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第35話:新しい色
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季節は巡り、王都の郊外にある森は鮮やかな緑に包まれていた。
アデライドの工房、アトリエ・オーブは、朝早くから活気に満ちていた。
以前の実家の工房とは違い、ここには怒号も、理不尽な要求も、納期に追われる殺伐とした空気もない。
あるのは、職人たちの真剣な眼差しと、土を愛する者だけが共有できる、静かな熱気だけだった。
アデライドは窯の前で、温度計と炎の色を慎重に見比べていた。
額に汗が滲んでいるが、それを拭う暇さえ惜しい。
今日が、彼女にとって正念場となる本焼きの日だからだ。
「……温度、安定しています。アデライド様、いけます」
「ええ。このままキープして。還元炎の調整、あと五分だけ粘りましょう」
アデライドの指示は的確で、迷いがない。
かつてクライスト伯爵家で働いていた時、彼女の指示は常に父の機嫌やコスト削減、そして妹の見栄えというノイズに邪魔されていた。
だが今は違う。
純粋に、自分が美しいと思う色を出すためだけに、全ての神経を注げる。
(……不思議ね。あんなに重かった体が、今は羽が生えたように軽いわ)
アデライドは炎を見つめながら思った。
かつては、この炎の中に、夫への不満や家族への怒りをくべて燃やしていた気がする。
けれど今の炎は、ただ純粋な創造のエネルギーだ。
誰かに認めてもらうためではない。
強い妻や便利な姉を演じるためでもない。
ただ、自分自身が納得する青に出会いたい。
その一心だけが、彼女を突き動かしていた。
数日後、窯出しの日。
十分に冷えた窯の扉が開かれると、ピン、ピンという特有の貫入音が響いた。
それは陶器が産声を上げる音だ。
職人たちが固唾を飲んで見守る中、アデライドは最初の一点を慎重に取り出した。
――息を呑む音が、工房に重なった。
そこにあったのは、かつて夜明けの青と呼ばれた色を、遥かに凌駕する色彩だった。
深い夜の静寂と、朝日の希望が混じり合う一瞬のグラデーション。
透明感のある釉薬の下に、幾重にも重なる青の層が、見る角度によって表情を変える。
それは、アデライドが流せなかった涙の色であり、孤独な夜に見上げた空の色であり、そして今、自由を手にした彼女の魂の色だった。
「……美しい」
年配の職人が、震える声で呟いた。
アデライドは静かにその器を抱きしめた。
冷たくて、滑らかで、確かな重みがある。
(これが、私の答え。誰にも奪わせない、私だけの勲章)
一ヶ月後。王宮の広間にて。
国王陛下主催の芸術品評会が開かれていた。
会場には国中の名品が集められ、目の肥えた貴族や海外のバイヤーたちが品定めをしている。
その中央、最も注目を集める展示台に、アデライドの作品群が並べられていた。
タイトルは再生の青。
その圧倒的な存在感に、周囲の人だかりが絶えることはない。
「素晴らしい……。これほどの深みのある青は見たことがない」
「なんという透明感だ。まるで宝石を溶かして固めたようだ」
賞賛の声がさざ波のように広がる中、アデライドは一歩引いた場所で、静かにそれを見守っていた。
今日の彼女は、作業着ではない。
自身でデザインした、シンプルだが洗練された薄浅葱色のドレスを纏っている。
その表情は、かつての完璧な微笑みとは違っていた。
作り物ではない、内側から溢れ出るような柔らかな自信が、彼女の美貌を一層引き立てていた。
「アデライド様、おめでとうございます」
声をかけてきたのは、王宮の美術顧問を務める老紳士だった。
かつてクライスト家の陶器を厳しく評価し、契約を打ち切った張本人でもある。
「以前、貴女の実家が納品した夜明けの青には失望させられましたが……、これは別物ですな。いや、これこそが、貴女が本当に作りたかったものなのでしょう?」
「はい。以前のものは、他人の思惑という不純物が混ざっておりましたから」
アデライドは、臆することなく答えた。
アデライドの工房、アトリエ・オーブは、朝早くから活気に満ちていた。
以前の実家の工房とは違い、ここには怒号も、理不尽な要求も、納期に追われる殺伐とした空気もない。
あるのは、職人たちの真剣な眼差しと、土を愛する者だけが共有できる、静かな熱気だけだった。
アデライドは窯の前で、温度計と炎の色を慎重に見比べていた。
額に汗が滲んでいるが、それを拭う暇さえ惜しい。
今日が、彼女にとって正念場となる本焼きの日だからだ。
「……温度、安定しています。アデライド様、いけます」
「ええ。このままキープして。還元炎の調整、あと五分だけ粘りましょう」
アデライドの指示は的確で、迷いがない。
かつてクライスト伯爵家で働いていた時、彼女の指示は常に父の機嫌やコスト削減、そして妹の見栄えというノイズに邪魔されていた。
だが今は違う。
純粋に、自分が美しいと思う色を出すためだけに、全ての神経を注げる。
(……不思議ね。あんなに重かった体が、今は羽が生えたように軽いわ)
アデライドは炎を見つめながら思った。
かつては、この炎の中に、夫への不満や家族への怒りをくべて燃やしていた気がする。
けれど今の炎は、ただ純粋な創造のエネルギーだ。
誰かに認めてもらうためではない。
強い妻や便利な姉を演じるためでもない。
ただ、自分自身が納得する青に出会いたい。
その一心だけが、彼女を突き動かしていた。
数日後、窯出しの日。
十分に冷えた窯の扉が開かれると、ピン、ピンという特有の貫入音が響いた。
それは陶器が産声を上げる音だ。
職人たちが固唾を飲んで見守る中、アデライドは最初の一点を慎重に取り出した。
――息を呑む音が、工房に重なった。
そこにあったのは、かつて夜明けの青と呼ばれた色を、遥かに凌駕する色彩だった。
深い夜の静寂と、朝日の希望が混じり合う一瞬のグラデーション。
透明感のある釉薬の下に、幾重にも重なる青の層が、見る角度によって表情を変える。
それは、アデライドが流せなかった涙の色であり、孤独な夜に見上げた空の色であり、そして今、自由を手にした彼女の魂の色だった。
「……美しい」
年配の職人が、震える声で呟いた。
アデライドは静かにその器を抱きしめた。
冷たくて、滑らかで、確かな重みがある。
(これが、私の答え。誰にも奪わせない、私だけの勲章)
一ヶ月後。王宮の広間にて。
国王陛下主催の芸術品評会が開かれていた。
会場には国中の名品が集められ、目の肥えた貴族や海外のバイヤーたちが品定めをしている。
その中央、最も注目を集める展示台に、アデライドの作品群が並べられていた。
タイトルは再生の青。
その圧倒的な存在感に、周囲の人だかりが絶えることはない。
「素晴らしい……。これほどの深みのある青は見たことがない」
「なんという透明感だ。まるで宝石を溶かして固めたようだ」
賞賛の声がさざ波のように広がる中、アデライドは一歩引いた場所で、静かにそれを見守っていた。
今日の彼女は、作業着ではない。
自身でデザインした、シンプルだが洗練された薄浅葱色のドレスを纏っている。
その表情は、かつての完璧な微笑みとは違っていた。
作り物ではない、内側から溢れ出るような柔らかな自信が、彼女の美貌を一層引き立てていた。
「アデライド様、おめでとうございます」
声をかけてきたのは、王宮の美術顧問を務める老紳士だった。
かつてクライスト家の陶器を厳しく評価し、契約を打ち切った張本人でもある。
「以前、貴女の実家が納品した夜明けの青には失望させられましたが……、これは別物ですな。いや、これこそが、貴女が本当に作りたかったものなのでしょう?」
「はい。以前のものは、他人の思惑という不純物が混ざっておりましたから」
アデライドは、臆することなく答えた。
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