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第5章 嵐
第5章 嵐 第7話
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「一人で泣くなよ」
再会の日に言ってくれた言葉。じんわりと胸に沁みてくる。
「ありがと」
今、真の胸を借りるわけにはいかないけど、空みたいに大きな心が伝わってくる。自分が踏み込めないことだと感じても、私を決して放ってはおかない(自分探しは、あれはまた別の話)。いつも、見ててくれる。私が倒れないように。それは、確かに救いだった。
コーヒーを飲み終えると、真は、空になった私のカップをスッと手から抜き取って自分のと重ねた。
「俺は戻るけど、あとで昼飯一緒に行こう。それまでお前は仮眠室行き」
「え?」
「マシになったとは言ったけどな、ほんとに、ちょっとマシになっただけだから。仕事は、来週の分までもう終わってるだろ」
確かに、終わってる。昨日のショックをできるだけ忘れていたくて、仕事仕事……と過ごしていたから。私に来ていた案件は、ほぼ片付いてる。今の私をお昼に一人にしたくない、真の気持ちも分かる。何となく喉が痛い気もするし、ここは甘えちゃおうかな。
「じゃあ、ちょっとだけ休むね」
「『ちょっと』じゃねーの。ちゃんと休めよ。店行く時、メッセージ送るから」
聞き分けのない妹をたしなめるように言って、真は部署へ戻っていった。
仮眠室では、十分だけ眠った。横になれたのは、正直ありがたかった。
お昼に訪れたのは、お魚を乗せたお茶漬けがおいしいお店。優しい味。完食できたことが嬉しかった。
会社へ戻ると、どの部署も騒然としていた。悪い意味で騒がしいんじゃなくて、ハートと黄色い声が飛び交ってる。
「王子、来ることになってたっけ?」
「いや。また衣純のコーヒーが飲みたくなったんだろ」
ほかに思い当たることがない私たちは、青と緑の宝玉を思い浮かべて微笑みを交わした。
彼は、今日は金糸を紫色のリボンでまとめ、応接室の窓辺に佇んでいた。呼ばれた私は、リボンの色を見てハッとした。紫は、仕事で何か大きな決断をしようとしている印。付き合っている時、詳しくは聞かなかったけど、紫を身に着けている時は雰囲気が違った。私を腕に抱いていても、隠せない緊張感が漂っていた。
コーヒーの香りと私の気配に気付いてもなお、窓の外に視線を注いでいる王子。何があったんだろう。まさか、私が何か失態を犯した!?
突然告げられた恋の終わりの記憶が、たった今起こったかのように鮮やかによみがえる。もう、彼は決断してしまったんだろうか。交渉の余地もないほどに。もう取引はできないと、それを告げるためだけにやってきたんだろうか。
ぐらついてきた頭を何とか堪えて、テーブルにコーヒーを置いた。そのかすかな音に、彼はやっとこっちを見てくれた。厳しい表情。私には見せたことがない種類のものだ。
どうしよう。
私が、自分で気付かないような馬鹿なことをして、王子を失望させてしまったんだ。カリーダとの窓口として抜擢してもらったのに、その役目を果たすことができず、会社に損失を与える結果になってしまったの?
責任を取って辞める、という言葉が浮かんだ。
ここを、辞める――?
辞めれば、昨日のような思いを、もうしなくていい。榊さんにも王子にも真にも、これ以上の迷惑をかけずに済む。それが一番いいのかもしれない……。
血の気が引いていく。立っていられないほどの気分の悪さに襲われる。駄目、ショック受けてる場合じゃない。自分の不始末は自分で――。
椅子の背もたれにつかまって体を支えても、堪え切れず荒い息が零れてしまった。
「衣純」
彼はびっくりして、窓辺を離れて駆け寄ってきた。細身だけど強靭な体で、しっかりと支えてくれる。
「さあ、ここへ掛けて」
私は首を激しく横に振った。そんなこと、してる場合じゃ、ない……。
「大丈夫だ。僕がここにいる。何も心配する必要はない。さあ……」
さっきの厳しい表情が幻だったかのよう。いつもの王子だ。四季の香りと色を纏って、キラキラ輝いてる。その光は決して強すぎることはなく、私をあたたかく包む……。
つかまっていた椅子にゆっくりと座らせてもらい、美しい微笑を見て、引いていた血の気が戻ってきた。
「ちょっと待ってくれ。すぐだから……」
お客様が自由に飲めるようにと備え付けられているウォーターサーバーから、水を汲んで持ってきてくれた。
「ゆっくり飲むんだ。ひと口でいい……そうだ」
「ん……ありがとう」
冷たい水が、すーっと体に染み渡っていく。
再会の日に言ってくれた言葉。じんわりと胸に沁みてくる。
「ありがと」
今、真の胸を借りるわけにはいかないけど、空みたいに大きな心が伝わってくる。自分が踏み込めないことだと感じても、私を決して放ってはおかない(自分探しは、あれはまた別の話)。いつも、見ててくれる。私が倒れないように。それは、確かに救いだった。
コーヒーを飲み終えると、真は、空になった私のカップをスッと手から抜き取って自分のと重ねた。
「俺は戻るけど、あとで昼飯一緒に行こう。それまでお前は仮眠室行き」
「え?」
「マシになったとは言ったけどな、ほんとに、ちょっとマシになっただけだから。仕事は、来週の分までもう終わってるだろ」
確かに、終わってる。昨日のショックをできるだけ忘れていたくて、仕事仕事……と過ごしていたから。私に来ていた案件は、ほぼ片付いてる。今の私をお昼に一人にしたくない、真の気持ちも分かる。何となく喉が痛い気もするし、ここは甘えちゃおうかな。
「じゃあ、ちょっとだけ休むね」
「『ちょっと』じゃねーの。ちゃんと休めよ。店行く時、メッセージ送るから」
聞き分けのない妹をたしなめるように言って、真は部署へ戻っていった。
仮眠室では、十分だけ眠った。横になれたのは、正直ありがたかった。
お昼に訪れたのは、お魚を乗せたお茶漬けがおいしいお店。優しい味。完食できたことが嬉しかった。
会社へ戻ると、どの部署も騒然としていた。悪い意味で騒がしいんじゃなくて、ハートと黄色い声が飛び交ってる。
「王子、来ることになってたっけ?」
「いや。また衣純のコーヒーが飲みたくなったんだろ」
ほかに思い当たることがない私たちは、青と緑の宝玉を思い浮かべて微笑みを交わした。
彼は、今日は金糸を紫色のリボンでまとめ、応接室の窓辺に佇んでいた。呼ばれた私は、リボンの色を見てハッとした。紫は、仕事で何か大きな決断をしようとしている印。付き合っている時、詳しくは聞かなかったけど、紫を身に着けている時は雰囲気が違った。私を腕に抱いていても、隠せない緊張感が漂っていた。
コーヒーの香りと私の気配に気付いてもなお、窓の外に視線を注いでいる王子。何があったんだろう。まさか、私が何か失態を犯した!?
突然告げられた恋の終わりの記憶が、たった今起こったかのように鮮やかによみがえる。もう、彼は決断してしまったんだろうか。交渉の余地もないほどに。もう取引はできないと、それを告げるためだけにやってきたんだろうか。
ぐらついてきた頭を何とか堪えて、テーブルにコーヒーを置いた。そのかすかな音に、彼はやっとこっちを見てくれた。厳しい表情。私には見せたことがない種類のものだ。
どうしよう。
私が、自分で気付かないような馬鹿なことをして、王子を失望させてしまったんだ。カリーダとの窓口として抜擢してもらったのに、その役目を果たすことができず、会社に損失を与える結果になってしまったの?
責任を取って辞める、という言葉が浮かんだ。
ここを、辞める――?
辞めれば、昨日のような思いを、もうしなくていい。榊さんにも王子にも真にも、これ以上の迷惑をかけずに済む。それが一番いいのかもしれない……。
血の気が引いていく。立っていられないほどの気分の悪さに襲われる。駄目、ショック受けてる場合じゃない。自分の不始末は自分で――。
椅子の背もたれにつかまって体を支えても、堪え切れず荒い息が零れてしまった。
「衣純」
彼はびっくりして、窓辺を離れて駆け寄ってきた。細身だけど強靭な体で、しっかりと支えてくれる。
「さあ、ここへ掛けて」
私は首を激しく横に振った。そんなこと、してる場合じゃ、ない……。
「大丈夫だ。僕がここにいる。何も心配する必要はない。さあ……」
さっきの厳しい表情が幻だったかのよう。いつもの王子だ。四季の香りと色を纏って、キラキラ輝いてる。その光は決して強すぎることはなく、私をあたたかく包む……。
つかまっていた椅子にゆっくりと座らせてもらい、美しい微笑を見て、引いていた血の気が戻ってきた。
「ちょっと待ってくれ。すぐだから……」
お客様が自由に飲めるようにと備え付けられているウォーターサーバーから、水を汲んで持ってきてくれた。
「ゆっくり飲むんだ。ひと口でいい……そうだ」
「ん……ありがとう」
冷たい水が、すーっと体に染み渡っていく。
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