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第28話:勝てない賭けとコンコルド効果
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王都の裏社交界にある高級サロン。
今夜はここで、貴族たちの遊興――賭け事が行われていた。
そのVIPルームに、血走った目をしたイザベラの姿があった。
「レイズ(上乗せ)よ! 私のネックレスも、馬車も賭けるわ!」
テーブルの上には、金貨や宝石が山のように積まれている。
対戦相手は、なんとアルヴィスだった。
彼はイザベラから「白黒つけましょう」と決闘を申し込まれ、リリアを連れてしぶしぶ付き合っていたのだ。
ゲームは単純なカード勝負。
だが、イザベラは負け続けていた。
「イザベラ様、もうやめましょう……! これ以上は……」
リリアが青ざめて止めるが、イザベラは聞く耳を持たない。
「うるさい! 次こそ勝つのよ! これだけ負けが続いたんだから、確率は収束して、次は絶対に私が勝つ番なのよ!」
イザベラは実家の権利書まで取り出し、テーブルに叩きつけた。
アルヴィスは冷めた紅茶を一口啜り、呆れ顔でカードを配った。
「……愚かだな。君は今、典型的なギャンブラーの誤謬に陥っている」
「な、なんですって……?」
「コイン投げで裏が10回続いたから、次は表が出るはずだ、という思い込みだ。だが、コインに記憶はない。前の結果がどうあれ、次に表が出る確率は常に50%だ。確率は補正されない。君が勝つ番など永遠に来ないのだよ」
「黙りなさい! 確率論なんて知らないわ! 私の運命力を信じるのよ!」
イザベラは震える手でカードをめくった。
結果は――またしてもアルヴィスの勝利。
「あ、あああ……っ!」
イザベラが髪をかきむしる。
これで持ち金は底をついたはずだ。
しかし、彼女は狂乱したように叫んだ。
「まだよ! まだ終われない! 借用書を書くわ! ここでやめたら、今まで賭けた分が全部無駄になるじゃない!」
リリアは悲痛な声を上げた。
「イザベラ様、いけません! それ以上は破滅です!」
アルヴィスは静かにリリアを制止し、イザベラを見据えた。
「リリア、無駄だ。彼女の脳は今、動物行動学におけるコンコルド効果(サンクコストの誤謬)に支配されている」
「こんこるど……?」
「ある投資を続けることが損失になるとわかっていても、これまでの投資(サンクコスト)を無駄にしたくないという心理が働き、やめられなくなる現象だ」
アルヴィスはテーブルの上のチップの山を指差した。
「動物でも、攻撃されて卵が割れた巣を、なおも守り続けようとして死ぬ個体がいる。イザベラ、君は今、勝つために賭けているのではない。失ったものを取り戻したいという過去への執着だけで動いている。だが、その執着こそが、君の未来の資産まで食いつぶすブラックホールだ」
「う、うるさいっ! 取り戻せばいいんでしょう、取り戻せば! 勝てば全部チャラよ!」
イザベラの瞳孔は開き、呼吸は荒い。
正常な判断力は消え失せている。
「……重度の中毒だな」
アルヴィスは冷徹に分析を続けた。
「心身医学的に言えば、君は間欠強化(かんけつきょうか)によるドーパミン中毒だ。毎回勝つより、たまに勝つ方が脳は興奮し、依存症になりやすい。君は過去の小さな成功体験(まぐれ勝ち)が忘れられず、脳内麻薬に踊らされている実験用マウスと同じだ」
彼は手元のカードを伏せ、立ち上がった。
「これ以上は時間の無駄だ。私の勝ちで確定している」
「逃げるの!? 怖いのね!」
「いいや。君の破産が確定したと言っているんだ」
アルヴィスはテーブルの上の権利書を指先で弾いた。
「この権利書だが……、既に抵当に入っているな? 君の家の財政状況は火の車だ。これ以上負ければ、君は物理的に路頭に迷うことになる。これでもまだ、確率50%以下のゲームに人生を張るか?」
イザベラは凍りついた。
図星だった。
実家は彼女の浪費と失敗の穴埋めで傾きかけており、これが最後の賭けだったのだ。
「う……、うう……」
カードを持つ手が震え、ぽろりと落ちた。
負けを認めた瞬間、積み上げたチップも、プライドも、全てが崩れ去った。
「……終わりだ」
アルヴィスはイザベラから巻き上げた金貨の山には目もくれず、リリアの手を取った。
「行くぞ、リリア。ギャンブル場の空気は、合理性を欠いた人間のフェロモンで充満していて不快だ」
「は、はい……。でも、イザベラ様は……」
「放っておけ。彼女に必要なのは金ではない。依存症治療プログラムだ」
呆然と座り込むイザベラを残し、二人はサロンを後にした。
取り戻そうとすればするほど、深みにはまっていく。
論理を知らない者のギャンブルは、最初から負けが決まっている自殺行為でしかなかった。
今夜はここで、貴族たちの遊興――賭け事が行われていた。
そのVIPルームに、血走った目をしたイザベラの姿があった。
「レイズ(上乗せ)よ! 私のネックレスも、馬車も賭けるわ!」
テーブルの上には、金貨や宝石が山のように積まれている。
対戦相手は、なんとアルヴィスだった。
彼はイザベラから「白黒つけましょう」と決闘を申し込まれ、リリアを連れてしぶしぶ付き合っていたのだ。
ゲームは単純なカード勝負。
だが、イザベラは負け続けていた。
「イザベラ様、もうやめましょう……! これ以上は……」
リリアが青ざめて止めるが、イザベラは聞く耳を持たない。
「うるさい! 次こそ勝つのよ! これだけ負けが続いたんだから、確率は収束して、次は絶対に私が勝つ番なのよ!」
イザベラは実家の権利書まで取り出し、テーブルに叩きつけた。
アルヴィスは冷めた紅茶を一口啜り、呆れ顔でカードを配った。
「……愚かだな。君は今、典型的なギャンブラーの誤謬に陥っている」
「な、なんですって……?」
「コイン投げで裏が10回続いたから、次は表が出るはずだ、という思い込みだ。だが、コインに記憶はない。前の結果がどうあれ、次に表が出る確率は常に50%だ。確率は補正されない。君が勝つ番など永遠に来ないのだよ」
「黙りなさい! 確率論なんて知らないわ! 私の運命力を信じるのよ!」
イザベラは震える手でカードをめくった。
結果は――またしてもアルヴィスの勝利。
「あ、あああ……っ!」
イザベラが髪をかきむしる。
これで持ち金は底をついたはずだ。
しかし、彼女は狂乱したように叫んだ。
「まだよ! まだ終われない! 借用書を書くわ! ここでやめたら、今まで賭けた分が全部無駄になるじゃない!」
リリアは悲痛な声を上げた。
「イザベラ様、いけません! それ以上は破滅です!」
アルヴィスは静かにリリアを制止し、イザベラを見据えた。
「リリア、無駄だ。彼女の脳は今、動物行動学におけるコンコルド効果(サンクコストの誤謬)に支配されている」
「こんこるど……?」
「ある投資を続けることが損失になるとわかっていても、これまでの投資(サンクコスト)を無駄にしたくないという心理が働き、やめられなくなる現象だ」
アルヴィスはテーブルの上のチップの山を指差した。
「動物でも、攻撃されて卵が割れた巣を、なおも守り続けようとして死ぬ個体がいる。イザベラ、君は今、勝つために賭けているのではない。失ったものを取り戻したいという過去への執着だけで動いている。だが、その執着こそが、君の未来の資産まで食いつぶすブラックホールだ」
「う、うるさいっ! 取り戻せばいいんでしょう、取り戻せば! 勝てば全部チャラよ!」
イザベラの瞳孔は開き、呼吸は荒い。
正常な判断力は消え失せている。
「……重度の中毒だな」
アルヴィスは冷徹に分析を続けた。
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彼は手元のカードを伏せ、立ち上がった。
「これ以上は時間の無駄だ。私の勝ちで確定している」
「逃げるの!? 怖いのね!」
「いいや。君の破産が確定したと言っているんだ」
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「この権利書だが……、既に抵当に入っているな? 君の家の財政状況は火の車だ。これ以上負ければ、君は物理的に路頭に迷うことになる。これでもまだ、確率50%以下のゲームに人生を張るか?」
イザベラは凍りついた。
図星だった。
実家は彼女の浪費と失敗の穴埋めで傾きかけており、これが最後の賭けだったのだ。
「う……、うう……」
カードを持つ手が震え、ぽろりと落ちた。
負けを認めた瞬間、積み上げたチップも、プライドも、全てが崩れ去った。
「……終わりだ」
アルヴィスはイザベラから巻き上げた金貨の山には目もくれず、リリアの手を取った。
「行くぞ、リリア。ギャンブル場の空気は、合理性を欠いた人間のフェロモンで充満していて不快だ」
「は、はい……。でも、イザベラ様は……」
「放っておけ。彼女に必要なのは金ではない。依存症治療プログラムだ」
呆然と座り込むイザベラを残し、二人はサロンを後にした。
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