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第48話:二人の研究成果
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結婚式を数日後に控えた深夜。
私たち二人は、屋敷の奥にある第一特別温室に籠もっていました。
外は静寂に包まれ、時折フクロウの声が聞こえるだけですが、温室の中は張り詰めた緊張感と、熱気に満ちていました。
「……そろそろだ。フローラ、記録の準備は?」
「はい。いつでもいけます」
私がペンを握りしめ、スケッチブックを構えます。
私たちの目の前にあるのは、一つの鉢植えでした。
そこには、これまで誰も見たことのない植物が植えられています。
細くしなやかな茎。
銀色がかった緑色の葉。
そして先端には、今にも弾けそうな真珠色の蕾が膨らんでいました。
「長かったな……」
アルフレッド様が、まるで我が子を見守るような目で蕾を見つめました。
この植物は、私たちが最初に出会った夜――月下美人の観察の際、温室の片隅で枯れかけていた正体不明の種を発見し、二人で育ててきたものです。
どの図鑑にも載っておらず、環境を変え、土を変え、肥料の配合を何百回と試し……、ようやく今夜、開花の時を迎えようとしているのです。
静寂の中で、小さな音が響きました。
蕾の先端が割れ、中から淡い光が漏れ出すように、花弁が動き始めます。
「咲くぞ……!」
私たちは息を呑みました。
ゆっくりと、しかし力強く。
幾重にも重なった花弁が、螺旋を描きながら開いていきます。
その色は、外側が透き通るような白、そして中心に向かうにつれて、淡く優しい若草色へとグラデーションを描いていました。
そして、完全に開ききった瞬間。
温室の中に、清涼感のある、それでいて甘く優しい香りが満ち溢れました。
「……なんて、綺麗な」
私は言葉を失いました。
派手さはありません。
薔薇のような豪華さも、チューリップのような鮮烈な色彩もありません。
けれど、その佇まいは凛としていて、見る者の心を洗うような清らかさがありました。
まるで、荒れ地に吹く風が結晶化したような花。
「……分析開始だ」
アルフレッド様が震える手でルーペを覗き込みました。
「雄しべの数は6、雌しべは1。花弁の構造はユリ科に近いが、葉脈のパターンが独特だ。既存の属には当てはまらない」
「アルフレッド様、根元の球根を見てください。小さな子球ができています。繁殖力も強そうです」
「香りの成分は……、リナロールと、微量のメントール系か? 鎮静作用がありそうだ」
私たちは夢中で観察し、データを書き留めました。
そして一通りの記録を終えた時、アルフレッド様がふぅっと大きく息を吐き、眼鏡を外しました。
「結論が出たな」
「はい。……間違いありません」
私たちは顔を見合わせ、同時に言いました。
「新種」
発見。
それは植物学者にとって、最高の栄誉であり、至高の喜びです。
私たちは手を取り合い、子供のようにはしゃぎました。
「やった! やりましたね、アルフレッド様!」
「ああ! この土の配合に辿り着くまで、君のアイデアがなければ不可能だった。これは我々の共同研究の結晶だ!」
興奮が少し落ち着いた頃、私は鉢植えの花を愛おしそうに撫でました。
「さて、名前をつけてあげないと。学名はどうしますか? 発見者の名前を入れるのが通例ですけれど……」
「リンネの名は、もう多くの植物に使われすぎている。今さら私の名を冠しても面白くない」
アルフレッド様は、羽ペンをインク壺に浸しました。
そして、新しい羊皮紙の学名の欄に、流れるような筆記体で文字を刻み始めました。
Chloris florae(クロリス・フローラエ)。
「……えっ?」
「属名はクロリス。古代の花の女神の名だ。そして種小名は……」
彼はペンを置き、私を真っ直ぐに見つめました。
「フローラ。君の名前だ」
心臓が大きく跳ねました。
自分の名前が、植物の学名として永遠に残る。
それは研究者として、身に余る光栄でした。
「ダ、ダメです! そんな……、私なんかが……」
「また『なんか』と言うか」
アルフレッド様は、咲いたばかりの花を指差しました。
「よく見ろ、この花を。派手ではないが、強靭な根を持ち、どんな環境でも枯れず、周囲を癒やす香りを持つ。そして何より……」
彼は私の若草色の瞳と、花の中心の色を見比べました。
「この色は、君そのものだ。君以外の名前など、植物学的に不適切だ」
「アルフレッド様……」
「それに、これは私からの贈り物だ。結婚指輪の代わり……、いや、指輪よりも重い、永遠の証明だ」
植物学の歴史に、私の名前が刻まれる。
そしてそれは、彼が私をどう見ているかという、愛の告白そのものでした。
涙が溢れて、視界が滲みました。
「……ありがとうございます。一生、大切にします」
「ああ。この花も、君もな」
アルフレッド様は、私の涙を指先で拭い、そっと唇を重ねました。
新種の花の、清らかな香りに包まれて。
私たちは、深夜の温室で、世界で一番幸せな発見者となりました。
翌日、この新種発見のニュースは王立アカデミーを通じて発表され、学会を揺るがす大ニュースとなりました。
『クロリス・フローラエ』。
この花が、私たちの結婚式を彩るメインフラワーになることは、言うまでもありません。
私たち二人は、屋敷の奥にある第一特別温室に籠もっていました。
外は静寂に包まれ、時折フクロウの声が聞こえるだけですが、温室の中は張り詰めた緊張感と、熱気に満ちていました。
「……そろそろだ。フローラ、記録の準備は?」
「はい。いつでもいけます」
私がペンを握りしめ、スケッチブックを構えます。
私たちの目の前にあるのは、一つの鉢植えでした。
そこには、これまで誰も見たことのない植物が植えられています。
細くしなやかな茎。
銀色がかった緑色の葉。
そして先端には、今にも弾けそうな真珠色の蕾が膨らんでいました。
「長かったな……」
アルフレッド様が、まるで我が子を見守るような目で蕾を見つめました。
この植物は、私たちが最初に出会った夜――月下美人の観察の際、温室の片隅で枯れかけていた正体不明の種を発見し、二人で育ててきたものです。
どの図鑑にも載っておらず、環境を変え、土を変え、肥料の配合を何百回と試し……、ようやく今夜、開花の時を迎えようとしているのです。
静寂の中で、小さな音が響きました。
蕾の先端が割れ、中から淡い光が漏れ出すように、花弁が動き始めます。
「咲くぞ……!」
私たちは息を呑みました。
ゆっくりと、しかし力強く。
幾重にも重なった花弁が、螺旋を描きながら開いていきます。
その色は、外側が透き通るような白、そして中心に向かうにつれて、淡く優しい若草色へとグラデーションを描いていました。
そして、完全に開ききった瞬間。
温室の中に、清涼感のある、それでいて甘く優しい香りが満ち溢れました。
「……なんて、綺麗な」
私は言葉を失いました。
派手さはありません。
薔薇のような豪華さも、チューリップのような鮮烈な色彩もありません。
けれど、その佇まいは凛としていて、見る者の心を洗うような清らかさがありました。
まるで、荒れ地に吹く風が結晶化したような花。
「……分析開始だ」
アルフレッド様が震える手でルーペを覗き込みました。
「雄しべの数は6、雌しべは1。花弁の構造はユリ科に近いが、葉脈のパターンが独特だ。既存の属には当てはまらない」
「アルフレッド様、根元の球根を見てください。小さな子球ができています。繁殖力も強そうです」
「香りの成分は……、リナロールと、微量のメントール系か? 鎮静作用がありそうだ」
私たちは夢中で観察し、データを書き留めました。
そして一通りの記録を終えた時、アルフレッド様がふぅっと大きく息を吐き、眼鏡を外しました。
「結論が出たな」
「はい。……間違いありません」
私たちは顔を見合わせ、同時に言いました。
「新種」
発見。
それは植物学者にとって、最高の栄誉であり、至高の喜びです。
私たちは手を取り合い、子供のようにはしゃぎました。
「やった! やりましたね、アルフレッド様!」
「ああ! この土の配合に辿り着くまで、君のアイデアがなければ不可能だった。これは我々の共同研究の結晶だ!」
興奮が少し落ち着いた頃、私は鉢植えの花を愛おしそうに撫でました。
「さて、名前をつけてあげないと。学名はどうしますか? 発見者の名前を入れるのが通例ですけれど……」
「リンネの名は、もう多くの植物に使われすぎている。今さら私の名を冠しても面白くない」
アルフレッド様は、羽ペンをインク壺に浸しました。
そして、新しい羊皮紙の学名の欄に、流れるような筆記体で文字を刻み始めました。
Chloris florae(クロリス・フローラエ)。
「……えっ?」
「属名はクロリス。古代の花の女神の名だ。そして種小名は……」
彼はペンを置き、私を真っ直ぐに見つめました。
「フローラ。君の名前だ」
心臓が大きく跳ねました。
自分の名前が、植物の学名として永遠に残る。
それは研究者として、身に余る光栄でした。
「ダ、ダメです! そんな……、私なんかが……」
「また『なんか』と言うか」
アルフレッド様は、咲いたばかりの花を指差しました。
「よく見ろ、この花を。派手ではないが、強靭な根を持ち、どんな環境でも枯れず、周囲を癒やす香りを持つ。そして何より……」
彼は私の若草色の瞳と、花の中心の色を見比べました。
「この色は、君そのものだ。君以外の名前など、植物学的に不適切だ」
「アルフレッド様……」
「それに、これは私からの贈り物だ。結婚指輪の代わり……、いや、指輪よりも重い、永遠の証明だ」
植物学の歴史に、私の名前が刻まれる。
そしてそれは、彼が私をどう見ているかという、愛の告白そのものでした。
涙が溢れて、視界が滲みました。
「……ありがとうございます。一生、大切にします」
「ああ。この花も、君もな」
アルフレッド様は、私の涙を指先で拭い、そっと唇を重ねました。
新種の花の、清らかな香りに包まれて。
私たちは、深夜の温室で、世界で一番幸せな発見者となりました。
翌日、この新種発見のニュースは王立アカデミーを通じて発表され、学会を揺るがす大ニュースとなりました。
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