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第5話:出会い
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目の前に停まった馬車は、王都でよく見かける華奢な装飾のものとは明らかに異なっていた。
車輪は泥濘に耐えうるよう太く補強され、車体は無骨な黒鉄色。
その扉が開き、一人の男が降りてきた。
「……セレス・ヴァレリウスか」
低い声が、夜の石畳を震わせた。
セレスは思わず見上げた。
首が痛くなるほどの巨躯だ。
身長は二メートル近くあるだろう。
岩のような筋肉が服を内側から押し広げんばかりに隆起し、黒髪の隙間から覗く金色の瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭い。
辺境伯、ギデオン・ロックホールド。
国境付近で獣や他国の脅威と戦う武門の壁であり、王都の貴族令嬢たちからは「野蛮な筋肉だるま」「目が合うだけで石にされそう」と恐れられている人物だ。
(……基礎代謝が高そうな方ですね)
セレスの第一印象はそれだった。
恐怖よりも先に、彼という生体機関を維持するために必要なカロリー計算が脳裏をよぎる。
「はい、そうですが。何か?」
セレスが動じることなく答えると、ギデオンはわずかに眉を寄せた。
普通の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出す場面で、冷静に返答されたことが意外だったようだ。
「……王太子に婚約破棄されたと聞いた」
「情報の伝達速度が速いですね」
「行くあては?」
「現状、未定です。ですが、私の製粉技術における特許権とコンサルティング能力があれば、路頭に迷う確率は三パーセント未満と試算しています」
強がりではなく、純粋なリスク計算の結果だった。
ギデオンは鼻を鳴らし、一歩近づいた。
その圧迫感は凄まじいが、セレスは眼鏡の位置を直すだけで一歩も退かない。
「なら、俺と来い」
「……それは、誘拐でしょうか?」
「契約だ」
ギデオンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、セレスに突きつけた。
そこには、驚くほど几帳面な字で『婚姻契約書』と記されていた。
「俺の領地、ロックホールド辺境伯領は貧しい。土地は痩せ、採れる小麦は粒が小さく、硬い。パンにしても石のように重く、粥にすれば泥のようになる。民は腹を空かせ、冬が来るたびに怯えている」
彼はぶっきらぼうに、しかし切実な響きを含んだ声で続けた。
「王都の貴族たちは、俺たちを野蛮人と笑い、質の悪い小麦しかよこさない。……だが、俺は知っている。お前が発表した論文、あの『低品質小麦における可食化プロセスの改良』。あれは机上の空論じゃないと」
セレスの目が大きく見開かれた。
あの論文は、王立学会では「貧民向けの技術など高貴な研究に値しない」と一笑に付され、ほとんど誰にも読まれなかったものだ。
「読んで……、くださったのですか?」
「全部読んだ。専門用語は難解だったが、結論は理解した。お前なら、俺の領地の死にかけた小麦を蘇らせることができる」
ギデオンは、その金色の瞳でセレスを射抜いた。
そこには、先ほどの王太子のような愛や欲望といった不確かな熱ではなく、もっと切実で、強固な意志が宿っていた。
そして、次に発する彼の言葉は、セレスの運命を大きく変えることになるのだった。
車輪は泥濘に耐えうるよう太く補強され、車体は無骨な黒鉄色。
その扉が開き、一人の男が降りてきた。
「……セレス・ヴァレリウスか」
低い声が、夜の石畳を震わせた。
セレスは思わず見上げた。
首が痛くなるほどの巨躯だ。
身長は二メートル近くあるだろう。
岩のような筋肉が服を内側から押し広げんばかりに隆起し、黒髪の隙間から覗く金色の瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭い。
辺境伯、ギデオン・ロックホールド。
国境付近で獣や他国の脅威と戦う武門の壁であり、王都の貴族令嬢たちからは「野蛮な筋肉だるま」「目が合うだけで石にされそう」と恐れられている人物だ。
(……基礎代謝が高そうな方ですね)
セレスの第一印象はそれだった。
恐怖よりも先に、彼という生体機関を維持するために必要なカロリー計算が脳裏をよぎる。
「はい、そうですが。何か?」
セレスが動じることなく答えると、ギデオンはわずかに眉を寄せた。
普通の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出す場面で、冷静に返答されたことが意外だったようだ。
「……王太子に婚約破棄されたと聞いた」
「情報の伝達速度が速いですね」
「行くあては?」
「現状、未定です。ですが、私の製粉技術における特許権とコンサルティング能力があれば、路頭に迷う確率は三パーセント未満と試算しています」
強がりではなく、純粋なリスク計算の結果だった。
ギデオンは鼻を鳴らし、一歩近づいた。
その圧迫感は凄まじいが、セレスは眼鏡の位置を直すだけで一歩も退かない。
「なら、俺と来い」
「……それは、誘拐でしょうか?」
「契約だ」
ギデオンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、セレスに突きつけた。
そこには、驚くほど几帳面な字で『婚姻契約書』と記されていた。
「俺の領地、ロックホールド辺境伯領は貧しい。土地は痩せ、採れる小麦は粒が小さく、硬い。パンにしても石のように重く、粥にすれば泥のようになる。民は腹を空かせ、冬が来るたびに怯えている」
彼はぶっきらぼうに、しかし切実な響きを含んだ声で続けた。
「王都の貴族たちは、俺たちを野蛮人と笑い、質の悪い小麦しかよこさない。……だが、俺は知っている。お前が発表した論文、あの『低品質小麦における可食化プロセスの改良』。あれは机上の空論じゃないと」
セレスの目が大きく見開かれた。
あの論文は、王立学会では「貧民向けの技術など高貴な研究に値しない」と一笑に付され、ほとんど誰にも読まれなかったものだ。
「読んで……、くださったのですか?」
「全部読んだ。専門用語は難解だったが、結論は理解した。お前なら、俺の領地の死にかけた小麦を蘇らせることができる」
ギデオンは、その金色の瞳でセレスを射抜いた。
そこには、先ほどの王太子のような愛や欲望といった不確かな熱ではなく、もっと切実で、強固な意志が宿っていた。
そして、次に発する彼の言葉は、セレスの運命を大きく変えることになるのだった。
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