婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

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第15話:崩れる生け垣

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 その日の朝、公爵邸の静寂は、雷のような怒号によって打ち破られました。

「出てこい、人殺し公爵! 貴様のせいだ!」

 玄関ホールで喚き散らしているのは、目を血走らせたエドワード様でした。
 アルフレッド様は優雅に朝の紅茶をカップに戻し、うんざりした顔で立ち上がりました。

「……朝から『人殺し』呼ばわりとはな。私がいつ、誰を殺したというんだ?」

「とぼけるな! 俺の領地の牛たちが死んだ! それも、貴様の屋敷に近い牧草地の牛だけが、今朝になって全滅していたんだ!」

 エドワード様は私たちの前に詰め寄り、唾を飛ばしながら叫びました。

「原因は分かっているぞ。貴様の屋敷から流れてくる毒ガスだ! 実験で変な薬品を使っているだろう! その煙が風に乗って牧場に流れたに違いない!」

「毒ガス? 被害妄想もそこまでいくと芸術的だな」

「うるさい! 賠償金だ! あの牛たちは品評会に出す予定の最高級種だったんだぞ!」

 アルフレッド様は私に視線を送りました。

「フローラ、行くぞ。身の潔白を証明し、ついでに愚か者に現実を見せてやらねばならん」

「はい、アルフレッド様!」

 問題の現場は、公爵領と伯爵領のちょうど境界線にあたる場所でした。

 なだらかな丘陵地帯で、境界には立派な生け垣が続いています。
 その向こう側の牧草地では、数頭の牛が地面に倒れ、ピクリとも動かなくなっていました。
 牛の周りには、悲嘆に暮れる牧場主や小作人たちが集まっています。

「おお、なんてこった……。一番いい乳牛だったのに……」

「やっぱり、隣の変人公爵の仕業なのか?」

 村人たちが私たちを見る目は険しく、敵意に満ちていました。
 アルフレッド様は構わずに柵を越え、牛の死骸に近づきました。

「……外傷なし。口から泡を吹いているな。苦しんだ形跡は少ない。発作による突然死、あるいは心不全か」

「ほら見ろ! ガスを吸ったからだ!」

 エドワード様が勝ち誇ったように言いました。
 しかし、私は牛ではなく、別の場所に目を向けていました。

 牛たちが倒れている場所のすぐそば。そこには、真新しく整えられた濃い緑色の生け垣がありました。
 そして、その足元には――。

「……あ」

 私は思わず声を上げ、駆け寄りました。

 地面に散らばる、剪定されたばかりの枝葉。
 針葉樹特有の平たい葉と、所々に見える赤い実。

「エドワード様。この生け垣、最近お手入れされましたか?」

「ああ、そうだが? 昨日、庭師に命じて綺麗に刈り込ませたんだ。格調高い庭園にしたくてな。それが何だ?」

「……やっぱり」

 私は地面に落ちていた枝を拾い上げ、さらに牛の口元に残っていた緑色の破片をピンセットで採取しました。
 ルーペで確認するまでもありません。
 葉の形状は完全に一致しています。

「アルフレッド様。原因が分かりました。毒ガスではありません」

「ほう?」

「この生け垣です」

 私は手に持った枝を掲げました。

「これはイチイの木です。別名、オンコ。常緑で美しい木ですが……、牛にとっては猛毒です」

「はあ? 何を言っている。ただの木の葉っぱだぞ?」

 エドワード様が鼻で笑いました。
 アルフレッド様が私の手から枝を受け取り、鋭い眼光でエドワード様を射抜きました。

「……なるほど。イチイか。学名は Taxus baccata(タクサス・バッカータ)。その学名が毒(Toxic)の語源になったとも言われる植物だ」

「ど、毒の語源……?」

「そうだ。イチイの木、特に葉と種子にはタキシンというアルカロイドが含まれている。これは心臓に作用する神経毒だ。即効性があり、わずか数百グラム食べただけで、牛や馬といった大型動物でも心臓麻痺を起こして死に至る」

 アルフレッド様は、牛の死骸のそばに散乱していた剪定枝を指差しました。

「昨日、剪定させたと言ったな? お前の雇った庭師は、刈り取った枝を片付けもせず、そのまま牧草地側に放置したのだ。牛たちは、足元に転がってきた新鮮な緑の葉を喜んで食べた。……それが最後の晩餐になるとも知らずにな」

 牧場主の顔色がさっと変わりました。

「そ、そういえば……、イチイは昔から馬殺しの木なんて呼ばれて、牧場の近くには植えちゃなんねぇって爺ちゃんが言ってた……」

「そ、そんな……、まさか……」

 エドワード様が後ずさりします。

「俺はただ、境界線を見栄え良くしようと……。高級感のある生け垣にしたかっただけで……」

「見栄えのために毒を植え、管理を怠って毒を撒き散らした。それが真実だ」

 アルフレッド様は冷酷に断罪しました。

「乾燥したイチイの葉は、生の状態よりも毒性が強いという説もある。剪定ゴミを放置するなど、牧場主として、いや人間として想像力が欠如していると言わざるを得ない」

 牧場主や村人たちの敵意の矛先が、一瞬にしてエドワード様へと反転しました。

「なんてことをしてくれたんだ!」

「あんたの見栄のせいで、俺たちの牛が!」

「賠償金だ! 公爵様じゃねえ、あんたが払え!」

 怒号に囲まれ、エドワード様は顔面蒼白で震え上がりました。

「ひ、ひぃぃっ! わ、分かった! 払う! 払うから乱暴はよせぇぇ!」

 逃げ惑うエドワード様を尻目に、アルフレッド様は私に静かに話しかけました。

「……フローラ。残った枝をすぐに回収しろ。まだ食べていない牛がいるかもしれない」

「はい!」

 私とアルフレッド様は、騒ぎをよそに黙々と牧草地に入り、落ちているイチイの枝を拾い集めました。
 一抱えほどの枝を集め終えた頃、ようやく騒動が一段落しました。

「かわいそうに……」

 私は動かなくなった牛の頭を撫でました。

 人間の無知の犠牲になった命。
 胸が痛みます。

「……フローラ」

 アルフレッド様が私の隣に立ち、ハンカチで私の泥だらけの手を拭ってくれました。

「君が気づかなければ、残りの牛も死んでいたかもしれない。……悲しいが、失われた命は戻らない。だが、君が救った命もある」

「アルフレッド様……」

「君は優しいな。そして、その目は確かだ。……誇っていい」

 不器用な慰めの言葉に、涙が滲みました。
 境界線の生け垣は、領地を分けるだけでなく、知識を持つ者と持たざる者の残酷な境界線でもあったのです。

 翌日、エドワード様の領地では、美しいイチイの生け垣が全て撤去され、無骨な木の柵に変えられました。
 そして、多額の賠償金を支払った伯爵家の財政は、さらに傾くことになったのでした。
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