偽物少女が本物になる日

ひづき

文字の大きさ
8 / 9

しおりを挟む



「このままリアーチェとして、ここにいて欲しい」

 偽物少女の思考を、レミエルの願いが遮る。

 親であるヌゲイル男爵が発案の身代わり。しかも結婚相手が了承しているのだ。問題があるとすれば、戸籍上の妻と実物が別人だということだろうけれど、親と夫が本物だと言い張れば、偽物だと証明するのは難しいだろう。

 良いのだろうか。

 戸惑いを抱えつつも、偽物少女は腕を伸ばして、彼の胸に飛び込んだ。





「リーエ」

 結婚して2年が経った。毎晩のように悪夢に魘される元・偽物少女───リーエを、夫のレミエルが揺り起こす。

「ん…、また私…」

「ああ、魘されていたよ。大丈夫か」

 まるで自身が悪夢を見たかのように不安そうな顔をする夫に、リーエは笑う。

「大丈夫よ」

 リアーチェとして生きると決めてから2年。レミエルの呼ぶ愛称〝リーエ〟こそが自分の本当の名前だと言える。言えるからこそ、夢を見る。

 本物のリアーチェが現れて、そこは私の居場所だから返せと迫ってくる夢だ。お腹が膨らむに連れて、夢の中のリアーチェはどんどん近づいてくるような気がして怖い。

 リーエは自身のお腹を摩った。───レミエルとの子供がここにいる。

 もし本物のリアーチェが来たら、この子はどうなるのだろう。ヌゲイル男爵は、何だかんだで実の娘であるリアーチェの味方をするかもしれない。レミエルはリーエの味方をすると信じているが、大商人でもあるヌゲイル男爵から万が一流通を断たれでもしたら、折れざるを得ないかもしれない。

「リーエ?」

「───不安になるの。私、ちゃんとこの子を産めるかしら。産褥で亡くなる方も多いもの…」

 嘘はついていない。本当のことも言っていない。

 レミエルには言いたくなかった。本物のリアーチェに、彼を盗られたくないし、考えて欲しくもない。

「……………」

 安易に大丈夫だ、なんて、言わないレミエルが愛しい。

「早く会いたいのに、不安だなんて、贅沢ね、私」

「無理に笑わないでいいよ」

「ありがとう。愛してるわ、レミエル」

「私も愛してるよ」





 結論から言うと。リーエの恐れていた本物のリアーチェは、出産と同時に現れた。

 ズキズキと全身のあらゆるところが痛い上に、体力の全てを産まれた子供に持っていかれたリーエは寝台から動けない。乳母の存在が出だしから有り難い。

「元気な男の子だそうだよ」

 気を失っていたリーエの目覚めを誰よりも喜ぶレミエルの言葉に、ほ、と息を吐いた。

「それは、良かったわ…」

「君が無事で良かった」

 赤く腫らした目でレミエルはリーエの手を握り、ベッドの傍らに崩れ落ちた。

 産後の肥立ちというものがあるので油断は出来ないのだが、喜びに水を差すこともあるまい。リーエは苦笑するに留めた。



「出産まで毎日、リアーチェが向かってくる夢を見たわ。リアーチェに連れて行かれると思っていたの」

 レミエルによく似た容貌の赤子を腕に抱いたまま、リーエは語る。

 ビクッとレミエルは身体を震わせた。

「連れて行かれるって、どこに…」

「でも、違ったの。リアーチェはお産を助けに来てくれたのよ。そう、帰ってきたの」

 そもそも、偽物なんていなかった。本物もいなかった。リーエは最初からリアーチェだったのだ。ただ記憶を失っていただけ。身代わりなんていなかった。

 父であるヌゲイル男爵は当然知っていたし、恐らくレミエルもヌゲイル男爵から聞かされていたのだろう。レミエルは驚きながらも「思い出したのか」と呟くだけだった。

「私のような〝灰色オバケ〟が妻でゴメンなさいね、ミル」

 思い出した証拠だと、幼い頃にレミエルから吐かれた言葉をお返しする。それだけでレミエルはザァッと青褪めた。反応が良くて正直面白い。

「それは、本当に、すまなかった」

「いいのよ、ミル。あの頃の私は髪を梳くどころか、ろくに洗うことも出来なかった。くすんで見えたでしょうし、目に生気もなかったはず。他でもない今の私を貴方が愛してくれているなら、それでいいわ」

 もちろん、本心だ。ただし全てではない。レミエルのことは愛しているし、許すが、当時の使用人達は許せない。思い出した以上、湧いてきた怒りをそのまま放置するつもりはない。

 まずはヌゲイル男爵───お父様に、孫の顔を見せない。焦らして、揺さぶった上で、今現在加害者達がどこで何をしているのか、情報を吐かせよう。あの人のことだ、裏切り者達の動向くらい追跡しているだろう。

「もちろん愛してる。これからも愛し続けるよ」

「嬉しい」

 内心では復讐に心を躍らせつつ、リアーチェは微笑んだ。まるで聖母のように。





[完]

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

記憶喪失のフリをしたら婚約者の素顔が見えちゃった

ミカン♬
恋愛
 ビビアンには双子の弟の方、エリオットという最愛の婚約者がいる。  勉強なんて大っ嫌いなビビアンだったけど、エリオットが王立学園に入ってしまった。 1年頑張ってエリオットを追いかけてビビアンも入学できたんだけど──  **歩いていた、双子兄のブラッドさまをエリオットだと間違えて、後ろから「わっ」なんて声をかけてしまった。  肩をつかんだその瞬間、彼はふりかえりざまに、肘をわたしの顔にぶつけた。**  倒れたビビアンを心配する婚約者エリオットに記憶喪失のフリをした。  すると「僕は君の婚約者ブラッドの弟だよ」なんて言い出した。どういうこと?  **嘘ついてるのバレて、エリオットを怒らせちゃった?   これは記憶喪失って事にしないとマズイかも……**  ちょっと抜けてるビビアンの、可愛いくてあまーい恋の話。サクッとハッピーエンドです。  他サイトにも投稿。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

“足りない”令嬢だと思われていた私は、彼らの愛が偽物だと知っている。

ぽんぽこ狸
恋愛
 レーナは、婚約者であるアーベルと妹のマイリスから書類にサインを求められていた。  その書類は見る限り婚約解消と罪の自白が目的に見える。  ただの婚約解消ならばまだしも、後者は意味がわからない。覚えもないし、やってもいない。  しかし彼らは「名前すら書けないわけじゃないだろう?」とおちょくってくる。  それを今までは当然のこととして受け入れていたが、レーナはこうして歳を重ねて変わった。  彼らに馬鹿にされていることもちゃんとわかる。しかし、変わったということを示す方法がわからないので、一般貴族に解放されている図書館に向かうことにしたのだった。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

【完結】私、噂の令息に嫁ぎます!

まりぃべる
恋愛
私は、子爵令嬢。 うちは貴族ではあるけれど、かなり貧しい。 お父様が、ハンカチ片手に『幸せになるんだよ』と言って送り出してくれた嫁ぎ先は、貴族社会でちょっとした噂になっている方だった。 噂通りなのかしら…。 でもそれで、弟の学費が賄えるのなら安いものだわ。 たとえ、旦那様に会いたくても、仕事が忙しいとなかなか会えない時期があったとしても…。 ☆★ 虫、の話も少しだけ出てきます。 作者は虫が苦手ですので、あまり生々しくはしていませんが、読んでくれたら嬉しいです。 ☆★☆★ 全25話です。 もう出来上がってますので、随時更新していきます。

【完結】双子の国の行く末〜女王陛下になるべく育てられたはずの王女が見た景色〜

まりぃべる
恋愛
姉ヴァレリアと妹ヴェロニカは双子の王女。 長子が、身分や仕事や財産を継承するのが当たり前の思想が浸透している国であったから、その双子の長女ヴァレリアが国を継ぐと思われていました。 しかし、それは変化し、次の陛下は…? ☆姉ヴァレリアが主人公です。 ☆現実世界に似たような名前、思想などがありますが、全く関係ありません。 ☆カラーが異なる為、ヴェロニカの過ごした日々とは別の作品にしました。 そちらを読まなくても分かると思います。思い掛けず長くなりましたがこちらはショート寄りです。 ☆全19話です。書き上げていますので、随時投稿していきます。

【完結】言いつけ通り、夫となる人を自力で見つけました!

まりぃべる
恋愛
エーファ=バルヒェットは、父から十七歳になったからお見合い話を持ってこようかと提案された。 人に決められた人とより、自分が見定めた人と結婚したい! そう思ったエーファは考え抜いた結果、引き籠もっていた侯爵領から人の行き交いが多い王都へと出向く事とした。 そして、思わぬ形で友人が出来、様々な人と出会い結婚相手も無事に見つかって新しい生活をしていくエーファのお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ているもの、違うものもあります。 ☆現実世界で似たもしくは同じ人名、地名があるかもしれませんが、全く関係ありません。 ☆現実世界とは似ているようで違う世界です。常識も現実世界と似ているようで違います。それをご理解いただいた上で、楽しんでいただけると幸いです。 ☆この世界でも季節はありますが、現実世界と似ているところと少し違うところもあります。まりぃべるの世界だと思って楽しんでいただけると幸いです。 ☆書き上げています。 その途中間違えて投稿してしまいました…すぐ取り下げたのですがお気に入り入れてくれた方、ありがとうございます。ずいぶんとお待たせいたしました。

処理中です...