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第99話:知ることは、愛すること
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王立アースガルド・アカデミーの大講堂。
階段状の座席は、数百人の学生たちで埋め尽くされていた。
彼らの瞳は、かつて私がアースガルドに来たばかりの頃に見つけたダイヤモンドの原石のように、純粋で、強い光を放っている。
「……随分と、増えましたな」
舞台袖で、すっかり白髪になったセバスチャンが目を細める。
「ええ。最初はジェラルドたちの更生施設みたいだったけれど、今は大陸中から留学生が来るものね」
私はマイク(真鍮と圧電素子を使った原始的な拡声器だ)の前に立った。
会場が静まり返る。
最前列には、私の娘リズや、更生した元貴族たちの子供、そして帝国からの留学生たちが座っている。
教職員席には、教頭となったジェラルドと、農場長のリリーナの姿もあった。
「皆さん、こんにちは。……学長のマリアンヌです」
私はゆっくりと語り始めた。
「今日は、教科書のページを開く必要はありません。……少しだけ、昔話をしましょう」
私はポケットから、小さな鉄の釘を取り出した。
それは、私がこの領地に来て初めて、あの赤い泥沼から作った歪な釘だ。
「この釘は、私が初めてこの地で作ったものです。……当時、ここは死の荒野と呼ばれていました。誰もが、ここには何もない、価値がないと言いました」
私は釘を見つめた。
「でも、私の目には違って見えました。……赤茶けた沼は鉄の泉に、白い粘土は磁器に、ゴツゴツした岩は宝石に見えたのです」
私は学生たちに問いかけた。
「その違いは、何だと思いますか? ……私が魔法使いだから? それとも運が良かったから?」
学生たちが顔を見合わせる。
一人の少年が手を挙げた。
「……知識、ですか?」
「ご名答」
私はニッコリと笑った。
「そう、知識です。……地質学、化学、農学。それらのレンズを通して見れば、この世界に無価値なものなど一つもありませんでした」
私は黒板に、大きな円を描いた。
「人は、分からないものを恐れます。……冷夏を呪いだと恐れ、疫病を悪魔だと恐れ、違う考えを持つ他人を敵だと恐れる。……恐怖は、無知から生まれます」
私は円の中に知と書いた。
「学ぶということは、その恐怖の霧を晴らすことです。……カビの正体を知れば薬になり、火山の仕組みを知れば温泉になる。知識は、世界を敵から味方に変える最強の魔法なのです」
私は教職員席のジェラルドを見た。
彼は深く頷いている。
かつて無知ゆえに失敗し、学び直すことで再生した彼だからこそ、その言葉の重みを知っている。
「そして……、ここからが一番大事なことです」
私は胸に手を当てた。
「知ろうとすること。対象を観察し、成分を分析し、その生い立ちに思いを馳せること。……それは、対象を深く愛することと同じだと、私は思います」
会場がざわめく。
科学と愛。
一見、対極にある言葉だ。
「石ころ一つ、雑草一本にも、数億年の歴史と、生き残るための知恵が詰まっています。……それを見過ごさず、理解しようと努める姿勢。それは、相手を尊重し、慈しむ心そのものではないでしょうか」
私は最前列のリズと目が合った。
彼女は、拾ったアンモナイトを宝物のように握りしめている。
「世界は知識でできています。……そして、その知識を探求する心は、愛でできています」
私は両手を広げた。
「どうか、学び続けてください。……この世界を、もっと深く愛するために。泥の中に眠る可能性を、貴方たちの手で掘り起こすために」
割れんばかりの拍手が、講堂を揺らした。
スタンディングオベーション。
ジェラルドが、リリーナが、そしてガモンやバリウスたちが、涙を浮かべて拍手をしている。
彼らもまた、ここで学び直し、自分自身を愛せるようになったのだ。
「……素晴らしい講義だった」
舞台袖に戻ると、クラウス大公が待っていた。
年を重ね、目尻に皺が増えたが、その瞳の熱量は変わらない。
「君の言葉は、いつも私の心の最深部に届く」
「ふふ。……貴方の地層が柔らかいからですよ」
クラウスは私の手を取り、指輪にキスをした。
「『知ることは愛すること』か。……ならば私は、世界で一番の学者だな。君のことを誰よりも深く知りたいと、今でも思っているのだから」
「あら。……今の講義、単位をあげてもよくてよ?」
私たちは笑い合った。
窓の外には、アースガルドの豊かな大地が広がっている。
かつては風の音しかしなかったこの場所が、今は数え切れないほどの知恵と愛で満たされている。
「お嬢様。……いえ、学長」
セバスチャンが、私の肩にショールをかけてくれた。
「次の予定が入っております。……リズ様が、『パパとママに見せたいものがある』と裏山で待機中です」
「あら、また化石?」
「いいえ。……どうやら温泉の成分分析について、新しい仮説を立てたとか」
「……血は争えないわね」
私はクラウスと顔を見合わせた。
次世代の探究者たちは、もう私たちを追い越そうとしている。
「行きましょう。……未来の学者先生の発表を聞きに」
私は講堂を後にした。
背後には、若者たちの熱気。
前方には、愛する家族と大地。
私の人生というフィールドワークは、なんて豊かで、騒がしくて、愛おしいのだろう。
階段状の座席は、数百人の学生たちで埋め尽くされていた。
彼らの瞳は、かつて私がアースガルドに来たばかりの頃に見つけたダイヤモンドの原石のように、純粋で、強い光を放っている。
「……随分と、増えましたな」
舞台袖で、すっかり白髪になったセバスチャンが目を細める。
「ええ。最初はジェラルドたちの更生施設みたいだったけれど、今は大陸中から留学生が来るものね」
私はマイク(真鍮と圧電素子を使った原始的な拡声器だ)の前に立った。
会場が静まり返る。
最前列には、私の娘リズや、更生した元貴族たちの子供、そして帝国からの留学生たちが座っている。
教職員席には、教頭となったジェラルドと、農場長のリリーナの姿もあった。
「皆さん、こんにちは。……学長のマリアンヌです」
私はゆっくりと語り始めた。
「今日は、教科書のページを開く必要はありません。……少しだけ、昔話をしましょう」
私はポケットから、小さな鉄の釘を取り出した。
それは、私がこの領地に来て初めて、あの赤い泥沼から作った歪な釘だ。
「この釘は、私が初めてこの地で作ったものです。……当時、ここは死の荒野と呼ばれていました。誰もが、ここには何もない、価値がないと言いました」
私は釘を見つめた。
「でも、私の目には違って見えました。……赤茶けた沼は鉄の泉に、白い粘土は磁器に、ゴツゴツした岩は宝石に見えたのです」
私は学生たちに問いかけた。
「その違いは、何だと思いますか? ……私が魔法使いだから? それとも運が良かったから?」
学生たちが顔を見合わせる。
一人の少年が手を挙げた。
「……知識、ですか?」
「ご名答」
私はニッコリと笑った。
「そう、知識です。……地質学、化学、農学。それらのレンズを通して見れば、この世界に無価値なものなど一つもありませんでした」
私は黒板に、大きな円を描いた。
「人は、分からないものを恐れます。……冷夏を呪いだと恐れ、疫病を悪魔だと恐れ、違う考えを持つ他人を敵だと恐れる。……恐怖は、無知から生まれます」
私は円の中に知と書いた。
「学ぶということは、その恐怖の霧を晴らすことです。……カビの正体を知れば薬になり、火山の仕組みを知れば温泉になる。知識は、世界を敵から味方に変える最強の魔法なのです」
私は教職員席のジェラルドを見た。
彼は深く頷いている。
かつて無知ゆえに失敗し、学び直すことで再生した彼だからこそ、その言葉の重みを知っている。
「そして……、ここからが一番大事なことです」
私は胸に手を当てた。
「知ろうとすること。対象を観察し、成分を分析し、その生い立ちに思いを馳せること。……それは、対象を深く愛することと同じだと、私は思います」
会場がざわめく。
科学と愛。
一見、対極にある言葉だ。
「石ころ一つ、雑草一本にも、数億年の歴史と、生き残るための知恵が詰まっています。……それを見過ごさず、理解しようと努める姿勢。それは、相手を尊重し、慈しむ心そのものではないでしょうか」
私は最前列のリズと目が合った。
彼女は、拾ったアンモナイトを宝物のように握りしめている。
「世界は知識でできています。……そして、その知識を探求する心は、愛でできています」
私は両手を広げた。
「どうか、学び続けてください。……この世界を、もっと深く愛するために。泥の中に眠る可能性を、貴方たちの手で掘り起こすために」
割れんばかりの拍手が、講堂を揺らした。
スタンディングオベーション。
ジェラルドが、リリーナが、そしてガモンやバリウスたちが、涙を浮かべて拍手をしている。
彼らもまた、ここで学び直し、自分自身を愛せるようになったのだ。
「……素晴らしい講義だった」
舞台袖に戻ると、クラウス大公が待っていた。
年を重ね、目尻に皺が増えたが、その瞳の熱量は変わらない。
「君の言葉は、いつも私の心の最深部に届く」
「ふふ。……貴方の地層が柔らかいからですよ」
クラウスは私の手を取り、指輪にキスをした。
「『知ることは愛すること』か。……ならば私は、世界で一番の学者だな。君のことを誰よりも深く知りたいと、今でも思っているのだから」
「あら。……今の講義、単位をあげてもよくてよ?」
私たちは笑い合った。
窓の外には、アースガルドの豊かな大地が広がっている。
かつては風の音しかしなかったこの場所が、今は数え切れないほどの知恵と愛で満たされている。
「お嬢様。……いえ、学長」
セバスチャンが、私の肩にショールをかけてくれた。
「次の予定が入っております。……リズ様が、『パパとママに見せたいものがある』と裏山で待機中です」
「あら、また化石?」
「いいえ。……どうやら温泉の成分分析について、新しい仮説を立てたとか」
「……血は争えないわね」
私はクラウスと顔を見合わせた。
次世代の探究者たちは、もう私たちを追い越そうとしている。
「行きましょう。……未来の学者先生の発表を聞きに」
私は講堂を後にした。
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