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第21話:社交界への帰還
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馬車の窓から見える王都の街並みは、私の記憶よりもずっと煌びやかで、そして少しだけ息苦しく感じられました。
かつて雑草と蔑まれ、逃げるように去ったこの場所に、まさかこんな形で戻ってくることになるとは。
「……顔色が悪いぞ、フローラ。光合成不足か?」
隣に座るアルフレッド様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
今日の彼は、いつもの白衣ではありません。
王家紋章入りの正装に身を包み、銀髪を完璧に整えた姿は、誰もが振り返るような深窓の公爵様そのものです。
「い、いえ。ただ、少し緊張してしまって……。私のような者が、国王陛下主催の夜会に参加しても本当によろしいのでしょうか」
「君のような者、とは何だ。君はリンネ公爵家の筆頭研究員であり、私の正式なパートナーだ」
アルフレッド様は、私の髪に挿した髪飾りを指先で優しく触れました。
それは今日のドレス――私の瞳と同じ若草色のシルク――に合わせて彼が贈ってくれた、プラチナ製の髪飾りでした。
モチーフになっているのは、小さく可憐なリンネソウの花です。
「それに、君はもう以前の君ではない。私の隣に立つに相応しい、知性と強さを備えている。……胸を張れ」
「……はい、アルフレッド様」
馬車が王宮の車寄せに止まりました。
扉が開かれた瞬間、光と音楽、そして貴族たちの喧騒が押し寄せてきました。
大広間に足を踏み入れた途端、会場の空気が一瞬止まったような気がしました。
そしてすぐに、さざ波のような呟きが広がります。
「あれは……、リンネ公爵閣下?」
「相変わらずお美しいけど、隣にいるのは……」
「まさか、あの雑草令嬢フローラ? 婚約破棄されて田舎に引っ込んだはずじゃ……」
扇子の裏から突き刺さる、嘲笑と好奇の視線。
かつての私なら、ここで俯いて震えていたでしょう。
でも、今の私の手は、アルフレッド様の腕にしっかりと支えられています。
私は雑草じゃない。
自分の足で立って、根を張っているわ。
私が背筋を伸ばして歩を進めると、人垣が割れ、そこに見慣れた――そして見たくもなかった二人の姿が現れました。
「やあやあ、公爵。それにフローラ。まさか王都に舞い戻ってくるとはね」
エドワード様です。
相変わらず派手な衣装ですが、領地での失態続きで心なしか痩せたように見えます。
そしてその腕には、ベアトリス様が寄り添っていました。
「ごきげんよう、フローラさん。……まあ、地味な色のドレスですこと。せっかくの夜会なのに、華がありませんわね」
ベアトリス様は、勝ち誇ったように自分のドレスを見せつけました。
それは、目が痛くなるほど鮮やかな、深いエメラルドグリーンのドレスでした。
会場の照明を浴びて、毒々しいまでに輝いています。
「見てくださいな。これが今、大流行中のパリス・グリーンという色ですの。この鮮やかさは、最新の科学染料でしか出せませんのよ」
「……なるほど。確かに目に焼き付く色だな」
アルフレッド様が、ベアトリス様のドレスをじっと見つめました。
その目は、美しい女性を見る目ではなく、興味深い毒虫を見る時の目です。
「エドワード様、聞いた話では、フローラさんは公爵様のメイドとして働いているそうですわね? 使用人が夜会に紛れ込むなんて、警備の方は何をしていますの?」
ベアトリス様がクスクスと笑うと、周囲の貴族たちも同調して笑いました。
エドワード様が追い打ちをかけます。
「おいおい、フローラ。君の居場所は壁際の花瓶の隣だろ? そこがお似合いだ」
嘲笑がピークに達した時、アルフレッド様が静かに、しかし会場の隅々まで響く声で言いました。
「……実に不愉快だ。ここの空気は、腐った堆肥よりも淀んでいるな」
一瞬で静寂が訪れました。
「エドワード君。君の眼球は飾りか? 彼女が着けている髪飾りの意味も理解できんとは」
アルフレッド様は、私の髪飾り――リンネソウのプラチナ細工を指差しました。
「これは我がリンネ公爵家の紋章花だ。これを身につけている意味は一つ。彼女は我が家の不可侵の賓客であり、私が全霊を持って守護する対象だということだ」
「なっ、もん、紋章……!?」
「メイドだと? とんでもない。彼女は王立学術顧問である私の、共同研究者だ。彼女の頭脳は、ここにいる有象無象が束になっても敵わない価値がある」
アルフレッド様は私を強く引き寄せ、周囲を冷徹に睥睨しました。
「彼女を侮辱することは、このアルフレッド・フォン・リンネへの宣戦布告とみなす。……まさか、我が家の植物園の肥料になりたい者はいないだろうな?」
その言葉の迫力に、エドワード様たちは「ひっ」と息を呑んで後ずさりしました。
周囲の貴族たちも、慌てて視線を逸らします。
「さあ、行こうかフローラ。音楽が始まった」
「えっ、あ、アルフレッド様? 私、ダンスなんて……」
「植物のダンス(動き)を熟知している君なら簡単だ。私のリード(茎)に合わせて、花のように揺れればいい」
アルフレッド様は強引に、けれど優雅に私をダンスフロアへと連れ出しました。
ワルツの調べに合わせて、私たちは踊り始めました。
最初はぎこちなかった私も、彼の完璧なリードに身を任せるうちに、自然と体が動くようになりました。
「……すごいです、アルフレッド様。皆が見ています」
「見せてやればいい。君という花が、どれほど美しく咲いたかを」
回転の最中、私はふと、フロアの端で唇を噛んでいるベアトリス様と目が合いました。
その顔色は、化粧のせいか、それとも照明の加減か、ひどく白く見えました。
そして、彼女が咳き込みながら胸元を抑える仕草に、私は微かな違和感を覚えました。
……あの鮮やかな緑色のドレス。
どこかで見たことがある色だわ。
図鑑の記憶を辿ります。
自然界には存在しないほど鮮烈で、人工的な緑色。
「……アルフレッド様。ベアトリス様のドレスの色、綺麗ですが……、少し不自然ではありませんか?」
「ほう。君も気づいたか」
アルフレッド様は踊りながら、私の耳元で囁きました。
「あれはシェーレ・グリーン。近年発明された銅とヒ素の化合物だ。確かに美しいが……、死を招く色だ」
「ヒ素……!?」
「今宵はただの挨拶代わりだ。だが、警告は必要かもしれんな。……流行とは、時に無知な者を殺す甘い罠になる」
曲が終わり、アルフレッド様が恭しく礼をすると、会場からは先ほどの嘲笑とは打って変わって、割れんばかりの拍手が湧き起こりました。
私はもう雑草令嬢ではありません。
公爵様のパートナーとして、そして一人の研究者として、この華やかで危険な毒の園(社交界)に足を踏み入れたのです。
「帰ったら、あの緑色の成分について詳しく分析しましょう」
「ああ。忙しくなるぞ」
私たちは喝采の中、堂々とフロアを後にしました。
鮮やかな緑のドレスが孕む闇が、すぐそこまで迫っているとも知らずに……。
かつて雑草と蔑まれ、逃げるように去ったこの場所に、まさかこんな形で戻ってくることになるとは。
「……顔色が悪いぞ、フローラ。光合成不足か?」
隣に座るアルフレッド様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
今日の彼は、いつもの白衣ではありません。
王家紋章入りの正装に身を包み、銀髪を完璧に整えた姿は、誰もが振り返るような深窓の公爵様そのものです。
「い、いえ。ただ、少し緊張してしまって……。私のような者が、国王陛下主催の夜会に参加しても本当によろしいのでしょうか」
「君のような者、とは何だ。君はリンネ公爵家の筆頭研究員であり、私の正式なパートナーだ」
アルフレッド様は、私の髪に挿した髪飾りを指先で優しく触れました。
それは今日のドレス――私の瞳と同じ若草色のシルク――に合わせて彼が贈ってくれた、プラチナ製の髪飾りでした。
モチーフになっているのは、小さく可憐なリンネソウの花です。
「それに、君はもう以前の君ではない。私の隣に立つに相応しい、知性と強さを備えている。……胸を張れ」
「……はい、アルフレッド様」
馬車が王宮の車寄せに止まりました。
扉が開かれた瞬間、光と音楽、そして貴族たちの喧騒が押し寄せてきました。
大広間に足を踏み入れた途端、会場の空気が一瞬止まったような気がしました。
そしてすぐに、さざ波のような呟きが広がります。
「あれは……、リンネ公爵閣下?」
「相変わらずお美しいけど、隣にいるのは……」
「まさか、あの雑草令嬢フローラ? 婚約破棄されて田舎に引っ込んだはずじゃ……」
扇子の裏から突き刺さる、嘲笑と好奇の視線。
かつての私なら、ここで俯いて震えていたでしょう。
でも、今の私の手は、アルフレッド様の腕にしっかりと支えられています。
私は雑草じゃない。
自分の足で立って、根を張っているわ。
私が背筋を伸ばして歩を進めると、人垣が割れ、そこに見慣れた――そして見たくもなかった二人の姿が現れました。
「やあやあ、公爵。それにフローラ。まさか王都に舞い戻ってくるとはね」
エドワード様です。
相変わらず派手な衣装ですが、領地での失態続きで心なしか痩せたように見えます。
そしてその腕には、ベアトリス様が寄り添っていました。
「ごきげんよう、フローラさん。……まあ、地味な色のドレスですこと。せっかくの夜会なのに、華がありませんわね」
ベアトリス様は、勝ち誇ったように自分のドレスを見せつけました。
それは、目が痛くなるほど鮮やかな、深いエメラルドグリーンのドレスでした。
会場の照明を浴びて、毒々しいまでに輝いています。
「見てくださいな。これが今、大流行中のパリス・グリーンという色ですの。この鮮やかさは、最新の科学染料でしか出せませんのよ」
「……なるほど。確かに目に焼き付く色だな」
アルフレッド様が、ベアトリス様のドレスをじっと見つめました。
その目は、美しい女性を見る目ではなく、興味深い毒虫を見る時の目です。
「エドワード様、聞いた話では、フローラさんは公爵様のメイドとして働いているそうですわね? 使用人が夜会に紛れ込むなんて、警備の方は何をしていますの?」
ベアトリス様がクスクスと笑うと、周囲の貴族たちも同調して笑いました。
エドワード様が追い打ちをかけます。
「おいおい、フローラ。君の居場所は壁際の花瓶の隣だろ? そこがお似合いだ」
嘲笑がピークに達した時、アルフレッド様が静かに、しかし会場の隅々まで響く声で言いました。
「……実に不愉快だ。ここの空気は、腐った堆肥よりも淀んでいるな」
一瞬で静寂が訪れました。
「エドワード君。君の眼球は飾りか? 彼女が着けている髪飾りの意味も理解できんとは」
アルフレッド様は、私の髪飾り――リンネソウのプラチナ細工を指差しました。
「これは我がリンネ公爵家の紋章花だ。これを身につけている意味は一つ。彼女は我が家の不可侵の賓客であり、私が全霊を持って守護する対象だということだ」
「なっ、もん、紋章……!?」
「メイドだと? とんでもない。彼女は王立学術顧問である私の、共同研究者だ。彼女の頭脳は、ここにいる有象無象が束になっても敵わない価値がある」
アルフレッド様は私を強く引き寄せ、周囲を冷徹に睥睨しました。
「彼女を侮辱することは、このアルフレッド・フォン・リンネへの宣戦布告とみなす。……まさか、我が家の植物園の肥料になりたい者はいないだろうな?」
その言葉の迫力に、エドワード様たちは「ひっ」と息を呑んで後ずさりしました。
周囲の貴族たちも、慌てて視線を逸らします。
「さあ、行こうかフローラ。音楽が始まった」
「えっ、あ、アルフレッド様? 私、ダンスなんて……」
「植物のダンス(動き)を熟知している君なら簡単だ。私のリード(茎)に合わせて、花のように揺れればいい」
アルフレッド様は強引に、けれど優雅に私をダンスフロアへと連れ出しました。
ワルツの調べに合わせて、私たちは踊り始めました。
最初はぎこちなかった私も、彼の完璧なリードに身を任せるうちに、自然と体が動くようになりました。
「……すごいです、アルフレッド様。皆が見ています」
「見せてやればいい。君という花が、どれほど美しく咲いたかを」
回転の最中、私はふと、フロアの端で唇を噛んでいるベアトリス様と目が合いました。
その顔色は、化粧のせいか、それとも照明の加減か、ひどく白く見えました。
そして、彼女が咳き込みながら胸元を抑える仕草に、私は微かな違和感を覚えました。
……あの鮮やかな緑色のドレス。
どこかで見たことがある色だわ。
図鑑の記憶を辿ります。
自然界には存在しないほど鮮烈で、人工的な緑色。
「……アルフレッド様。ベアトリス様のドレスの色、綺麗ですが……、少し不自然ではありませんか?」
「ほう。君も気づいたか」
アルフレッド様は踊りながら、私の耳元で囁きました。
「あれはシェーレ・グリーン。近年発明された銅とヒ素の化合物だ。確かに美しいが……、死を招く色だ」
「ヒ素……!?」
「今宵はただの挨拶代わりだ。だが、警告は必要かもしれんな。……流行とは、時に無知な者を殺す甘い罠になる」
曲が終わり、アルフレッド様が恭しく礼をすると、会場からは先ほどの嘲笑とは打って変わって、割れんばかりの拍手が湧き起こりました。
私はもう雑草令嬢ではありません。
公爵様のパートナーとして、そして一人の研究者として、この華やかで危険な毒の園(社交界)に足を踏み入れたのです。
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