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しおりを挟む「このままリアーチェとして、ここにいて欲しい」
偽物少女の思考を、レミエルの願いが遮る。
親であるヌゲイル男爵が発案の身代わり。しかも結婚相手が了承しているのだ。問題があるとすれば、戸籍上の妻と実物が別人だということだろうけれど、親と夫が本物だと言い張れば、偽物だと証明するのは難しいだろう。
良いのだろうか。
戸惑いを抱えつつも、偽物少女は腕を伸ばして、彼の胸に飛び込んだ。
「リーエ」
結婚して2年が経った。毎晩のように悪夢に魘される元・偽物少女───リーエを、夫のレミエルが揺り起こす。
「ん…、また私…」
「ああ、魘されていたよ。大丈夫か」
まるで自身が悪夢を見たかのように不安そうな顔をする夫に、リーエは笑う。
「大丈夫よ」
リアーチェとして生きると決めてから2年。レミエルの呼ぶ愛称〝リーエ〟こそが自分の本当の名前だと言える。言えるからこそ、夢を見る。
本物のリアーチェが現れて、そこは私の居場所だから返せと迫ってくる夢だ。お腹が膨らむに連れて、夢の中のリアーチェはどんどん近づいてくるような気がして怖い。
リーエは自身のお腹を摩った。───レミエルとの子供がここにいる。
もし本物のリアーチェが来たら、この子はどうなるのだろう。ヌゲイル男爵は、何だかんだで実の娘であるリアーチェの味方をするかもしれない。レミエルはリーエの味方をすると信じているが、大商人でもあるヌゲイル男爵から万が一流通を断たれでもしたら、折れざるを得ないかもしれない。
「リーエ?」
「───不安になるの。私、ちゃんとこの子を産めるかしら。産褥で亡くなる方も多いもの…」
嘘はついていない。本当のことも言っていない。
レミエルには言いたくなかった。本物のリアーチェに、彼を盗られたくないし、考えて欲しくもない。
「……………」
安易に大丈夫だ、なんて、言わないレミエルが愛しい。
「早く会いたいのに、不安だなんて、贅沢ね、私」
「無理に笑わないでいいよ」
「ありがとう。愛してるわ、レミエル」
「私も愛してるよ」
結論から言うと。リーエの恐れていた本物のリアーチェは、出産と同時に現れた。
ズキズキと全身のあらゆるところが痛い上に、体力の全てを産まれた子供に持っていかれたリーエは寝台から動けない。乳母の存在が出だしから有り難い。
「元気な男の子だそうだよ」
気を失っていたリーエの目覚めを誰よりも喜ぶレミエルの言葉に、ほ、と息を吐いた。
「それは、良かったわ…」
「君が無事で良かった」
赤く腫らした目でレミエルはリーエの手を握り、ベッドの傍らに崩れ落ちた。
産後の肥立ちというものがあるので油断は出来ないのだが、喜びに水を差すこともあるまい。リーエは苦笑するに留めた。
「出産まで毎日、リアーチェが向かってくる夢を見たわ。リアーチェに連れて行かれると思っていたの」
レミエルによく似た容貌の赤子を腕に抱いたまま、リーエは語る。
ビクッとレミエルは身体を震わせた。
「連れて行かれるって、どこに…」
「でも、違ったの。リアーチェはお産を助けに来てくれたのよ。そう、帰ってきたの」
そもそも、偽物なんていなかった。本物もいなかった。リーエは最初からリアーチェだったのだ。ただ記憶を失っていただけ。身代わりなんていなかった。
父であるヌゲイル男爵は当然知っていたし、恐らくレミエルもヌゲイル男爵から聞かされていたのだろう。レミエルは驚きながらも「思い出したのか」と呟くだけだった。
「私のような〝灰色オバケ〟が妻でゴメンなさいね、ミル」
思い出した証拠だと、幼い頃にレミエルから吐かれた言葉をお返しする。それだけでレミエルはザァッと青褪めた。反応が良くて正直面白い。
「それは、本当に、すまなかった」
「いいのよ、ミル。あの頃の私は髪を梳くどころか、ろくに洗うことも出来なかった。くすんで見えたでしょうし、目に生気もなかったはず。他でもない今の私を貴方が愛してくれているなら、それでいいわ」
もちろん、本心だ。ただし全てではない。レミエルのことは愛しているし、許すが、当時の使用人達は許せない。思い出した以上、湧いてきた怒りをそのまま放置するつもりはない。
まずはヌゲイル男爵───お父様に、孫の顔を見せない。焦らして、揺さぶった上で、今現在加害者達がどこで何をしているのか、情報を吐かせよう。あの人のことだ、裏切り者達の動向くらい追跡しているだろう。
「もちろん愛してる。これからも愛し続けるよ」
「嬉しい」
内心では復讐に心を躍らせつつ、リアーチェは微笑んだ。まるで聖母のように。
[完]
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