裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、

水上

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第7話:抗酸化作用と冬の備え

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 北の辺境に、短い秋の終わりが近づいていた。
 朝晩の冷え込みは厳しさを増し、窓ガラスには氷の結晶が花を咲かせるようになっていた。

 ルチアは執務室で、ふと顔を上げた。
 連続する領地改革の指揮と、冬支度のための資材調達。
 ここ数週間、鏡を見る暇すらなかったことに気づく。
 部屋の隅にある姿見に、久しぶりに自分の姿を映してみた。

「……うわぁ」

 思わず、変な声が出た。

 目の下には薄暗いクマがあり、肌は乾燥してカサついている。
 髪もパサパサで、まるで手入れを放置された古いワイヤーのようだ。

「酸化していますね……」

 ルチアは頬に手を当て、ため息をついた。

 金属が酸素と結合して錆びるように、人間もストレスや疲労という活性酸素に晒されれば劣化する。
 王宮にいた頃は「地味で華がない」と罵られたものだが、今の自分は地味どころか、腐食が進んだスクラップ寸前ではないか。

「……私なんて、やっぱりただの消耗品ですね」

 自虐的な呟きが漏れた、その時だった。

「誰が消耗品だ? 訂正しろ」

 背後から低い声が響いた。
 驚いて振り返ると、レオンハルトが立っていた。
 手には美しい装飾が施された皿を持っている。

「か、閣下……。いつからそこに?」

「お前が鏡の前で、この世の終わりみたいな顔をしたあたりからだ」

 レオンハルトはスタスタと歩み寄り、ルチアをソファに座らせた。
 そして、テーブルに皿を置く。
 そこに乗っていたのは、宝石のように輝く一皿だった。

 濃い紫色のベリーソースがかかったムース。
 周囲には砕いたナッツと、漆黒のダークチョコレートが散りばめられている。

「これは……?」

「アシェットデセールだ。使っているのはビルベリー、ラズベリー、クルミ、そしてカカオ含有率八〇%のチョコだ」

 レオンハルトは、まるで薬の処方箋を読み上げる医師のように言った。

「こいつらに共通する成分が分かるか?」

「ええと……、ポリフェノール、アントシアニン、ビタミンE……、でしょうか」

「正解だ。つまり、強力な抗酸化物質の塊だ」

 彼はスプーンをルチアに握らせた。

「お前は消耗品じゃない。この領地にとって代えの利かないレアメタルだ。だが、レアメタルは繊細で、空気中の酸素――つまり世間の荒波や激務に触れると酸化しやすい、と以前言っていたな」

 レオンハルトは、ルチアの乾燥した髪にそっと触れ、指を通した。
 その無骨な手のひらが、驚くほど優しい。

「お前を錆びさせはしない。これを食って、体内に防錆皮膜を作れ。……綺麗な色が濁るのを、黙って見過ごせない」

 綺麗と言われ、ルチアはカッと熱くなった。

 慌ててムースを口に運ぶ。
 甘酸っぱいベリーの香りと、ナッツの香ばしさ、そしてチョコレートのほろ苦さが絶妙に絡み合う。
 疲れた脳に、糖分と優しさが染み渡っていく。

「……美味しい。細胞のひとつひとつが、還元されていくようです」

「ならいい。冬はこれからが本番だ。錆びている暇はないぞ」

 レオンハルトは満足げに頷き、本題を切り出した。

「さて、お前のメンテナンスが終わったところで仕事だ。……毎年のことだが、この領地の冬は食料が尽きる」

「食料、ですか?」

「ああ。雪に閉ざされれば、新鮮な野菜や果物は手に入らない。備蓄した芋や干し肉だけで凌ぐことになるが、どうしてもビタミンが不足する。冬の終わりには、壊血病で歯茎から血を流す子供や、栄養失調で倒れる年寄りが後を絶たない」

 レオンハルトの表情が曇る。
 栄養学に精通している彼だからこそ、その深刻さが痛いほど分かるのだろう。

「塩漬けや乾燥では、ビタミンCなどの栄養素は壊れてしまいますからね……」

 ルチアはスプーンを置き、眼鏡を押し上げた。
 彼女の頭の中で、また新たな設計図が展開される。

「閣下。食材の栄養と鮮度を、そのまま春までタイムカプセルに閉じ込めるとしたら、どうですか?」

「……何?」

「金属容器による完全密閉保存、缶詰を作ります」

 翌日から、工房は新たな熱気に包まれた。

 ルチアが目指したのは、鉄の表面に錫をメッキしたブリキの量産だ。
 鉄は安価だが錆びやす。
 しかし、毒性がなく耐食性の高い錫でコーティングすれば、食品を長期保存できる容器になる。

「錫の融点は二三二度! 溶融した錫の中に薄い鉄板をくぐらせ、均一な皮膜を作ります!」

 ルチアの指導の下、職人たちが次々と輝くブリキ板を作り出していく。

 それを円筒形に加工し、底を二重巻き締めという特殊な技術で接合する。
 接着剤を使わず、金属同士を折り込んで圧着させることで、完全な気密性を確保するのだ。

 一方、厨房ではレオンハルトが指揮を執っていた。

「野菜は湯通しして酵素を止めろ! 果物はシロップ漬けだ! 肉はスパイスで下味をつけてから詰めろ!」

 旬の食材を容器に詰め、ルチアが開発した密封機で蓋をする。
 その後、容器ごと熱湯で加熱殺菌する。
 空気を抜き、菌を殺し、外部からの侵入を遮断する。

 こうして、ヴォルフラム領初の缶詰が完成した。

 雪が降り始めたある日、完成した缶詰が領民たちに配られた。
 集会場に集まった母親たちは、渡された冷たい金属の筒を不思議そうに見つめていた。

「これが……、食べ物?」

「開けてみてください」

 ルチアが専用のオープナーでキコキコと蓋を切ると、パカッという音と共に、中身が姿を現した。
 鮮やかなオレンジ色の人参、緑色の豆、そして瑞々しい果物のシロップ漬け。
 まるで、収穫したばかりのような色艶だ。

「まあっ!」

「冬なのに、こんなに色が綺麗な野菜があるなんて……」

 試食した子供たちが、目を輝かせて叫んだ。

「甘い!」

「美味しい!」

 その笑顔を見て、母親たちの目から涙が溢れた。

「毎年、冬になると子供たちが痩せていくのを見るのが辛かったんです……。でも、これがあれば」

「冬が……、冬が怖くなくなりました」

 一人の母親が、ルチアの手を握りしめた。
 その手は温かかった。

「ありがとうございます、ルチア様。あなたは、私たちの冬に太陽をくださいました」

 ルチアは胸がいっぱいになり、言葉が出なかった。
 錆びつきそうだった自分自身の心も、いつの間にかピカピカに磨き上げられている気がした。

 領民たちの笑い声が、雪雲を吹き飛ばすように響き渡った。
 ルチアとレオンハルトが作った缶詰は、単なる保存食ではなく、厳しい冬を乗り越えるための安心そのものだった。
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