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第3章 桜が散る時
第10話
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東雲は、葉桜から提供されたデータを最大限に活用した。捜査班の中で利用するのはもちろんのこと、上にも報告を上げ、葉桜に対する警察内部の疑念を払拭させた。幽霊探偵として捜査を続けてきた男の執念は、ごくプライベートな部分を除いて皆の知るところとなり、探偵事務所の顧客たちも協力を惜しまなかった。
いよいよ戸部の逮捕に向けて動き出す直前、東雲は一課の全員に向けて話をした。
「葉桜君は最後まで警察官だったと、私は思っている。異論はそれぞれあるだろう。しかし正義を行おうとして命を賭けたことは、紛れもない事実だ。科学では説明のつかない力に翻弄された時、彼よりうまく立ち回れると断言できる者が、果たしているだろうか。私にはそんな自信はない。恐怖に打ち勝つ心は常に持たなければならない。だからこそ、恐怖と戦い、大切なものを守ろうとした葉桜君に心残りがないよう、今日で決着をつけたい。それからこれは、大崎君が気にかけていた事件でもある。彼は最期の時に当たり、葉桜君の真実が解明されることを望んだ。その思いに報いるためにも、皆の力を貸してほしい。よろしく頼む」
大崎の名に、数人が涙を浮かべた。理解できないことが多すぎるし、幽霊を信じない主義の者もいる。だが、提示された資料と事実は悉く一致していた。二人の幽霊探偵と二人の女性が力を合わせ、一連の凶悪事件を解決へと導いた。四人のうち三人は他界しており、一人は入院中だ。ここまでお膳立てが整っていながら失敗したとなれば、警察の沽券にかかわるし、彼らに合わせる顔がない。全員が、心をひとつにしていた。
網は全国に張っていた。各地の警察に協力を要請し、一気に逮捕した。同じタイミングで、警視庁の東雲率いる班が戸部のマンションに踏み込んだ。戸部はベッドの中にいたが、観念したようにゆっくりと起き上がった。紅潮した頬に、東雲は内心焦った。
(また琴絵さんに……? 供述はとれるか?)
彼に、あとどれだけの時間が残されているのか。服を着て立ち上がったものの、今にも倒れそうに見える。両脇から抱えられ、容疑をあっさり認めた。死期が迫っていることを感じ取って、投げやりになったものか――あるいは、最後に良心が目覚めたのか。
逮捕劇に騒然とするマンションも、屋上は静謐だ。葉桜は、あと一日だったのにと悔しがる琴絵に優しい目を向けた。
「逮捕されちゃった」
拗ねた声が何ともかわいい。ホッとしたせいもあるのか、妻に対する恐れは消え、尽きせぬ愛情だけが沸き起こる。
「おいで。お疲れさん」
「うん……」
二人の仕事は終わった。長いような、短いような復讐劇だった。見つめ合えば、変わることのない恋だけがある。唇が重なり、光が幽体を象っていく。混じりけのない想いを分け合い、指を絡める。
視界の片隅で、戸部が連行されていく。安堵したような表情を浮かべ、ふとこちらを見上げた。葉桜は、もう、彼を殺したいとは思わなかった。
刑事として抱いてはならない妄執を拭い去ることができず、辞めて探偵に鞍替えした。今やっと解放された――と、琴絵に目を戻した時、下が騒がしくなった。戸部が倒れている。
(間に合わなかったか……)
妻は唇を噛み、瞳をギラリと燃え立たせた。復讐を遂げてなお、両親を殺害された怒りは鎮まることがない。それでも、彼女は自分の取った方法を決して悔やまないだろう。
(ここからが、俺の最後の仕事だな)
肩を抱き、息絶えた仇から目を背けさせ、帰るべき場所へと導く。
「行こう。『ここ』にはもう用はない。そうだろ?」
妻は頷かなかったが、抵抗もしなかった。
五年の長きに渡りマンションを覆っていた靄は薄れ、底の見えない深淵も小さくなっていった。
二人は、葉桜探偵事務所の、住居の部分へすぅっと入った。こっちは数か月使っていなかったが、琴絵の力で今も清浄に保たれている。事務所の方はいろいろ運び出されたあとだが、住居は警察の手が入っていない。東雲や村山の配慮によるものだろう。
落とし物をたくさんしてきてしまった、と言いたげな妻は、泣き出しそうに部屋の中を見渡している。新婚生活を送ったアパートの光景を重ねているのだろうか。できれば連れていってやりたかったが、あの建物は取り壊されてしまった。
「琴絵。休もう……な?」
ベッドに誘うと、するりと服を脱ぎ捨てた。下着も、髪飾りも、床に落ちる前に霧散する。葉桜も同じようにした。服だけではない。煙草もライターも、もういらない。お互いの存在だけでいい。
初めての夜の時のように、一歩先を期待しながらためらっている永遠の恋人を、すっぽりと包み込んだ。知り抜いた体は、幽体同士でも感じ合える。触れ合える。魂が擦れ合うから、相手が得ている快感をも、自分のものとして受け止める。これを最後と決めた交合の中で、すべての謎が明かされた。
琴絵が見てきたこと、体験したことが伝わってくる――。
いよいよ戸部の逮捕に向けて動き出す直前、東雲は一課の全員に向けて話をした。
「葉桜君は最後まで警察官だったと、私は思っている。異論はそれぞれあるだろう。しかし正義を行おうとして命を賭けたことは、紛れもない事実だ。科学では説明のつかない力に翻弄された時、彼よりうまく立ち回れると断言できる者が、果たしているだろうか。私にはそんな自信はない。恐怖に打ち勝つ心は常に持たなければならない。だからこそ、恐怖と戦い、大切なものを守ろうとした葉桜君に心残りがないよう、今日で決着をつけたい。それからこれは、大崎君が気にかけていた事件でもある。彼は最期の時に当たり、葉桜君の真実が解明されることを望んだ。その思いに報いるためにも、皆の力を貸してほしい。よろしく頼む」
大崎の名に、数人が涙を浮かべた。理解できないことが多すぎるし、幽霊を信じない主義の者もいる。だが、提示された資料と事実は悉く一致していた。二人の幽霊探偵と二人の女性が力を合わせ、一連の凶悪事件を解決へと導いた。四人のうち三人は他界しており、一人は入院中だ。ここまでお膳立てが整っていながら失敗したとなれば、警察の沽券にかかわるし、彼らに合わせる顔がない。全員が、心をひとつにしていた。
網は全国に張っていた。各地の警察に協力を要請し、一気に逮捕した。同じタイミングで、警視庁の東雲率いる班が戸部のマンションに踏み込んだ。戸部はベッドの中にいたが、観念したようにゆっくりと起き上がった。紅潮した頬に、東雲は内心焦った。
(また琴絵さんに……? 供述はとれるか?)
彼に、あとどれだけの時間が残されているのか。服を着て立ち上がったものの、今にも倒れそうに見える。両脇から抱えられ、容疑をあっさり認めた。死期が迫っていることを感じ取って、投げやりになったものか――あるいは、最後に良心が目覚めたのか。
逮捕劇に騒然とするマンションも、屋上は静謐だ。葉桜は、あと一日だったのにと悔しがる琴絵に優しい目を向けた。
「逮捕されちゃった」
拗ねた声が何ともかわいい。ホッとしたせいもあるのか、妻に対する恐れは消え、尽きせぬ愛情だけが沸き起こる。
「おいで。お疲れさん」
「うん……」
二人の仕事は終わった。長いような、短いような復讐劇だった。見つめ合えば、変わることのない恋だけがある。唇が重なり、光が幽体を象っていく。混じりけのない想いを分け合い、指を絡める。
視界の片隅で、戸部が連行されていく。安堵したような表情を浮かべ、ふとこちらを見上げた。葉桜は、もう、彼を殺したいとは思わなかった。
刑事として抱いてはならない妄執を拭い去ることができず、辞めて探偵に鞍替えした。今やっと解放された――と、琴絵に目を戻した時、下が騒がしくなった。戸部が倒れている。
(間に合わなかったか……)
妻は唇を噛み、瞳をギラリと燃え立たせた。復讐を遂げてなお、両親を殺害された怒りは鎮まることがない。それでも、彼女は自分の取った方法を決して悔やまないだろう。
(ここからが、俺の最後の仕事だな)
肩を抱き、息絶えた仇から目を背けさせ、帰るべき場所へと導く。
「行こう。『ここ』にはもう用はない。そうだろ?」
妻は頷かなかったが、抵抗もしなかった。
五年の長きに渡りマンションを覆っていた靄は薄れ、底の見えない深淵も小さくなっていった。
二人は、葉桜探偵事務所の、住居の部分へすぅっと入った。こっちは数か月使っていなかったが、琴絵の力で今も清浄に保たれている。事務所の方はいろいろ運び出されたあとだが、住居は警察の手が入っていない。東雲や村山の配慮によるものだろう。
落とし物をたくさんしてきてしまった、と言いたげな妻は、泣き出しそうに部屋の中を見渡している。新婚生活を送ったアパートの光景を重ねているのだろうか。できれば連れていってやりたかったが、あの建物は取り壊されてしまった。
「琴絵。休もう……な?」
ベッドに誘うと、するりと服を脱ぎ捨てた。下着も、髪飾りも、床に落ちる前に霧散する。葉桜も同じようにした。服だけではない。煙草もライターも、もういらない。お互いの存在だけでいい。
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