婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

文字の大きさ
22 / 50

第22話:緑色のドレス

しおりを挟む
 ワルツが終わり、私たちがフロアの端で休息をとっていると、再びあの強烈な色彩が近づいてきました。

 エドワード様に支えられたベアトリス様です。
 遠目には華やかに見えた彼女ですが、近くで見るとその異様さは明らかでした。
 厚塗りの白粉でも隠しきれないほど顔色は土気色で、額には脂汗が滲んでいます。

「……ハァ、ハァ。いい気にならないでちょうだい、フローラ」

 ベアトリス様は荒い呼吸を整えながら、私を睨みつけました。

「たかがダンスを一度踊ったくらいで。……わたくしの、この最新流行のドレスの方が、ずっと注目を集めていましたわ」

「ベアトリス様、お顔色が優れません。少し休まれた方が……」

「うるさいわね! わたくしは元気よ。ただ、この会場の空気が悪くて、少し目眩がするだけ……」

 彼女は言いながら、手袋をした手で首筋や腕をボリボリと掻きむしりました。
 見れば、ドレスの布地が触れているデコルテや二の腕の皮膚が、赤くただれています。

「おいベアトリス、あまり掻くな。肌が荒れるぞ」

「だって、痒いんですもの! それに、なんだか頭も痛いし、吐き気も……」

 その時でした。

 ベアトリス様がふらりと体勢を崩し、膝から崩れ落ちそうになりました。
 エドワード様が慌てて支えますが、彼女はそのまま激しく咳き込みました。

「ベアトリス! どうした!?」

「ま、まさか……、フローラ! お前、すれ違いざまに何か毒でも盛ったのか!?」

 エドワード様が私に向かって叫びました。
 周囲の貴族たちがざわめき、遠巻きに私たちを取り囲みます。

「いいえ! 私は指一本触れていません!」

「嘘をつくな! さっきまで元気だった彼女が、急にこんなことになるなんておかしいだろう!」

 エドワード様の理不尽な糾弾に、私が反論しようとした瞬間、アルフレッド様がスッと手を差し出し、私の前に立ちました。

「……騒ぐな、無能。毒なら確かに盛られている。だが、盛ったのはフローラではない」

「な、なんだと? じゃあ誰だ!」

「お前だ、エドワード」

「はあ!?」

 アルフレッド様は、苦しむベアトリス様のドレスの裾を指差しました。

「正確には、お前が買い与えたそのドレスだ」

 アルフレッド様は懐から純白のハンカチを取り出すと、ベアトリス様のドレスの生地を、軽く一撫でしました。
 そして、そのハンカチを皆に見えるように掲げます。
 白い布には、鮮やかな緑色の粉末がべっとりと付着していました。

「見ろ。この美しい緑色の正体を」

「い、色が落ちたのか? 安物じゃあるまいし……」

「安物ではないかもしれんが、製法は粗悪だ。この顔料の定着は甘く、少し動くだけで微細な粉末となって空中に舞い散る」

 アルフレッド様は、ハンカチについた粉を払う素振りをしながら、冷徹に告げました。

「この色の名はシェーレ・グリーン。成分名は亜ヒ酸銅。……つまり、銅とヒ素の化合物だ」

 ヒ素。
 その単語が出た瞬間、周囲の貴族たちから悲鳴が上がり、ベアトリス様の周りから蜘蛛の子を散らすように人が離れました。
 ヒ素は、古くから暗殺に使われてきた有名な猛毒です。

「ひ、ヒ素ですって……!?」

「ああ。この鮮やかなエメラルドグリーンを出すために、大量の亜ヒ酸が使われている。流行していると言ったな? 確かに流行ってはいるが、その裏で緑色の死と呼ばれ、着用者や製法職人が次々と謎の死を遂げているのを知らんのか」

 アルフレッド様は、ベアトリス様のただれた肌を指しました。

「皮膚の炎症、吐き気、頭痛、めまい。典型的なヒ素中毒の症状だ。彼女は今、全身に毒を塗りたくり、舞い散る毒の粉を吸い込み続けている状態だ」

「そ、そんな……。だって、こんなに綺麗なのに……」

 ベアトリス様は震える手で自分のドレスを見下ろしました。
 彼女が愛し、誇示していた色が、自分を殺そうとしている。

「待てよ公爵! じゃあ、俺がベアトリスに毒を送ったって言うのか!?」

「結果的にはな。……それに、嫌な予感がするな」

 アルフレッド様は目を細めました。

「ベアトリス嬢。先ほど、屋敷の自室もこの色で統一したと言っていなかったか?」

「は、はい……。壁紙も、カーテンも、ベッドカバーも……、すべてこのパリス・グリーンで揃えましたわ。グリーン・ルームと呼んで、とても気に入って……」

「馬鹿者が」

 アルフレッド様が吐き捨てるように言いました。

「ドレスなら脱げば済む。だが、壁紙に使われているとなれば話は別だ。湿気を含んだ壁紙からは、カビの働きによってトリメチルアルシンという猛毒ガスが発生する」

「ガ、ガス……?」

「その部屋で一晩眠れば、二度と目覚めることはないかもしれんぞ。いや、既に慢性的な中毒になっているはずだ。最近、原因不明の倦怠感や手足のしびれはなかったか?」

 ベアトリス様の顔が絶望に歪みました。

「あ……、あります。毎朝起きると頭が痛くて……、髪もよく抜けるようになって……」

「それが証拠だ。君は自分の寝室を、処刑用のガス室に改装したのだよ」

 ベアトリス様は「いやぁぁぁ!」と絶叫し、その場でドレスを引き裂かんばかりに暴れ出しました。

「脱ぐわ! 今すぐ脱ぐ! 死にたくない!」

「お、おい落ち着けベアトリス! ここで脱ぐな!」

 半狂乱の彼女をエドワード様が必死に抑え込みます。
 会場は阿鼻叫喚の地獄絵図となりました。

「……フローラ。出番だ」

「はい!」

 私は上着を脱ぎ、暴れるベアトリス様に駆け寄って肩からかけました。

「ベアトリス様、落ち着いてください! 今すぐ別室へ移動しましょう。ドレスを脱いで、お湯で全身を洗えば助かります!」

「フ、フローラ……、わたくし、死ぬの……?」

「大丈夫です、まだ間に合います! 解毒には新鮮な牛乳と卵白が良いとされています。すぐに手配します!」

 私は震える彼女を抱きかかえ、侍女たちに指示を出して会場の外へと連れ出しました。
 去り際、アルフレッド様が呆然と立ち尽くすエドワード様に冷たい一瞥を投げかけました。

「美しさを追求するのは結構だが、その代償が命では割に合わんだろう。……屋敷の壁紙も、全て剥がして燃やすことだ。ただし、煙を吸えば死ぬから、業者は慎重に選ぶんだな」

 エドワード様は膝から崩れ落ちました。
 流行の最先端を取り入れたつもりが、屋敷ごと毒に汚染されていたのです。

 その後、ベアトリス様は一命を取り留めましたが、長い療養生活を余儀なくされました。
 自慢の緑の部屋は完全封鎖され、清掃が入ったそうです。

 帰りの馬車の中、私はぐったりとシートに身を沈めました。

「……疲れました」

「よくやった。君の迅速な対応がなければ、彼女はショック死していたかもしれん」

 アルフレッド様は私の手を握りました。

「人間というのは愚かだ。見た目の鮮やかさに目を奪われ、その本質に潜む毒を見ようとしない」

「……でも、ベアトリス様、泣いていました。『綺麗になりたかっただけなのに』って」

「美への執着は否定しない。だが、科学的知識のない美は脆い。……君のように、健康的な頬の色こそが、何よりも美しいということを理解すべきだな」

 不意打ちの言葉に、私は頬が熱くなるのを感じました。

 窓の外の王都の夜景は美しいけれど、その光の影には、まだまだ多くの無知な毒が潜んでいるのかもしれません。
 私たちの戦いは、まだ終わらないようです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。

朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。 ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

追放された悪役令嬢は、氷の辺境伯に何故か過保護に娶られました ~今更ですが、この温もりは手放せません!?~

放浪人
恋愛
公爵令嬢セラフィナは、異母妹イゾルデの策略により、婚約者である王子アラリックから「悪役令嬢」の汚名を着せられ、婚約破棄と同時に辺境への追放を宣告される。絶望の中、彼女を待ち受けていたのは、冷酷無比と噂される「氷の辺境伯」カシアンとの政略結婚だった。死をも覚悟するセラフィナだったが、カシアンは噂とは裏腹に、不器用ながらも彼女を大切に扱い始める。戸惑いながらも、カシアンの隠された優しさに触れ、凍てついた心が少しずつ溶かされていくセラフィナ。しかし、そんな彼女たちの穏やかな日々を、過去の陰謀が再び脅かそうとする。果たしてセラフィナは、降りかかる不遇を乗り越え、カシアンと共に真実の愛と幸福を掴むことができるのか? そして、彼女を陥れた者たちに訪れる運命とは――?

婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています

鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、 「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた 公爵令嬢アイシス・フローレス。 ――しかし本人は、内心大喜びしていた。 「これで、自由な生活ができますわ!」 ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、 “冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。 ところがこの旦那様、噂とは真逆で—— 誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……? 静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、 やがて互いの心を少しずつ近づけていく。 そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。 「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、 平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。 しかしアイシスは毅然と言い放つ。 「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」 ――婚約破棄のざまぁはここからが本番。 王都から逃げる王太子、 彼を裁く新王、 そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。 契約から始まった関係は、 やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!

幼馴染に振られたので薬学魔法士目指す

MIRICO
恋愛
オレリアは幼馴染に失恋したのを機に、薬学魔法士になるため、都の学院に通うことにした。 卒院の単位取得のために王宮の薬学研究所で働くことになったが、幼馴染が騎士として働いていた。しかも、幼馴染の恋人も侍女として王宮にいる。 二人が一緒にいるのを見るのはつらい。しかし、幼馴染はオレリアをやたら構ってくる。そのせいか、恋人同士を邪魔する嫌な女と噂された。その上、オレリアが案内した植物園で、相手の子が怪我をしてしまい、殺そうとしたまで言われてしまう。 私は何もしていないのに。 そんなオレリアを助けてくれたのは、ボサボサ頭と髭面の、薬学研究所の局長。実は王の甥で、第二継承権を持った、美丈夫で、女性たちから大人気と言われる人だった。 ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。 お返事ネタバレになりそうなので、申し訳ありませんが控えさせていただきます。 ちゃんと読んでおります。ありがとうございます。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました

日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。 だが彼に溺愛され家は再興。 見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。

処理中です...