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第5章 嵐
第5章 嵐 第6話
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榊さんから返信があったことは、朝のうちに分かっていた。昼休みに見よう、今は仕事中だから……と、見るのを先延ばしにした。セクハラでショックを受けた翌日に、出張中の彼氏からのメール。嬉しくないはずがない、普通なら。
私たちの関係は、もう、普通じゃない。私が壊してしまった。
ズキンと痛む胸は、昨日のあの男のせいじゃない。先生を忘れられず受け入れてしまった、自分自身の行いから来るもの。
「衣純、大丈夫か」
隣の席の真は、私の小さな変化を見逃さず、こまめに声をかけてくれる。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
笑顔を作ってお礼を言った。真には、私の強がりは通じない。彼は小さく息を吐き、天井を見て言葉を探すようにした。
「俺、あと少しでこれ終わるから。そしたら、休憩に付き合ってくれるか」
優しい提案は、暗雲の切れ間から、太陽がちらりと覗いたかのよう。気遣いが嬉しくて、今度は自然に笑顔が浮かんだ。
「うん、いいよ」
「ん」
自分を納得させるように頷いて作業を再開した真の横顔は、『大人』を感じさせた。高校生の頃、ずっと私を見ていてくれて、先生とのことに気付いても黙っててくれて……。私の心の雲を無理に取り払うのでもなく、放っておくのでもなく。雲がどんなに厚くても、その上には必ずお日様が輝いて、青空が広がっていると信じられる。そんな真がそばにいてくれたから、先生との別れを乗り越えることができた……つもりだった。
出かかったため息を飲み込んで、私も作業を再開した。
言えるわけがない。二人の男性の間で揺れ動いて動揺してるせいだ、なんて。しかもそれが、真の尊敬する榊さんと、先生との間でのことだなんて。
ただ……苦しい中にも、胸の奥はあたたかくなっていた。私の知らないところで大人の素敵な男性になっていた、『双子』のおかげ。真に詳細に話すわけにはいかないけど、私の心の中の、土砂降りになりそうな真っ黒な雲が、白に近い色まで薄れていった。
頑張る。
とにかく、目の前の仕事を、今は頑張るの。
それから二十分後、私たちは屋上に近い休憩コーナーにいた。四月に再会した時は屋上で話して、それ以来、二人での休憩は屋上に行くことが多かったけど、夏の間はさすがに熱い。九月も半ばとはいえ、まだまだ残暑が厳しいから、今日も屋内。
それぞれの手には、自販機のホットコーヒー。エアコンで涼しく調えられた中で過ごしていると、時々温かい飲み物がほしくなる。壁に寄せて置かれた、背もたれのないソファーに並んで座り、ゆっくりと飲んだ。真は私が淹れたコーヒーを喜んで飲んでくれるけど(王子には、極力内緒で)、ここまで運んだら途中で零しちゃうもんね。
ん、おいしい。少量ずつ入れたミルクと砂糖が、ほどよく溶けてる。
「さっきよりはマシになったか」
「ん?」
「顔色。さっき、あんまり青いんでゾッとした」
「ごめんね、心配かけて。ほんとにありがと」
「何言ってんだ。俺に遠慮なんかするなよ」
包み込むような穏やかな声にも、『大人』をしみじみと感じる。買ってくれたコーヒーの香りを吸い込み、温もりをもらうように両手でカップを支えた。
この前は私が二人分買ったから、今日は真。次は、私。この半年、そうやって過ごしてきた。もう彼氏と彼女じゃないから、毎回奢ってもらうのは何だか変。だけど真は、「衣純を甘やかしたい」なんて、先生みたいなことを言う。コーヒー一杯のことに限らず。だから、二人で決めた。「順番にしようね」って。
「はー……」
手のひらでカップを軽く転がすようにしながら、長く息を吐いた。見ているのは目の前の壁だけど、脳裏には、高校一年からのいろんな楽しい場面が浮かんできた。真が、いっぱいいる。笑ってる。隣にいる私も、何でもないことで笑ってた。
大学生の時、道が分かれた。
ふと、思った。私が知らない真の顔を、榊さんはいっぱい知っているんだろうな……。
榊さんに意識が向くとまた胸が痛くなりそうだから、コーヒーの残りを飲んだ。私をじっと見ていた真も、ひと口飲んだ。
「言える時が、来てからでいいから」
「……うん」
私たちの関係は、もう、普通じゃない。私が壊してしまった。
ズキンと痛む胸は、昨日のあの男のせいじゃない。先生を忘れられず受け入れてしまった、自分自身の行いから来るもの。
「衣純、大丈夫か」
隣の席の真は、私の小さな変化を見逃さず、こまめに声をかけてくれる。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
笑顔を作ってお礼を言った。真には、私の強がりは通じない。彼は小さく息を吐き、天井を見て言葉を探すようにした。
「俺、あと少しでこれ終わるから。そしたら、休憩に付き合ってくれるか」
優しい提案は、暗雲の切れ間から、太陽がちらりと覗いたかのよう。気遣いが嬉しくて、今度は自然に笑顔が浮かんだ。
「うん、いいよ」
「ん」
自分を納得させるように頷いて作業を再開した真の横顔は、『大人』を感じさせた。高校生の頃、ずっと私を見ていてくれて、先生とのことに気付いても黙っててくれて……。私の心の雲を無理に取り払うのでもなく、放っておくのでもなく。雲がどんなに厚くても、その上には必ずお日様が輝いて、青空が広がっていると信じられる。そんな真がそばにいてくれたから、先生との別れを乗り越えることができた……つもりだった。
出かかったため息を飲み込んで、私も作業を再開した。
言えるわけがない。二人の男性の間で揺れ動いて動揺してるせいだ、なんて。しかもそれが、真の尊敬する榊さんと、先生との間でのことだなんて。
ただ……苦しい中にも、胸の奥はあたたかくなっていた。私の知らないところで大人の素敵な男性になっていた、『双子』のおかげ。真に詳細に話すわけにはいかないけど、私の心の中の、土砂降りになりそうな真っ黒な雲が、白に近い色まで薄れていった。
頑張る。
とにかく、目の前の仕事を、今は頑張るの。
それから二十分後、私たちは屋上に近い休憩コーナーにいた。四月に再会した時は屋上で話して、それ以来、二人での休憩は屋上に行くことが多かったけど、夏の間はさすがに熱い。九月も半ばとはいえ、まだまだ残暑が厳しいから、今日も屋内。
それぞれの手には、自販機のホットコーヒー。エアコンで涼しく調えられた中で過ごしていると、時々温かい飲み物がほしくなる。壁に寄せて置かれた、背もたれのないソファーに並んで座り、ゆっくりと飲んだ。真は私が淹れたコーヒーを喜んで飲んでくれるけど(王子には、極力内緒で)、ここまで運んだら途中で零しちゃうもんね。
ん、おいしい。少量ずつ入れたミルクと砂糖が、ほどよく溶けてる。
「さっきよりはマシになったか」
「ん?」
「顔色。さっき、あんまり青いんでゾッとした」
「ごめんね、心配かけて。ほんとにありがと」
「何言ってんだ。俺に遠慮なんかするなよ」
包み込むような穏やかな声にも、『大人』をしみじみと感じる。買ってくれたコーヒーの香りを吸い込み、温もりをもらうように両手でカップを支えた。
この前は私が二人分買ったから、今日は真。次は、私。この半年、そうやって過ごしてきた。もう彼氏と彼女じゃないから、毎回奢ってもらうのは何だか変。だけど真は、「衣純を甘やかしたい」なんて、先生みたいなことを言う。コーヒー一杯のことに限らず。だから、二人で決めた。「順番にしようね」って。
「はー……」
手のひらでカップを軽く転がすようにしながら、長く息を吐いた。見ているのは目の前の壁だけど、脳裏には、高校一年からのいろんな楽しい場面が浮かんできた。真が、いっぱいいる。笑ってる。隣にいる私も、何でもないことで笑ってた。
大学生の時、道が分かれた。
ふと、思った。私が知らない真の顔を、榊さんはいっぱい知っているんだろうな……。
榊さんに意識が向くとまた胸が痛くなりそうだから、コーヒーの残りを飲んだ。私をじっと見ていた真も、ひと口飲んだ。
「言える時が、来てからでいいから」
「……うん」
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