殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上

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第20話:敗北を知らぬ裸の王様

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 ジェラルド殿下がアークライト商会への嫌がらせとして発令した贅沢税。
 その結果が出たのは、施行からわずか三日後のことでした。

「……おい、レイモンド。この数字は間違っていないよな?」

 アークライト商会の貴賓室で、ルーカス殿下が売上報告書を二度見しています。
 レイモンド様は、眼鏡を光らせて首を横に振りました。

「間違いありません。税率を一〇%上乗せしたにも関わらず、ドレスの売上は先週比で一五〇%増。予約待ちのリストは、巻物にすれば王宮の外壁を一周する長さになります」

「どういうことだと、ジェラルド殿下は思っているだろう。値上げすれば客は減るのが常識だろう、とな」

 そう言ったルーカス殿下に、私は一枚のグラフを提示しました。

「ヴェブレン効果をご存知かしら? 顕示的消費とも呼びますわ」

「ヴェブレン?」

「ええ。貴族という生き物は、高いから買わないのではありません。高いからこそ買うのです。価格が高いことは、それを所有できる財力の証明……、つまりステータスになりますから」

 殿下が課した税金によって、アークライト・シルクは単なる便利グッズから、王家が嫉妬して規制するほどの高級品へと格上げされたのです。
 皮肉なことに、ジェラルド殿下自身が、我が商会のブランド価値を最高ランクまで引き上げてくださったわけです。

「傑作だな。あいつは嫌がらせのつもりで、お前の商品の宣伝部長をやってのけたってわけか」

 ルーカス殿下が腹を抱えて笑いました。

「ええ。おかげで目標利益額を大幅に超過達成しましたわ。これで次のインフラ整備への投資も潤沢に行えます」

 私は窓の外を見下ろしました。
 王都の通りを行き交う人々。
 その多くが、まだ気づいていません。

 自分たちの足元にある地面の下で、何が起きているのかを……。

     *

 (※ジェラルド視点)

 王太子宮殿。

「なぜだ! なぜ奴の店ばかりが繁盛する! 私の店には閑古鳥しかいないではないか!」

 私は怒り狂い、売れ残ったミアがデザインしたフリルドレスを蹴り飛ばした。
 部屋の中は蒸し暑く、開け放した窓からは、王都を流れるドブ川の腐臭が漂ってきている。

「ジェラルド様、落ち着いてください! 民衆は愚かなの。本物の美が理解できないだけだわ」

 ミアが汗を拭いながら慰めるが、その顔にも疲労の色が濃く滲んでいた。
 水不足による衛生環境の悪化は、貴族の生活をも蝕み始めている。

「くそっ……、喉が渇いた。水をくれ!」

 私が叫ぶと、侍従が恭しく銀の盆を差し出した。
 そこには、よく冷えたガラス瓶が乗っている。
 私はそれをひったくり、一気に煽った。

「ぷはっ! ……ふん、やはり水はこうでなくてはな。どこの湧き水だ? いつもの王室御用達か?」

「は、はい。その……、ラベルをご覧になれば……」

 侍従が怯えながら視線を逸らした。
 私は怪訝に思いながら、空になった瓶を見つめた。
 そこには、美しい山のイラストと共に、こう書かれていた。

『アークライト・プレミアム・ウォーター ~貴方の喉とプライドを潤します~』

「ぶっ!!」

 私は盛大に吹き出した。
 咳き込みながら瓶を床に叩きつけようとしたが、寸前で止めた。
 なぜなら、この一本が金貨一枚もする高級品であり、これを割れば、今夜飲む水がなくなってしまうからである。

「あ、あの女……。 私の金で肥え太りおって……」

「ジェラルド様……、なんだか臭い。外の川の臭いがひどくて、気持ち悪くなっちゃう……」

 ミアが鼻をつまんで訴えてくる。
 私は、瓶を握りしめたまま、憎々しげに窓の外の川を睨みつけた。

「ええい、何もかもうまくいかん! こうなったら、気晴らしだ! 来月、王都の川で納涼船企画を開催するぞ! 民衆に私の威光を見せつけ、あの女の店の話題など吹き飛ばしてやる!」

 それがどれほど致命的な選択ミスか、この時の私はまだ気づいていなかった。
 今の王都の川に船を浮かべるということは、巨大な汚物溜まりの上でパーティーを開くことと同じだったなんて……。

     *

 アークライト商会、貴賓室。

「……聞きましたか、レイモンド様。殿下は川で遊ぶそうです」

「自殺行為だな。今の大河の水質汚染レベルは危険域だ。船遊びなんてすれば、悪臭で客が気絶するぞ」

 スパイからの報告を聞き、レイモンド様が呆れ顔になっています。

「ええ。ですが、これは好機ですわ」

 私は、テーブルの上に広げられた王都の地下配管図に、赤いペンでバツ印をつけていきました。
 詰まった下水、腐った配管、淀んだ水路。
 華やかな王都の地下には、解決すべき汚濁が溜まりに溜まっています。

「殿下が自ら汚さを露呈してくださるなら、私たちは清浄を提供しましょう」

 私は、部屋の隅にある水槽を見やりました。
 そこには、プルプルとした透明なゼリー状の生き物が、汚れた水を浄化しながら元気に泳ぎ回っています。
 アークライト領で品種改良に成功した、浄化スライムです。

「第一段階は、経済での勝利でした。続く第二段階は、衛生、つまりライフラインでの完全制圧です」

 私はスライムの水槽に指を這わせ、ニヤリと笑いました。

「見ていらっしゃい、ジェラルド殿下。貴方が汚物にまみれて沈んでいく間に、私はこの王都を、世界一清潔で、世界一私が支配しやすい都市に作り変えて差し上げますわ」

 勝利の美酒を飲み干し、私は次の作戦指令書にサインをしました。
 これにて序章は終わり。

 ここからは、より深く、より根源的な支配へと進んでいくのです。
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