「君は自分の利益しか考えてないのか?」と私の成果をタダで配る偽善者の浮気夫。〜やりがい搾取に疲れたので、すべての権利をいただいて去ります〜

水上

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第36話:掌の上

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「僕がこれほどまでに温情をかけ、君に我が家の名声を高める崇高な役割を与えてやったというのに! 君はまたしても自分の利益と安楽ばかりを優先し、僕とステラの顔に泥を塗ろうというのか!」

「違います! 私は……!」

 オリヴィアが反論しようとした時、セドリックは彼女の腕をさらに強く締め上げ、顔を近づけて凄んだ。

「君は、自分がどれほど愚かなことをしようとしているか、わかっているのか?」

 彼の声は、怒鳴り声から一転し、ねっとりとした、道徳による支配のトーンへと変わった。

「君が今ここで逃げ出せば、明日の祭壇の装飾はどうなる? 王室からの信頼を裏切り、ウィンザー家は破滅する。君のわがままのせいで、路頭に迷う領民たちの顔が目に浮かばないのか?」

 セドリックは、自分の安請け合いの責任を完全に棚に上げ、全てをオリヴィアの逃亡という利己的な行為のせいにするためのロジックを瞬時に組み立てていた。

「君は本当に、救いようのない冷酷な女だ。僕がどれほど君を正しい道へ導こうとしても、君のその傲慢な心根は変わらない。……いいだろう。君がその気なら、僕にも考えがある」

 彼は、抵抗するオリヴィアを強引に引きずり、屋敷の中へ連れ戻した。

「お、お待ちください、旦那様! 奥様は……奥様は何も……!」

 すがりつこうとしたマーサを、セドリックは冷酷な足蹴りで払い除けた。

「うるさい! この老婆も、妻の逃亡を手助けした共犯として後で処分してやる!」

 オリヴィアは、腕の痛みに顔を歪めながらも、頭の中では猛烈な勢いで計算を巡らせていた。

(……まさか、ステラのあの浅薄な猜疑心が、ここまで的を射るなんて)

 セドリックに引きずられ、彼女は再び自室へと押し込まれた。
 バンッ、と重厚な扉が閉められ、外からガチャリと、鍵がかけられる嫌な音が響いた。

「君は、明日の祭典が終わるまで、この部屋から一歩も出すわけにはいかない」

 扉越しに、セドリックの冷たく、そして自分は正しいことをしていると確信しきった声が聞こえた。

「最近の君は、過労のせいで少し精神が不安定になっているようだ。だから、逃げ出すなどという浅はかなことを考えたのだろう。……少し、頭を冷やしなさい」

「セドリック様……! 開けてください!」

 オリヴィアは扉を叩いたが、当然返事はない。

「明日の朝、僕が自ら、君が完成させたという十五メートルのレースを受け取りに来る。君のその手が紡いだ芸術品が、王室でどれほどの称賛を浴びるか。それを聞けば、君の歪んだ心も、僕への感謝で満たされるはずだ。……ゆっくり休むといい」

 足音が遠ざかり、屋敷は再び静寂に包まれた。

 オリヴィアは、暗い部屋の中で一人、扉に背を預けてズルズルと座り込んだ。
 彼女の脱出計画は、最後の最後で、セドリックの偽善的な束縛によって完全に頓挫したかに見えた。

 明日の朝、セドリックが扉を開け、机の上の巨大な木箱を開けた時。
 
 中身が空っぽであることが露見すれば、彼女は完全に祭典を台無しにした大罪人として、激昂した夫からどのような暴力を振るわれるかわからない。

(……このままでは、私は逃げ出した無責任な妻として、全ての罪を被せられる)

 絶望的な状況。
 普通の女であれば、ここで泣き崩れ、夫の赦しを乞うことしかできなかっただろう。

 しかし、オリヴィアの顔には、絶望の涙は一滴も浮かんでいなかった。
 それどころか、暗闇の中で、彼女の唇はゆっくりと、冷ややかな弧を描いていた。

「……ふふ、ふふふ……」

 乾いた笑い声が、静かな部屋に漏れた。

「あなたが私を捕まえて、この部屋に軟禁した。……私が過労で精神が不安定になっているから、部屋で休ませると。そう言ったわね、セドリック様」

 オリヴィアは立ち上がり、机の上のダミーの木箱を撫でた。
 彼女の目は、恐怖ではなく、圧倒的な逆転の知略の光を宿していた。

「もし私が家を出ていれば、あなたは『妻がわがままで逃げたせいで納期に遅れた』と、全ての責任を私に転嫁できたでしょう。でも、あなたは私を自分の手で捕まえ、屋敷に閉じ込めた」

 オリヴィアは、自室の窓枠に手をかけ、外の夜空を見上げた。

「つまり、私は今、あなたの監視下で、あなたが休めと命じたから、物理的に作業ができない状態にあるのよ。……これほど完璧な大義名分を、あなた自らが私に与えてくれるなんてね」

 彼女の計画は、失敗したわけではない。

 むしろ、セドリックが彼女を軟禁したことによって、最も残酷で完璧な破滅のシナリオの最終章へと、強制的に移行したのだ。

「明日の朝、あなたがこの箱を開ける時が楽しみだわ。……私がただの裏方の歯車ではなく、あなたたちの息の根を止める権利を持った人間だということを、嫌というほど思い知らせてあげる」
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