偽物少女が本物になる日

ひづき

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 ハードレイ伯爵には幼い頃から婚約者がいた。それにも関わらず、ハードレイ伯爵は成人後も、爵位を継いでも独身のまま。

 整った顔立ちのハードレイ伯爵に、女性達が群がる。彼はそれらに応じず、婚約者の存在を主張するだけ。

「私の妻となり得るのは、今も昔も、そして今後も、ヌゲイル男爵令嬢だけです」

 ヌゲイル男爵令嬢。

 この名前が出る度に人々は首を傾げる。商人上がりだと揶揄されることの多いヌゲイル男爵家。令嬢の存在を問い合わせると決まって病弱で外に出せないと返される。当然社交界に顔を出したことは一度もなく、屋敷に出入りする行商人ですら見たことがないらしい。果たして実在するのか。最初から存在しないのではないか。



 好き勝手言われるのを聞く度に、ハードレイ伯爵の脳裏に浮かぶのはたった1人だけ。

 灰色の髪、灰色の瞳。不健康な程に白い肌と相俟って、石膏像のようだというのが当時の印象だった。






 ───

 ─────

 ────────

「私の娘として、伯爵家で花嫁修行をしてきてくれないか?」

「はぁ?」

 伯爵家と縁談があるということは、目の前の男性も貴族なのだろう。初老の、ひょろりとした細身の男性だ。あまりの唐突過ぎる提案に、素っ頓狂な声を上げたことを後悔しつつ少女は口を閉じた。

 ここは田舎の外れにある寂れた教会。住み込みで働いている少女に名はない。何なら記憶もない。神父もシスターも高齢で、少女は「お嬢ちゃん」と呼ばれている。名前の必要性も記憶の必要性もない。必要なことは問いかければいい。

「ようは婚約者の真似事だな。本当に結婚してくれても構わない。最悪逃げるために死んだふりをしてもいい。君が望めばいくらでも手を貸す。必要なのは、婚約という家同士の契約を果たそうと努力した、と表向き見えるような事実だ」

「……………………」

 教会の礼拝者と話し込むことは珍しくないが、このような内容を話すのは初めてのことだ。当たり前である。3人に1人の割合で同じような内容を話す輩がいたら流石に気味が悪い。神父やシスターがお昼寝をしている時間で良かった。聞かれていたら今頃大騒ぎだっただろう。うちの子に何をさせる気だと。

 一体どういう事情があるのか、問いかけようとしたが、少し考え、再び口を噤む。下手に知らない方がいいだろう。どう考えても厄介事だ、深く首を突っ込む必要は無い。

「引き受けてくれるなら、この教会に継続的な寄付を約束しよう。神父様は最近体調を崩しがちなのだろう?医者の派遣も、薬の無償提供も、慈善事業・・・・として喜んで行おう。君が我が家とこの教会の縁を繋いでくれるのならね」

 それは利益の提案で。同時に、お前の弱点は分かっているのだという脅迫。足元を見られている、拒否権はない。

「断ったらどうなりますか?」

 訊ねたのは退路を断つ為か、好奇心からか。

「この土地を買い取って工房でも建てようか」

 教会住む場所を奪われれば、神父とシスターはどうなるだろう。肩書きは意味を失い、残るのは単なる身寄りのない老人達。

 少女は笑った。

「───神父おじいちゃんシスターおばあちゃんには心配を掛けたくないので、実の親が見つかったという体裁で彼らには説明させてくださいね、お父様・・・

 馴れ馴れしかっただろうか。少し不安を覚えつつ男爵を窺えば、彼は嬉しそうに破顔していた。予想外の反応に瞬く。本当に娘が欲しかっただけなのでは、と錯覚しそうな程に男爵は喜んでいるように見えた。これが演技なら、貴族というものは実に恐ろしい。

「そうと決まれば我が娘・・・の恩人に礼を尽くすのは当然だな。明日には医師が往診に来るよう手配しておこう。見たところ、この教会は雨漏りもしているようだ。改修工事の見積もりも必要だ」

「隙間風が酷いので毛布の差し入れもお願いします」

「ふむ。お年寄りには街まで買い物に行くのもつらい距離だ、金銭よりも物資の方が良いだろう。食料も必要だな」

「お心遣いに感謝申し上げます。ついでに糸織物の工房か何かも建ててくれません?」

「ん?」

 どういうことだ?教会を存続させたいのではないのか?潰すのか?───男爵の目は何よりも雄弁に疑問を浮かべる。

「教会を取り囲むように工房と宿舎を建てるんです。働き手が教会に足を運ぶようになれば、教会そのものが本来あるべき姿を取り戻すでしょう」

 人が集い、幸福と平穏を祈り、心を落ち着ける場所。それが教会だ。人々から忘れ去られた教会は本来の意味を見失っている。

「なるほど。ならば、行き場を失った女性を保護する施設の一環として工房を建てよう。そういった者達の方が、日常の有難みを噛み締めて感謝の心を教会に捧げてくれるに違いない」

 自身と引き換えにそれだけの恩返しが出来るならば安いものだ。ここに留まっていたところで、自分には同じだけのものなど返せない。少女は満足し、挑発的に笑う。

「その身代わり婚約、私が引き受けます」

「ならば、君は私の娘───リアーチェ・ヌゲイルだ」


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