婚約破棄ですか? 損切りの機会を与えてくださり、本当にありがとうございます

水上

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第27話:禁断の横領と枯渇する金庫

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 徳政令によって借金は消えました。
 しかし、それと同時に王都の経済も死にました。

 商店は閉まり、物流は止まり、税収はゼロ。
 そんな状況下で、ヘリオス殿下の目の前には、家賃という名の新たな巨額請求書が突きつけられていました。

     *

(※ヘリオス視点)

「……期限です、殿下。家賃金貨一千万枚、ご用意いただけましたか?」

 執務室に居座る闇の銀行家が、冷徹に腕時計を見ながら言った。
 一千万枚。
 今の王家の金庫には、埃すら残っていない。

「ま、待ってくれ。徳政令の混乱で、まだ税が入ってこないんだ。来月まで待ってくれれば……」

「待てません。我が商会もビジネスですので」

 銀行家は、懐から一枚の書類を取り出した。

「お支払いがなければ、即時退去です。近衛兵ごと城から出て行っていただきます。……ああ、ご安心を。橋の下ならタダで住めますから」

「き、貴様ぁ! 王族に向かって!」

 僕は激昂したが、相手は涼しい顔だ。
 今の僕には、こいつを逮捕する権力すらない。
 土地の所有権が国際司法ギルドに登録されている以上、手出しをすれば周辺諸国から宣戦布告される。

 どうする? 
 どうすればいい?
 追い出されたら終わりだ。
 リリィになんて説明すればいい?

 その時、僕の視界の端に、部屋の隅にある巨大な金庫が映った。
 リリィが集めた魔石投資ファンドの出資金が入っている金庫だ。

 ――あそこには、数億の金がある。

 悪魔が囁いた。
 あれを使えば、家賃なんて余裕で払えるじゃないか。

 い、いや、駄目だ。

 あれは投資家からの預かり金だ。
 配当を払うための原資だ。
 あれに手を付けたら……。

「おや、お時間ですね。では、退去の手続きを――」

「ま、待て!!」

 僕は叫んでいた。
 背に腹は代えられない。
 ここを追い出される屈辱に比べれば、少し金を借りるくらい何でもないことだ。

「は、払う! 払ってやるよ!」

 僕は震える足で金庫に歩み寄り、重い扉を開けた。
 中には、うず高く積まれた金貨の袋。
 貴族たちが夢を見て託した金だ。

 僕はその中から、一千万枚分の袋を掴み出し、銀行家の足元に投げつけた。

「これでいいんだろう! 持って行け!」

 銀行家は、袋の中身を確認すると、口元を歪めてニヤリと笑った。

「……確かに。しかし殿下、このお金には出資者名簿のタグが付いていますが?」

「う、うるさい! それは……、一時的に借りただけだ! 来月、税収が入ったらすぐに戻す!」

「なるほど。横領ではなく一時借用ですか。……承知しました。領収書を発行しておきましょう」

 銀行家は金貨を回収し、静かに部屋を出て行った。
 残された僕は、少し軽くなった金庫の扉を、慌てて閉めた。

 心臓が早鐘を打っている。
 やってしまった。
 ついに、他人の金に手を付けてしまった……。

     *

(※リリィ視点)

 翌日。
 私はサロンで、優雅にティーパーティーを開いていました。
 招待客は、ファンドに出資してくれた有力貴族の奥様方です。

「リリィ様、先日の配当金、ありがとうございました。おかげで素敵なネックレスが買えました」

「徳政令で夫の商売が止まってしまって……、今や頼みの綱はこのファンドだけですの」

 皆様、すがりつくような目で私を見ています。
 うふふ、いい気分。
 私がみんなを救っているのね。

「ご安心くださいな。東方の鉱山からは、毎日ザクザクと虹色の魔石が掘り出されていますのよ。来月の配当も期待していてくださいね」

 私が微笑むと、奥様方は安堵の溜息をつきました。

「ところでリリィ様、少し早いのですが、来月の配当の一部を……、その、前借りさせていただけないでしょうか?」

 一人の夫人が、恥ずかしそうに切り出しました。
 それを皮切りに、他の方々も口々に言い出しました。

「実は私も、現金がなくて……」

「家賃の支払いが迫っておりまして……」

 徳政令のせいで、どこのお家も現金不足に陥っているようです。
 仕方ありませんわね。
 皆様を助けるのも、未来の王妃の務めですもの。

「分かりましたわ。特別に、少しだけ早めにお渡ししましょう」

 私は執事に目配せをして、金庫からお金を持ってくるように命じました。
 しかし、戻ってきた執事の顔色は、真っ青でした。

「り、リリィ様……。その、金庫の中身が……」

「どうしたの? あんなにたくさんあったじゃない」

「そ、それが……、かなり減っておりまして……。これでは、全員分の前払いは不可能です」

「え?」

 私は耳を疑いました。
 金庫は満杯だったはずです。

 まさか、誰かが盗んだの?
 いいえ、あの金庫を開けられるのは、私とヘリオス様だけ。

 ……ヘリオス様?

 嫌な予感が背筋を走りました。
 そういえば昨日、ヘリオス様が真っ青な顔で金庫の前に立っていたような……。

「リリィ様? どうなさいました?」

 奥様方が不審そうに私を見ています。

「あ、あら、ごめんなさい! 鍵を……、そう、鍵をどこかに置き忘れてしまったみたい! 探してきますから、今日はこれでお開きに!」

 私は逃げるようにサロンを飛び出しました。
 背後から、不満げなざわめきが聞こえてきます。

 まさか……。
 まさか、あの魔法の金庫が、空っぽになりかけているなんてこと、ありませんわよね?

     *

 ノルト領の執務室。
 銀行家(私の部下)から届いた家賃領収書と金貨の出所報告書を見ながら、私は冷たく宣告しました。

「……一線を越えましたね」

 向かいのルーカス閣下が、チェス盤を見つめたまま尋ねます。

「横領か?」

「ええ。ファンドの資金を、個人的な債務(家賃)の支払いに流用しました。これは立派な業務上横領罪および特別背任罪です」

 これまでは無能な経営者でしたが、これからは犯罪者です。
 法的に断罪するカードが揃いました。

「リリィ様の金庫は、すでに底が見え始めています。配当を求める出資者たちの列は、日に日に長くなるでしょう」

 私は手帳の最終章のページを開きました。

「さて、お金が尽きた時、共犯者たちはどう動くか。……囚人のジレンマの準備を始めましょう」

「互いに罪をなすりつけ合う、醜いショーの開幕だな」

 私は立ち上がり、窓の外を見つめました。
 王都の上空に、破滅の雷雲が立ち込めています。

 自転車のペダルはもう回りません。
 あとは、倒れるだけです。
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