春待ち木陰

春待ち木陰

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「親友……かあ」

 と美空は呟いた。

「……違うのか?」

「まあ……そうなのかな。でも……『薄情な』だね」

 美空は、まるで寂しさや苦しさを噛み締めるみたいに微笑んでみせた。

「瀬尾……」

 そんな笑顔を見せられてしまっては、これ以上、何も彼女に尋ねる事は出来ない。

「……悪い」

 春生は彼女に頭を下げた。大袈裟にではなかったが、真剣に。

 美空は「ウウン」と小さく微笑んだ。

 春生は、

「…………」

 その時、どんな顔をして良いのかわからないまま、ただただ、彼女の笑顔を受け止めた。顔を背ける、視線を逸らすという事だけはしなかった。

 その夜の風呂場。湯船の中、熱い湯に肌を赤くしながら春生は、

(……駄目だったな、今日は……。)

 軽くない自己嫌悪にぼんやりと浸ってしまった。

 普段の花村春生は決して好奇心の強過ぎる人間ではなかった。

 生まれる直前に父親を亡くし、以降、若くはない母親と年の離れた兄との三人で暮らしている彼は、十四歳にして、世の中には「気軽に尋ねてはいけない事」や「自分が知らなくても良い事」があるという事を知っていた。

 それが、この日は、どうしてだろうか。幾度も口を滑らせてしまった。

「ナンダカンダで……やっぱ、混乱してんだろな」

 言い訳じみた言葉を呟き、春生はバシャリと自分の顔に湯船の湯を浴びせ掛けた。

 ……バシャリ、バシャリ、バシャリ。顔を洗う。荒く洗う。

 てのひらで適当に顔の湯を拭い、春生は「はふぅ~……」と何とも気持ちの良さ気な息を吐く。

 良くない気持ちは、垢と一緒に流し落とす。花村春生にとっての「風呂」とは、昔から「心の洗濯場」でもあった。

 翌日、春生の通う中学校で、ちょっとした「事件」が起きた。

 前日の「殺人事件」に比べては、余りにも小さ過ぎる出来事ではあったが。女子柔道部の次期主将と言われていた安藤果歩が部活を辞めたのだ。柔道部の顧問教師や先輩、同輩、後輩にまで慰留をされたが、彼女の決意は固かった。

 春生がその「事件」を知ったのはその日の放課後。

 放課後になってすぐの教室にて。花村春生と五人の同級生達は皆、肩に鞄を掛けたまま、だらだらと駄弁り合っていた。

「でもさ。あんな事のあった次の日に朝練て。ウチのガッコ、チョット、変? それともコレってフツーなのか?」と高木。

「いあいあ、『フツー』は中学校であんな事、起こんないから」と加藤。

「そりゃあ……ま、そうなんだけどさ」と再び高木。

 強がりなのか、無神経なのか。皆、昨日の「出来事」を簡単に話題にしてはいたが、その誰も「殺人」だの「殺し」だのといった直接的な言葉は使っていなかった。もちろん、「水谷鈴呼」の名前を挙げる者も居ない。

「……単に、先生達もパニくってて、朝練中止の連絡を忘れてただけじゃね?」と荒井。

「ああ~、それはアルかもな。つーか、今日から普通に部活あんのな」と加藤。

「まあ、アレがあったの『教室』だしな。体育館とかでアレだったら、しばらくは立ち入り禁止になってたかもだけど」と仲本。

 水谷鈴呼の起こした殺人事件の現場となってしまった二年A組の教室は、現在、立ち入り禁止の封鎖状態となっており、春生達、二年A組の生徒は、もう十年以上も使われていなかった空き教室――「旧・二年F組」の教室にて、授業を受けていた。

「ああ。部活って言えば。今朝、朝練の時……『お隣』、何か揉めてたろ?」

 剣道部員の志村がからかい含みの視線を向けると……その「お隣」こと、柔道部の高木は意外にも硬く表情を引き締め、それに応えた。

「アレなあ……。何でか知らんけど。急に安藤が『部活を辞める』とか言い出してさ。E組の『安藤果歩』、知ってる? ……女子部の次期主将とか言われてたのにな」

 高木の言葉に、荒井と加藤は「ああ。そんな話、聞いたわ」と頷き、初耳であった志村と仲本、そして春生は「ええ……?」と驚きの声を上げてしまった。

 春生に至っては「驚きの声」だけにおさまらず、

「安藤果歩が……部活を辞めた……?」

 などと思わず呟いてしまっていた。

 安藤果歩。彼女は瀬尾美空と同じく、水谷鈴呼の親友である。水谷鈴呼が殺人を犯したその日、瀬尾美空は妙に部活動に熱中し、安藤果歩はそれを辞める決意を固めた。

 瀬尾美空と安藤果歩の二人は同じようにそれぞれの道で将来を期待・有望視されていた実力者でもあった。

「…………」

(……水谷鈴呼と瀬尾美空、それに安藤果歩。やっぱり、何かあるのか……?)

 その内の誰ともたいした接点など無い花村春生が、どうして、こんなにも彼女達の事が気に掛かるのか。「彼女達」……いや、「彼女」である。結局のところ、春生の気に掛かっているのは「水谷鈴呼」なのだ。

 二年A組の委員長として、凶行に及んでしまった同級生に責任のようなものを感じているのか。それとも。惨劇の直後、彼女に長く見据えられ、更には、制服の袖口を掴まれてしまい、それらの事から妙な情でも湧いたのだろうか。

「どうして」……それは春生本人にも解かっていなかった。

「……好奇心は強くないつもりだったんだけどな」

 小さく独り言ちた春生に、志村は耳聡く「ああ?」と不審げな目を向けた。

「悪い。オレ、ちょっと用事、思い出したわ」

 春生は冗談半分、ベタな台詞を残して彼らから離れる。

「はあ~? 何それ。どーゆーコト?」

「アハハハハ。初めてリアルで聞いたカモ。『ちょっと用事、思い出した』って」

「ほ~いよ。いったらっさい」

 友人達に見送られ、春生は「お先に」と教室を抜けた。廊下を進みながら窓へと目を向け、校庭の端を見た。砂場には青いマットが敷かれ、高いスタンドが立てられてあった。

(……居た。)

 そのすぐ近くに目当てとしていた「彼女」の姿を確認するや、春生は廊下を進んでいた足を更に急がせた。

 ……一方、花村春生の抜けた教室では。

「アレは……放課後に時間の空いた安藤果歩をデートに誘いに行った……と、みたね」

「ああ~、それはナイな。あのチビッコに限っては」

 抜けた春生をネタにまた話が盛り上がる……かと思われたが、

「アハハ。アホだ。……っと。そろそろ、俺も部活に行きますかな~だ」

「……だな。行くか。あんま遅れて、罰走もたるいしなあ」

「はぁ~……。三年が抜けてから先、なんかマジだらけてんだよなあ……」

 未だオンナっ気のカケラも無い黄土色の男子中学生どもが送る放課後のボーイズ・トークは、敢え無くの解散となってしまったのだった。


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