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第22話:緑色のドレス
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ワルツが終わり、私たちがフロアの端で休息をとっていると、再びあの強烈な色彩が近づいてきました。
エドワード様に支えられたベアトリス様です。
遠目には華やかに見えた彼女ですが、近くで見るとその異様さは明らかでした。
厚塗りの白粉でも隠しきれないほど顔色は土気色で、額には脂汗が滲んでいます。
「……ハァ、ハァ。いい気にならないでちょうだい、フローラ」
ベアトリス様は荒い呼吸を整えながら、私を睨みつけました。
「たかがダンスを一度踊ったくらいで。……わたくしの、この最新流行のドレスの方が、ずっと注目を集めていましたわ」
「ベアトリス様、お顔色が優れません。少し休まれた方が……」
「うるさいわね! わたくしは元気よ。ただ、この会場の空気が悪くて、少し目眩がするだけ……」
彼女は言いながら、手袋をした手で首筋や腕をボリボリと掻きむしりました。
見れば、ドレスの布地が触れているデコルテや二の腕の皮膚が、赤くただれています。
「おいベアトリス、あまり掻くな。肌が荒れるぞ」
「だって、痒いんですもの! それに、なんだか頭も痛いし、吐き気も……」
その時でした。
ベアトリス様がふらりと体勢を崩し、膝から崩れ落ちそうになりました。
エドワード様が慌てて支えますが、彼女はそのまま激しく咳き込みました。
「ベアトリス! どうした!?」
「ま、まさか……、フローラ! お前、すれ違いざまに何か毒でも盛ったのか!?」
エドワード様が私に向かって叫びました。
周囲の貴族たちがざわめき、遠巻きに私たちを取り囲みます。
「いいえ! 私は指一本触れていません!」
「嘘をつくな! さっきまで元気だった彼女が、急にこんなことになるなんておかしいだろう!」
エドワード様の理不尽な糾弾に、私が反論しようとした瞬間、アルフレッド様がスッと手を差し出し、私の前に立ちました。
「……騒ぐな、無能。毒なら確かに盛られている。だが、盛ったのはフローラではない」
「な、なんだと? じゃあ誰だ!」
「お前だ、エドワード」
「はあ!?」
アルフレッド様は、苦しむベアトリス様のドレスの裾を指差しました。
「正確には、お前が買い与えたそのドレスだ」
アルフレッド様は懐から純白のハンカチを取り出すと、ベアトリス様のドレスの生地を、軽く一撫でしました。
そして、そのハンカチを皆に見えるように掲げます。
白い布には、鮮やかな緑色の粉末がべっとりと付着していました。
「見ろ。この美しい緑色の正体を」
「い、色が落ちたのか? 安物じゃあるまいし……」
「安物ではないかもしれんが、製法は粗悪だ。この顔料の定着は甘く、少し動くだけで微細な粉末となって空中に舞い散る」
アルフレッド様は、ハンカチについた粉を払う素振りをしながら、冷徹に告げました。
「この色の名はシェーレ・グリーン。成分名は亜ヒ酸銅。……つまり、銅とヒ素の化合物だ」
ヒ素。
その単語が出た瞬間、周囲の貴族たちから悲鳴が上がり、ベアトリス様の周りから蜘蛛の子を散らすように人が離れました。
ヒ素は、古くから暗殺に使われてきた有名な猛毒です。
「ひ、ヒ素ですって……!?」
「ああ。この鮮やかなエメラルドグリーンを出すために、大量の亜ヒ酸が使われている。流行していると言ったな? 確かに流行ってはいるが、その裏で緑色の死と呼ばれ、着用者や製法職人が次々と謎の死を遂げているのを知らんのか」
アルフレッド様は、ベアトリス様のただれた肌を指しました。
「皮膚の炎症、吐き気、頭痛、めまい。典型的なヒ素中毒の症状だ。彼女は今、全身に毒を塗りたくり、舞い散る毒の粉を吸い込み続けている状態だ」
「そ、そんな……。だって、こんなに綺麗なのに……」
ベアトリス様は震える手で自分のドレスを見下ろしました。
彼女が愛し、誇示していた色が、自分を殺そうとしている。
「待てよ公爵! じゃあ、俺がベアトリスに毒を送ったって言うのか!?」
「結果的にはな。……それに、嫌な予感がするな」
アルフレッド様は目を細めました。
「ベアトリス嬢。先ほど、屋敷の自室もこの色で統一したと言っていなかったか?」
「は、はい……。壁紙も、カーテンも、ベッドカバーも……、すべてこのパリス・グリーンで揃えましたわ。グリーン・ルームと呼んで、とても気に入って……」
「馬鹿者が」
アルフレッド様が吐き捨てるように言いました。
「ドレスなら脱げば済む。だが、壁紙に使われているとなれば話は別だ。湿気を含んだ壁紙からは、カビの働きによってトリメチルアルシンという猛毒ガスが発生する」
「ガ、ガス……?」
「その部屋で一晩眠れば、二度と目覚めることはないかもしれんぞ。いや、既に慢性的な中毒になっているはずだ。最近、原因不明の倦怠感や手足のしびれはなかったか?」
ベアトリス様の顔が絶望に歪みました。
「あ……、あります。毎朝起きると頭が痛くて……、髪もよく抜けるようになって……」
「それが証拠だ。君は自分の寝室を、処刑用のガス室に改装したのだよ」
ベアトリス様は「いやぁぁぁ!」と絶叫し、その場でドレスを引き裂かんばかりに暴れ出しました。
「脱ぐわ! 今すぐ脱ぐ! 死にたくない!」
「お、おい落ち着けベアトリス! ここで脱ぐな!」
半狂乱の彼女をエドワード様が必死に抑え込みます。
会場は阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。
「……フローラ。出番だ」
「はい!」
私は上着を脱ぎ、暴れるベアトリス様に駆け寄って肩からかけました。
「ベアトリス様、落ち着いてください! 今すぐ別室へ移動しましょう。ドレスを脱いで、お湯で全身を洗えば助かります!」
「フ、フローラ……、わたくし、死ぬの……?」
「大丈夫です、まだ間に合います! 解毒には新鮮な牛乳と卵白が良いとされています。すぐに手配します!」
私は震える彼女を抱きかかえ、侍女たちに指示を出して会場の外へと連れ出しました。
去り際、アルフレッド様が呆然と立ち尽くすエドワード様に冷たい一瞥を投げかけました。
「美しさを追求するのは結構だが、その代償が命では割に合わんだろう。……屋敷の壁紙も、全て剥がして燃やすことだ。ただし、煙を吸えば死ぬから、業者は慎重に選ぶんだな」
エドワード様は膝から崩れ落ちました。
流行の最先端を取り入れたつもりが、屋敷ごと毒に汚染されていたのです。
その後、ベアトリス様は一命を取り留めましたが、長い療養生活を余儀なくされました。
自慢の緑の部屋は完全封鎖され、清掃が入ったそうです。
帰りの馬車の中、私はぐったりとシートに身を沈めました。
「……疲れました」
「よくやった。君の迅速な対応がなければ、彼女はショック死していたかもしれん」
アルフレッド様は私の手を握りました。
「人間というのは愚かだ。見た目の鮮やかさに目を奪われ、その本質に潜む毒を見ようとしない」
「……でも、ベアトリス様、泣いていました。『綺麗になりたかっただけなのに』って」
「美への執着は否定しない。だが、科学的知識のない美は脆い。……君のように、健康的な頬の色こそが、何よりも美しいということを理解すべきだな」
不意打ちの言葉に、私は頬が熱くなるのを感じました。
窓の外の王都の夜景は美しいけれど、その光の影には、まだまだ多くの無知な毒が潜んでいるのかもしれません。
私たちの戦いは、まだ終わらないようです。
エドワード様に支えられたベアトリス様です。
遠目には華やかに見えた彼女ですが、近くで見るとその異様さは明らかでした。
厚塗りの白粉でも隠しきれないほど顔色は土気色で、額には脂汗が滲んでいます。
「……ハァ、ハァ。いい気にならないでちょうだい、フローラ」
ベアトリス様は荒い呼吸を整えながら、私を睨みつけました。
「たかがダンスを一度踊ったくらいで。……わたくしの、この最新流行のドレスの方が、ずっと注目を集めていましたわ」
「ベアトリス様、お顔色が優れません。少し休まれた方が……」
「うるさいわね! わたくしは元気よ。ただ、この会場の空気が悪くて、少し目眩がするだけ……」
彼女は言いながら、手袋をした手で首筋や腕をボリボリと掻きむしりました。
見れば、ドレスの布地が触れているデコルテや二の腕の皮膚が、赤くただれています。
「おいベアトリス、あまり掻くな。肌が荒れるぞ」
「だって、痒いんですもの! それに、なんだか頭も痛いし、吐き気も……」
その時でした。
ベアトリス様がふらりと体勢を崩し、膝から崩れ落ちそうになりました。
エドワード様が慌てて支えますが、彼女はそのまま激しく咳き込みました。
「ベアトリス! どうした!?」
「ま、まさか……、フローラ! お前、すれ違いざまに何か毒でも盛ったのか!?」
エドワード様が私に向かって叫びました。
周囲の貴族たちがざわめき、遠巻きに私たちを取り囲みます。
「いいえ! 私は指一本触れていません!」
「嘘をつくな! さっきまで元気だった彼女が、急にこんなことになるなんておかしいだろう!」
エドワード様の理不尽な糾弾に、私が反論しようとした瞬間、アルフレッド様がスッと手を差し出し、私の前に立ちました。
「……騒ぐな、無能。毒なら確かに盛られている。だが、盛ったのはフローラではない」
「な、なんだと? じゃあ誰だ!」
「お前だ、エドワード」
「はあ!?」
アルフレッド様は、苦しむベアトリス様のドレスの裾を指差しました。
「正確には、お前が買い与えたそのドレスだ」
アルフレッド様は懐から純白のハンカチを取り出すと、ベアトリス様のドレスの生地を、軽く一撫でしました。
そして、そのハンカチを皆に見えるように掲げます。
白い布には、鮮やかな緑色の粉末がべっとりと付着していました。
「見ろ。この美しい緑色の正体を」
「い、色が落ちたのか? 安物じゃあるまいし……」
「安物ではないかもしれんが、製法は粗悪だ。この顔料の定着は甘く、少し動くだけで微細な粉末となって空中に舞い散る」
アルフレッド様は、ハンカチについた粉を払う素振りをしながら、冷徹に告げました。
「この色の名はシェーレ・グリーン。成分名は亜ヒ酸銅。……つまり、銅とヒ素の化合物だ」
ヒ素。
その単語が出た瞬間、周囲の貴族たちから悲鳴が上がり、ベアトリス様の周りから蜘蛛の子を散らすように人が離れました。
ヒ素は、古くから暗殺に使われてきた有名な猛毒です。
「ひ、ヒ素ですって……!?」
「ああ。この鮮やかなエメラルドグリーンを出すために、大量の亜ヒ酸が使われている。流行していると言ったな? 確かに流行ってはいるが、その裏で緑色の死と呼ばれ、着用者や製法職人が次々と謎の死を遂げているのを知らんのか」
アルフレッド様は、ベアトリス様のただれた肌を指しました。
「皮膚の炎症、吐き気、頭痛、めまい。典型的なヒ素中毒の症状だ。彼女は今、全身に毒を塗りたくり、舞い散る毒の粉を吸い込み続けている状態だ」
「そ、そんな……。だって、こんなに綺麗なのに……」
ベアトリス様は震える手で自分のドレスを見下ろしました。
彼女が愛し、誇示していた色が、自分を殺そうとしている。
「待てよ公爵! じゃあ、俺がベアトリスに毒を送ったって言うのか!?」
「結果的にはな。……それに、嫌な予感がするな」
アルフレッド様は目を細めました。
「ベアトリス嬢。先ほど、屋敷の自室もこの色で統一したと言っていなかったか?」
「は、はい……。壁紙も、カーテンも、ベッドカバーも……、すべてこのパリス・グリーンで揃えましたわ。グリーン・ルームと呼んで、とても気に入って……」
「馬鹿者が」
アルフレッド様が吐き捨てるように言いました。
「ドレスなら脱げば済む。だが、壁紙に使われているとなれば話は別だ。湿気を含んだ壁紙からは、カビの働きによってトリメチルアルシンという猛毒ガスが発生する」
「ガ、ガス……?」
「その部屋で一晩眠れば、二度と目覚めることはないかもしれんぞ。いや、既に慢性的な中毒になっているはずだ。最近、原因不明の倦怠感や手足のしびれはなかったか?」
ベアトリス様の顔が絶望に歪みました。
「あ……、あります。毎朝起きると頭が痛くて……、髪もよく抜けるようになって……」
「それが証拠だ。君は自分の寝室を、処刑用のガス室に改装したのだよ」
ベアトリス様は「いやぁぁぁ!」と絶叫し、その場でドレスを引き裂かんばかりに暴れ出しました。
「脱ぐわ! 今すぐ脱ぐ! 死にたくない!」
「お、おい落ち着けベアトリス! ここで脱ぐな!」
半狂乱の彼女をエドワード様が必死に抑え込みます。
会場は阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。
「……フローラ。出番だ」
「はい!」
私は上着を脱ぎ、暴れるベアトリス様に駆け寄って肩からかけました。
「ベアトリス様、落ち着いてください! 今すぐ別室へ移動しましょう。ドレスを脱いで、お湯で全身を洗えば助かります!」
「フ、フローラ……、わたくし、死ぬの……?」
「大丈夫です、まだ間に合います! 解毒には新鮮な牛乳と卵白が良いとされています。すぐに手配します!」
私は震える彼女を抱きかかえ、侍女たちに指示を出して会場の外へと連れ出しました。
去り際、アルフレッド様が呆然と立ち尽くすエドワード様に冷たい一瞥を投げかけました。
「美しさを追求するのは結構だが、その代償が命では割に合わんだろう。……屋敷の壁紙も、全て剥がして燃やすことだ。ただし、煙を吸えば死ぬから、業者は慎重に選ぶんだな」
エドワード様は膝から崩れ落ちました。
流行の最先端を取り入れたつもりが、屋敷ごと毒に汚染されていたのです。
その後、ベアトリス様は一命を取り留めましたが、長い療養生活を余儀なくされました。
自慢の緑の部屋は完全封鎖され、清掃が入ったそうです。
帰りの馬車の中、私はぐったりとシートに身を沈めました。
「……疲れました」
「よくやった。君の迅速な対応がなければ、彼女はショック死していたかもしれん」
アルフレッド様は私の手を握りました。
「人間というのは愚かだ。見た目の鮮やかさに目を奪われ、その本質に潜む毒を見ようとしない」
「……でも、ベアトリス様、泣いていました。『綺麗になりたかっただけなのに』って」
「美への執着は否定しない。だが、科学的知識のない美は脆い。……君のように、健康的な頬の色こそが、何よりも美しいということを理解すべきだな」
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