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第57話:沈黙の尋問と、外交官の自爆
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ベアトリス侯爵夫人の架空請求詐欺が片付いた翌日。
私は王都の別邸で、隣国への旅支度を進めていた。
「お嬢様。……ドレスは5着、靴は3足。これに対し、ハンマーが3本、スコップが2本、試薬の木箱が4つ……。これは公爵令嬢の外交訪問の荷物ではありません。どう見ても鉱山技師の出稼ぎです」
セバスチャンがトランクの中身を見て、こめかみを押さえている。
「あら、セバス。ハイランド大公国は鉱物資源の国よ。向こうで珍しい地層を見つけた時に、ドレスしか持っていなかったら一生後悔するわ」
私が頑丈な革のブーツを詰め込んでいると、玄関のベルが鳴った。
予定していた来客だ。
ただし、歓迎すべき客ではない。
「……通して」
サロンに入ってきたのは、銀髪を撫で付けた神経質そうな初老の男だった。
ハイランド大公国の外務大臣、モルトン伯爵。
今回の私の訪問に際し、事前講習をするという名目で送り込まれてきた、伝統と格式を重んじる古狸だ。
「ごきげんよう、マリアンヌ殿。……ふむ、相変わらず土埃の匂いがしそうな屋敷ですな」
モルトン伯爵は、挨拶もそこそこに嫌味を放った。
彼はクラウス大公の側近だが、大公が私のような泥臭い他国の女に入れ込んでいることを快く思っていない急先鋒だ。
「ごきげんよう、モルトン様。……アースガルドの土は豊かさの香りですが、貴国の香水は少し鼻につきますわね」
私が微笑むと、彼は眉をひそめてソファに座った。
「単刀直入に申し上げよう。今回の大公殿下のご招待……、私は反対でした。我が国は歴史ある鉱山の国。貴女のような成金の知識など必要としていない」
モルトン伯爵は、扇子で鼻をあおいだ。
「貴女が王都で派手な立ち回りをしているのは存じている。だが、我が国の貴族社会は保守的だ。泥にまみれた手で外交ができるとは思わないでいただきたい」
「……」
私は何も答えず、ただ静かに彼を見つめた。
紅茶も出さず、相槌も打たない。
完全に表情を消し、瞬きもせず、彼の目をじっと覗き込む。
これは尋問テクニックの一つ――沈黙の活用だ。
人間は、会話の中に空白ができると、本能的に不安を感じる。
沈黙を埋めようとして、余計なことを喋り出す心理を利用するのだ。
「……な、なんだその目は。私の言っていることが理解できないのか?」
「……」
私はまだ答えない。
ただ、ルーペで石を観察するように、彼の瞳孔の開き具合と、額に滲む脂汗を観察し続ける。
「う、うむ……。つまりだ、我が国に来るなら、それ相応の覚悟が必要だということだ。貴女が導入した綿や磁器など、我が国の伝統産業を破壊するだけだ。……そう、私は国の安定を憂いているのだよ」
モルトン伯爵が早口になり始めた。
沈黙に耐えきれず、焦りが出ている。
「……国の安定、ですか」
私がようやく口を開くと、彼はホッとしたように身を乗り出した。
「そうだ! 我が国の羊毛産業や、古くからの鉱山ギルドは、貴女の急進的な改革を恐れている! 大公殿下は若すぎて現場をご存じないが、私は……」
「モルトン様。一つ質問を」
私は彼の言葉を遮り、冷徹な声で切り込んだ。
ここからは誘導尋問のターンだ。
「貴方が憂いているのは国の安定ですか? それともご自身の利権ですか?」
「な、なにっ!?」
「調べさせていただきましたわ。貴方のご実家は、ハイランド大公国の羊毛ギルドの大株主。そして、古い精錬技術を持つ鉱山組合の顧問も務めていらっしゃる」
私はテーブルの上に、一枚の調査報告書(ガストンが作成したものだ)を置いた。
「私が開発した綿製品や新精錬法が導入されれば、古い技術にしがみついている貴方の関連企業は大打撃を受ける。……だから、私を排除したい。違いますか?」
「ぶ、無礼な! 私はあくまで国益のために……!」
「国益とは、民が豊かになることです。……貴方が守ろうとしているのは、既得権益という名の化石ではありませんか?」
「き、貴様ぁ……!」
モルトン伯爵が顔を真っ赤にして立ち上がろうとした。
その時、サロンの扉が静かに開いた。
「……そこまでだ、モルトン」
凛とした声と共に現れたのは、氷のような美貌を持つ青年――クラウス大公その人だった。
「で、殿下!? な、なぜここに!?」
「迎えに来たのだ。私の大切なパートナーを、古臭い価値観で縛り付けようとする輩がいないか心配でな」
クラウスは私の隣に座り、モルトン伯爵を冷ややかに見据えた。
「モルトン。マリアンヌの沈黙に耐えきれず、自ら本音を漏らしたようだな。……心理戦において、彼女に勝てると思ったか?」
「ぐ……っ!」
「彼女の知識は、我が国を次のステージへ引き上げる鍵だ。……邪魔をするなら、外務大臣の椅子ごと地層処分することになるぞ?」
クラウスの威圧という名の絶対零度の視線を受け、モルトン伯爵はガタガタと震え上がり、逃げるように退室していった。
「……やれやれ。出発前から小石に躓くとは」
クラウスが苦笑して、私に向き直った。
「すまない、マリアンヌ。我が国には、ああいう硬い頭の岩石がまだ多い。……君のハンマーで、砕いてくれるか?」
「ええ、お任せください」
私はニッコリと笑い、トランクに詰めた地質ハンマーを撫でた。
「硬い岩ほど、割りがいがあるものですわ。……それに、古い地層を掘り返せば、意外な宝石が見つかるかもしれませんしね」
「頼もしいな。……さあ、行こう。雪と鉱物の国、ハイランドへ」
クラウスが手を差し出す。
私はその手を取り、住み慣れた王都の別邸を後にした。
アースガルドの魔女、国境を越える。
次なる舞台は、万年雪を戴く山々と、地下資源が眠る大国。
そこで待つのは、新たな資源か、それとも新たな敵か。
私の知的好奇心は、留まるところを知らなかった。
私は王都の別邸で、隣国への旅支度を進めていた。
「お嬢様。……ドレスは5着、靴は3足。これに対し、ハンマーが3本、スコップが2本、試薬の木箱が4つ……。これは公爵令嬢の外交訪問の荷物ではありません。どう見ても鉱山技師の出稼ぎです」
セバスチャンがトランクの中身を見て、こめかみを押さえている。
「あら、セバス。ハイランド大公国は鉱物資源の国よ。向こうで珍しい地層を見つけた時に、ドレスしか持っていなかったら一生後悔するわ」
私が頑丈な革のブーツを詰め込んでいると、玄関のベルが鳴った。
予定していた来客だ。
ただし、歓迎すべき客ではない。
「……通して」
サロンに入ってきたのは、銀髪を撫で付けた神経質そうな初老の男だった。
ハイランド大公国の外務大臣、モルトン伯爵。
今回の私の訪問に際し、事前講習をするという名目で送り込まれてきた、伝統と格式を重んじる古狸だ。
「ごきげんよう、マリアンヌ殿。……ふむ、相変わらず土埃の匂いがしそうな屋敷ですな」
モルトン伯爵は、挨拶もそこそこに嫌味を放った。
彼はクラウス大公の側近だが、大公が私のような泥臭い他国の女に入れ込んでいることを快く思っていない急先鋒だ。
「ごきげんよう、モルトン様。……アースガルドの土は豊かさの香りですが、貴国の香水は少し鼻につきますわね」
私が微笑むと、彼は眉をひそめてソファに座った。
「単刀直入に申し上げよう。今回の大公殿下のご招待……、私は反対でした。我が国は歴史ある鉱山の国。貴女のような成金の知識など必要としていない」
モルトン伯爵は、扇子で鼻をあおいだ。
「貴女が王都で派手な立ち回りをしているのは存じている。だが、我が国の貴族社会は保守的だ。泥にまみれた手で外交ができるとは思わないでいただきたい」
「……」
私は何も答えず、ただ静かに彼を見つめた。
紅茶も出さず、相槌も打たない。
完全に表情を消し、瞬きもせず、彼の目をじっと覗き込む。
これは尋問テクニックの一つ――沈黙の活用だ。
人間は、会話の中に空白ができると、本能的に不安を感じる。
沈黙を埋めようとして、余計なことを喋り出す心理を利用するのだ。
「……な、なんだその目は。私の言っていることが理解できないのか?」
「……」
私はまだ答えない。
ただ、ルーペで石を観察するように、彼の瞳孔の開き具合と、額に滲む脂汗を観察し続ける。
「う、うむ……。つまりだ、我が国に来るなら、それ相応の覚悟が必要だということだ。貴女が導入した綿や磁器など、我が国の伝統産業を破壊するだけだ。……そう、私は国の安定を憂いているのだよ」
モルトン伯爵が早口になり始めた。
沈黙に耐えきれず、焦りが出ている。
「……国の安定、ですか」
私がようやく口を開くと、彼はホッとしたように身を乗り出した。
「そうだ! 我が国の羊毛産業や、古くからの鉱山ギルドは、貴女の急進的な改革を恐れている! 大公殿下は若すぎて現場をご存じないが、私は……」
「モルトン様。一つ質問を」
私は彼の言葉を遮り、冷徹な声で切り込んだ。
ここからは誘導尋問のターンだ。
「貴方が憂いているのは国の安定ですか? それともご自身の利権ですか?」
「な、なにっ!?」
「調べさせていただきましたわ。貴方のご実家は、ハイランド大公国の羊毛ギルドの大株主。そして、古い精錬技術を持つ鉱山組合の顧問も務めていらっしゃる」
私はテーブルの上に、一枚の調査報告書(ガストンが作成したものだ)を置いた。
「私が開発した綿製品や新精錬法が導入されれば、古い技術にしがみついている貴方の関連企業は大打撃を受ける。……だから、私を排除したい。違いますか?」
「ぶ、無礼な! 私はあくまで国益のために……!」
「国益とは、民が豊かになることです。……貴方が守ろうとしているのは、既得権益という名の化石ではありませんか?」
「き、貴様ぁ……!」
モルトン伯爵が顔を真っ赤にして立ち上がろうとした。
その時、サロンの扉が静かに開いた。
「……そこまでだ、モルトン」
凛とした声と共に現れたのは、氷のような美貌を持つ青年――クラウス大公その人だった。
「で、殿下!? な、なぜここに!?」
「迎えに来たのだ。私の大切なパートナーを、古臭い価値観で縛り付けようとする輩がいないか心配でな」
クラウスは私の隣に座り、モルトン伯爵を冷ややかに見据えた。
「モルトン。マリアンヌの沈黙に耐えきれず、自ら本音を漏らしたようだな。……心理戦において、彼女に勝てると思ったか?」
「ぐ……っ!」
「彼女の知識は、我が国を次のステージへ引き上げる鍵だ。……邪魔をするなら、外務大臣の椅子ごと地層処分することになるぞ?」
クラウスの威圧という名の絶対零度の視線を受け、モルトン伯爵はガタガタと震え上がり、逃げるように退室していった。
「……やれやれ。出発前から小石に躓くとは」
クラウスが苦笑して、私に向き直った。
「すまない、マリアンヌ。我が国には、ああいう硬い頭の岩石がまだ多い。……君のハンマーで、砕いてくれるか?」
「ええ、お任せください」
私はニッコリと笑い、トランクに詰めた地質ハンマーを撫でた。
「硬い岩ほど、割りがいがあるものですわ。……それに、古い地層を掘り返せば、意外な宝石が見つかるかもしれませんしね」
「頼もしいな。……さあ、行こう。雪と鉱物の国、ハイランドへ」
クラウスが手を差し出す。
私はその手を取り、住み慣れた王都の別邸を後にした。
アースガルドの魔女、国境を越える。
次なる舞台は、万年雪を戴く山々と、地下資源が眠る大国。
そこで待つのは、新たな資源か、それとも新たな敵か。
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