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第5話:婚約破棄された数分後に結婚しました
「面白い。実に痛快だ」
人垣が割れ、一人の男が姿を現した。
長身で、岩のように鍛え上げられた体躯。
荒々しく刈り込んだ黒髪に、琥珀色の瞳。
華美な装飾の一切ない、実用一点張りの黒い礼服を着こなすその姿は、貴族というよりは戦士のようだった。
彼の登場に、会場がざわめく。
「あれは……、辺境伯?」
「北の守護者、ベルンシュタイン閣下だ……」
「なんでこんな所に……」
ブルーノ・ベルンシュタイン辺境伯。
王都から遠く離れた過酷な北の大地を治める人物だ。
社交界には滅多に顔を出さない彼が、なぜここにいるのか。
ブルーノは王太子やミシェルには目もくれず、真っ直ぐにヴィオラの前まで歩いてきた。
そして、床に散らばったままの偽造レポートの一枚を拾い上げる。
「……ふむ。エポキシ変性シリコーンか。80℃環境下での弾性率維持のために、あえて架橋密度を上げているのだな」
その言葉に、ヴィオラは目を見開いた。
彼が口にしたのは、ヴィオラが誰にも説明せず、密かに工夫していた配合のキモだったからだ。
「……わかりますか?」
「ああ。このグラフの立ち上がりを見ればわかる。剪断強度を極限まで高めつつ、熱膨張による歪みを逃がすための遊びも計算されている。……美しい配合だ」
ブルーノは書類を見つめ、それからヴィオラへと視線を移した。
その琥珀色の瞳には、恐怖や侮蔑ではなく、純粋な敬意と熱意が宿っていた。
「お前が、ヴィオラ・クライストか」
「は、はい。左様ですが……」
「俺はブルーノ・ベルンシュタイン。ずっとお前を探していた」
ブルーノの低い声に、ジュリアンが慌てて割って入ってきた。
「へ、辺境伯! その女は欠陥品を作る詐欺師だ! 関わると火傷をするぞ!」
ブルーノはジュリアンをギロリと睨んだ。
たったそれだけで、王太子は「ひっ」と情けない声を上げて縮み上がった。
「黙っていろ、素人が。貴様にはこの知識や技術の価値が一生わからんだろうな」
吐き捨てるように言うと、ブルーノは再びヴィオラに向き直った。
「俺の領地に来てくれ」
「……はい?」
「俺の治める北部は、過酷な環境だ。吹雪で家屋は痛み、防壁は砕け、インフラは常に崩壊の危機にある。……正直に言えば、職人が足りない。お前のような、理屈と技術を持った人間が必要なんだ」
それは、ヴィオラにとってはどんな甘い言葉よりも胸に響く勧誘だった。
蔑まれていた自分の知識や技術を、必要だと言ってくれる。
美しいと評価してくれる。
「俺と結婚して、辺境へ来てくれ。白い結婚で構わない。契約上の妻として、領地経営のパートナーになってほしい。……お前の技術に見合うだけの環境と素材は、すべて用意すると約束する」
周囲が息を呑む。
婚約破棄されたばかりの令嬢に、国一番の実力者である辺境伯が求婚したのだ。
ヴィオラは瞬きをした。
そして、眼鏡の奥の瞳を冷静に光らせた。
彼女の脳内で計算が行われる。
王都にいても、評価されないどころか、無能な王太子のせいでストレスが溜まる一方だ。
対して、辺境伯の提示条件は魅力的である。
潤沢な素材、実験し放題の環境、そして何より――この男性からは、嘘やごまかしの匂いがしない。
ヴィオラはスッと背筋を伸ばし、手を差し出した。
「条件を受諾します、閣下。私の知識と技術を、貴方の領地のために提供いたしましょう」
ブルーノは一瞬驚いたように目を見開き、それからニヤリと笑った。
ゴツゴツとした大きな手が、ヴィオラの白く細い手をがっちりと握りしめる。
「交渉成立だな」
その握手は力強く、熱かった。
呆気にとられるジュリアンとミシェルを置き去りに、ヴィオラは新たな環境へ歩き出した。
人垣が割れ、一人の男が姿を現した。
長身で、岩のように鍛え上げられた体躯。
荒々しく刈り込んだ黒髪に、琥珀色の瞳。
華美な装飾の一切ない、実用一点張りの黒い礼服を着こなすその姿は、貴族というよりは戦士のようだった。
彼の登場に、会場がざわめく。
「あれは……、辺境伯?」
「北の守護者、ベルンシュタイン閣下だ……」
「なんでこんな所に……」
ブルーノ・ベルンシュタイン辺境伯。
王都から遠く離れた過酷な北の大地を治める人物だ。
社交界には滅多に顔を出さない彼が、なぜここにいるのか。
ブルーノは王太子やミシェルには目もくれず、真っ直ぐにヴィオラの前まで歩いてきた。
そして、床に散らばったままの偽造レポートの一枚を拾い上げる。
「……ふむ。エポキシ変性シリコーンか。80℃環境下での弾性率維持のために、あえて架橋密度を上げているのだな」
その言葉に、ヴィオラは目を見開いた。
彼が口にしたのは、ヴィオラが誰にも説明せず、密かに工夫していた配合のキモだったからだ。
「……わかりますか?」
「ああ。このグラフの立ち上がりを見ればわかる。剪断強度を極限まで高めつつ、熱膨張による歪みを逃がすための遊びも計算されている。……美しい配合だ」
ブルーノは書類を見つめ、それからヴィオラへと視線を移した。
その琥珀色の瞳には、恐怖や侮蔑ではなく、純粋な敬意と熱意が宿っていた。
「お前が、ヴィオラ・クライストか」
「は、はい。左様ですが……」
「俺はブルーノ・ベルンシュタイン。ずっとお前を探していた」
ブルーノの低い声に、ジュリアンが慌てて割って入ってきた。
「へ、辺境伯! その女は欠陥品を作る詐欺師だ! 関わると火傷をするぞ!」
ブルーノはジュリアンをギロリと睨んだ。
たったそれだけで、王太子は「ひっ」と情けない声を上げて縮み上がった。
「黙っていろ、素人が。貴様にはこの知識や技術の価値が一生わからんだろうな」
吐き捨てるように言うと、ブルーノは再びヴィオラに向き直った。
「俺の領地に来てくれ」
「……はい?」
「俺の治める北部は、過酷な環境だ。吹雪で家屋は痛み、防壁は砕け、インフラは常に崩壊の危機にある。……正直に言えば、職人が足りない。お前のような、理屈と技術を持った人間が必要なんだ」
それは、ヴィオラにとってはどんな甘い言葉よりも胸に響く勧誘だった。
蔑まれていた自分の知識や技術を、必要だと言ってくれる。
美しいと評価してくれる。
「俺と結婚して、辺境へ来てくれ。白い結婚で構わない。契約上の妻として、領地経営のパートナーになってほしい。……お前の技術に見合うだけの環境と素材は、すべて用意すると約束する」
周囲が息を呑む。
婚約破棄されたばかりの令嬢に、国一番の実力者である辺境伯が求婚したのだ。
ヴィオラは瞬きをした。
そして、眼鏡の奥の瞳を冷静に光らせた。
彼女の脳内で計算が行われる。
王都にいても、評価されないどころか、無能な王太子のせいでストレスが溜まる一方だ。
対して、辺境伯の提示条件は魅力的である。
潤沢な素材、実験し放題の環境、そして何より――この男性からは、嘘やごまかしの匂いがしない。
ヴィオラはスッと背筋を伸ばし、手を差し出した。
「条件を受諾します、閣下。私の知識と技術を、貴方の領地のために提供いたしましょう」
ブルーノは一瞬驚いたように目を見開き、それからニヤリと笑った。
ゴツゴツとした大きな手が、ヴィオラの白く細い手をがっちりと握りしめる。
「交渉成立だな」
その握手は力強く、熱かった。
呆気にとられるジュリアンとミシェルを置き去りに、ヴィオラは新たな環境へ歩き出した。
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