婚約破棄ですか? 損切りの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます

水上

文字の大きさ
25 / 39

第25話:徳政令という名の自爆スイッチ

しおりを挟む
 追い詰められた人間は往々にして、盤面をひっくり返すという反則技に手を染めようとします。
 ヘリオス殿下にとって、その切り札が徳政令でした。

     *

(※ヘリオス視点)

「……ふふ、ふはははは!」

 深夜の執務室。
 僕は一人、引き出しの奥から取り出した古い羊皮紙を眺めて笑っていた。
 それは、建国時に定められた王家の特権事項を記したもの。

 その中に、燦然と輝く一条項がある。

 『国家非常時において、王は国内の全ての金銭債務を帳消しにする権限を持つ』。

 いわゆる、徳政令だ。

「これだ……、これを使えば、全て解決する!」

 僕は立ち上がり、ワインを一気に煽った。
 今、僕――いや、王家は、あの怪しい闇の銀行家に、王都の土地権利を担保に一億枚もの借金をしている。
 さらに、先物取引の未払い金、リリィの宝石代、ポンジ・スキームの配当金……、借金の総額は計算するのも嫌になるほどだ。

 だが、この徳政令を発動すれば?
 全ての借金はゼロになる。
 になるのだ。

「闇の銀行家よ、残念だったな! 僕が明日、徳政令にサインした瞬間、貴様の持っている1億の借用書はただの紙屑だ! 担保に入れた王都の土地も、無傷で僕の手元に戻ってくる!」

 借りるだけ借りて、返す段になったら借金帳消しを叫ぶ。
 これぞ王族だけが許された最強の錬金術だ。

「リリィも喜ぶぞ。借金がなくなれば、また新しいドレスが買えるからな」

 僕は上機嫌でペンを手に取った。
 発令は明日の正午。
 それまでは、あの銀行家には黙っておこう。
 
 ぬか喜びさせておいて、絶望の淵に突き落としてやるのだ……。

     *

「……やはり、来ましたね」

 ノルト領の執務室。
 王城に潜ませたスパイ(王都の文官で、給料未払いに腹を立ててこちらに寝返った者)からの緊急連絡を受け、私は静かに頷きました。

「明日正午、ヘリオス殿下が徳政令を発布する予定です」

 報告を聞いたルーカス閣下が、呆れたように肩をすくめました。

「愚かだな。徳政令は劇薬だ。一度でも使えば、その国の通貨と信用は死ぬ。誰も二度と金を貸さなくなるし、経済活動は物々交換の時代まで退行するぞ」

「彼に信用経済の概念などありませんわ。あるのは借金を返したくないという駄々っ子のような欲望だけ」

 私は手元の書類を整理しました。
 そこには、私の代理人である闇の銀行家との通信記録があります。

「ですが、これは好機です。彼が徳政令というスイッチに手をかけた瞬間、そのエネルギーを逆流させて差し上げましょう」

「どうするつもりだ? 徳政令が出れば、君の貸し付けた1億もチャラになるぞ」

「ええ、借金のままなら、ね」

 私は眼鏡の奥で目を細めました。

 経済学には債務の株式化や現物弁済という手法があります。
 借金という形でお金を持っていると、徳政令で消されてしまう。
 ならば、徳政令が発動する前に、その借金をに変えてしまえばいいのです。

「マリー、至急、王都の代理人に連絡を。ヘリオス殿下に最後の取引を持ちかけなさい。徳政令が出ることにをして、慌てて交渉に向かわせるのです」

     *

(※ヘリオス視点)

 翌朝。
 徳政令の発布まであと三時間というところで、あの闇の銀行家が血相を変えてやってきた。

「で、殿下! お耳に入れましたぞ! 徳政令を出されるおつもりとか!」

 男は汗だくで、顔面蒼白だ。
 ふん、いい気味だ。
 昨日の余裕はどうした?

「おや、耳が早いな。いかにも、国の経済をリセットするために、苦渋の決断をしようと思っている」

「そ、そんな! それでは私が貸した一億はどうなるのです! あれが消えては、私も破産です!」

 男は床に額をこすりつけて懇願してきた。

「お願いです、殿下! せめて、私の貸付金だけでも回収させてください! ただ、現金がないのは重々承知しております……」

「当たり前だ。ない袖は振れんよ」

 僕は優越感に浸りながら冷たく言い放つ。

「そこで、ご提案です! 借金の返済の代わりに、現物での清算をお願いできないでしょうか!」

 男は一枚の新しい契約書を差し出した。
 タイトルは、代物弁済契約書。

「殿下が担保に入れている王都の土地権利。これを、借金一億の返済として、正式に私へ売却したことにしていただきたいのです!」

「売却?」

「はい! 今のままだと借金ですから、徳政令で消えてしまいます。ですが、一億で土地を売ったという形に書き換えれば、それは商取引完了とみなされ、徳政令の影響を受けずに済みます!」

 男は必死にまくし立てた。

「もちろん、形式上の話です! ほとぼりが冷めたら、また殿下が買い戻せる特約も付けます! どうか、どうかこの契約書にサインを! 私を助けてください!」

 僕は心の中で嘲笑った。
 なるほど。
 必死だな。
 借金がチャラになるのを防ぐために、土地を売ったことにしたいわけか。

 ……だが、待てよ?
 徳政令というのは、全ての契約を白紙にする力があるはずだ。
 たとえ売却契約に書き換えたところで、僕が後から、あの契約も無効だと言ってしまえば、土地は取り戻せるんじゃないか?

 こいつは今、パニックになっている。
 ここでサインして安心させておいて、正午に徳政令を出せば、こいつは土地も金も失う。
 僕が損をすることはない。

「よかろう。そこまで言うなら、慈悲をかけてやる」

 僕は鷹揚に頷き、ペンを取った。
 借用書を破り捨て、代わりに土地売買契約書にサインをする。

「ありがとうございます! ありがとうございます、殿下!」

 男は涙を流して契約書を抱きしめ、逃げるように部屋を出て行った。
 馬鹿な奴だ。
 紙切れの種類を変えたところで、王の権限の前では無意味なのに。

 そして、正午。
 僕は王城のバルコニーに立ち、高らかに宣言した。

「我が国民よ! これより徳政令を発布する! 国中の全ての借金は、今この瞬間をもって帳消しとする!」

 広場から歓声が上がる。
 これで僕は自由だ。
 借金のない、クリーンな王国の誕生だ!

     *

 ノルト領にて。
 魔法通信で送られてきた、ヘリオス殿下のサイン入り土地売買契約書を確認し、私は深く満足のため息をつきました。

「……取引完了です」

「どうなった?」

 ルーカス閣下が尋ねます。

「ヘリオス殿下は、借金を、土地売却にスワップしました。つまり、彼は一億の借金を消すために、王都の土地を正式に代金支払い済みで私に譲渡したのです」

「徳政令の影響は?」

「ここがポイントですわ」

 私は法律書を開きました。

「徳政令が消滅させるのはです。しかし、この契約書によって、土地の取引は支払い済みで完了しています。完了した取引は、徳政令の対象外。借金ではなくなったのですから、消すことはできません」

 ヘリオス殿下は、借金のままにしておけば徳政令で踏み倒せたはずのものを、わざわざ自分からら完了した売却取引に書き換えてしまった。
 私の代理人が泣きついてきたのを見て、優越感と油断から、どうせ後で無効にできる、と高を括ったのでしょうが……。

「所有権の移転登記は、契約成立の瞬間に法務局(私の息のかかった役人)によって処理されました。今、この瞬間から、王都の地面は法的に私のものです」

 私は窓の外、王都の方角を見つめました。

「さあ、大家として家賃を請求に行きましょうか。それとも、不法占拠者として立ち退きを命じましょうか?」

 徳政令の鐘が鳴り響く中、王家は借金から解放されました。
 同時に、住む場所も、支配する土地も、全て失ったのです。

 自らの手で押したスイッチが、自分たちの足元の床を抜くためのものだとも気づかずに……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お前の代わりはいくらでもいる」と笑った婚約者が、翌日から報告書一枚書けなくなった件

歩人
ファンタジー
子爵令嬢リーゼロッテの取り柄は、文章を書くことだけ。 華やかさのかけらもない彼女は、婚約者アルベルトの政務報告、外交書簡、 演説原稿——その全てを代筆していた。 「お前の代わりはいくらでもいる」 社交界の花形令嬢に乗り換えたアルベルトは、笑ってそう言った。 翌日から、彼の机の上には白紙の報告書だけが積み上がっていく。 ——代わりは、いなかった。

「地味な婚約者を捨てて令嬢と結婚します」と言った騎士様が、3ヶ月で離婚されて路頭に迷っている

歩人
ファンタジー
薬師のナターリアは婚約者の騎士ルドガーに「地味なお前より伯爵令嬢が ふさわしい」と捨てられた。泣きはしなかった。ただ、明日から届ける薬が 一人分減るな、と思っただけ。 ルドガーは華やかな伯爵令嬢イレーネと結婚し、騎士団で出世する——はずだった。 しかしイレーネの実家は見栄だけの火の車。持参金は消え、借金取りが押し寄せ、 イレーネ本人にも「稼ぎが少ない」と三行半を突きつけられた。 3ヶ月で全てを失ったルドガーが街角で見たのは、王宮薬師に抜擢された ナターリアが、騎士団長と笑い合う姿だった。 「なあ、ナターリア……俺が間違っていた」 「ええ、知ってます。でも、もう関係のない話ですね」

婚約破棄で終わるはずでしたのに、気づけば全部あなた方が崩れておりました

しおしお
恋愛
王太子カイルの婚約者だった公爵令嬢リディアナは、学園の舞踏会で突然婚約破棄を告げられる。 隣にいたのは、可憐に涙をこぼす義妹ミレイユ。 誰もがリディアナを捨てられた令嬢だと思った。 けれどその婚約破棄は、ただの恋愛沙汰では終わらなかった。 王太子は、自分が何に支えられていたのかも知らないまま婚約を切り、義妹と継母は、選ばれた側になったつもりで浮かれ上がる。 しかし一夜明けるごとに、王宮の実務は乱れ、社交界の空気は冷え、王太子の周囲からは人が消えていく。 一方、すべてを失ったはずのリディアナは、静かに身を引きながらも、崩れていく彼らを冷ややかに見つめていた。 選ばれただけでは、何者にもなれない。 肩書きだけでは、人は支えられない。 そして、誰かを踏みにじった代償は、ゆっくりと、けれど確実に返ってくる――。 これは、婚約破棄された公爵令嬢が自ら騒がず、 勝ったつもりだった王太子、義妹、継母が、静かに自滅していくざまぁ恋愛譚。

婚約破棄された公爵令嬢は、静かな辺境伯の隣でようやく息をする

ふわふわ
恋愛
卒業舞踏会の夜。 公爵令嬢エルミア・ヴァレンティアは、王太子セオドールから大勢の前で婚約破棄を告げられる。 彼が選んだのは、可憐で儚げな伯爵令嬢ノエリア。 突然“冷酷な悪女”に仕立て上げられたエルミアだったが、泣き崩れることも縋ることもしなかった。 ただ静かに婚約破棄を受け入れ、これまで当然のように与えてきた支援を止める――それだけで、王太子宮と社交界は少しずつ綻び始める。 一方、実家へ戻ったエルミアは、これまで誰かのために張りつめていた人生を見つめ直していく。 そんな彼女の前に現れたのは、寡黙で冷徹と噂される辺境伯カイゼル・ルヴァンシュ。 多くを語らず、けれど必要な時に必要な言葉だけを差し出してくれる彼の存在に、エルミアは少しずつ救われていく。 失ってから気づく元婚約者。 “選ばれたはず”なのに満たされない新しい婚約相手。 そして、ようやく自分の足で立ち、自分にふさわしい場所を見つけていく公爵令嬢。 これは、婚約破棄のあとで本当の居場所を取り戻した令嬢が、静かな愛を知る物語。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】転生したら断罪イベントの真っ最中。聖女の嘘を暴いたら、王太子が真っ青になりました

丸顔ちゃん。
恋愛
王太子は私――エリシアに婚約破棄を宣言し、 隣では甘ったるい声の“聖女”が「こわかったんですぅ♡」と泣き真似をしている。 だが私は知っている。 原作では、この聖女こそが禁術で王太子の魔力を吸い取り、 私に冤罪を着せて処刑へ追い込んだ張本人だ。 優しい家族を守るためにも、同じ結末は絶対に許さない。 私は転生者としての知識を武器に、 聖女の嘘と禁術の証拠を次々に暴き、 王太子の依存と愚かさを白日の下に晒す。 「婚約は……こちらから願い下げです」 土下座する王太子も、泣き叫ぶ聖女も、もう関係ない。 私は新しい未来を選ぶ。

『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~

スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」 王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。 伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。 婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。 それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。 ――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。 「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」 リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。 彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。 絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。 彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。

諦めていた自由を手に入れた令嬢

しゃーりん
恋愛
公爵令嬢シャーロットは婚約者であるニコルソン王太子殿下に好きな令嬢がいることを知っている。 これまで二度、婚約解消を申し入れても国王夫妻に許してもらえなかったが、王子と隣国の皇女の婚約話を知り、三度目に婚約解消が許された。 実家からも逃げたいシャーロットは平民になりたいと願い、学園を卒業と同時に一人暮らしをするはずが、実家に知られて連れ戻されないよう、結婚することになってしまう。 自由を手に入れて、幸せな結婚まで手にするシャーロットのお話です。

処理中です...