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第2話:結婚記念日に現れない夫
十九時。
ダイニングルームの長テーブルには、キャンドルが灯されていた。
銀食器が鈍い光を放ち、磨き上げられたグラスが主人の帰りを待っている。
アデライドは背筋を伸ばして席に着いた。
十九時三十分。
エリアスは帰ってこない。
屋敷の外では冷たい雨が降り始めていた。
窓を打つ雨粒の音が、静寂な部屋に響く。
「……奥様。先に前菜だけでもお出ししましょうか?」
給仕が気まずそうに尋ねてくる。
アデライドは静かに首を横に振った。
「いいえ。エリアス様は理由もなく約束を破るような方ではありません。きっと、王宮での公務が長引いているのでしょう。待ちます」
アデライドの声には一点の曇りもなかった。
夫を信じている、という体裁を崩すわけにはいかない。
それが妻としての務めであり、彼女のプライドでもあった。
二十時……、二十一時。
料理は冷めきり、ソースの表面には膜が張り始めていた。
キャンドルの炎が短くなり、揺らめく影がアデライドの顔に落ちる。
彼女は完璧な姿勢を保ったまま、微動だにしない。
手元のナプキンを握りしめることも、貧乏ゆすりをすることもない。
ただ、心の温度だけが、少しずつ、確実に下がっていくのを感じていた。
――どうして、連絡の一つもないの?
――もし事故に遭っていたら?
不安がよぎり始めた頃、玄関の方で微かな物音がした。
アデライドは弾かれたように顔を上げる。
しかし、現れたのは夫ではなく、困惑した表情のサイラスだった。
彼は銀のお盆に一通の手紙を載せている。
「……奥様。旦那様から使いの者が参りました」
「使いの者? エリアス様ご自身ではなく?」
「はい……」
アデライドは眉をひそめ、手紙を手に取った。
封蝋はエリアスのものだが、宛名書きは乱雑で、急いで書いたことが伝わってくる。
ペーパーナイフで封を切り、中身を開く。
『アデライドへ。すまない。今日は帰れそうにない。ソフィアが発作を起こしたと連絡があったんだ。実家の使用人たちが手をつけられない状態で、僕が行くしかないと言われて。彼女は今、精神的にとても不安定だ。君も知っているだろう?君との記念日であることは分かっているが、緊急事態だ。君なら状況を理解してくれると信じている。アデライド、君は強くて賢い女性だ。僕がいなくても、一人で食事を楽しめるだろう? 本当にすまない。愛しているよ。エリアス』
アデライドは手紙を読み終えると、ゆっくりとそれをテーブルに置いた。
文字面を目で追うことはできた。
意味も理解できた。
けれど、感情は追いつかなかった。
ダイニングルームの長テーブルには、キャンドルが灯されていた。
銀食器が鈍い光を放ち、磨き上げられたグラスが主人の帰りを待っている。
アデライドは背筋を伸ばして席に着いた。
十九時三十分。
エリアスは帰ってこない。
屋敷の外では冷たい雨が降り始めていた。
窓を打つ雨粒の音が、静寂な部屋に響く。
「……奥様。先に前菜だけでもお出ししましょうか?」
給仕が気まずそうに尋ねてくる。
アデライドは静かに首を横に振った。
「いいえ。エリアス様は理由もなく約束を破るような方ではありません。きっと、王宮での公務が長引いているのでしょう。待ちます」
アデライドの声には一点の曇りもなかった。
夫を信じている、という体裁を崩すわけにはいかない。
それが妻としての務めであり、彼女のプライドでもあった。
二十時……、二十一時。
料理は冷めきり、ソースの表面には膜が張り始めていた。
キャンドルの炎が短くなり、揺らめく影がアデライドの顔に落ちる。
彼女は完璧な姿勢を保ったまま、微動だにしない。
手元のナプキンを握りしめることも、貧乏ゆすりをすることもない。
ただ、心の温度だけが、少しずつ、確実に下がっていくのを感じていた。
――どうして、連絡の一つもないの?
――もし事故に遭っていたら?
不安がよぎり始めた頃、玄関の方で微かな物音がした。
アデライドは弾かれたように顔を上げる。
しかし、現れたのは夫ではなく、困惑した表情のサイラスだった。
彼は銀のお盆に一通の手紙を載せている。
「……奥様。旦那様から使いの者が参りました」
「使いの者? エリアス様ご自身ではなく?」
「はい……」
アデライドは眉をひそめ、手紙を手に取った。
封蝋はエリアスのものだが、宛名書きは乱雑で、急いで書いたことが伝わってくる。
ペーパーナイフで封を切り、中身を開く。
『アデライドへ。すまない。今日は帰れそうにない。ソフィアが発作を起こしたと連絡があったんだ。実家の使用人たちが手をつけられない状態で、僕が行くしかないと言われて。彼女は今、精神的にとても不安定だ。君も知っているだろう?君との記念日であることは分かっているが、緊急事態だ。君なら状況を理解してくれると信じている。アデライド、君は強くて賢い女性だ。僕がいなくても、一人で食事を楽しめるだろう? 本当にすまない。愛しているよ。エリアス』
アデライドは手紙を読み終えると、ゆっくりとそれをテーブルに置いた。
文字面を目で追うことはできた。
意味も理解できた。
けれど、感情は追いつかなかった。
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