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第12話:虹を縛る魔法の石、明礬
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「……惜しいわね」
ある晴れた午後。
私は商人のガストンが持ち込んだ隣国の特産品を手に取り、溜息をついた。
それは、ハイランド大公国が誇る羊毛で織られたタペストリーだった。
手触りは最高だ。
寒冷地で育った羊の毛は、油分を含んでしっとりと柔らかく、保温性も抜群だろう。
だが、その色が致命的だった。
「どうしたのです、お嬢様? 虫食いでも?」
セバスチャンが紅茶(岩塩ドーム発見の祝杯以来、毎日飲んでいる)を淹れながら尋ねる。
「いいえ、素材は一流よ。でも、見てごらんなさい、この赤色。まるで一週間煮込んだトマトスープみたいに濁っているわ。それに、こっちの青色はもう色褪せ始めている」
「ああ……、確かに。私の祖母が着ていた丹前のような、古ぼけた色合いですな」
ガストンが頭をかきながら苦笑した。
「痛いところを突かれますな。我が国の羊毛製品は品質には自信があるんですが、染色だけはどうもうまくいかんのです。草木染めはどうしても色がくすむし、洗うとすぐに落ちてしまう」
「それはそうよ。『媒染剤を使っていないんだもの」
私はタペストリーをテーブルに戻した。
「媒染剤?」
「ええ。植物の色素は、そのままでは繊維に定着しないの。繊維と色素の間を取り持って、ガッチリと手を結ばせる仲人が必要なのよ。……今の染色は、ただ色素を繊維に乗せているだけ。だから色が浅いし、すぐに逃げ出してしまう」
「なるほど、仲人ですか。……しかし、そんな便利なものが?」
ガストンが身を乗り出す。
私はニヤリと笑い、窓の外に見える岩山――以前、鉄バクテリアの沼の調査の際に見つけた、白っぽく変質した岩肌――を指差した。
「あるわよ。この宝の山にならね」
翌日、私はセバスとガストンを連れて、その岩場へと向かった。
そこは温泉の硫黄のような匂いが漂う、火山性の変質地帯だ。
「お嬢様、ここは臭いですぞ。腐った卵のにおいがします」
セバスが鼻をつまむ。
「我慢して。この匂いこそが、地下から熱水が上がってきている証拠よ。そして、その熱水が岩石を変質させ、ある鉱物を作っているの」
私はハンマーで、白く脆くなった岩を叩き割った。
中から現れたのは、ガラス光沢を持つ無色よりの白色の結晶だ。
「これよ。明礬石」
「また石ですか……。塩、鉄、泥、ときて、今度は何になるのです?」
「ミョウバンよ。これを焼いて水に溶かし、再結晶させると、硫酸カリウムアルミニウムが得られる。……難しい話は置いておいて、実験してみましょうか」
屋敷に戻った私たちは、さっそく染色実験を行った。
用意したのは、ガストンが持ってきた羊毛の白い糸。
そして染料となるのは、庭に生えていた茜の根を煮出した赤い液体だ。
「いい? こっちの鍋は、ただの茜の煮汁。こっちの鍋は、私が精製したミョウバン水を足した煮汁よ」
二つの鍋がぐつぐつと煮立っている。
私はそれぞれの鍋に羊毛の糸を放り込んだ。
数十分後。
糸を取り出し、水で洗って乾かす。
その結果は、誰の目にも明らかだった。
「なっ……!?」
ガストンが絶句した。
ミョウバンを入れなかった方の糸は、ぼんやりとした赤茶色。いわゆるくすんだ色だ。
対して、ミョウバンを入れた方の糸は――
「鮮やかだ……! 燃えるような緋色だ!」
目が覚めるような鮮烈な赤。
光沢があり、深みがあり、まるで宝石のルビーを糸に変えたような美しさだ。
「これが化学の力よ」
私は二つの糸を並べて解説した。
「ミョウバンに含まれるアルミニウムイオンが、茜の色素と、羊毛のタンパク質の両方と手を結んだの。これを錯体形成と言うわ。この結合は強力よ。洗っても落ちないし、日光に当てても色褪せない」
私は鮮やかな赤色の糸を指に巻き付け、光にかざした。
「これを媒染と言うの。色を繊維に縛り付け、その本来の輝きを引き出す魔法よ」
ガストンの目が、商売人の欲望でギラギラと輝き出した。
彼は震える手でその赤い糸を触った。
「こ、これがあれば……、我が国の羊毛産業は化ける! 今まで『田舎くさい』と言われていた製品が、王侯貴族のドレスやマントに使える最高級品に生まれ変わるぞ!」
「ええ、その通りよ」
私は畳み掛けるように提案した。
「ガストンさん。取引をしましょう。私はこのミョウバンを独占的にあなたへ供給する。あるいは、あなたの国の羊毛を一度ここに運び込み、私が染色加工して送り返してもいいわ」
「染色加工……!」
「そうすれば、アースガルド領とハイランド大公国は、切っても切れないパートナーになれる。……どうかしら?」
ガストンは即座に跪いた。
それは貴婦人に対する礼ではなく、巨万の富をもたらす女神への礼拝だった。
「謹んでお受けします! ああ、マリアンヌ様! あなたは大地からいくつの宝を引き出せば気が済むのですか!」
「気が済むまでよ」
私は微笑んだ。
これで、鉄、塩、磁器に加え、染色(ファッション)という強力なカードを手に入れた。
その夜。
セバスチャンが、鮮やかに染め直したテーブルクロスを敷きながら、楽しげに言った。
「お嬢様。これで王都の舞踏会も様変わりするでしょうな」
「そうね。今まではジェラルド殿下の領地で作られる、色褪せやすい織物が主流だったけれど」
「ええ。殿下の領地の布は、確か媒染剤として古い尿を使っていると聞きました。アンモニアが効くそうですが、どうしても臭いが残るのが難点で」
「汚い話ね、セバス」
私は笑った。
昔ながらの知恵としては正しいが、私が提供するのは純粋な鉱物由来の媒染剤だ。臭いもなく、発色も段違い。
「次の社交シーズン、貴婦人たちはこぞって、我が領で染められた鮮やかなドレスを着るでしょうね。そして、殿下の領地のくすんだ色のドレスを着ている者は、こう陰口を叩かれるわ。『あら、まだあんな古臭い色を着てらっしゃるの?』とね」
「流行とは残酷なものですな」
「残酷なのは私ではなく、進歩しない技術よ」
私は鮮やかな緋色のクロスの上に、真っ白な磁器のカップを置いた。
赤と白のコントラスト。
それは、この荒野が豊かさへと塗り替えられていく象徴のように見えた。
「さあ、次はどんな色を作ろうかしら。銅を使って緑青色もいいし、鉄で黒を極めるのもシックで素敵ね」
私のパレットは、この大地のすべてだ。
色褪せた世界を、知識という絵筆で塗り替えていく。
それはどんな高価な宝石を身につけるよりも、私をワクワクさせてくれるのだった。
ある晴れた午後。
私は商人のガストンが持ち込んだ隣国の特産品を手に取り、溜息をついた。
それは、ハイランド大公国が誇る羊毛で織られたタペストリーだった。
手触りは最高だ。
寒冷地で育った羊の毛は、油分を含んでしっとりと柔らかく、保温性も抜群だろう。
だが、その色が致命的だった。
「どうしたのです、お嬢様? 虫食いでも?」
セバスチャンが紅茶(岩塩ドーム発見の祝杯以来、毎日飲んでいる)を淹れながら尋ねる。
「いいえ、素材は一流よ。でも、見てごらんなさい、この赤色。まるで一週間煮込んだトマトスープみたいに濁っているわ。それに、こっちの青色はもう色褪せ始めている」
「ああ……、確かに。私の祖母が着ていた丹前のような、古ぼけた色合いですな」
ガストンが頭をかきながら苦笑した。
「痛いところを突かれますな。我が国の羊毛製品は品質には自信があるんですが、染色だけはどうもうまくいかんのです。草木染めはどうしても色がくすむし、洗うとすぐに落ちてしまう」
「それはそうよ。『媒染剤を使っていないんだもの」
私はタペストリーをテーブルに戻した。
「媒染剤?」
「ええ。植物の色素は、そのままでは繊維に定着しないの。繊維と色素の間を取り持って、ガッチリと手を結ばせる仲人が必要なのよ。……今の染色は、ただ色素を繊維に乗せているだけ。だから色が浅いし、すぐに逃げ出してしまう」
「なるほど、仲人ですか。……しかし、そんな便利なものが?」
ガストンが身を乗り出す。
私はニヤリと笑い、窓の外に見える岩山――以前、鉄バクテリアの沼の調査の際に見つけた、白っぽく変質した岩肌――を指差した。
「あるわよ。この宝の山にならね」
翌日、私はセバスとガストンを連れて、その岩場へと向かった。
そこは温泉の硫黄のような匂いが漂う、火山性の変質地帯だ。
「お嬢様、ここは臭いですぞ。腐った卵のにおいがします」
セバスが鼻をつまむ。
「我慢して。この匂いこそが、地下から熱水が上がってきている証拠よ。そして、その熱水が岩石を変質させ、ある鉱物を作っているの」
私はハンマーで、白く脆くなった岩を叩き割った。
中から現れたのは、ガラス光沢を持つ無色よりの白色の結晶だ。
「これよ。明礬石」
「また石ですか……。塩、鉄、泥、ときて、今度は何になるのです?」
「ミョウバンよ。これを焼いて水に溶かし、再結晶させると、硫酸カリウムアルミニウムが得られる。……難しい話は置いておいて、実験してみましょうか」
屋敷に戻った私たちは、さっそく染色実験を行った。
用意したのは、ガストンが持ってきた羊毛の白い糸。
そして染料となるのは、庭に生えていた茜の根を煮出した赤い液体だ。
「いい? こっちの鍋は、ただの茜の煮汁。こっちの鍋は、私が精製したミョウバン水を足した煮汁よ」
二つの鍋がぐつぐつと煮立っている。
私はそれぞれの鍋に羊毛の糸を放り込んだ。
数十分後。
糸を取り出し、水で洗って乾かす。
その結果は、誰の目にも明らかだった。
「なっ……!?」
ガストンが絶句した。
ミョウバンを入れなかった方の糸は、ぼんやりとした赤茶色。いわゆるくすんだ色だ。
対して、ミョウバンを入れた方の糸は――
「鮮やかだ……! 燃えるような緋色だ!」
目が覚めるような鮮烈な赤。
光沢があり、深みがあり、まるで宝石のルビーを糸に変えたような美しさだ。
「これが化学の力よ」
私は二つの糸を並べて解説した。
「ミョウバンに含まれるアルミニウムイオンが、茜の色素と、羊毛のタンパク質の両方と手を結んだの。これを錯体形成と言うわ。この結合は強力よ。洗っても落ちないし、日光に当てても色褪せない」
私は鮮やかな赤色の糸を指に巻き付け、光にかざした。
「これを媒染と言うの。色を繊維に縛り付け、その本来の輝きを引き出す魔法よ」
ガストンの目が、商売人の欲望でギラギラと輝き出した。
彼は震える手でその赤い糸を触った。
「こ、これがあれば……、我が国の羊毛産業は化ける! 今まで『田舎くさい』と言われていた製品が、王侯貴族のドレスやマントに使える最高級品に生まれ変わるぞ!」
「ええ、その通りよ」
私は畳み掛けるように提案した。
「ガストンさん。取引をしましょう。私はこのミョウバンを独占的にあなたへ供給する。あるいは、あなたの国の羊毛を一度ここに運び込み、私が染色加工して送り返してもいいわ」
「染色加工……!」
「そうすれば、アースガルド領とハイランド大公国は、切っても切れないパートナーになれる。……どうかしら?」
ガストンは即座に跪いた。
それは貴婦人に対する礼ではなく、巨万の富をもたらす女神への礼拝だった。
「謹んでお受けします! ああ、マリアンヌ様! あなたは大地からいくつの宝を引き出せば気が済むのですか!」
「気が済むまでよ」
私は微笑んだ。
これで、鉄、塩、磁器に加え、染色(ファッション)という強力なカードを手に入れた。
その夜。
セバスチャンが、鮮やかに染め直したテーブルクロスを敷きながら、楽しげに言った。
「お嬢様。これで王都の舞踏会も様変わりするでしょうな」
「そうね。今まではジェラルド殿下の領地で作られる、色褪せやすい織物が主流だったけれど」
「ええ。殿下の領地の布は、確か媒染剤として古い尿を使っていると聞きました。アンモニアが効くそうですが、どうしても臭いが残るのが難点で」
「汚い話ね、セバス」
私は笑った。
昔ながらの知恵としては正しいが、私が提供するのは純粋な鉱物由来の媒染剤だ。臭いもなく、発色も段違い。
「次の社交シーズン、貴婦人たちはこぞって、我が領で染められた鮮やかなドレスを着るでしょうね。そして、殿下の領地のくすんだ色のドレスを着ている者は、こう陰口を叩かれるわ。『あら、まだあんな古臭い色を着てらっしゃるの?』とね」
「流行とは残酷なものですな」
「残酷なのは私ではなく、進歩しない技術よ」
私は鮮やかな緋色のクロスの上に、真っ白な磁器のカップを置いた。
赤と白のコントラスト。
それは、この荒野が豊かさへと塗り替えられていく象徴のように見えた。
「さあ、次はどんな色を作ろうかしら。銅を使って緑青色もいいし、鉄で黒を極めるのもシックで素敵ね」
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