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第3章 桜が散る時
第16話
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葉桜探偵事務所の看板は消え、事務所と住居に使っていた部屋は、がらんどうになった。
東雲は、運び出しておいたレモンティーを、恵麻への見舞いにと持っていった。眠り続ける娘に付き添っていた父親は、「この子はこれが大好きなんです」と、快く受け取ってくれた。給料や見舞金は手続きが済み次第支払われることを伝え、メールをプリントアウトしたものを渡した。大崎の遺書となったメールの、恵麻に関する部分だけを抜き出したものだ。性質上、一応、封筒に入れて。
「その、何と言いますか。機密文書……というわけでもないのですが、書いた本人にとっては、恵麻さんだけに見てほしいのではと……すみませんな」
こういう説明は苦手だ。父親が、正しく意図を汲み取ってくれる人で助かった。
「恵麻が目を覚ましたら、一番に見せます。大崎さんは、この子の命の恩人ですから」
差出人を言っていないのにバレている。同業者だろうか? と目が泳いだのも気付かれた。
「ああ……申し遅れて失礼しました。私はこういう者です」
「弁護士さんでしたか……」
お互いに、力になれることは協力し合うことを約束した。
葉桜が言い残した通り、大崎や死んだ女性たちの遺族への対応も、捜査と並行して進めている。
戸部は、居室以外の部屋も、業種別の倉庫のようにして使っていた。得意分野であるはずの会計については怪しげな資格を名乗っていたが、それ以外は地味にまじめに働いていたようだ。「悪党には違いないが、近年は多少ましになっていたのか?」と首を傾げる者も出てくるほどだ。一方で、調べが進むほどに憤る者もいた。その筆頭が、村山だ。彼は今日も、五年前の現場の写真を睨んでいる。
「東雲警部。この仕掛け……俺には、琴絵さんを狙っていたようにしか思えません」
「そういう見方も……あるには、ある」
琴絵自身、戸部の罠だと信じて死んでいった。
「彼女は、戸部の住居に自由に出入りする関係にあった。キッチンを使うこともあったでしょう。今日はよくても明日、明日はよくてもその次……いつかは包丁が落ちてくる。単純な仕掛けほど、証拠隠滅はたやすい。事故として処理され、何なら戸部は、愛人が強盗殺人の被害者だと主張することも可能になる」
「村山君」
「すみません。今となっては憶測以外の何物でもありません。ですが、戸部は卑劣なやつですよ」
「琴絵さんに近付いた動機が動機だからな。それは逮捕の時に認めていた。一連の強盗事件と、彼女の両親の死に深く関わっていたこと……近頃嗅ぎまわっている刑事がいると聞き、妻の琴絵さんを騙して捜査状況を聞き出そうとしたこともな」
「そのあとの言葉が……許せなかった。俺が刑事でなければ殴ってましたよ」
手錠をかけられた戸部が、部屋を出ようと歩き出した時のことだ。東雲が尋ねた。「君は、琴絵さんが十五年前の事件の遺族だということを知っていたのかね?」と。
――私が、その程度のことを調べられないとでも? 見くびってもらっては困りますね。
「戸部は親を殺しただけでは飽き足らず、娘の人生を土足で踏みにじった。今度の件、たとえ葉桜さんの霊が戸部を呪い殺したっていうオチでも、俺は納得しますよ」
「めったなことを言うんじゃない」
正確には琴絵に精を吸い尽くされたのだが、そこはさすがに皆にはぼかして伝えてある。霊に殺された、と聞いても信じられない者は、自分たちの中で説明を探し出し、折り合いをつけているようだ。公式情報として公表するにも、オカルトじみたことは好まれない。そのため戸部の死は、「隠蔽し続けた過去の罪の重さに、心身とも疲弊したことによる死亡」と発表された。
村山は怒りに身を震わせていたが、呼び出しがかかった。
「K県警の松井が着いたそうなんで、行ってきます」
「ああ、頼む。彼もショックだったろう」
「大崎とは仲がよかったですからね……」
気持ちを切り替えて出ていく村山の背中に、一日も早く立ち直ってくれと祈った。彼は先輩の妻である琴絵に、純粋な憧れを捧げていた。
その晩のことだった。
東雲は、夢の中で取調室にいた。聴取の相手は戸部伸司だ。
村山が先に退出し、東雲と戸部が数分間、二人で向き合うことになった。
「琴絵さんは、私には娘のような存在でね。君も、これまでに話してくれた以上の感情を、彼女に対して抱いていたんじゃないのかね」
戸部の自供は、不倫についてはそっけなかった。「あなた方の想像の通りです。何を書かれようが構いません」と突っぱねて、「彼女は何も知らなかった。時間の無駄でしたね」とさえ言い放った。それが、東雲には琴絵を庇っているように見えたのだ。
殺風景な小部屋の中でも、時には言葉を交わす人間同士、心が通うこともある。戸部は小さな笑みを浮かべた。それまで見せていたものとは異なり、酷薄さの欠片もなかった。
「償うつもりでした。事件直後から、その思いはありました。だからグループを抜けたんです。綺麗な金で、彼女を助けたいと。親戚に引き取られ、高校、大学と進み、まっすぐに成長するのを遠くから見守ってきました。刑事と結婚すると知った時、厄介だとは思いましたが、彼女のためには嬉しかった。……ここから先は、実に身勝手な話です。あなた方からすれば、私の行動はすべてそうなんでしょうが。私は……彼女のことをいつの間にか、私の手で幸せになるべきだと……私のコントロールの範疇にあるべきだと考えてしまっていた。いつの日か遠い親戚の振りをして財産を分け与える、そんな関係では我慢できなくなった。……ええ、そうです。愛していました。いや、過去形になどできないな。今も愛しているんです。それが、正しい愛ではないとしても」
彼は隠し財産のありかを東雲に伝え、自分たちが犯してきた違法行為の被害者のために役立ててほしいと言った……。
目が覚めて、呟いた。
「まったく……。どいつもこいつも、隠し財産が多すぎやしないか」
東雲は、運び出しておいたレモンティーを、恵麻への見舞いにと持っていった。眠り続ける娘に付き添っていた父親は、「この子はこれが大好きなんです」と、快く受け取ってくれた。給料や見舞金は手続きが済み次第支払われることを伝え、メールをプリントアウトしたものを渡した。大崎の遺書となったメールの、恵麻に関する部分だけを抜き出したものだ。性質上、一応、封筒に入れて。
「その、何と言いますか。機密文書……というわけでもないのですが、書いた本人にとっては、恵麻さんだけに見てほしいのではと……すみませんな」
こういう説明は苦手だ。父親が、正しく意図を汲み取ってくれる人で助かった。
「恵麻が目を覚ましたら、一番に見せます。大崎さんは、この子の命の恩人ですから」
差出人を言っていないのにバレている。同業者だろうか? と目が泳いだのも気付かれた。
「ああ……申し遅れて失礼しました。私はこういう者です」
「弁護士さんでしたか……」
お互いに、力になれることは協力し合うことを約束した。
葉桜が言い残した通り、大崎や死んだ女性たちの遺族への対応も、捜査と並行して進めている。
戸部は、居室以外の部屋も、業種別の倉庫のようにして使っていた。得意分野であるはずの会計については怪しげな資格を名乗っていたが、それ以外は地味にまじめに働いていたようだ。「悪党には違いないが、近年は多少ましになっていたのか?」と首を傾げる者も出てくるほどだ。一方で、調べが進むほどに憤る者もいた。その筆頭が、村山だ。彼は今日も、五年前の現場の写真を睨んでいる。
「東雲警部。この仕掛け……俺には、琴絵さんを狙っていたようにしか思えません」
「そういう見方も……あるには、ある」
琴絵自身、戸部の罠だと信じて死んでいった。
「彼女は、戸部の住居に自由に出入りする関係にあった。キッチンを使うこともあったでしょう。今日はよくても明日、明日はよくてもその次……いつかは包丁が落ちてくる。単純な仕掛けほど、証拠隠滅はたやすい。事故として処理され、何なら戸部は、愛人が強盗殺人の被害者だと主張することも可能になる」
「村山君」
「すみません。今となっては憶測以外の何物でもありません。ですが、戸部は卑劣なやつですよ」
「琴絵さんに近付いた動機が動機だからな。それは逮捕の時に認めていた。一連の強盗事件と、彼女の両親の死に深く関わっていたこと……近頃嗅ぎまわっている刑事がいると聞き、妻の琴絵さんを騙して捜査状況を聞き出そうとしたこともな」
「そのあとの言葉が……許せなかった。俺が刑事でなければ殴ってましたよ」
手錠をかけられた戸部が、部屋を出ようと歩き出した時のことだ。東雲が尋ねた。「君は、琴絵さんが十五年前の事件の遺族だということを知っていたのかね?」と。
――私が、その程度のことを調べられないとでも? 見くびってもらっては困りますね。
「戸部は親を殺しただけでは飽き足らず、娘の人生を土足で踏みにじった。今度の件、たとえ葉桜さんの霊が戸部を呪い殺したっていうオチでも、俺は納得しますよ」
「めったなことを言うんじゃない」
正確には琴絵に精を吸い尽くされたのだが、そこはさすがに皆にはぼかして伝えてある。霊に殺された、と聞いても信じられない者は、自分たちの中で説明を探し出し、折り合いをつけているようだ。公式情報として公表するにも、オカルトじみたことは好まれない。そのため戸部の死は、「隠蔽し続けた過去の罪の重さに、心身とも疲弊したことによる死亡」と発表された。
村山は怒りに身を震わせていたが、呼び出しがかかった。
「K県警の松井が着いたそうなんで、行ってきます」
「ああ、頼む。彼もショックだったろう」
「大崎とは仲がよかったですからね……」
気持ちを切り替えて出ていく村山の背中に、一日も早く立ち直ってくれと祈った。彼は先輩の妻である琴絵に、純粋な憧れを捧げていた。
その晩のことだった。
東雲は、夢の中で取調室にいた。聴取の相手は戸部伸司だ。
村山が先に退出し、東雲と戸部が数分間、二人で向き合うことになった。
「琴絵さんは、私には娘のような存在でね。君も、これまでに話してくれた以上の感情を、彼女に対して抱いていたんじゃないのかね」
戸部の自供は、不倫についてはそっけなかった。「あなた方の想像の通りです。何を書かれようが構いません」と突っぱねて、「彼女は何も知らなかった。時間の無駄でしたね」とさえ言い放った。それが、東雲には琴絵を庇っているように見えたのだ。
殺風景な小部屋の中でも、時には言葉を交わす人間同士、心が通うこともある。戸部は小さな笑みを浮かべた。それまで見せていたものとは異なり、酷薄さの欠片もなかった。
「償うつもりでした。事件直後から、その思いはありました。だからグループを抜けたんです。綺麗な金で、彼女を助けたいと。親戚に引き取られ、高校、大学と進み、まっすぐに成長するのを遠くから見守ってきました。刑事と結婚すると知った時、厄介だとは思いましたが、彼女のためには嬉しかった。……ここから先は、実に身勝手な話です。あなた方からすれば、私の行動はすべてそうなんでしょうが。私は……彼女のことをいつの間にか、私の手で幸せになるべきだと……私のコントロールの範疇にあるべきだと考えてしまっていた。いつの日か遠い親戚の振りをして財産を分け与える、そんな関係では我慢できなくなった。……ええ、そうです。愛していました。いや、過去形になどできないな。今も愛しているんです。それが、正しい愛ではないとしても」
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