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第63話:司法取引の天秤と、分離する水銀
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「ええい、黙れボーン! この老いぼれめ!」
大評議会の議場に、モルトン伯爵の怒鳴り声が響いた。
偽証が露見し、追い詰められたボーン老人が「金貨を受け取った」と口走った瞬間、モルトン伯爵は即座に切り捨てにかかったのだ。
「皆様、騙されてはいけません! この鑑定士はボケているのです! 私が買収などするはずがない。すべて彼の妄想、あるいは……、そう、マリアンヌ殿に脅されて嘘をついているに違いない!」
「な、なんだと!? モルトン様、あんまりじゃありませんか!」
ボーンが縋り付こうとするが、モルトン伯爵は汚いものを見る目で彼を蹴り飛ばした。
「近寄るな! 衛兵、この狂人を連れ出せ! 神聖な議場を汚した罪で投獄しろ!」
典型的なトカゲの尻尾切り。
ボーン一人に全ての罪を被せ、自分は被害者として生き残る算段だ。
議場の貴族たちも、強大な権力を持つモルトン伯爵に逆らえず、沈黙を守っている。
「……醜いですな」
セバスチャンが眉をひそめる。
「ええ。ですが、ここが分離の好機よ」
私は静かに進み出ると、絶望して床に這いつくばっているボーンの前にしゃがみ込んだ。
「ボーンさん。……聞こえますか?」
「う、うう……。わしは終わりじゃ……。一生牢屋で腐るんじゃ……」
「いいえ。助かる道はあります」
私は彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「『司法取引をご存じですか?」
「しほう……、とりひき?」
「ええ。自分の罪を認め、さらに主犯の罪を暴くための重要な証言や証拠を提供することで、貴方自身の刑罰を軽くする……、という取引です」
ボーンが顔を上げる。
その目に、わずかな希望の光が宿る。
「本来なら偽証罪は重罪。鉱山での強制労働は免れません。……ですが、もし貴方が今ここで真実を話し、モルトン伯爵の悪事を証明できるなら、私はクラウス殿下に貴方の減刑を嘆願しましょう」
私はチラリとモルトン伯爵を見た。
彼は衛兵に何かを指示している。
ボーンを口封じのために消そうとしているのかもしれない。
「選びなさい、ボーンさん。……あの男と一緒に沈むか、それとも泥を吐き出して、自分だけ助かるか」
「で、ですが……、相手は大貴族……、わしごときが証言しても……」
「大丈夫。化学の理屈と同じです」
私は懐から、小瓶を取り出した。
中には銀色の液体――水銀が入っている。
「アマルガムという合金を知っていますね? 金と水銀は、常温で混ざり合ってドロドロの合金になります。……今の貴方とモルトン伯爵の関係です」
私は小瓶を軽く振った。
「一度混ざると、分離するのは難しい。……ですが、熱(プレッシャー)を加えれば話は別です」
私はボーンの目を覗き込んだ。
「加熱すれば、沸点の低い水銀(毒)だけが蒸発して消え去り、純粋な金だけが残る。……今がその加熱の時です。貴方が勇気という熱を出せば、毒(モルトン)と縁を切れるのです」
ボーンは震える拳を握りしめ、モルトン伯爵を睨みつけた。
自分を利用し、使い捨てにしようとした男。
その男への怒りが、彼の心を加熱させた。
「……あります」
ボーンが立ち上がった。
「証拠なら、あります! モルトン様から受け取った帳簿が!」
「な、なにっ!?」
モルトン伯爵が振り返る。
ボーンは懐から、一冊の古びた手帳を取り出した。
「わしは馬鹿だが、用心深いんじゃ! モルトン様が銅の価格操作や横流しを指示した時の覚書、そして報酬の金貨のシリアルナンバー、……全部ここに記録してある!」
会場が騒然となる。
決定的な物的証拠だ。
「よこせ! その手帳をよこせ!」
モルトン伯爵が形相を変えて飛びかかろうとした。
しかし、それより早く、氷のような声が響いた。
「――確保せよ」
クラウス大公の命令で、近衛兵たちが一斉に動き、モルトン伯爵を取り押さえた。
「は、放せ! 私は外務大臣だぞ! これは陰謀だ!」
「見苦しいぞ、モルトン」
クラウス大公が、ボーンから受け取った手帳をパラパラとめくる。
「……ほう。我が国の銅を、敵対国へ極秘に横流ししていた記録まであるな。これが国益か?」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
「マリアンヌの真鍮を否定したのも、銅の価格が下がると、横流しの利益が減るからだな。……私腹を肥やすために国の発展を妨げるとは、万死に値する」
モルトン伯爵は床に膝をつかせられた。
その姿は、かつて彼が切り捨てようとしたボーンよりも小さく見えた。
「……アマルガムの分離、完了ですね」
私はセバスチャンに囁いた。
「ええ。毒は取り除かれました。……ボーン氏は、金とまではいきませんが、まあ真鍮くらいの価値はありましたな」
「減刑は約束通りに。ただし、彼には新しい仕事を与えましょう。……私の真鍮工場で、品質管理の責任者としてね」
「罪を償わせつつ、こき使うわけですな。お嬢様らしい」
連行されていくモルトン伯爵を見送りながら、議場には安堵の空気が広がっていた。
長年この国の産業を牛耳っていた古い岩盤が、ついに砕かれたのだ。
「マリアンヌ殿」
クラウス大公が、晴れやかな顔で私に向き直った。
「君のおかげで、我が国の膿を出し切ることができた。……感謝する」
「いえ。私はただ、化学反応を促進させる触媒になっただけですわ」
私は手元の真鍮の板を掲げた。
障害物は消えた。
これでハイランド大公国は、銅と亜鉛を組み合わせ、黄金色の未来へと進むことができる。
「さあ、忙しくなりますよ。……次は輸出です。この真鍮製品を世界中に売り捌いて、モルトン伯爵が横領した分以上の利益を国庫に戻さなくては」
私の瞳に、商売人の炎が宿るのを見て、クラウス大公は嬉しそうに、そして少しだけ畏怖を込めて苦笑した。
大評議会の議場に、モルトン伯爵の怒鳴り声が響いた。
偽証が露見し、追い詰められたボーン老人が「金貨を受け取った」と口走った瞬間、モルトン伯爵は即座に切り捨てにかかったのだ。
「皆様、騙されてはいけません! この鑑定士はボケているのです! 私が買収などするはずがない。すべて彼の妄想、あるいは……、そう、マリアンヌ殿に脅されて嘘をついているに違いない!」
「な、なんだと!? モルトン様、あんまりじゃありませんか!」
ボーンが縋り付こうとするが、モルトン伯爵は汚いものを見る目で彼を蹴り飛ばした。
「近寄るな! 衛兵、この狂人を連れ出せ! 神聖な議場を汚した罪で投獄しろ!」
典型的なトカゲの尻尾切り。
ボーン一人に全ての罪を被せ、自分は被害者として生き残る算段だ。
議場の貴族たちも、強大な権力を持つモルトン伯爵に逆らえず、沈黙を守っている。
「……醜いですな」
セバスチャンが眉をひそめる。
「ええ。ですが、ここが分離の好機よ」
私は静かに進み出ると、絶望して床に這いつくばっているボーンの前にしゃがみ込んだ。
「ボーンさん。……聞こえますか?」
「う、うう……。わしは終わりじゃ……。一生牢屋で腐るんじゃ……」
「いいえ。助かる道はあります」
私は彼にだけ聞こえる声で囁いた。
「『司法取引をご存じですか?」
「しほう……、とりひき?」
「ええ。自分の罪を認め、さらに主犯の罪を暴くための重要な証言や証拠を提供することで、貴方自身の刑罰を軽くする……、という取引です」
ボーンが顔を上げる。
その目に、わずかな希望の光が宿る。
「本来なら偽証罪は重罪。鉱山での強制労働は免れません。……ですが、もし貴方が今ここで真実を話し、モルトン伯爵の悪事を証明できるなら、私はクラウス殿下に貴方の減刑を嘆願しましょう」
私はチラリとモルトン伯爵を見た。
彼は衛兵に何かを指示している。
ボーンを口封じのために消そうとしているのかもしれない。
「選びなさい、ボーンさん。……あの男と一緒に沈むか、それとも泥を吐き出して、自分だけ助かるか」
「で、ですが……、相手は大貴族……、わしごときが証言しても……」
「大丈夫。化学の理屈と同じです」
私は懐から、小瓶を取り出した。
中には銀色の液体――水銀が入っている。
「アマルガムという合金を知っていますね? 金と水銀は、常温で混ざり合ってドロドロの合金になります。……今の貴方とモルトン伯爵の関係です」
私は小瓶を軽く振った。
「一度混ざると、分離するのは難しい。……ですが、熱(プレッシャー)を加えれば話は別です」
私はボーンの目を覗き込んだ。
「加熱すれば、沸点の低い水銀(毒)だけが蒸発して消え去り、純粋な金だけが残る。……今がその加熱の時です。貴方が勇気という熱を出せば、毒(モルトン)と縁を切れるのです」
ボーンは震える拳を握りしめ、モルトン伯爵を睨みつけた。
自分を利用し、使い捨てにしようとした男。
その男への怒りが、彼の心を加熱させた。
「……あります」
ボーンが立ち上がった。
「証拠なら、あります! モルトン様から受け取った帳簿が!」
「な、なにっ!?」
モルトン伯爵が振り返る。
ボーンは懐から、一冊の古びた手帳を取り出した。
「わしは馬鹿だが、用心深いんじゃ! モルトン様が銅の価格操作や横流しを指示した時の覚書、そして報酬の金貨のシリアルナンバー、……全部ここに記録してある!」
会場が騒然となる。
決定的な物的証拠だ。
「よこせ! その手帳をよこせ!」
モルトン伯爵が形相を変えて飛びかかろうとした。
しかし、それより早く、氷のような声が響いた。
「――確保せよ」
クラウス大公の命令で、近衛兵たちが一斉に動き、モルトン伯爵を取り押さえた。
「は、放せ! 私は外務大臣だぞ! これは陰謀だ!」
「見苦しいぞ、モルトン」
クラウス大公が、ボーンから受け取った手帳をパラパラとめくる。
「……ほう。我が国の銅を、敵対国へ極秘に横流ししていた記録まであるな。これが国益か?」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
「マリアンヌの真鍮を否定したのも、銅の価格が下がると、横流しの利益が減るからだな。……私腹を肥やすために国の発展を妨げるとは、万死に値する」
モルトン伯爵は床に膝をつかせられた。
その姿は、かつて彼が切り捨てようとしたボーンよりも小さく見えた。
「……アマルガムの分離、完了ですね」
私はセバスチャンに囁いた。
「ええ。毒は取り除かれました。……ボーン氏は、金とまではいきませんが、まあ真鍮くらいの価値はありましたな」
「減刑は約束通りに。ただし、彼には新しい仕事を与えましょう。……私の真鍮工場で、品質管理の責任者としてね」
「罪を償わせつつ、こき使うわけですな。お嬢様らしい」
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長年この国の産業を牛耳っていた古い岩盤が、ついに砕かれたのだ。
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「いえ。私はただ、化学反応を促進させる触媒になっただけですわ」
私は手元の真鍮の板を掲げた。
障害物は消えた。
これでハイランド大公国は、銅と亜鉛を組み合わせ、黄金色の未来へと進むことができる。
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