婚約破棄と追放ですか? 辺境が王都すら越える経済圏になってしまいますが、よろしいのですね?

水上

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第67話:羊の皮を脱いで、森の白き肌へ

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 アースガルド領の領主館、執務室。
 そこには、私の身長よりも高く積み上げられた書類の塔があった。

「……セバス。腕が痛いわ」

 私は羽根ペンを置き、手首をさすった。
 領地が拡大し、人口が増えたことで、処理すべき公文書の量は爆発的に増加していた。
 だが、問題は量だけではない。

「この羊皮紙……、どうにかならないかしら? 厚くて、重くて、その上インクが滲むし、何より湿気ると獣臭いのよ」

 私は目の前の書類をペラリとめくった。
 羊の皮をなめして作った羊皮紙は、丈夫だが高価だ。
 この書類一枚で、平民の数日分の食費が飛ぶ。

「仕方ありません、お嬢様。公式な文書には羊皮紙を使うのが王国の決まりですから」

 セバスチャンが新しいインク壺を用意しながら慰める。

「それに、植物の繊維で作ったパピルスや紙もありますが、あれはすぐにボロボロになるし、茶色くて文字が読みづらい。長期保存には向きません」

「……そうね。既存の紙は質が悪い。だから富裕層は高価な羊皮紙を使い、庶民は紙すら買えず、文字を覚える機会もない」

 私は窓の外を見た。
 そこには、元・王太子ジェラルドやリリーナを含む多くの労働者たちが働いている。
 彼らの子供たちに教育を施そうにも、教科書を作るコストが高すぎるのだ。

「知識の独占よ。……気に入らないわ」

 私は立ち上がり、壁に掛かった地質図を見た。
 アースガルド領には、豊富な森林資源と、そして、ある白い石がある。

「セバス。羊の皮を脱ぐ時が来たわ。……森と石を使って、真っ白で、シルクのように滑らかで、そしてタダ同然に安い究極の紙を作るわよ」

 私たちが向かったのは、領内の製材所の裏手だった。
 そこには、建築資材としては使えない、細い木や端材が山のように積まれている。

「お嬢様。まさか、この木のクズから紙を作るのですか?」

「ええ。木材の主成分はセルロース。……羊皮紙がタンパク質なら、紙は炭水化物の繊維よ」

 私は端材を拾い上げ、ガストンに指示を出した。

「この木材を砕いてチップにし、薬品(水酸化ナトリウムなど)で煮込んで、余分なリグニン(接着剤成分)を溶かしなさい。そうすれば、純粋な白い繊維だけが残るわ」

「は、はい。煮込むんですね」

「でも、それだけじゃダメなの」

 私はポケットから、白い石の粉が入った小瓶を取り出した。

「植物の繊維だけで紙を作ると、どうしても表面がデコボコして、インクが滲んでしまう。それに、光が透けて裏写りするわ。……そこで、このお化粧が必要になるの」

「お化粧……? それは、以前川の浄化に使った石灰ですか?」

 セバスチャンが気づく。

「ご名答。……正確には炭酸カルシウムの微粉末よ」

 私は白い粉を指先でこすった。

「紙の繊維の隙間に、この白い石の粉を詰め込むの。これを填料と言うわ」

 私は地面に図を描いて解説した。

「石の粉が隙間を埋めることで、紙の表面は平滑になり、インクが綺麗に乗るようになる。さらに、石の粒子が光を乱反射させるから、紙は透き通らなくなり、眩しいほどの白色を手に入れることができるの」

「なるほど……。紙の中に石を混ぜるわけですか。まるで漆喰ですな」

「そうね。……さらに、この炭酸カルシウムを入れると、紙が中性に保たれる。昔の紙は酸性でボロボロになりやすかったけれど、この中性紙なら数百年経っても劣化しないわ」

 数日後。
 試作プラントから、最初の一枚が抄き上がってきた。

「……ご覧ください、お嬢様!」

 ガストンが震える手で、その紙を差し出した。
 それは、従来の茶色くてザラザラした紙とは別次元の物体だった。

 雪のように白く、表面は赤ちゃんの肌のように滑らか。
 光にかざしても裏側が透けず、しっかりとしたコシがある。

「美しい……! これが木と石からできたのですか!?」

 セバスチャンが羽根ペンを走らせる。
 カリカリという音と共に、インクが滑るように乗り、滲むことなく美しい線を描く。

「書き味も最高です。……これなら、羊皮紙より書きやすいかもしれません」

「コストはどうかしら?」

「計算しました! 羊皮紙の百分の一……、いえ、量産すれば千分の一以下になります!」

 ガストンが興奮して鼻息を荒くする。

「革命です! これなら、教科書も、新聞も、チラシも、湯水のように印刷できます! 知識が……、知識がタダ同然で手に入る時代が来ますぞ!」

「ええ。情報の民主化よ」

 私は出来たての白い紙を指で弾いた。
 パァン、と小気味よい音がする。

「これまで貴族たちが独占していた知を、全ての民に開放する。……読み書きができれば、騙される人も減るし、新しい技術も生まれるわ」

 私は窓の外、農場で働くリリーナたちを見た。
 彼女たちにも、この紙とペンを与えよう。
 観察日記をつけるだけでなく、もっと広い世界を知るために。

「商品名はアース・ペーパー。……さあ、忙しくなるわよ。この紙を使って、まずは領内の子供たちのための教科書を刷るの。印刷機(活版印刷)の開発も急がせて」

 石(炭酸カルシウム)と植物(パルプ)の結婚。
 地質学と農学が生んだ白い革命は、アースガルド領だけでなく、世界中の文明レベルを一段階引き上げようとしていた。

「……お嬢様。この紙で、ジェラルド殿下に反省文を書かせてはいかがです?」

「ふふ、いいアイデアね。羊皮紙だと高くて勿体ないけれど、この紙なら千枚書いても安上がりだもの」

 白い紙の束が、風に吹かれてパラパラと鳴る。
 それは、新しい時代のページがめくられる音のようだった。
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