偽物少女が本物になる日

ひづき

文字の大きさ
3 / 9

しおりを挟む



 ハードレイは複数ある伯爵家の中で最も特別な家だ。歴史は浅い。しかし家を興したのが臣籍降下した王族なので血の濃さでは公爵家と変わらない。下手したら暫く婚姻のやり取りがない公爵家よりも王家の血が濃い。

 それなのに公爵位ではなく伯爵位なのは、臣籍降下した理由が失態の責任をとって、というものだったからだ。ようは罰としての臣籍降下だったので通常より低い爵位を与えられたということ。与えられた領地は痩せ細り貧しく、ハードレイ伯爵家も貧乏だ。改善を図りたくても先立つ資金がない。



 対するヌゲイル男爵家は、貴族としての歴史は浅い。元は商人だ。財産だけはある。少しでも税金を納めさせようと、あらゆる国から爵位を押し付けられる。断ったり、断りきれずに押し切られたり。そのうちの一つが男爵位であるというだけで、爵位にこだわりなど無い。何なら祖国にも思い入れはない。

 元々、ヌゲイル男爵家とハードレイ伯爵家の婚姻は王家からの命令だ。ヌゲイル男爵家という金ヅルを他国へ渡さないため、この国により深く根を張って貰おうという目論見である。この縁談を成立させることができれば、ハードレイ伯爵家を公爵家に引き上げると王家は誓約書まで用意した。

 故にハードレイ伯爵家は必死なのだろう。婚約者の令嬢が死んだと説明されても信じない程に。結婚さえすれば爵位が上がり、多額の持参金が手に入るのだから。



 ───そのような裏を事前にヌゲイル男爵から説明されていた偽物少女は、伯爵はどうせ自分になど興味を持たないだろう。そう思っていた。

「え?公爵位?要らないから断ったよ」

 婚姻さえすればすぐに爵位が上がるのか、それとも数年は結婚生活を維持する必要があるのか。どちらにせよ、爵位を得られるあと一歩というところでリアーチェが逃げ出したら、さぞかし伯爵は悔しい思いをするだろう。そんな悪意を持って探りを入れた偽物少女に、肝心の伯爵はキョトンとして答えた。

「え、要らない…んですか?」

「いや、だって義務ばかり増えて面倒だし。君が公爵夫人になりたいなら考え直すけど…」

 聞いていた話と異なり出世欲はないらしい。偽物少女もまた、なりたいかと問われれば、面倒くさそうという感想しか湧かなかった。

「…要りません」

「そう?良かった」

 伯爵は、ふにゃりと表情を緩める。その無防備な表情に偽物少女は顔を強ばらせた。気を抜くとつられて頬を緩めてしまいそうになるから困る。





「その、愛称で呼びたいんだが…」

 伯爵家で過ごすようになり数日経った頃。随分と深刻な表情で朝食の場に現れた伯爵は、神妙な面持ちで口を開き…。何かと思えば、そんなことだった。

「お好きにどうぞ」

 勝手にしろと、偽物少女は投げやりな返事をした。

「じゃあ、その、り、り、……………ああ!いざとなると恥ずかしくてこれ以上無理だ!!」

 自分から言い出した癖に真っ赤になって壁に額を打ち付けて停止した伯爵に、偽物少女はポカンとする。

「たかが呼び名でしょう?」

「他でもない貴女を呼ぶ、しかも私だけが───。…すまない!少々走ってくる」

 そう言い残し、広大すぎる手入れの行き届いていない庭園を、伯爵は全速力で周回したという。止めようとする使用人たちの「旦那様!」「お気を確かに!」という悲鳴に似た叫びが聞こえる中、食堂に残された偽物少女は、時間差で羞恥が伝染し、その場で身悶えた。

 愛称どころか、名前で呼ばれたのも初対面の時だけだったなと思い至る。まさか彼は「君」とか「貴女」と呼ぶ時でさえ緊張しているのだろうか。───しているんだろう、恐らく。



「ハードレイ伯爵は何と呼ばれたいですか?」

 気分を落ち着けるためにと外を走った伯爵が戻ってくるなり、この機を逃すものかと、偽物少女は前のめりで訊ねた。

 緊張でリアーチェを気軽に呼べない伯爵を、逆にリアーチェが呼んだら一体どんな反応をするだろうかと。興味があったし、喜んでくれるかもしれないという期待もあった。

 伯爵は驚いたように動きをとめ、力なくカトラリーを掴むはずだった手をテーブルの上に置く。

 伯爵家は財政難だと聞かされていたが、あくまでも貴族の基準では、なのかもしれない。あるいは男爵家からの援助が入っているからなのか。朝食だというのに品数も豊富で、豪勢な料理が並んでいる。そこで固まる伯爵は一枚の絵画のようにさえ見えた。

「───お気に障りましたか?」

「いやいや、そんなことはない。呼び名か、そうだな…」

 顔を紅潮させて、目をぐるぐる回す勢いで、彼はあわあわと動揺している。面白い。見ていて飽きない男性だと、少女は小さく笑う。

「何でしょう?」

「昔のように───、いや、違う!すまない!失言だった」

 浮かれていた彼は、途中でハッとし、顔から血の気を引かせながら勢い良く席を立つ。

 ───どうか、忘れてくれ。

 祈りにも似た掠れた声が、小さく小さく呟き、願う。

 昔のように呼ばれたいと言われても、今のリアーチェは昔のリアーチェとは違う。少女は偽物だ。請われたところで呼べるはずもない。前言撤回されたのは喜ぶべきことだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

記憶喪失のフリをしたら婚約者の素顔が見えちゃった

ミカン♬
恋愛
 ビビアンには双子の弟の方、エリオットという最愛の婚約者がいる。  勉強なんて大っ嫌いなビビアンだったけど、エリオットが王立学園に入ってしまった。 1年頑張ってエリオットを追いかけてビビアンも入学できたんだけど──  **歩いていた、双子兄のブラッドさまをエリオットだと間違えて、後ろから「わっ」なんて声をかけてしまった。  肩をつかんだその瞬間、彼はふりかえりざまに、肘をわたしの顔にぶつけた。**  倒れたビビアンを心配する婚約者エリオットに記憶喪失のフリをした。  すると「僕は君の婚約者ブラッドの弟だよ」なんて言い出した。どういうこと?  **嘘ついてるのバレて、エリオットを怒らせちゃった?   これは記憶喪失って事にしないとマズイかも……**  ちょっと抜けてるビビアンの、可愛いくてあまーい恋の話。サクッとハッピーエンドです。  他サイトにも投稿。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

“足りない”令嬢だと思われていた私は、彼らの愛が偽物だと知っている。

ぽんぽこ狸
恋愛
 レーナは、婚約者であるアーベルと妹のマイリスから書類にサインを求められていた。  その書類は見る限り婚約解消と罪の自白が目的に見える。  ただの婚約解消ならばまだしも、後者は意味がわからない。覚えもないし、やってもいない。  しかし彼らは「名前すら書けないわけじゃないだろう?」とおちょくってくる。  それを今までは当然のこととして受け入れていたが、レーナはこうして歳を重ねて変わった。  彼らに馬鹿にされていることもちゃんとわかる。しかし、変わったということを示す方法がわからないので、一般貴族に解放されている図書館に向かうことにしたのだった。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

【完結】私、噂の令息に嫁ぎます!

まりぃべる
恋愛
私は、子爵令嬢。 うちは貴族ではあるけれど、かなり貧しい。 お父様が、ハンカチ片手に『幸せになるんだよ』と言って送り出してくれた嫁ぎ先は、貴族社会でちょっとした噂になっている方だった。 噂通りなのかしら…。 でもそれで、弟の学費が賄えるのなら安いものだわ。 たとえ、旦那様に会いたくても、仕事が忙しいとなかなか会えない時期があったとしても…。 ☆★ 虫、の話も少しだけ出てきます。 作者は虫が苦手ですので、あまり生々しくはしていませんが、読んでくれたら嬉しいです。 ☆★☆★ 全25話です。 もう出来上がってますので、随時更新していきます。

【完結】双子の国の行く末〜女王陛下になるべく育てられたはずの王女が見た景色〜

まりぃべる
恋愛
姉ヴァレリアと妹ヴェロニカは双子の王女。 長子が、身分や仕事や財産を継承するのが当たり前の思想が浸透している国であったから、その双子の長女ヴァレリアが国を継ぐと思われていました。 しかし、それは変化し、次の陛下は…? ☆姉ヴァレリアが主人公です。 ☆現実世界に似たような名前、思想などがありますが、全く関係ありません。 ☆カラーが異なる為、ヴェロニカの過ごした日々とは別の作品にしました。 そちらを読まなくても分かると思います。思い掛けず長くなりましたがこちらはショート寄りです。 ☆全19話です。書き上げていますので、随時投稿していきます。

【完結】言いつけ通り、夫となる人を自力で見つけました!

まりぃべる
恋愛
エーファ=バルヒェットは、父から十七歳になったからお見合い話を持ってこようかと提案された。 人に決められた人とより、自分が見定めた人と結婚したい! そう思ったエーファは考え抜いた結果、引き籠もっていた侯爵領から人の行き交いが多い王都へと出向く事とした。 そして、思わぬ形で友人が出来、様々な人と出会い結婚相手も無事に見つかって新しい生活をしていくエーファのお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ているもの、違うものもあります。 ☆現実世界で似たもしくは同じ人名、地名があるかもしれませんが、全く関係ありません。 ☆現実世界とは似ているようで違う世界です。常識も現実世界と似ているようで違います。それをご理解いただいた上で、楽しんでいただけると幸いです。 ☆この世界でも季節はありますが、現実世界と似ているところと少し違うところもあります。まりぃべるの世界だと思って楽しんでいただけると幸いです。 ☆書き上げています。 その途中間違えて投稿してしまいました…すぐ取り下げたのですがお気に入り入れてくれた方、ありがとうございます。ずいぶんとお待たせいたしました。

処理中です...