温と摩擦でスッと溶け、驚くほど滑らかに馴染んでいく。

「……ほう。ベタつかないな」

「ええ。粒子の分散径を最適化しましたから。これで水分の蒸発を防ぎ、外部刺激から肌を保護できます」

「これはいいな。皮膚が突っ張らない」

「気に入っていただけたなら、量産体制を整えます。まずは屋敷の使用人たちに配りましょう」

 その後、メイドのリナたちにクリームを渡すと、彼女たちは喜んだ。

「痛くないです! こんなに手がすべすべになるなんて!」という歓声を聞きながら、私は「物理的に表面の粗さが減少しただけです」と照れ隠しに眼鏡を上げた。

 肌の問題が片付くと、次は食の問題だ。
 私はアレクセイ様に連れられ、領内の牧場を訪れていた。

「ここで作っているチーズなんだが……、どうも売り物にならなくてな」

 牧場長が差し出したチーズは、ボソボソとしていたり、ゴムのように硬かったりと、品質がバラバラだった。

「同じ牛乳で作っているのに、日によって出来が違うんだ」

 私はチーズの断面を観察し、製造工程の記録を見せてもらった。
 原因はすぐに判明した。

「カゼインミセルの凝集制御がなっていませんね」

「かぜいん……?」

「牛乳が固まる際、酵素を加える温度と、その後のpH変化の管理が適当すぎます。温度が一度違うだけで、タンパク質の構造は劇的に変わるのです」

 私は懐中時計を取り出し、秒単位での指示を出した。

「加熱温度は三五度で固定。凝固までの時間は四五分。切断するサイズは一辺一センチの立方体に統一してください。そうすれば、ホエイの排出が均一化され、滑らかな組織になります」

 私の細かい指示に、最初は牧場長も戸惑っていたが、出来上がったチーズを見て目を見開いた。

 それは均質で、しっとりとした弾力を持つ、極上のチーズだった。

 その夜。
 夕食のテーブルには、昼間に完成させたチーズをたっぷりと使ったキッシュが並んでいた。

 焼きたての香ばしい匂い。
 アレクセイ様がナイフを入れると、チーズがとろりと糸を引く。

「……美味い」

 一口食べたアレクセイ様が、満足げに頷いた。

 私も口に運ぶ。
 サクサクの生地と、濃厚でクリーミーなチーズのゲル構造が、口の中で完璧なハーモニーを奏でている。

「お前の理論のおかげだ。このチーズなら王都でも……、いや、他国にも売れるぞ」

「私はただ、製造プロセスの変数を管理しただけです。……素材が良かったからですよ」

 私が淡々と答えると、アレクセイ様はナイフを置き、真剣な眼差しを私に向けた。

「ヴィオラ。お前はいつもそうやって、自分の功績を計算や理屈の一言で片づけるな」

「事実ですから。私は可愛げのない、ただの理屈っぽい女です」

 元婚約者に言われた言葉が、まだ呪いのように心に張り付いている。
 しかし、アレクセイ様は首を横に振った。

「ああ、そうだな。お前は理屈っぽい」

「……肯定されると、それはそれで傷つきますが」

「だが、お前は俺にない視点を持っている」

 彼はテーブル越しに身を乗り出し、私の目を覗き込んだ。

「俺が食材を見る時、お前は構造を見ている。俺が泥を見る時、お前は流体を見ている。……その視点が、この痩せた土地には必要なんだ」

 その声は、熱を帯びていた。

「このチーズも、あのクリームも、お前がいなければ存在しなかった。……この領地には、お前という存在が不可欠なんだ」

 不可欠。
 その言葉は、私の胸の奥に深く突き刺さった。

 アレクセイ様は不敵に笑い、私のお皿に二切れ目のキッシュを乗せた。

 私は頬が熱くなるのを感じながら、キッシュを口に運んだ。
 濃厚なチーズの味が、先ほどよりもさらに美味しく感じられた。

 王都での理不尽な扱いでボロボロだった自尊心が、少しずつ潤いを取り戻していくのを、私ははっきりと感じていた。
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