婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

文字の大きさ
21 / 50

第21話:社交界への帰還

しおりを挟む
 馬車の窓から見える王都の街並みは、私の記憶よりもずっと煌びやかで、そして少しだけ息苦しく感じられました。
 かつて雑草と蔑まれ、逃げるように去ったこの場所に、まさかこんな形で戻ってくることになるとは。

「……顔色が悪いぞ、フローラ。光合成不足か?」

 隣に座るアルフレッド様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。

 今日の彼は、いつもの白衣ではありません。
 王家紋章入りの正装に身を包み、銀髪を完璧に整えた姿は、誰もが振り返るような深窓の公爵様そのものです。

「い、いえ。ただ、少し緊張してしまって……。私のような者が、国王陛下主催の夜会に参加しても本当によろしいのでしょうか」

「君のような者、とは何だ。君はリンネ公爵家の筆頭研究員であり、私の正式なパートナーだ」

 アルフレッド様は、私の髪に挿した髪飾りを指先で優しく触れました。

 それは今日のドレス――私の瞳と同じ若草色のシルク――に合わせて彼が贈ってくれた、プラチナ製の髪飾りでした。
 モチーフになっているのは、小さく可憐なリンネソウの花です。

「それに、君はもう以前の君ではない。私の隣に立つに相応しい、知性と強さを備えている。……胸を張れ」

「……はい、アルフレッド様」

 馬車が王宮の車寄せに止まりました。
 扉が開かれた瞬間、光と音楽、そして貴族たちの喧騒が押し寄せてきました。

 大広間に足を踏み入れた途端、会場の空気が一瞬止まったような気がしました。
 そしてすぐに、さざ波のような呟きが広がります。

「あれは……、リンネ公爵閣下?」

「相変わらずお美しいけど、隣にいるのは……」

「まさか、あの雑草令嬢フローラ? 婚約破棄されて田舎に引っ込んだはずじゃ……」

 扇子の裏から突き刺さる、嘲笑と好奇の視線。

 かつての私なら、ここで俯いて震えていたでしょう。
 でも、今の私の手は、アルフレッド様の腕にしっかりと支えられています。

 私は雑草じゃない。
 自分の足で立って、根を張っているわ。

 私が背筋を伸ばして歩を進めると、人垣が割れ、そこに見慣れた――そして見たくもなかった二人の姿が現れました。

「やあやあ、公爵。それにフローラ。まさか王都に舞い戻ってくるとはね」

 エドワード様です。
 相変わらず派手な衣装ですが、領地での失態続きで心なしか痩せたように見えます。
 そしてその腕には、ベアトリス様が寄り添っていました。

「ごきげんよう、フローラさん。……まあ、地味な色のドレスですこと。せっかくの夜会なのに、華がありませんわね」

 ベアトリス様は、勝ち誇ったように自分のドレスを見せつけました。
 それは、目が痛くなるほど鮮やかな、深いエメラルドグリーンのドレスでした。
 会場の照明を浴びて、毒々しいまでに輝いています。

「見てくださいな。これが今、大流行中のパリス・グリーンという色ですの。この鮮やかさは、最新の科学染料でしか出せませんのよ」

「……なるほど。確かに目に焼き付く色だな」

 アルフレッド様が、ベアトリス様のドレスをじっと見つめました。
 その目は、美しい女性を見る目ではなく、興味深い毒虫を見る時の目です。

「エドワード様、聞いた話では、フローラさんは公爵様のメイドとして働いているそうですわね? 使用人が夜会に紛れ込むなんて、警備の方は何をしていますの?」

 ベアトリス様がクスクスと笑うと、周囲の貴族たちも同調して笑いました。
 エドワード様が追い打ちをかけます。

「おいおい、フローラ。君の居場所は壁際の花瓶の隣だろ? そこがお似合いだ」

 嘲笑がピークに達した時、アルフレッド様が静かに、しかし会場の隅々まで響く声で言いました。

「……実に不愉快だ。ここの空気は、腐った堆肥よりも淀んでいるな」

 一瞬で静寂が訪れました。

「エドワード君。君の眼球は飾りか? 彼女が着けている髪飾りの意味も理解できんとは」

 アルフレッド様は、私の髪飾り――リンネソウのプラチナ細工を指差しました。

「これは我がリンネ公爵家の紋章花だ。これを身につけている意味は一つ。彼女は我が家のであり、私が全霊を持って守護する対象だということだ」

「なっ、もん、紋章……!?」

「メイドだと? とんでもない。彼女は王立学術顧問である私の、共同研究者だ。彼女の頭脳は、ここにいる有象無象が束になっても敵わない価値がある」

 アルフレッド様は私を強く引き寄せ、周囲を冷徹に睥睨しました。

「彼女を侮辱することは、このアルフレッド・フォン・リンネへの宣戦布告とみなす。……まさか、我が家の植物園の肥料になりたい者はいないだろうな?」

 その言葉の迫力に、エドワード様たちは「ひっ」と息を呑んで後ずさりしました。
 周囲の貴族たちも、慌てて視線を逸らします。

「さあ、行こうかフローラ。音楽が始まった」

「えっ、あ、アルフレッド様? 私、ダンスなんて……」

「植物のダンス(動き)を熟知している君なら簡単だ。私のリード(茎)に合わせて、花のように揺れればいい」

 アルフレッド様は強引に、けれど優雅に私をダンスフロアへと連れ出しました。

 ワルツの調べに合わせて、私たちは踊り始めました。
 最初はぎこちなかった私も、彼の完璧なリードに身を任せるうちに、自然と体が動くようになりました。

「……すごいです、アルフレッド様。皆が見ています」

「見せてやればいい。君という花が、どれほど美しく咲いたかを」

 回転の最中、私はふと、フロアの端で唇を噛んでいるベアトリス様と目が合いました。

 その顔色は、化粧のせいか、それとも照明の加減か、ひどく白く見えました。
 そして、彼女が咳き込みながら胸元を抑える仕草に、私は微かな違和感を覚えました。

 ……あの鮮やかな緑色のドレス。
 どこかで見たことがある色だわ。

 図鑑の記憶を辿ります。
 自然界には存在しないほど鮮烈で、人工的な緑色。
 
「……アルフレッド様。ベアトリス様のドレスの色、綺麗ですが……、少し不自然ではありませんか?」

「ほう。君も気づいたか」

 アルフレッド様は踊りながら、私の耳元で囁きました。

「あれはシェーレ・グリーン。近年発明された銅とヒ素の化合物だ。確かに美しいが……、死を招く色だ」

「ヒ素……!?」

「今宵はただの挨拶代わりだ。だが、警告は必要かもしれんな。……流行とは、時に無知な者を殺す甘い罠になる」

 曲が終わり、アルフレッド様が恭しく礼をすると、会場からは先ほどの嘲笑とは打って変わって、割れんばかりの拍手が湧き起こりました。

 私はもう雑草令嬢ではありません。
 公爵様のパートナーとして、そして一人の研究者として、この華やかで危険な毒の園(社交界)に足を踏み入れたのです。

「帰ったら、あの緑色の成分について詳しく分析しましょう」

「ああ。忙しくなるぞ」

 私たちは喝采の中、堂々とフロアを後にしました。
 鮮やかな緑のドレスが孕む闇が、すぐそこまで迫っているとも知らずに……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。

朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。 ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

追放された悪役令嬢は、氷の辺境伯に何故か過保護に娶られました ~今更ですが、この温もりは手放せません!?~

放浪人
恋愛
公爵令嬢セラフィナは、異母妹イゾルデの策略により、婚約者である王子アラリックから「悪役令嬢」の汚名を着せられ、婚約破棄と同時に辺境への追放を宣告される。絶望の中、彼女を待ち受けていたのは、冷酷無比と噂される「氷の辺境伯」カシアンとの政略結婚だった。死をも覚悟するセラフィナだったが、カシアンは噂とは裏腹に、不器用ながらも彼女を大切に扱い始める。戸惑いながらも、カシアンの隠された優しさに触れ、凍てついた心が少しずつ溶かされていくセラフィナ。しかし、そんな彼女たちの穏やかな日々を、過去の陰謀が再び脅かそうとする。果たしてセラフィナは、降りかかる不遇を乗り越え、カシアンと共に真実の愛と幸福を掴むことができるのか? そして、彼女を陥れた者たちに訪れる運命とは――?

婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています

鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、 「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた 公爵令嬢アイシス・フローレス。 ――しかし本人は、内心大喜びしていた。 「これで、自由な生活ができますわ!」 ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、 “冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。 ところがこの旦那様、噂とは真逆で—— 誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……? 静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、 やがて互いの心を少しずつ近づけていく。 そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。 「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、 平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。 しかしアイシスは毅然と言い放つ。 「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」 ――婚約破棄のざまぁはここからが本番。 王都から逃げる王太子、 彼を裁く新王、 そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。 契約から始まった関係は、 やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!

幼馴染に振られたので薬学魔法士目指す

MIRICO
恋愛
オレリアは幼馴染に失恋したのを機に、薬学魔法士になるため、都の学院に通うことにした。 卒院の単位取得のために王宮の薬学研究所で働くことになったが、幼馴染が騎士として働いていた。しかも、幼馴染の恋人も侍女として王宮にいる。 二人が一緒にいるのを見るのはつらい。しかし、幼馴染はオレリアをやたら構ってくる。そのせいか、恋人同士を邪魔する嫌な女と噂された。その上、オレリアが案内した植物園で、相手の子が怪我をしてしまい、殺そうとしたまで言われてしまう。 私は何もしていないのに。 そんなオレリアを助けてくれたのは、ボサボサ頭と髭面の、薬学研究所の局長。実は王の甥で、第二継承権を持った、美丈夫で、女性たちから大人気と言われる人だった。 ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。 お返事ネタバレになりそうなので、申し訳ありませんが控えさせていただきます。 ちゃんと読んでおります。ありがとうございます。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました

日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。 だが彼に溺愛され家は再興。 見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。

処理中です...