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第2話:無知という名の罪
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「ま……待て! 待ちたまえ!」
私が優雅にターンを決めて去ろうとしたその背中に、ジェラルド殿下の裏返った声が浴びせられました。
やれやれ……。
どうやら、まだ何か言い足りないようですわね。
私は一度だけ深呼吸をして、呆れを含んだ表情を完璧なポーカーフェイスの下に隠し、ゆっくりと振り返りました。
「まだ何か? これ以上のオプション料金は発生させたくないのですが」
「き、貴様……。この神聖な卒業の場において、金の話など……。どこまで卑しい女なのだ!」
殿下は顔をトマトのように赤くして、わなわなと震えておられます。
人間が怒りで顔を赤くするのは、交感神経が優位になり、闘争に備えて血流が増加するからです。
ですが、今の殿下に必要なのは血流ではなく、脳への酸素供給ではないでしょうか。
「卑しい、ですか」
「そうだ! 王族たるもの、民の心に寄り添い、高潔な精神を持つべきだ。金勘定など、商人に任せておけばいい!」
殿下のその言葉に、会場にいた一部の貴族たちが、そうだそうだ、と同調するように頷きました。
彼らは主に、親の七光りで地位を得ている、働かない貴族の方々ですね。
私は扇子で口元を隠し、ふふっ、と小さく笑いました。
「……殿下。無知は罪ですが、知ろうとしないのは怠慢ですわ」
「な、なんだと?」
私はスッと扇子を下ろし、彼との距離を一歩詰めました。
ヒールの音が、静まり返ったホールにカツンと響きます。
「殿下。今、貴方が身につけていらっしゃるその服。金糸の刺繍が見事ですわね」
「ふん、当然だ。王太子としての正装だからな」
「その金ボタン一つを作るのに、熟練の職人が何日費やすかご存知で?」
「……は? そんなこと、いちいち知るか」
私は片眼鏡を指で押さえ、冷ややかに告げました。
「三日です。そしてそのボタン一つの価格は、平民の一家族が一ヶ月食べていける金額と同等です」
殿下の眉がピクリと動きました。
「貴方が、卑しいと切り捨てたお金。それは、国民が汗水垂らして働き、納めてくれた税金そのものです。貴方の召し上がっている食事も、お住まいの城も、そして今、ミア様にプレゼントなさったそのネックレスも。すべて国民の労働の結晶ですわ」
私は視線を、会場の天井へと向けました。
煌びやかなシャンデリアが、無数の光を放っています。
「王族が経済を軽視するということは、国民の労働を、人生を軽視するということです。それを、高潔とは呼びません。ただの寄生です」
辺りは一瞬で静まり返りました。
先ほどまで殿下に同調していた貴族たちが、気まずそうに視線を逸らしました。
一方で、会場の端に控えていた財務省の役人や、領地経営に真面目に取り組んでいる一部の有力貴族たちが、ハッとした顔でこちらを見ています。
特に、いつも胃痛に悩まされている財務卿が、拝むような目で私を見ているのが視界の端に入りました。
「き、貴様……。私を、次期国王たる私を寄生虫呼ばわりするのか!?」
「事実を申し上げたまでです。ご自分の着ている服のコストすら把握していない経営者に、国の舵取りができるとは思えませんので」
私は再び、先ほどの請求書ファイルを指差しました。
「愛だの心だのと美辞麗句を並べる前に、まずはご自分の足元をご覧になってはいかが? その足場を作っているのは、貴方が見下しているお金なのですから」
「う、うう……。だ、黙れ黙れ! 衛兵! この不敬な女をつまみ出せ!」
論理で勝てなくなると権力を行使する。
独裁者の典型的な行動パターンですね。
駆け寄ってくる衛兵たち。
ですが、彼らの動きには迷いが見えました。
私の言っていることが正論だと、彼らも本能的に理解しているのでしょう。
「結構です。自分の足で退出いたしますわ」
私は衛兵を片手で制し、スカートを優雅に翻しました。
「それでは、お支払いを楽しみにしておりますわね。……ああ、それと最後に一つだけ」
私は去り際に、ミア様の方をちらりと見ました。
彼女は殿下の腕の中で、訳がわからないといった顔で目を白黒させています。
「ミア様。殿下の隣に立つということは、そのコストと責任を半分背負うということですのよ? ただ微笑んでいれば許されるのは、おとぎ話の中だけですわ」
「……え?」
呆気にとられる二人を背に、私は今度こそ大広間を後にしました。
扉を開けると、外の夜風が火照った頬を撫でていきます。
……少し、言い過ぎてしまったでしょうか?
いいえ、これでも手加減したつもりです。
本当は、この国のインフレ率と貿易赤字についても小一時間ほど講義して差し上げたかったのですから。
「お嬢様、お見事でした」
馬車寄せで待っていたのは、我が家の執事、セバスチャンでした。
彼はいつもの無表情で、しかしその目には微かな笑みを浮かべて、馬車の扉を開けてくれました。
「すべて聞こえておりましたか?」
「ええ、会場の外まで漏れ聞こえておりました。寄生の下りは、少々肝が冷えましたが」
「事実でしょう? さあ、帰りましょうセバスチャン。まずは実家に戻り、お父様に報告です。そして……」
私は馬車に乗り込み、夜空に浮かぶ月を見上げました。
「本格的なお片付けの準備を始めますわよ」
こうして私は、王都を後にしました。
ですが、これは逃走ではありません。
戦略的撤退。
そして、来るべき反撃のための、助走なのです。
私が優雅にターンを決めて去ろうとしたその背中に、ジェラルド殿下の裏返った声が浴びせられました。
やれやれ……。
どうやら、まだ何か言い足りないようですわね。
私は一度だけ深呼吸をして、呆れを含んだ表情を完璧なポーカーフェイスの下に隠し、ゆっくりと振り返りました。
「まだ何か? これ以上のオプション料金は発生させたくないのですが」
「き、貴様……。この神聖な卒業の場において、金の話など……。どこまで卑しい女なのだ!」
殿下は顔をトマトのように赤くして、わなわなと震えておられます。
人間が怒りで顔を赤くするのは、交感神経が優位になり、闘争に備えて血流が増加するからです。
ですが、今の殿下に必要なのは血流ではなく、脳への酸素供給ではないでしょうか。
「卑しい、ですか」
「そうだ! 王族たるもの、民の心に寄り添い、高潔な精神を持つべきだ。金勘定など、商人に任せておけばいい!」
殿下のその言葉に、会場にいた一部の貴族たちが、そうだそうだ、と同調するように頷きました。
彼らは主に、親の七光りで地位を得ている、働かない貴族の方々ですね。
私は扇子で口元を隠し、ふふっ、と小さく笑いました。
「……殿下。無知は罪ですが、知ろうとしないのは怠慢ですわ」
「な、なんだと?」
私はスッと扇子を下ろし、彼との距離を一歩詰めました。
ヒールの音が、静まり返ったホールにカツンと響きます。
「殿下。今、貴方が身につけていらっしゃるその服。金糸の刺繍が見事ですわね」
「ふん、当然だ。王太子としての正装だからな」
「その金ボタン一つを作るのに、熟練の職人が何日費やすかご存知で?」
「……は? そんなこと、いちいち知るか」
私は片眼鏡を指で押さえ、冷ややかに告げました。
「三日です。そしてそのボタン一つの価格は、平民の一家族が一ヶ月食べていける金額と同等です」
殿下の眉がピクリと動きました。
「貴方が、卑しいと切り捨てたお金。それは、国民が汗水垂らして働き、納めてくれた税金そのものです。貴方の召し上がっている食事も、お住まいの城も、そして今、ミア様にプレゼントなさったそのネックレスも。すべて国民の労働の結晶ですわ」
私は視線を、会場の天井へと向けました。
煌びやかなシャンデリアが、無数の光を放っています。
「王族が経済を軽視するということは、国民の労働を、人生を軽視するということです。それを、高潔とは呼びません。ただの寄生です」
辺りは一瞬で静まり返りました。
先ほどまで殿下に同調していた貴族たちが、気まずそうに視線を逸らしました。
一方で、会場の端に控えていた財務省の役人や、領地経営に真面目に取り組んでいる一部の有力貴族たちが、ハッとした顔でこちらを見ています。
特に、いつも胃痛に悩まされている財務卿が、拝むような目で私を見ているのが視界の端に入りました。
「き、貴様……。私を、次期国王たる私を寄生虫呼ばわりするのか!?」
「事実を申し上げたまでです。ご自分の着ている服のコストすら把握していない経営者に、国の舵取りができるとは思えませんので」
私は再び、先ほどの請求書ファイルを指差しました。
「愛だの心だのと美辞麗句を並べる前に、まずはご自分の足元をご覧になってはいかが? その足場を作っているのは、貴方が見下しているお金なのですから」
「う、うう……。だ、黙れ黙れ! 衛兵! この不敬な女をつまみ出せ!」
論理で勝てなくなると権力を行使する。
独裁者の典型的な行動パターンですね。
駆け寄ってくる衛兵たち。
ですが、彼らの動きには迷いが見えました。
私の言っていることが正論だと、彼らも本能的に理解しているのでしょう。
「結構です。自分の足で退出いたしますわ」
私は衛兵を片手で制し、スカートを優雅に翻しました。
「それでは、お支払いを楽しみにしておりますわね。……ああ、それと最後に一つだけ」
私は去り際に、ミア様の方をちらりと見ました。
彼女は殿下の腕の中で、訳がわからないといった顔で目を白黒させています。
「ミア様。殿下の隣に立つということは、そのコストと責任を半分背負うということですのよ? ただ微笑んでいれば許されるのは、おとぎ話の中だけですわ」
「……え?」
呆気にとられる二人を背に、私は今度こそ大広間を後にしました。
扉を開けると、外の夜風が火照った頬を撫でていきます。
……少し、言い過ぎてしまったでしょうか?
いいえ、これでも手加減したつもりです。
本当は、この国のインフレ率と貿易赤字についても小一時間ほど講義して差し上げたかったのですから。
「お嬢様、お見事でした」
馬車寄せで待っていたのは、我が家の執事、セバスチャンでした。
彼はいつもの無表情で、しかしその目には微かな笑みを浮かべて、馬車の扉を開けてくれました。
「すべて聞こえておりましたか?」
「ええ、会場の外まで漏れ聞こえておりました。寄生の下りは、少々肝が冷えましたが」
「事実でしょう? さあ、帰りましょうセバスチャン。まずは実家に戻り、お父様に報告です。そして……」
私は馬車に乗り込み、夜空に浮かぶ月を見上げました。
「本格的なお片付けの準備を始めますわよ」
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