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水上

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第25話:徳政令という名の自爆スイッチ

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 追い詰められた人間は往々にして、盤面をひっくり返すという反則技に手を染めようとします。
 ヘリオス殿下にとって、その切り札が徳政令でした。

     *

(※ヘリオス視点)

「……ふふ、ふはははは!」

 深夜の執務室。
 僕は一人、引き出しの奥から取り出した古い羊皮紙を眺めて笑っていた。
 それは、建国時に定められた王家の特権事項を記したもの。

 その中に、燦然と輝く一条項がある。

 『国家非常時において、王は国内の全ての金銭債務を帳消しにする権限を持つ』。

 いわゆる、徳政令だ。

「これだ……、これを使えば、全て解決する!」

 僕は立ち上がり、ワインを一気に煽った。
 今、僕――いや、王家は、あの怪しい闇の銀行家に、王都の土地権利を担保に一億枚もの借金をしている。
 さらに、先物取引の未払い金、リリィの宝石代、ポンジ・スキームの配当金……、借金の総額は計算するのも嫌になるほどだ。

 だが、この徳政令を発動すれば?
 全ての借金はゼロになる。
 になるのだ。

「闇の銀行家よ、残念だったな! 僕が明日、徳政令にサインした瞬間、貴様の持っている1億の借用書はただの紙屑だ! 担保に入れた王都の土地も、無傷で僕の手元に戻ってくる!」

 借りるだけ借りて、返す段になったら借金帳消しを叫ぶ。
 これぞ王族だけが許された最強の錬金術だ。

「リリィも喜ぶぞ。借金がなくなれば、また新しいドレスが買えるからな」

 僕は上機嫌でペンを手に取った。
 発令は明日の正午。
 それまでは、あの銀行家には黙っておこう。
 
 ぬか喜びさせておいて、絶望の淵に突き落としてやるのだ……。

     *

「……やはり、来ましたね」

 ノルト領の執務室。
 王城に潜ませたスパイ(王都の文官で、給料未払いに腹を立ててこちらに寝返った者)からの緊急連絡を受け、私は静かに頷きました。

「明日正午、ヘリオス殿下が徳政令を発布する予定です」

 報告を聞いたルーカス閣下が、呆れたように肩をすくめました。

「愚かだな。徳政令は劇薬だ。一度でも使えば、その国の通貨と信用は死ぬ。誰も二度と金を貸さなくなるし、経済活動は物々交換の時代まで退行するぞ」

「彼に信用経済の概念などありませんわ。あるのは借金を返したくないという駄々っ子のような欲望だけ」

 私は手元の書類を整理しました。
 そこには、私の代理人である闇の銀行家との通信記録があります。

「ですが、これは好機です。彼が徳政令というスイッチに手をかけた瞬間、そのエネルギーを逆流させて差し上げましょう」

「どうするつもりだ? 徳政令が出れば、君の貸し付けた1億もチャラになるぞ」

「ええ、借金のままなら、ね」

 私は眼鏡の奥で目を細めました。

 経済学には債務の株式化や現物弁済という手法があります。
 借金という形でお金を持っていると、徳政令で消されてしまう。
 ならば、徳政令が発動する前に、その借金をに変えてしまえばいいのです。

「マリー、至急、王都の代理人に連絡を。ヘリオス殿下に最後の取引を持ちかけなさい。徳政令が出ることにをして、慌てて交渉に向かわせるのです」

     *

(※ヘリオス視点)

 翌朝。
 徳政令の発布まであと三時間というところで、あの闇の銀行家が血相を変えてやってきた。

「で、殿下! お耳に入れましたぞ! 徳政令を出されるおつもりとか!」

 男は汗だくで、顔面蒼白だ。
 ふん、いい気味だ。
 昨日の余裕はどうした?

「おや、耳が早いな。いかにも、国の経済をリセットするために、苦渋の決断をしようと思っている」

「そ、そんな! それでは私が貸した一億はどうなるのです! あれが消えては、私も破産です!」

 男は床に額をこすりつけて懇願してきた。

「お願いです、殿下! せめて、私の貸付金だけでも回収させてください! ただ、現金がないのは重々承知しております……」

「当たり前だ。ない袖は振れんよ」

 僕は優越感に浸りながら冷たく言い放つ。

「そこで、ご提案です! 借金の返済の代わりに、現物での清算をお願いできないでしょうか!」

 男は一枚の新しい契約書を差し出した。
 タイトルは、代物弁済契約書。

「殿下が担保に入れている王都の土地権利。これを、借金一億の返済として、正式に私へ売却したことにしていただきたいのです!」

「売却?」

「はい! 今のままだと借金ですから、徳政令で消えてしまいます。ですが、一億で土地を売ったという形に書き換えれば、それは商取引完了とみなされ、徳政令の影響を受けずに済みます!」

 男は必死にまくし立てた。

「もちろん、形式上の話です! ほとぼりが冷めたら、また殿下が買い戻せる特約も付けます! どうか、どうかこの契約書にサインを! 私を助けてください!」

 僕は心の中で嘲笑った。
 なるほど。
 必死だな。
 借金がチャラになるのを防ぐために、土地を売ったことにしたいわけか。

 ……だが、待てよ?
 徳政令というのは、全ての契約を白紙にする力があるはずだ。
 たとえ売却契約に書き換えたところで、僕が後から、あの契約も無効だと言ってしまえば、土地は取り戻せるんじゃないか?

 こいつは今、パニックになっている。
 ここでサインして安心させておいて、正午に徳政令を出せば、こいつは土地も金も失う。
 僕が損をすることはない。

「よかろう。そこまで言うなら、慈悲をかけてやる」

 僕は鷹揚に頷き、ペンを取った。
 借用書を破り捨て、代わりに土地売買契約書にサインをする。

「ありがとうございます! ありがとうございます、殿下!」

 男は涙を流して契約書を抱きしめ、逃げるように部屋を出て行った。
 馬鹿な奴だ。
 紙切れの種類を変えたところで、王の権限の前では無意味なのに。

 そして、正午。
 僕は王城のバルコニーに立ち、高らかに宣言した。

「我が国民よ! これより徳政令を発布する! 国中の全ての借金は、今この瞬間をもって帳消しとする!」

 広場から歓声が上がる。
 これで僕は自由だ。
 借金のない、クリーンな王国の誕生だ!

     *

 ノルト領にて。
 魔法通信で送られてきた、ヘリオス殿下のサイン入り土地売買契約書を確認し、私は深く満足のため息をつきました。

「……取引完了です」

「どうなった?」

 ルーカス閣下が尋ねます。

「ヘリオス殿下は、借金を、土地売却にスワップしました。つまり、彼は一億の借金を消すために、王都の土地を正式に代金支払い済みで私に譲渡したのです」

「徳政令の影響は?」

「ここがポイントですわ」

 私は法律書を開きました。

「徳政令が消滅させるのはです。しかし、この契約書によって、土地の取引は支払い済みで完了しています。完了した取引は、徳政令の対象外。借金ではなくなったのですから、消すことはできません」

 ヘリオス殿下は、借金のままにしておけば徳政令で踏み倒せたはずのものを、わざわざ自分からら完了した売却取引に書き換えてしまった。
 私の代理人が泣きついてきたのを見て、優越感と油断から、どうせ後で無効にできる、と高を括ったのでしょうが……。

「所有権の移転登記は、契約成立の瞬間に法務局(私の息のかかった役人)によって処理されました。今、この瞬間から、王都の地面は法的に私のものです」

 私は窓の外、王都の方角を見つめました。

「さあ、大家として家賃を請求に行きましょうか。それとも、不法占拠者として立ち退きを命じましょうか?」

 徳政令の鐘が鳴り響く中、王家は借金から解放されました。
 同時に、住む場所も、支配する土地も、全て失ったのです。

 自らの手で押したスイッチが、自分たちの足元の床を抜くためのものだとも気づかずに……。
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