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しおりを挟む東京拘置所の一般面会は一日一組と決められていた。その一組は最大で三人。
面会者と拘置所内の未決拘禁者に、立ち合いの職員が加わった三者が一部屋に収まり、面会となる。制限時間は基本的に三十分。
面会者と未決拘禁者の間には、幾つかの小さな穴が空けられた透明な仕切りがあって、立ち合いの職員は未決拘禁者の側に座る。
拘置、二日目。水谷鈴呼に現れた面会希望者は、彼女の家族ではなく、友人でもなく、見知らぬ男女の二人組だった。
「はじめまして、水谷鈴呼さん。私は、久我山守義の秘書を務めております、小糸朔太と申します。本日は久我山の代理として参りました」
自らを「秘書」と名乗ったのは、三十代の後半と見受けられるスーツ姿の男性だった。胸板も厚く、その体格は「秘書」というよりかも「ボディーガード」といったふうだった。
それにしても……である。実にさらりと主の名前を口にした彼は――「久我山守義」が「明石家さんま」や「長嶋茂雄」と、下手をすれば「ドラえもん」や「アンパンマン」と同等の知名度を持っているみたいに考えているのかもしれないが――そんな、十年も前に表舞台から退いた政治家の名前など、現在、十三歳の鈴呼が知っているはずはなかった。
「ハジメマシテ。春日一緒と言います。『一緒』と書いて『いちお』と読みます」
続いて、鈴呼よりは年上だろうが、明らかに未成年と思われる――十七~八歳の少女が名乗った。彼女は、ややだが幼さの残る目鼻で、大人びた澄まし顔をしていた。
「…………」
鈴呼は何も応えない。言葉はもちろん、態度にも何も表さなかった。
俯くでもなく、横を向くでもなく、彼女の顔は二人の「方」に向けられていた。
睨むでも、微笑むでもなく、その表情は「普通」だった。
「……この穴から、声は向こうに聞こえてるんですよね? ……まさか。この板、実はマジックミラーとかだったりします?」
春日一緒と名乗った少女が「コンコンコン」と仕切りのアクリルをノックしながらに囁いた。もちろん、それは彼女一流の冗談であったが、そのくらい水谷鈴呼は「普通」に無反応だったのだ。
「水谷さん」とスーツの男――小糸朔太が口を開いた。
「アナタは先日、殺人を犯しました。それは事故や過失などではなく、故意による殺人とお認めになられたとか。しかし。その『動機』に関しては、黙秘されている。単刀直入に言いますが、私共は、アナタがその行為に至ってしまった『原因』に心当たりがあります。『動機』ではなく『原因』です。……アナタは『未来』を体験しましたね?」
小糸は、無遠慮なまでに真っ直ぐと鈴呼の顔を見据えていたが……彼女の表情に変化は認められなかった。小糸は、彼女をじっと見据えたまま、言葉を続ける。
「殺人の『動機』は、その『未来』に在った。アナタが『動機』を黙秘されているのは、それを口にしたところで、誰にも信じてもらえないと考えているからでしょうか。……正直を言いまして、私共はアナタの『動機』には関心がありません。私共が欲しているのは、アナタの体験された『未来』です。その『情報』です」
そこまで言うと、小糸は彼女の顔から視線を外し、立ち上がった。そして、
「どうか……アナタの体験した『未来』を我々に語っては頂けませんか」
深々と頭を下げてみせた。……慣れているのか、背筋の伸びた、良い御辞儀だった。
当然の如く、水谷鈴呼の反応は無い。
「……どうか」と頭を下げたまま固まってしまった小糸朔太に、
「小糸さん。お座りくださいな」
その隣から、春日一緒が微笑み含みで助け舟を出した。
「水谷鈴呼さん。あたしの考えでは、あの時――あなたが殺人を犯した、その数秒前ね。あなただけが特別に……ではなくて、この世界中、全ての人間が『未来』を体験したはずなのよ。ただ、それを覚えていないだけで。もちろん、このあたしも。ここに居る小糸も体験している……はずなんだけど……ザンネンながら、覚えていないのよね、ゼンゼン」
春日一緒と名乗った少女は「無邪気」と言って差し支えないであろう表情で、何だか楽しそうに語っていた。
「レム睡眠とか、ノンレム睡眠だとか、詳しい話は忘れちゃったけど。眠っている人間は必ず、夢を見ているそうじゃない。記憶の整理だかって話よね。……でも、起きてみれば、大抵の夢は忘れちゃってる。濃ゆい内容の夢だって、起きた瞬間は覚えていても、ベッドを出て、顔でも洗おうものなら、すっかりと忘れちゃう。夢の内容を覚え続けておくには、繰り返し繰り返し、その夢を思い出し、記憶に定着させる事が必要なのね。……あたし達の体験した『未来』っていうのは、そんな『夢』によく似ているわ。感覚的にね。……あなたは、その『夢』で体験した『何か』を頼りに、殺人まで犯してしまった。よっぽど、激しい体験だったのね。その記憶は、多分、今も忘れられていないんじゃないかしら。……奇しくも、逮捕されてしまったあなたは普段の『日常』に記憶を上書きされる事も無く、そのコトばかりを思い出せる状況にあったわけだし……」
不意に一緒は、
「……ねえ、そこのあなた」
と立ち合いの職員に言葉を向けた。
「突拍子も無い話でしょ? なのに、何故だか、否定し切れない。……それはね、あなたの『頭』が覚えていないだけで、あなたも『未来』を体験しているからなのよ。あなたの『魂』はそれを覚えているの……なんて、信じる?」
悪戯っぽく微笑んだ一緒に、立ち合いの職員は「…………」と難しい顔を作った。
「鈴呼さん。ほとんどのヒトがね、その体験を覚えてはいないの。だけど、物事には必ず、例外がある。今回の件で言えば、あなたがその『例外』の一人。……『例外』の皆が皆、あなたみたいに目立つ行動を起こすわけじゃないから、探し出すのは中々にホネでね、そういった意味でも、あなたの存在は貴重なの」
「……いちおさん」と、小糸朔太はそのタイミングで、わざとらしく咳払いをした。しかし。春日一緒は気にしない。
「あなたはそれを自覚すべきだわ。そして、それを利用しなきゃ。……あなたがその気になればね、大抵の『ワガママ』はこのヒトが聞いてくれるわよ」
ちらりと一緒は隣の小糸朔太に視線を流した。
「……御協力頂けるのでしたら、久我山守義の名に於いて、それ相応の御礼は致します」
一緒の視線を受けて、小糸は厳かに頷いた――が、此の期に及んでも、まだ、
「…………」
水谷鈴呼には何の反応も見られなかった。
「水谷鈴呼さん」と小糸は改めて、彼女の顔を見据える。
「我々は『未来』の『情報』が欲しいと申しましたが、それは何も『宝くじの当選番号』だとか『競馬の勝ち馬』を教えて欲しいと言っているわけでは、ありません。アナタの現状が示している通り、我々の体験した『未来』とは、実に簡単に覆ります。仮に『宝くじの当選番号』を聞いたとしても、その番号は当たらないでしょう。……もっとも、そのように細かい事象は覚えていらっしゃらないとは思いますが……。我々の欲しい『情報』とは『技術』です。確実な足場となる『技術』の『情報』が欲しいのです。それが、今の世の中にはまだ無い『新技術』であれば、その仕組みや原理などといった詳細は要りません。……いや、詳細が解かるならば、それに越した事はありませんが……。アナタの体験した印象で構いません。どのような『新技術』が『未来』には、ありましたか。例えば、空を飛ぶ車などはありましたか? 携帯電話……いえ、通信端末のスタンダードは、どのようなモノでしたか?」
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