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第4話:歓迎のパイナップル
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ローズベリー伯爵邸の大広間は、むせ返るような熱気に包まれていました。
豪奢なドレスを纏った貴族たちがグラスを傾け、あちこちで高笑いが響いています。
数日前まで、私はこの場所で空気のように扱われていました。
けれど今夜は違います。
「……アルフレッド様、本当に私なんかがここにいて良かったのでしょうか」
私は居心地の悪さに身を縮こまらせました。
アルフレッド様が用意してくれたのは、淡い若草色のドレス。
派手さはありませんが、上質なシルクが使われており、今の私には分不相応に思えます。
「胸を張れ、フローラ。君は私の助手だ。卑屈になることは、私の品位を疑われることと同義だぞ」
隣を歩くアルフレッド様は、いつもの白衣ではなく、漆黒の燕尾服を完璧に着こなしていました。
銀髪をオールバックにし、鋭い眼光を放つその姿は、周囲の令嬢たちが思わず頬を染めるほどの美貌です。
中身が植物変態でなければ、完璧な貴公子なのですが。
「あら、誰かと思えば……、フローラじゃない」
棘のある声が響きました。
人垣を割って現れたのは、エドワード様とベアトリス様です。
エドワード様は私を一瞥して鼻で笑い、それからアルフレッド様に向けて大袈裟に肩をすくめました。
「やれやれ、公爵閣下ともあろうお方が、わざわざ我が家のパーティーにお越しとは。しかも、その薄汚れた私の元婚約者を連れて」
「招待状を送ってきたのは君だろう? それに、彼女の肩書きは君の元婚約者ではもったいない。今や私の所有する、真実を見抜く目だ」
「はっ、相変わらず訳のわからないことを……」
エドワード様は勝ち誇った顔で、会場の中央にある台座を指し示しました。
「まあいい。今日は皆に、我が家の富と権力の象徴を見せるために集まってもらったんだ。見ろ、この輝きを!」
スポットライトを浴びて鎮座していたのは、黄金色に輝く果実――パイナップルでした。
南方の島国から輸入されるその果物は、輸送の困難さと希少性から、この国では一つで家が建つとも言われる超高級品です。
会場から「おお……!」とどよめきが起こります。
「凄いですわ、エドワード様! こんな立派なパイナップル、王家の方々でも滅多にお目にかかれませんわ!」
ベアトリス様がうっとりと果実に触れようとします。
「触るなよ、ベアトリス。これは芸術品だ。見るだけで楽しむものだ」
「ごめんなさい、あまりに素敵で……。フローラさんのような地味な方には、一生ご縁のない代物ですわね」
確かに、パイナップルなんて図鑑でしか見たことがありません。
私は興味を惹かれ、アルフレッド様の背中に隠れるようにして、台座の上の果実に近づきました。
これがパイナップル……、ブロメリア科のアナス属……。
職業病でしょうか。
私は無意識のうちにポケットからルーペを取り出しそうになり、慌てて止めました。
代わりに、じっと目を凝らして観察します。
網目状の果皮。
剣のように伸びる頭頂部の葉。
……あれ?
「あの、エドワード様」
「なんだ。悔しくて声も出ないか?」
「いえ、そうではなくて……。これ、いつ収穫されたものですか?」
私の素朴な疑問に、エドワード様は不機嫌そうに眉を寄せました。
「先週、港に届いたばかりの獲れたてだ! 最高級の鮮度だぞ」
「でも……、変です」
私は首を傾げ、あくまで丁寧な口調で指摘しました。
「頭の上の葉っぱ――冠芽の先端が、茶色く枯れています。それに、葉の中央部分の色もあせて、元気がありません」
「なっ……、なんだと?」
「新鮮なパイナップルの葉は、ピンと張っていて深い緑色をしています。でもこれは、葉が萎れて丸まっています。それに……、果実の下の方から、少し発酵したような匂いがします。これは熟しすぎている証拠です」
会場がざわつき始めました。
エドワード様は顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「で、出鱈目を言うな! これは最高級品だぞ! 葉っぱが少し枯れているくらい、輸送中にならあることだ!」
そこで、今まで黙っていたアルフレッド様が、静かに、しかしよく通る声で笑いました。
「ククッ……。フローラ、君は植物のことは詳しいが、世俗の見栄については無知だな」
「え? 見栄、ですか?」
「ああ。そのパイナップルがなぜ枯れかけているのか。答えは簡単だ。それがレンタル品だからだよ」
その言葉に、エドワード様の顔色が赤から青へと変わりました。
「れ、レンタル……!?」
「庶民や成り上がりの貴族の間で流行っている貧乏くさい商売だ。高価なパイナップルを食べるためではなく、飾るために貸し出す業者がいる」
アルフレッド様は冷ややかな目でパイナップルを見下ろしました。
「そのパイナップルは、君の家に来る前に、既に別のパーティーで飾られていたものだ。そしてその前も、その前もな。何度も貸し出され、たらい回しにされているうちに、葉は枯れ、実は痛み始めた」
アルフレッド様は台座の裏側に回り込み、鉢の底に貼られていた小さなシールを剥がし取りました。
それを指先で弾き、エドワード様の足元へ飛ばします。
「見ろ。『貸出用・第13号 返却期限:明日正午』と書いてあるぞ」
ヒラヒラと舞い落ちたシールには、確かにそう印字されていました。
会場の空気が一変しました。
感嘆のどよめきは、瞬く間に失笑とひそひそ話に変わります。
「レンタルですって?」
「まあ、買えなかったのね」
「あんなに自慢していたのに、誰かの使い古しだなんて……」
貴族たちの扇子の裏からの嘲笑が、さざ波のように広がっていきました。
ベアトリス様はパッとエドワード様から離れ、「知りませんでしたわ!」と叫んで距離を取ります。
「ち、違う! これは手違いだ! 業者が間違えたんだ!」
エドワード様は必死に弁解しますが、脂汗をかいて泳ぐ視線が、嘘を雄弁に語っていました。
アルフレッド様は私の肩を抱き寄せ、優雅に踵を返しました。
「行こうか、フローラ。腐りかけた果実と、腐りきった虚栄心だ。これ以上見ていては、こちらの目が腐る」
「は、はい……」
私たちは呆然と立ち尽くすエドワード様を残し、会場を後にしました。
屋敷を出て、夜風に当たった瞬間、私はふうっと大きく息を吐きました。
「……怖かったです」
「よくやった。君が葉の変色に気づかなければ、シールを探す手間が増えるところだった」
アルフレッド様は満足げに微笑むと、懐から何かを取り出しました。
それは、小さなキャンディの包みでした。
「口直しだ。パイナップル味だぞ」
「ふふっ、嫌味ですね、アルフレッド様」
口の中に広がる甘酸っぱい人工的な味。
けれどそれは、あの会場にあったどの料理よりも、ずっと美味しく感じられました。
豪奢なドレスを纏った貴族たちがグラスを傾け、あちこちで高笑いが響いています。
数日前まで、私はこの場所で空気のように扱われていました。
けれど今夜は違います。
「……アルフレッド様、本当に私なんかがここにいて良かったのでしょうか」
私は居心地の悪さに身を縮こまらせました。
アルフレッド様が用意してくれたのは、淡い若草色のドレス。
派手さはありませんが、上質なシルクが使われており、今の私には分不相応に思えます。
「胸を張れ、フローラ。君は私の助手だ。卑屈になることは、私の品位を疑われることと同義だぞ」
隣を歩くアルフレッド様は、いつもの白衣ではなく、漆黒の燕尾服を完璧に着こなしていました。
銀髪をオールバックにし、鋭い眼光を放つその姿は、周囲の令嬢たちが思わず頬を染めるほどの美貌です。
中身が植物変態でなければ、完璧な貴公子なのですが。
「あら、誰かと思えば……、フローラじゃない」
棘のある声が響きました。
人垣を割って現れたのは、エドワード様とベアトリス様です。
エドワード様は私を一瞥して鼻で笑い、それからアルフレッド様に向けて大袈裟に肩をすくめました。
「やれやれ、公爵閣下ともあろうお方が、わざわざ我が家のパーティーにお越しとは。しかも、その薄汚れた私の元婚約者を連れて」
「招待状を送ってきたのは君だろう? それに、彼女の肩書きは君の元婚約者ではもったいない。今や私の所有する、真実を見抜く目だ」
「はっ、相変わらず訳のわからないことを……」
エドワード様は勝ち誇った顔で、会場の中央にある台座を指し示しました。
「まあいい。今日は皆に、我が家の富と権力の象徴を見せるために集まってもらったんだ。見ろ、この輝きを!」
スポットライトを浴びて鎮座していたのは、黄金色に輝く果実――パイナップルでした。
南方の島国から輸入されるその果物は、輸送の困難さと希少性から、この国では一つで家が建つとも言われる超高級品です。
会場から「おお……!」とどよめきが起こります。
「凄いですわ、エドワード様! こんな立派なパイナップル、王家の方々でも滅多にお目にかかれませんわ!」
ベアトリス様がうっとりと果実に触れようとします。
「触るなよ、ベアトリス。これは芸術品だ。見るだけで楽しむものだ」
「ごめんなさい、あまりに素敵で……。フローラさんのような地味な方には、一生ご縁のない代物ですわね」
確かに、パイナップルなんて図鑑でしか見たことがありません。
私は興味を惹かれ、アルフレッド様の背中に隠れるようにして、台座の上の果実に近づきました。
これがパイナップル……、ブロメリア科のアナス属……。
職業病でしょうか。
私は無意識のうちにポケットからルーペを取り出しそうになり、慌てて止めました。
代わりに、じっと目を凝らして観察します。
網目状の果皮。
剣のように伸びる頭頂部の葉。
……あれ?
「あの、エドワード様」
「なんだ。悔しくて声も出ないか?」
「いえ、そうではなくて……。これ、いつ収穫されたものですか?」
私の素朴な疑問に、エドワード様は不機嫌そうに眉を寄せました。
「先週、港に届いたばかりの獲れたてだ! 最高級の鮮度だぞ」
「でも……、変です」
私は首を傾げ、あくまで丁寧な口調で指摘しました。
「頭の上の葉っぱ――冠芽の先端が、茶色く枯れています。それに、葉の中央部分の色もあせて、元気がありません」
「なっ……、なんだと?」
「新鮮なパイナップルの葉は、ピンと張っていて深い緑色をしています。でもこれは、葉が萎れて丸まっています。それに……、果実の下の方から、少し発酵したような匂いがします。これは熟しすぎている証拠です」
会場がざわつき始めました。
エドワード様は顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「で、出鱈目を言うな! これは最高級品だぞ! 葉っぱが少し枯れているくらい、輸送中にならあることだ!」
そこで、今まで黙っていたアルフレッド様が、静かに、しかしよく通る声で笑いました。
「ククッ……。フローラ、君は植物のことは詳しいが、世俗の見栄については無知だな」
「え? 見栄、ですか?」
「ああ。そのパイナップルがなぜ枯れかけているのか。答えは簡単だ。それがレンタル品だからだよ」
その言葉に、エドワード様の顔色が赤から青へと変わりました。
「れ、レンタル……!?」
「庶民や成り上がりの貴族の間で流行っている貧乏くさい商売だ。高価なパイナップルを食べるためではなく、飾るために貸し出す業者がいる」
アルフレッド様は冷ややかな目でパイナップルを見下ろしました。
「そのパイナップルは、君の家に来る前に、既に別のパーティーで飾られていたものだ。そしてその前も、その前もな。何度も貸し出され、たらい回しにされているうちに、葉は枯れ、実は痛み始めた」
アルフレッド様は台座の裏側に回り込み、鉢の底に貼られていた小さなシールを剥がし取りました。
それを指先で弾き、エドワード様の足元へ飛ばします。
「見ろ。『貸出用・第13号 返却期限:明日正午』と書いてあるぞ」
ヒラヒラと舞い落ちたシールには、確かにそう印字されていました。
会場の空気が一変しました。
感嘆のどよめきは、瞬く間に失笑とひそひそ話に変わります。
「レンタルですって?」
「まあ、買えなかったのね」
「あんなに自慢していたのに、誰かの使い古しだなんて……」
貴族たちの扇子の裏からの嘲笑が、さざ波のように広がっていきました。
ベアトリス様はパッとエドワード様から離れ、「知りませんでしたわ!」と叫んで距離を取ります。
「ち、違う! これは手違いだ! 業者が間違えたんだ!」
エドワード様は必死に弁解しますが、脂汗をかいて泳ぐ視線が、嘘を雄弁に語っていました。
アルフレッド様は私の肩を抱き寄せ、優雅に踵を返しました。
「行こうか、フローラ。腐りかけた果実と、腐りきった虚栄心だ。これ以上見ていては、こちらの目が腐る」
「は、はい……」
私たちは呆然と立ち尽くすエドワード様を残し、会場を後にしました。
屋敷を出て、夜風に当たった瞬間、私はふうっと大きく息を吐きました。
「……怖かったです」
「よくやった。君が葉の変色に気づかなければ、シールを探す手間が増えるところだった」
アルフレッド様は満足げに微笑むと、懐から何かを取り出しました。
それは、小さなキャンディの包みでした。
「口直しだ。パイナップル味だぞ」
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