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第29話:俺様王子とアルファ・オオカミの誤解
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イザベラがギャンブルで大敗し、実家の権利書まで失ったという噂は、瞬く間に社交界を駆け巡った。
それは当然、彼女の婚約者であるジェラルド第二王子の耳にも届いていた。
王宮の回廊。
アルヴィスとリリアが国王への報告を終えて退出すると、待ち構えていたかのようにジェラルドが立ちはだかった。
「待て、リリア」
王子の顔色は優れない。
焦燥と、どこか狂気じみた光が瞳に宿っている。
彼はアルヴィスを無視し、リリアの腕を強引に掴んだ。
「きゃっ!?」
「痛いか? だが我慢しろ。俺についてこい。イザベラはもう終わりだ。やはり俺の横に立つのは、お前のような従順な女が相応しい」
ジェラルドはリリアを自分の体へと引き寄せた。
「嬉しいだろう? 一度捨てられた男に、こうして強く求められるのが。女という生き物は、結局のところ強いオスに支配されたいと願っているものだからな」
リリアは恐怖で震えた。
(なに、この人……? どうしてそんな勝手な理屈になるの?)
彼が言っていることは支離滅裂だ。
イザベラがダメになったから、スペアとしてリリアに戻れと言っているだけ。
そこに愛などない。
「は、離してください! 私はアルヴィス様の婚約者です!」
「うるさい! 辺境伯のような理屈っぽい男に、お前を守れるものか。俺のような強引さ、リーダーシップこそが、群れを率いる王(アルファ)の資質なんだよ!」
ジェラルドは腕の力を強めた。
その時、鋭い痛みが走る――はずだったリリアの腕から、王子の手が弾かれた。
アルヴィスが、仕込み杖の柄で王子の手首を正確に叩いたのだ。
「――汚らわしい。その手を離せ」
「貴様っ! 王族に対して何をする!」
ジェラルドが怒鳴るが、アルヴィスは冷ややかな瞳で彼を見下ろした。
「殿下。貴方のその言動は、リーダーシップではない。時代遅れの動物行動学に基づくアルファ・オオカミの神話の誤解だ」
「あるふぁ……?」
「かつて、オオカミの群れは、暴力で他を従える最強のリーダーアルファによって支配されていると信じられていた。貴方は今、自分をそのアルファになぞらえ、俺に従えと吠えているわけだ」
アルヴィスは憐れむように首を振った。
「だが、その学説はすでに否定されている。あれは狭い飼育下で、血縁のない狼を無理やり同居させたストレス環境での観察結果に過ぎない。本来の野生のオオカミの群れは家族だ。リーダーは暴君ではなく、子供を優しく導き、餌を分け与える親のような存在であることが判明している」
彼はリリアを背後に庇い、王子に一歩詰め寄った。
「つまり、貴方が誇示している支配的なリーダーシップとやらは、野生の王の姿ではない。ストレス環境下でパニックを起こし、身内に暴力を振るうことでしか自我を保てない、飼育小屋の哀れな狼の姿だ」
「な、なんだと……っ! 俺は王族だぞ! 俺が怖いからリリアは震えているんじゃないか! その恐怖こそが敬意の証だ!」
「いいや。それは敵意帰属バイアスだ」
アルヴィスは即答した。
「貴方は他者の反応を、すべて自分に都合よく解釈しすぎている。リリアが震えているのは敬意や支配される喜びからではない。単に、話の通じない暴漢に対する生物学的な恐怖だ」
アルヴィスは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「貴方はリリアの拒絶反応を、俺への愛の裏返しや挑発だと脳内変換しているようだが、それは認知の歪みだ。彼女の瞳を見ろ。そこに映っているのは、恋心ではなく、害虫を見るような嫌悪感だぞ」
ジェラルドがハッとしてリリアを見る。
リリアは、かつてのように目を逸らさなかった。
アルヴィスの背中越しに、はっきりと告げた。
「……ジェラルド様。私は支配されたくありません。私が求めているのは、命令する飼い主ではなく、対等に向き合ってくれるパートナーです」
「なっ、お前……、口答えを……!」
「暴力や権力で従わせようとするのは、力による論証です。それは議論の放棄であり、知性の敗北だと、アルヴィス様に教わりました」
リリアの毅然とした言葉に、ジェラルドはたじろいだ。
あのおどおどしていたリリアが、自分を真っ直ぐに見て反論している。
「く、くそっ……! どいつもこいつも!」
ジェラルドは振り上げた拳のやり場を失い、わなわなと震えた。
「俺は王子だぞ……! 選ばれた人間なんだ……!」
「血統書付きの犬でも、噛み癖があれば保健所行きだ」
アルヴィスは冷徹に引導を渡した。
「失せろ、ジェラルド。私の婚約者に二度と触れるな。これ以上つきまとうなら、貴方の精神鑑定の結果を国王陛下に提出することになる」
その脅しは効果てきめんだった。
すでにイザベラとの一件で立場が危ういジェラルドにとって、これ以上のスキャンダルは致命的だ。
彼は「覚えてろ!」と捨て台詞を吐き、逃げるように走り去った。
回廊に静寂が戻る。
アルヴィスは振り返り、リリアの手首を確認した。
「……赤くなっているな。圧迫による皮下出血だ。冷やさないと」
「大丈夫です。それより……」
リリアはアルヴィスの袖を掴んだ。
「私、ちゃんと言えました。力による論証には屈しないって」
「ああ。素晴らしい反論だった」
アルヴィスは優しく微笑み、赤くなったリリアの手首にそっと口付けた。
「君はもう、誰かに支配されるような弱い個体ではない。……私の自慢のパートナーだ」
俺様王子の幻想は、アルヴィスの論理とリリアの成長した心によって粉砕された。
二人の絆は、恐怖による支配ではなく、尊敬と信頼という土台の上に、より強固に築かれていた。
それは当然、彼女の婚約者であるジェラルド第二王子の耳にも届いていた。
王宮の回廊。
アルヴィスとリリアが国王への報告を終えて退出すると、待ち構えていたかのようにジェラルドが立ちはだかった。
「待て、リリア」
王子の顔色は優れない。
焦燥と、どこか狂気じみた光が瞳に宿っている。
彼はアルヴィスを無視し、リリアの腕を強引に掴んだ。
「きゃっ!?」
「痛いか? だが我慢しろ。俺についてこい。イザベラはもう終わりだ。やはり俺の横に立つのは、お前のような従順な女が相応しい」
ジェラルドはリリアを自分の体へと引き寄せた。
「嬉しいだろう? 一度捨てられた男に、こうして強く求められるのが。女という生き物は、結局のところ強いオスに支配されたいと願っているものだからな」
リリアは恐怖で震えた。
(なに、この人……? どうしてそんな勝手な理屈になるの?)
彼が言っていることは支離滅裂だ。
イザベラがダメになったから、スペアとしてリリアに戻れと言っているだけ。
そこに愛などない。
「は、離してください! 私はアルヴィス様の婚約者です!」
「うるさい! 辺境伯のような理屈っぽい男に、お前を守れるものか。俺のような強引さ、リーダーシップこそが、群れを率いる王(アルファ)の資質なんだよ!」
ジェラルドは腕の力を強めた。
その時、鋭い痛みが走る――はずだったリリアの腕から、王子の手が弾かれた。
アルヴィスが、仕込み杖の柄で王子の手首を正確に叩いたのだ。
「――汚らわしい。その手を離せ」
「貴様っ! 王族に対して何をする!」
ジェラルドが怒鳴るが、アルヴィスは冷ややかな瞳で彼を見下ろした。
「殿下。貴方のその言動は、リーダーシップではない。時代遅れの動物行動学に基づくアルファ・オオカミの神話の誤解だ」
「あるふぁ……?」
「かつて、オオカミの群れは、暴力で他を従える最強のリーダーアルファによって支配されていると信じられていた。貴方は今、自分をそのアルファになぞらえ、俺に従えと吠えているわけだ」
アルヴィスは憐れむように首を振った。
「だが、その学説はすでに否定されている。あれは狭い飼育下で、血縁のない狼を無理やり同居させたストレス環境での観察結果に過ぎない。本来の野生のオオカミの群れは家族だ。リーダーは暴君ではなく、子供を優しく導き、餌を分け与える親のような存在であることが判明している」
彼はリリアを背後に庇い、王子に一歩詰め寄った。
「つまり、貴方が誇示している支配的なリーダーシップとやらは、野生の王の姿ではない。ストレス環境下でパニックを起こし、身内に暴力を振るうことでしか自我を保てない、飼育小屋の哀れな狼の姿だ」
「な、なんだと……っ! 俺は王族だぞ! 俺が怖いからリリアは震えているんじゃないか! その恐怖こそが敬意の証だ!」
「いいや。それは敵意帰属バイアスだ」
アルヴィスは即答した。
「貴方は他者の反応を、すべて自分に都合よく解釈しすぎている。リリアが震えているのは敬意や支配される喜びからではない。単に、話の通じない暴漢に対する生物学的な恐怖だ」
アルヴィスは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「貴方はリリアの拒絶反応を、俺への愛の裏返しや挑発だと脳内変換しているようだが、それは認知の歪みだ。彼女の瞳を見ろ。そこに映っているのは、恋心ではなく、害虫を見るような嫌悪感だぞ」
ジェラルドがハッとしてリリアを見る。
リリアは、かつてのように目を逸らさなかった。
アルヴィスの背中越しに、はっきりと告げた。
「……ジェラルド様。私は支配されたくありません。私が求めているのは、命令する飼い主ではなく、対等に向き合ってくれるパートナーです」
「なっ、お前……、口答えを……!」
「暴力や権力で従わせようとするのは、力による論証です。それは議論の放棄であり、知性の敗北だと、アルヴィス様に教わりました」
リリアの毅然とした言葉に、ジェラルドはたじろいだ。
あのおどおどしていたリリアが、自分を真っ直ぐに見て反論している。
「く、くそっ……! どいつもこいつも!」
ジェラルドは振り上げた拳のやり場を失い、わなわなと震えた。
「俺は王子だぞ……! 選ばれた人間なんだ……!」
「血統書付きの犬でも、噛み癖があれば保健所行きだ」
アルヴィスは冷徹に引導を渡した。
「失せろ、ジェラルド。私の婚約者に二度と触れるな。これ以上つきまとうなら、貴方の精神鑑定の結果を国王陛下に提出することになる」
その脅しは効果てきめんだった。
すでにイザベラとの一件で立場が危ういジェラルドにとって、これ以上のスキャンダルは致命的だ。
彼は「覚えてろ!」と捨て台詞を吐き、逃げるように走り去った。
回廊に静寂が戻る。
アルヴィスは振り返り、リリアの手首を確認した。
「……赤くなっているな。圧迫による皮下出血だ。冷やさないと」
「大丈夫です。それより……」
リリアはアルヴィスの袖を掴んだ。
「私、ちゃんと言えました。力による論証には屈しないって」
「ああ。素晴らしい反論だった」
アルヴィスは優しく微笑み、赤くなったリリアの手首にそっと口付けた。
「君はもう、誰かに支配されるような弱い個体ではない。……私の自慢のパートナーだ」
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