婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

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第41話:最後の悪あがき

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 「――逃げた、だと?」

 平和が戻ったはずのリンネ公爵邸。

 朝食の席で、アルフレッド様の怒声が響きました。
 報告に来た近衛騎士は、青ざめた顔で直立不動のまま答えます。

「は、はい。昨夜未明、エドワード・ローズベリー元伯爵令息を、国外追放のための港へ護送中……、馬車が何者かに襲撃されました」

「襲撃? オライオン侯爵の一派は一網打尽にしたはずだ。残党がいたのか?」

「いえ、それが……、手口が粗雑で、組織的なものではありませんでした。おそらく、金で雇われたゴロツキか、あるいは……」

 騎士は言葉を濁し、アルフレッド様は眉間の皺を深くしました。

「……エドワードの消息は?」

「不明です。馬車は谷底へ転落しましたが、中には誰もいませんでした。手錠が外された痕跡があります」

「チッ。ゴキブリ並みの生命力だな」

 私は不安に駆られ、胸元を握りしめました。

 エドワード様が逃げた。
 あれほどの屈辱と憎悪を抱いたまま、野に放たれたのです。

「フローラ、心配するな」

 アルフレッド様が、私の手の震えに気づいて優しく覆い被せてくれました。

「所詮は無能な男だ。金も権力もない彼に、一人で何ができるはずもない。すぐに飢えて野垂れ死ぬか、衛兵に泣きついてくるのがオチだ」

「……そうでしょうか。私には、彼が一人だとは思えないのです」

 嫌な予感がしていました。
 彼にはまだ、同じように全てを失い、世界を恨んでいるがいるのではないかと……。

     *

 その頃。

 王都の最下層、スラム街の路地裏。
 腐った生ゴミと汚水の臭いが充満する暗がりに、二つの影がうごめいていました。

「……痛い、足が痛い……。もう歩けないわ」

 ボロボロの衣服を纏い、泥だらけの靴でうずくまっているのは、かつての社交界の華、ベアトリス様でした。
 彼女は実家に戻ったものの、伯爵家取り潰しの原因を作った娘として勘当され、着の身着のままで放り出されたのです。

「立てよ、ベアトリス。ここで止まったら衛兵に見つかる」

 彼女の手を引いているのは、護送車から脱走したエドワード様でした。
 かつての煌びやかな金髪は脂にまみれ、目は落ち窪み、狂気じみた光を宿しています。

「エドワード様……、わたくしたち、これからどうなるの? お金もない、行く当てもない……。もう、死ぬしかないの?」

「死ぬ? ふざけるな。俺たちが死んで、あいつら……、リンネとフローラが幸せに結婚して笑い合うなんて、そんな結末があってたまるか!」

 エドワード様は路地の壁を拳で殴りつけました。
 爪が割れ、血が滲みますが、彼は痛みを感じていないようでした。

「復讐だ。俺たちの人生を茶番劇にしたあいつらに、最高の悪夢を見せてやるんだ」

「復讐って……、どうやって? わたくしたちには何の力もないのよ」

「力ならある。……ここにな」

 エドワード様は懐から、一枚の皺くちゃになった紙を取り出しました。
 それは、オライオン侯爵が逮捕される直前、エドワード様にこっそりと渡していた隠し倉庫の地図でした。

「侯爵が言っていた。『もしもの時はここを使え。国を道連れにするための毒が眠っている』とな」

「毒……?」

「ああ。俺たちは知恵ではあいつらに勝てない。だったら……、もっと単純で、凶悪な方法でパニックを起こしてやる」

 エドワード様はニヤリと笑いました。
 それは、もはや人間の笑みではありませんでした。

「行こう、ベアトリス。俺たちの最後のダンスだ。会場は……、この王都全域だ」

 ベアトリス様は一瞬躊躇しましたが、エドワード様の差し出した手を取りました。

 彼女の中にも、自分を捨てた社会と、幸せになった私へのドス黒い嫉妬が渦巻いていたからです。
 二人の堕ちた貴族は、手を取り合って闇の中へと消えていきました。

 数時間後。

 王都の郊外、かつて革なめし工場があった廃墟の地下。
 埃まみれの扉をこじ開けた二人は、そこに眠る遺産を目にしました。

「……なんだ、これ」

 そこに積まれていたのは、金銀財宝ではありませんでした。

 無造作に積み上げられた木箱や麻袋。
 そして、ガラス瓶に入った怪しげな液体や粉末。
 オライオン侯爵が、政敵を排除するために裏ルートで集めていた、世界中の有毒植物や劇薬のストックです。

「うわっ、変な臭い……」

「見ろベアトリス! これだ!」

 エドワード様が駆け寄った棚には、さまざまな名前が並んでいました。

 ヒ素、トリカブト、ストリキニーネ……。
 そして、部屋の奥には、巨大なタンクが鎮座していました。

「産業用廃棄毒液……? 侯爵は、こんなものまで隠し持っていたのか」

 それは、鉱山開発や工場から出る、処理前の猛毒廃液でした。

「ねえ、エドワード様。これを使ってどうするの?」

「決まっているだろう。……フローラが得意げに語っていた知識を逆手に取ってやる」

 エドワード様は地図を広げました。
 そこには、王都の地下を流れる水道管の配管図が記されています。

「人間は水がないと生きられない。そして、植物も水がなければ枯れる」

「まさか……」

「ああ。王都の水源地……、上水道の貯水池に、この毒を全てぶちまけてやるんだ」

 エドワード様の計画は、単純にして最悪のものでした。

 王都の数十万人が飲む水に毒を混入させる。
 希釈されるとはいえ、パニックを引き起こし、多くの病人を出し、都市機能を麻痺させるには十分すぎる量です。

「フローラは植物学者だ。個別の毒草なら見抜けるかもしれんが、正体不明の混合毒が溶け込んだ水を、どうやって防ぐ?」

「……素敵だわ、エドワード様」

 ベアトリス様がうっとりとした目で彼を見つめました。
 彼女の倫理観は、度重なる不幸とヒ素中毒の後遺症、そして絶望によって完全に崩壊していました。

「わたくしの肌をボロボロにしたこの国の人たちに、同じ苦しみを味あわせてやりたいわ」

「ああ。やろう。俺たちを笑い者にした奴らに、死の恐怖を植え付けてやる!」

 二人は暗い地下室で、狂ったように笑い合いました。

 知識なき者の暴走。
 彼らは自分たちが扱おうとしているものが、どれほど危険で、自分たち自身をも蝕むものであるかを理解しないまま、破滅へのスイッチに手をかけたのです。

     *

 翌朝。

 公爵邸の玄関に、一通の汚れた手紙が投げ込まれました。
 差出人は不明。
 しかし、そこに書かれた文字は、憎悪に満ちた走り書きでした。

『正午、王都は死の都となる。貴様らの愛する植物と共に枯れ果てろ』

 手紙を受け取ったアルフレッド様は、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、顔色を変えました。

「……フローラ。この手紙から、硫黄と腐敗臭……、そして微かな鉛の匂いがする」

「鉛? まさか……」

「場所は水源地だ。急ぐぞ!」

 私たちは研究所を飛び出しました。
 最後の戦いは、既に始まっていたのです……。
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